Act4.「アンドロイドの見る夢」

 師走。SNS上にはオアシスに飾られた大きなツリーの写真が上げられていた。地球にはツリーもリースも門松も無い。


 わたしは開封済みの小包を前に溜息を吐く。それは昨晩、オアシスに居る母から送られてきたものだ。いつもレトルト食品や菓子類でギッシリの段ボールが届くところ、今回は妙に小さな郵便物一つだけ。嫌な予感がした。そして的中した。


 小包の中には――移住転送マシンの搭乗チケットと、必要な手続き書類。チケットにはマシンの搭乗日時とわたしの氏名が印字されていて、何重枚もある書類は必要事項が全て記載され、あとはサインするだけになっていた。


 なんの断りもなく勝手に移住手続きを進めてしまった母に対して、怒りがふつふつ湧き上がる。そして、母にそれをさせてしまったわたしに、悲しみが圧し掛かる。


 わたしは何度も読み返した手紙をもう一度開いた。


 皺の寄った便箋に、癖のある細い文字で綴られた、母の想い。そこには地球に残してきた娘への心配、自身の寂しさ、オアシスでの生活がいかに快適であるか、転送マシンがどれほど安全であるかが書かれていた。時々卑屈っぽくなるのが同情を誘っているようで見るに堪えない。


「はあ……」

 一足早いクリスマスプレゼントのつもりだろうか? さいあくだ。


 わたしはこの手紙の所為で一睡も出来なかった瞼を閉じる。すると、地球を発つ母を見送った時の、あの悲しい顔が蘇ってしまった。『あと少しだけ地球に残りたい』と告げた時の、まるで捨てられたとでも言うようなあの顔。

 あの日は、コニーとの出会いから三カ月後のことだった。兄や叔父叔母、従妹……親戚全員が移住したあの日。本当であればその日にわたしも移住する予定だったのだ。


 突然残ると言い、以降は電話で移住予定を訊かれてもはぐらかし、先延ばしにし続ける娘。自分が親不孝をしているという自覚はあった。


(どうしよう……)

 転送マシンの搭乗予約日は、ちょうど一週間後。荷造りやアパートの片付けは引っ越しロボットを手配すればよく、移住先の申請も既に母が終えている。わたしがする事は、この足でターミナルまで向かうことだけだ。母が設けたこの一週間は、地球への別れを告げる心の準備期間ということなのだろう。


 いつかは。いつかは地球を発たなくてはいけないと分かっていた。けれど、分かっているからといって、今それが出来るわけではない。


 ――惑星間の移動に用いられる人体転送マシンの仕組みは、人体に高圧電流を流して量子レベルまで分解し、転送先で再構築するというものである。人体には多大な負荷がかかるが、一度であれば健康に影響を及ぼすレベルではない。しかし二度目からは急激にリスクが上昇するらしい。転送に用いるエネルギー削減の為にも、政府は人体転送マシンの使用を一人一回までと定めていた。例外はこれまで一つもない。


 つまり地球からオアシスへは一方通行。一度行ってしまえば、もう二度と戻ってくる事は出来ない、片道きり。だから、


(行ってしまえば、もうコニーには二度と会えなくなる)


 彼は決して地球を出ない。十年後に地球と共に滅びる運命である。わたし達の先に待っているのは、どう転んでも悲しい“無い未来”。


 ――もう諦めよう。どうすべきかなんて、わたしが一番分かってるんだから。


 その日、わたしは膝を抱えて昼を過ごし、夕方を過ごし、夜を越した。眠らなければ少しでも先延ばしに出来るかもしれないなんて思ったけれど、いつの間にか眠ってしまっていて、昼だった。早い、早い。また夜が来て、朝が来て、昼が来る。


 七日目の朝は、あっという間だった。




 *




 昼過ぎの街はとても静かだ。いや、今は日夜問わずいつでも静まり返っている。わたしがまだ子供の頃は、カフェはお茶をする人で賑わい、道には犬の散歩をする人、ジョギングする人が行き交っていた。街はいっぱいの人に溢れていた。

