Act3.「柿と老人」

「すっかり寒くなったね」

 人類が減少し、退廃的な風景に様変わりしても、地球は地球。夏は暑いし冬は寒い。


 十一月下旬の今日、木々はまだ鮮やかに色付いているが、寒さはすっかり真冬だった。わたしは今日も今日とてコニーのパトロールに着いて回っている。着膨れるのが嫌で軽装で来てしまった体を縮こまらせた。


「あの夏の暑さが、ちょっとでもここにあればいいのに」

「現在の気温は9.6℃。今季一番の寒さです。あなたの服装は気温に適していません」

「オシャレに我慢は付きものなの」

「オシャレは、近所を見回るために必要なものですか?」

「無神経!」


 わたしはムッとしてコニーから顔を背けた。このように大袈裟に怒って見せれば、いくら彼でもわたしが気分を害したことが分かるだろう。しかし何故かは理解できないに違いない。その理由を分析でもしてみればいいのだ。


 そんな意地の悪い女の頭に、バサリと布がかぶせられる。それは彼の着ていたベージュのトレンチコートだった。


「僕たちアンドロイドの防寒は、それこそオシャレでしかありません。季節を演出するための、見栄えを重視した実用性のないもの。ですが、今はあなたの健康を維持するために役立つようです」

「どうして、頭から被せるの?」

「体温保持のためには、首元を冷やさない方がいいでしょう」

 淡々と答えるコニーに、言葉以上の何かは見つからない。けれど、投げるようにコートをかけたその雑な行動が彼らしくなく、わたしはコートに包まってニヤニヤ顔を隠した。


「暖房機能もありますが、どうしますか?」

「えっ、」

 慌ててコートから顔を出すわたし。夏の時と同様、コニーはこちらに腕を差し出している。わたしは、それは勿論……


「アイターッ!」

 突如響き渡ったその声に、わたしは心臓が止まるかと思った。一体何事かと硬直しているわたしを置き去りに、コニーは素早く声の方へ駆けて行く。そして彼は迷うことなく、立派な石門に吸い込まれていった。……そこは三丁目で一番古く大きいお屋敷。久野という老人の住む家だ。


 わたしが遅れてその門を通ると、庭先には尻もちをついている白髪頭と、その人を抱き上げようとしているコニーが居た。地面に倒れた脚立と、転がった大きな剪定鋏を見るに、久野は庭の手入れ中に脚立から落下したのだろう。素人目には意識はハッキリしていて大きな怪我も無く見えるが、すぐに立ち上がることは出来ないらしい。


 コニーは軽々と彼を縁側まで運んでいく。わたしは慌ててその背中を追いかけ、久野に声を掛けると、家の中に邪魔させてもらった。畳の間から長座布団を引っ張ってきて、怪我人が横になれる場所を作る。


「アイタタタ……」

 久野は座布団の上で腰をさすりながら呻き声を上げた。コニーは患部をその目でスキャニングし、安心させるようゆっくりと言う。


「大丈夫です。二三日安静にしていれば、回復するでしょう」

「良かった……良かったですね、久野さん!」

 わたしは顔なじみの軽傷に安堵する。久野とは、コニー程ではないにしろ交流があった。近所付き合いなど面倒としか思っていないが、一人くらいは、時々挨拶を交わす人が居てもいい。


「二三日……!? とても待ってられんよ。どうにかならんもんかね」

「どういうことですか?」

 コニーが訊き返す。わたしも首を傾げた。


「どうもこうも、あんたらもさっき見ただろう。あの木の柿はもう傷み初めておる。おまけにバカ鳥共が一口ずつ啄んでいきやがるもんで、急いで収穫せねばならんのだ」

「ああ……確かに」

 わたしは縁側から庭の木を見る。背が高く広がりのある柿の木は、濃く色付いた実をいっぱい実らせていた。そして、こうして話している間にも、無邪気な小鳥たちは味見を楽しんでいる。鳥除けに吊るされたCDが、傍らでキラキラ輝いているのがもの悲しい。


「でも久野さん、お体が何より大事ですよ」

「そうですね。僕が替わりに収穫しましょう」

「え?」

 わたしと久野は同時に彼を見た。コニーは腕まくりをして、地面に落ちた久野の剪定鋏を手に取る。久野は不安げに「経験はあるのかね」と尋ねるが、コニーは顔色一つ変えずに「無いですね」と即答した。


「ですが、プログラムのインストールは完了しました」



 アンドロイドはつくづく便利だ、とわたしは思う。

 あらゆるスポーツ、知識、技術をネットワーク上からインストールすることで、意のままに出力できるのだ。彼らアンドロイドが活躍し始めた頃、人々はそれに対し否定的な反応を示していた。ミスのない仕事を最短でこなし、優れた芸術作品を作り上げ、オリンピックの最高記録を平然と塗り替えるアンドロイド。しかし今となっては、人間とは別の土俵で受け入れられ評価されている。


