Act2.「わたしの冷たい王子様」
「電源は入るけれど、風が出ないのですね」
彼は脚立に上ってエアコンを点検し、プラグを抜き差ししている。わたしはその隙に、スーツの後ろ姿をじっくり眺めた。
彼の無個性なグレーのスーツはいつ見ても皺ひとつない。広い背中、左右均等に程よくがっしりした肩。長過ぎないバランスの良い足には、スラックスがよく似合っていた。まじまじと見ていると、その頭がくるりと振り返る。白く滑らかな肌に、アーモンド型の二重の瞳。利発そうな三角眉。崩れを知らないショートのオールバックは黒々としている。薄い唇が、平らな声で言葉を紡いだ。
「これはもう寿命ですね。買い替えた方がよろしいかと」
「……」
「どうかされましたか?」
「あ、暑くてぼんやりしちゃった。そっか、寿命か……」
わたしがこのように鈍い反応をしても、彼が自分に見惚れていたのだなと勘付いて、それを種にからかってくることなどない。彼、コニーにそこまでの機敏は備わっていないのだ。
生活サポート管理アンドロイド“男性型NEXT0110なんとやら”。
長々とした型番は覚えていないが、彼らには型番とは別に各々個体名があり、人間からはそれを呼び名とされている。彼の場合は、それがコニーだ。
彼らサポートアンドロイドの役目は、移住計画中の地球人の生活を補助し安全を守ること。コニーはこの地区を一人で担当していた。彼の役務の範囲は非常に広い。犯罪者の取り締まり、地域のパトロールという警察のようなことから、道案内や荷物持ち、エアコンの修理点検まで何でもしてくれる。
「買い替えはどうなさいますか? カタログをデバイスに転送しておきましょうか」
作業を終えたコニーが脚立から降りてくる。彼の機械の体は相当重量がある筈だが、その動きはいつも身軽で洗練されていた。
「うーん、でももう夏も終わるしなあ」
「冬が来ますよ」
「ううーん……いや、いいや。どうせ今買ったって、」
どうせ買ったって、すぐに使わなくなる。移住時には必要最低限の荷物が望ましいとされ、一定量を超えると補助適用外の追加料金が発生する。相当愛着が無ければ、大型家電なんて持っていく人は居ない。だから今買うのはもったいなく思えた。
けれど、わたしのそれが彼のマイクロホンに認識された後で、失言だったと後悔する。
移住未完了人をサポートする彼らアンドロイドの存在意義は、地球にしかない。一部の最新型アンドロイドは人間と共に移住しオアシスの開拓にあたっているが、地球に残っている大多数のアンドロイド、コニー達は別だ。
彼らには人間のような移住権はなく、地球と共に最期を迎えるしかない。わたしは自分の発言の残酷さに、恐る恐るコニーの顔を窺い……そこに少しの変化も無いことに落胆した。やはりアンドロイドに感情を求めるのは筋違いなのだろうか。
「あなたは今、ご自分の言葉で僕が傷付いたと思いましたね? けれど傷付いた表情をしているのはあなた自身。どうしてですか?」
コニーのカメラアイがわたしを覗き込む。これは彼の役務範囲外の接触だ。プログラムされていない、不必要な個人への介入。彼は時々……いや、最近では頻繁にこういうところを見せる。だからわたしは、彼に人間性を期待せずにはいられないのだ。
わたしとコニーの出会いは、一昨年の春。うららかな陽気に花は咲き、虫は目覚め、鳥が歌う季節。
その日、わたしはすっかり人通りのなくなった(今ほどではないが)道を一人で歩いていた。通信販売で購入した新作ゲームデバイスを、近所の転送マシン設置店に受け取りに行った帰りだった。ルンルンでウキウキで……つまりとても不注意だった。
見るからに危機感のない女の背後に、二人組の男が近付く。和らいだ寒さに浮ついていたのは動植物だけではない。人間も同様だったのだ。
『お怪我はありませんか?』
暴漢に襲われかけているところに颯爽と現れ、映画に出てくるスパイや暗殺者みたいに手早く彼らを締めあげた彼は、どんなアクション映画のヒーローより格好いい王子様に見えた。
コニーに捕えられた男達は、数日後にオアシスの警察署に強制送還されたらしいが、第二第三の彼らが出ないとは限らない。それでもわたしは地球を去らなかった。オアシスで出所した男達に再会することを恐れたからではない。シェルター生活が嫌だから、失恋相手に会いたくないから……そんな理由をこじつけてまで、わたしが地球を去らない本当の理由は。
「ねえコニー、今日も見回りについて行っていい?」
「お仕事は大丈夫なのですか?」
「大丈夫。キリのいいところまで片付いたから」
コニーは、わたしの生活に無くてはならない存在になっていた。