 しかし今となってはその光景も、歴史の教科書の中の白黒テレビみたいな存在だ。


 寝不足の頭がぼんやりモノクロに染まりかけているところで、名前を呼ばれる。その声に、世界は色彩を取り戻した。


「お散歩ですか? 今のあなたにはあまりお勧めできません。あなたは最近、体調が優れないように見受けられます。原因は恐らく睡眠不足かと思われますが、」

「こんにちはコニー」

 わたしはコニーの早口をのんびり遮る。わたしがボーっとしているから、彼の口調が荒々しく捲し立てるように聞こえるのだろうか。彼に至っては、そんな事は有り得ないというのに。それでも不思議と、礼儀正しい筈の彼が挨拶を返すことは無かった。


「さあ帰りましょう。またそんなに薄着で、風邪をひかれますよ」

「コニー、いつもと違うね。どうしたの? 何かあったの?」

 ここ数日、疲れ切った顔を見られる度にそれを訊かれていたのはわたしの方だった。わたしはその都度『なんでもないよ』と誤魔化し、彼に悩みの種である“転送マシンチケット”のことを一切打ち明けなかった。そんなわたしが追及できる立場ではないかもしれないけれど、じっと彼の答えを待つ。


 コニーは暫く黙って、言葉を探すよう視線を彷徨わせ、それから重々しく口を開いた。


「あなたが、どこか遠くに行ってしまう夢を見ました」

 わたしはその言葉に、これこそが夢なのではないかと思った。なのに一気に目が醒める。


「コニーは……アンドロイドなのに、夢を見るの? 睡眠もとらないでしょ」

「そうですね。……あなたは僕に起こったこの現象を、アンドロイドの不具合と見ますか? それとも――進化と見ますか?」


 彼の乾いた瞳がわたしを見つめている。その奥にあるものが分からない。心と呼べるものがあるのか分からない。それでも、こんな風に心をかき乱すのは、いつだって誰かの心だ。


「コニーは本当に、人間みたいだね」

 今の彼の表情は、パッケージ通りの穏やかな無表情には見えなかった。コニーの常ならぬ様子に、わたしは心配し、期待する。


「……コニーの言う通り、ちょっと薄着過ぎたみたい。駐在所でコーヒーでも淹れてくれない? 寒さに震える住民の保護は、大切なお仕事でしょ?」

 コニーはすぐに、了承した。



 生活サポート管理アンドロイドは、かつての交番を駐在所としていることが多い。コニーの駐在するこの交番は、わたしにとっては既に勝手知ったる場所の一つだった。キイキイ音を立てる椅子に座って室内を見回す。いつ来ても整理整頓されており、オフィス机に彼の私物は一つも見当たらない。


 少しすると、コニーが奥の部屋からコーヒーを持って戻ってきた。マグカップもインスタントコーヒーも、以前わたしがここに持ち込んだものだ。


「ありがとう」

 慣れ親しんだ芳ばしい香り、自宅で飲むのと同じ味。心地よい熱が胃に沁みた。暖房は付いていないけれど、彼が傍に居るからかほんのり暖かい。


「ここ最近、ずっと寒いよね。雪でも降りそう」

「都内での降雪は、ここ数年は一度もありません。恐らく今年も降らないでしょう」

「そっか。それは少し残念だな」

「寒いのはお嫌いではないのですか?」

「嫌いというか、苦手。でも雪は好きだよ。雪だるまに、かまくら。子供の頃、田舎のおばあちゃんの家で作ったなあ。コニーは見たことある?」

「映像記録なら再生できます」

「そっか……」

 

 わたしは苦いコーヒーを舌で転がす。

 アンドロイドのネットワーク上には、きっと世界中のありとあらゆる情報が存在しているのだろう。映像や音声による疑似体験を経験とするのであれば、その経験豊富さは人類が太刀打ち出来るものではない。


「一面の雪って綺麗だよ。本当に」

 わたしは目を閉じて、思い出の中の白銀世界に想いを馳せる。

 日中は白く発光し、日が暮れると薄紫色に染まる、表情豊かな雪景色。記録とは違い美化されているだろう不確かな記憶だけれど、そこにある感動は本物だ。


「では、来週にでも見に行きましょうか。雪のあるところまで」


「……え?」


 わたしは、自分の行き過ぎた妄想かと、耳を疑った。

 だって彼がそんな事を言う筈がない。もしかして、わたしの諸々の言葉を依頼と読み取ったのだろうか? それでも、彼が職務を投げ打ってまでわたし個人に時間を割くとは思えない。


「でも、お仕事は?」

「問題ありません。僕たちアンドロイドには、自己メンテナンスやイレギュラーな対応の為に、通常勤務の交代申請制度があります」

「お休みを申請できるってこと?」

「まあ、そうですね」

 コニーはどこか適当に、答えた。


(来週、彼と、雪を見に?)