 コニーは久野の不安をよそに、柿の実の収穫だけでなく、伸びすぎた枝の剪定まで完璧に行ってみせた。わたしは何か手伝いたくてその近くをウロウロしたが、手伝わせてくれる隙が無い。暫く動けそうもない久野の代わりに家事をすることにして、途中から家の中に引っ込んでいた。


「色々とすまんな。取った柿は、好きなだけ持って帰って構わんよ」

 洗濯と夕食の用意の後でわたしが縁側に戻ると、仕事を終えたコニーに久野がニコニコ礼を述べていた。久野のこういう、アンドロイドをアンドロイド扱いしないところが好きだ。ただ理解出来ていないだけかもしれないけれど。


 コニーは眉を下げ「申し訳ございませんが、僕に飲食は不要です」と断っている。久野は「そうか、そうか」と笑った。


「それなら、お嬢ちゃんがいっぱい持っていきなさい」

「はい。ありがたく頂きますね」

 わたしは湯呑の載った盆を久野の近くに下す。湯呑は二つ。久野とわたしのものだ。久野は「何から何まで悪いの」と言って湯呑に手を伸ばす。が、指先が触れる寸前で「オ!」と大きな声を出して立ち上がった。


 ぎょっと驚くわたしに気付いた様子もなく「お茶請けに煎餅でも出さんとな!」と言って、台所の方へヨタヨタ歩いて行く久野。止める暇もない。


「あ、ちょっと! 安静にって、言われてるのに……」

「少し動くくらいなら問題ありませんよ」

「そう?」

 コニーが言うならそうなのだろう。わたしは久野を追いかけるべく浮かせた腰を下ろした。そして彼の隣で庭を眺める。


 小綺麗になった柿の木。その隣には背の低いミカンの木もある。ザアザアと、十一月下旬の透き通った木枯らしが鳴っていた。不思議と、心が落ち着く音。木々の葉を照らすのは、暖かく優しい秋の夕陽。橙色に燃える空は僅かに夜の気配に濁り、雲は影を作っている。


 ……ノスタルジー。夕空を見ていると、懐かしく切なくなるのは何故だろう? きっと子供の頃からずっと変わらないからだ。母も、祖母も、曾祖母も、もっと昔から、遺伝子レベルに刻まれている光景だからだ。

 それは地球が終わるまで変わらないのだろう。夕焼けは赤いし、柿は実るし、鳥は鳴く。


「ねえ、コニーは懐かしいって思うこと、ある?」

「懐かしい、ですか?」

 アンドロイドの彼が懐かしさを覚えるものは一体何なのだろう。その分野に疎いわたしには、ベルトコンベアでたくさんのコニーが流れてくる工場みたいな故郷の想像しかできない。


「懐かしいとは、過去の出来事に心惹かれ、慕わしく思うことですよね」

「また何とも辞書的な……」

「心惹かれ慕わしく思うことが、過剰に過去のデータを参照する行動と結びつくなら、」

「え?」


「僕は、あなたとの会話や行動を、懐かしく思います」


 コニーは優しく微笑んだ。


 別に、彼の微笑みを見るのはこれが初めてではない。元々彼の型番の表情は柔らかいのだ。人間に警戒心を与えず、心配や不安を取り除くために機械とは思えない優しい表情がセットされている。ただわたしはそれを、どこか冷たい無機質なものであると感じていた。


 でも、今の彼はどうだろうか。どうして、こんなにも生々しい温もりを感じてしまうのだろうか。夕日が、彼の輪郭に、言葉に、表情に、溶け込んでいるからだろうか。


 何も言えないでいるわたしを見て、コニーは思いついたように、脈絡なく言う。


「夕焼けが赤い理由は、あなたの真似をしているからですね」

「……違うよ、誤魔化してくれるためだよ」

 わたしは火照る顔を、彼から背けた。


「煎餅あったぞー。しけってぬれ煎餅みたいになっとるが、これがまた中々イケる」


 程なくして煎餅を手に戻ってきた久野を交え、わたし達は穏やかな時間を過ごした。コニーはお茶も飲まなければ煎餅を齧ることもないが、きっとその場を楽しんでいたのだろうと思えた。



 帰り際、久野がニヤリと囁いた言葉が頭から離れない。


「お嬢ちゃんが地球に残ってる理由、分かったぞ」



 ――わたしの抱くこの感情が、正当なものだと認められた気がして嬉しかった。それと同時に、もう逃げられないと思った。

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