彼の見回りに付いて行っては散歩を楽しみ、彼が駐在所に居る時は“生活悩み相談”と称して雑談を持ち掛け、週に二三回は彼との時間を過ごしている。最初は彼の仕事の邪魔をしてはいけないと遠慮していたけれど、わたし如きが邪魔になることもないようで、今は安心して甘えていた。
彼と過ごす時間の一つ一つは決して長い時間ではない。それでも数を重ねることで膨大な思い出になっていた。彼にとってはただの記録なのだろうけれども。
*
――アパートを出て、わたし達は植物に浸食された道を歩く。八月下旬の太陽が夏を濃く匂い立たせる。土と木と緑が混ざったみたいな、甘酸っぱい、カブトムシみたいな匂いだ。
道路には車など滅多に通らないが、自然と足は道の端に寄っていた。もし車が来たとしても、高度交通安全システムの普及により、都内で事故が起きることはまずあり得ない。公道を走る車は全て自動運転化され、車道のみを規定の速度で走るように制御されており、また人との距離が一定まで縮まると、自動停止が作動する。
街が緑に覆われ、いくら退廃的な姿になっていたとしても、そのシステムはインフラの一つとして未だに稼働し続けていた。
わたしには今の地球が、自然と科学が融合して新たな星に生まれ変わろうとしているように感じられた。
「暑いね……」
わたしの呟きに、コニーは「31.5℃です」と返す。わたし達を繋ぐのは共通認識であり共感ではない。
「今年の夏は猛暑ですからね。やはりエアコンを手配すべきだったのではないですか?」
「扇風機で乗り切るよ」
誰も居ない街に、二人の声と地球の音だけが響いている。自動販売機を探すがこの辺りには無さそうだ。わたしはシャッターの下ろされた店や、捨てられた家々を眺めた。昨年はまだちらほら人の姿もあったが、隕石衝突まであと十年となる今年に入ってから、一気に移住が進んでいる。
……そういえば、街中の浮浪者達の姿もいつの間にか消えていた。政府は発展途上国は切り捨てるのに、自国の世捨て人は救うということだろうか。それに対し色々思うところはあるものの、折角の散歩にそんな話はしたくない。もっと意味の無い、くだらない話がしたい。
「ねえ、コニー。どうして空は青いの?」
例えば、こんなことだ。
コニーはちらりとわたしの顔を見て、すらすら答える。
「空が青いのではありませんよ。あなたの瞳が澄んでいるから、澄んだ青色に見えるのです」
(……ハア!?)
自動販売機があったら、盛大に缶ジュースを吹いていたに違いない。何かの聞き間違いかと彼の顔を見ると、デフォルトの微笑みを返された。
「コニー……何て検索したの? 二十代の女性が喜びそうなロマンチックな回答?」
「お気に召しませんでしたか? では、神様が青色の絵の具を――」
「うーん」
「これも駄目ですか。では、空が海に恋い焦がれ真似をしているから――」
「ストップ。もういい、もういいよ」
コニーの中にあるわたしのパーソナルデータはどうなっているんだろう? コニーはわたしの目を真っ直ぐに見て、首をこてんと傾げる。おかしい。二十代後半の男性に設定されている外見なのに、めちゃくちゃ可愛い。
「では、どのような回答が正解ですか?」
「正解は求めてないよ」
「……難しいことを仰いますね」
コニーのきりっとした眉毛が下がる。彼が困惑を見せるとわたしは嬉しくなり、安心した。だからつい意地悪を言ってしまうのだ。
「一緒に答えを考えてみない? きっと楽しいよ」
たわいもない、とりとめのない、彼にとって難解で複雑な話をしよう。
「ま、わたしの頭は、今にもこの夏にオーバーヒートしそうだけどね」
わたしは神様が絵の具を零し、海に恋した青空を、澄んだ瞳で見上げて顔をしかめる。するとコニーが近付いてきて……どういう訳か、そのスーツの腕をスッと差し出してきた。
「な、なに? えっ?」
「冷感機能をオンにしました。触れているだけでも涼しいですよ」
「冷感? ……あ、ほんとだ」
ドキドキしながら触れたコニーの腕は、確かに冷たい。氷嚢みたいだ。抱き着いたら大分涼しいだろうと思う。でも余計に熱くなる気もして、控えめに傍に寄るだけにしておいた。
「アンドロイドって皆、こんなに便利な機能が付いてるの?」
「いいえ、デフォルトでは付いていませんね。内部の温度調節機能は別にありますし、表面を冷やす必要はありませんから」
「じゃあどうして? なんで付けたの?」
「――今年は、猛暑ですから」
そう言った彼の表情は、真夏の太陽に逆光となってよく分からなかった。
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