 今日は本当に、どこからどこまでが現実か分からない。夢かもしれない。だって彼からデートに誘われる夢なんて、今まで何十回も繰り返し見てきたのだから。……けれど、いつだってその夢は疑う余地のないただの夢だった。夢の中で夢だと気付いているような夢だった。なら、この妙にリアルな驚きに満ちた夢は、夢ではないのだろうか。



 ――来週。それはたった今この時まで、わたしの中で不確かな未来だった。


 母からの手紙を受け取ったわたしは苦渋の末に“地球に残る”ことを選んだ。自分の気持ちに嘘をつくことを諦めたのだ。けれど自身のその選択を信じ切れず、転送マシンの搭乗日である今日、予約時間に間に合わなくなるまで時間を潰そうと、あてもなく街を歩いていたのだった。


 この数日心はずっと落ち着かず、ポケットの中の手放せなかったチケットが気になって仕方がなかった。でもようやく今、その紙切れの呪縛から解放された。夢にまで見た彼のその誘いは、決断というにはあまりに弱気な選択を、確固たるものにしてくれた。


 わたしの未来が、確定する。



「うん。行こう。連れて行って」

「はい、かしこまりました」

 わたしには、返事をしたコニーがホッとしているように見えた。彼のつるりとした顔に分かりやすい喜びの色は見つけられないけれど、徐々に、見つけていければいいと思う。


「ねえ、今回のお休みは、あなたのメンテナンスの為? それともイレギュラーな対応の為?」

 コニーは少し考え「前者が近いのかもしれませんね」と言った。


「ふふ。コニーは、どんどんアンドロイドらしくなくなっているもんね」


 出会ったばかりの彼は、今とは違っていたと思う。何を言ってもマニュアル通りの対応で、完璧に優しくて冷たいアンドロイドだった。彼に変化を起こしたのがわたしだと、自惚れてもいいのだろうか?


 わたし達はそれから少しの間、のんびりと雑談をした。寝不足だったからか、安心したからか、コーヒーを飲み終えたわたしはウトウトしてしまう。どうしても抗えない眠気に意識を沈ませた。

 

 ………。




 *




 デスクに頬杖をつき、小さな寝息を立てている“彼女”。コニーは軋む椅子に座りながら、物音一つ立てず、意味もなく目を閉じる。彼に内臓された時計が一定のリズムで時を刻む。しかし、腹立たしい程にそれは遅い。相対性理論がアンドロイドにも適用されるとは思ってもみなかった、とコニーは無駄な思考でCPUを浪費した。


 十七時を回ったことを確認し、コニーはそっと椅子から立ち上がった。優しく彼女の肩を叩く。


「起きてください。そろそろ帰らないといけませんよ」

「え……わたし、寝ちゃってた? 今何時?」

 蕩けた瞳は、まだ半分夢の中だ。コニーは「もう外は大分暗いので、お送りします」とだけ答える。彼女が時間を聞き返すことは無い。


 二人は交番を出た。彼女は静かに、濃紺に染まる夕空を見上げる。コニーはその表情を確認することが出来なかった。


「さあ、帰りましょう」

「……うん」


 ――十七時。ターミナルで、彼女の予約していた便が出る時間。


 彼女は知らないが、移住計画に携わるアンドロイドは、移住に関する全ての情報を把握している。転送マシンの予約状況……人数……予約者の個人情報まで全て参照可能なのだ。


「送ってくれてありがとう……なんだかまだ眠いや」

「とてもお疲れのようでしたからね。今夜はゆっくりお休みください。雪を見に行くなら体調は万全にしておきましょう」

「あ!」


 彼女は眠そうな目を少し見開き、パッと顔を輝かせた。眠る前のデートの話をすっかり夢だと思い込んでいた、というように。

 そんな彼女の反応を、眩しい、とコニーのセンサーが認識する。


「来週の日曜日、迎えに来ます。待っていてくださいね」

「は、はい!」

「それでは、おやすみなさい。いい夢を」

「うん……おやすみ。コニーも今夜はいい夢が見られるといいね」

「……そうですね」


 アンドロイドは“夢など見ない”。だが、言い訳が必要な個人的理由は、稀に発生する。それは人間が不具合と診断し、アンドロイドが進化と認識するものだった。

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