【人口密度100東京】

夢咲咲子

Act1.「ゴーストタウン東京」

 日曜正午の東京駅。わたしは乗り継ぎの電車を待っていた。


 電車は三時間に一本。かつて三十を超えていたという駅のホームは、この数年で続々と廃止され、今やたった一つだけとなっている。生き残りと言うべきか、死にぞこないと言うべきか。


 ホームにはわたしの他に三人、電車を待つ人々が居る。一人は腰の曲がった老人。もう一人は腰の曲がりかけた老人。もう一人は腰の曲がっていない老人。老人ばかりだ。


 最後に若者を見かけたのはいつだっただろう? どうもすぐには思い当たらない。そろそろ、同年代と接していない期間の最高記録を打ち出してしまっただろうか。そう思うと今日これから友人達と会うのが、安心なような勿体ないような気がしてくる。


 老人の一人がこちらを向き、もごもごと話しかけたそうな素振りを見せた。わたしは手元の携帯端末に視線を落とし、気付いていないふりをする。話好きなら他所へ行ってくれ。このご時世、まだ“こんな所”に居るのは、基本的に一人が好きな寡黙人間だけなのだから。


 ミーンミンミンと蝉が鳴く。日陰に入っていても、足元から跳ね返った夏の日差しが追いかけてくる。首筋から汗が噴き出すのが分かった。電車はまだ来ない。


 十分、二十分、三十分……時間通りに、一両編成の電車がやってきた。

 わたしはベンチから立ち上がり、速度を落とす電車に近付く。ひび割れたアスファルト、ふさふさの雑草に足を取られないよう慎重に、カツカツ進む。

 点字ブロックも停車位置の目印も、青々とした命の色に覆われていて、もうよく分からなかった。


 プシューっとドアが開く。乗り込む。


 車内は外と違い整然としていた。エアコンがよく効いていてゴミ一つ落ちていない。がら空きの椅子の端っこに腰かけると、奔放なジャングルから人間社会に戻って来た気がした。


 座席の仕切りに頭を預け、目を閉じる。プシューっとドアが閉まる。

 

 ガタタ、ガタタン、ガタタンゴトン。



 ゴーストタウン東京――苔むした街を、電車が走る。




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 ――午後十一時、友人の結婚式と二次会への参加を終え、アパートに帰宅。


 ヒールの高いパンプスを脱いだ足は、ジンジンフワフワ不思議な感覚で、フローリングの床がぐにゃぐにゃのゴムみたいに感じられた。洗面所に直行し、汗でじっとりしたドレスから飛び出し、ストッキング、髪飾り、ヘアピンと次々に剥いでいく。スプレーで固まった髪を崩し、伸び切ったゴムで括り、メイクを落とすと、ようやく自分になった気がした。


 冷蔵庫からよく冷えたコーラの缶を取り出す。ゼロカロリー・ノンカフェイン。ギルトフリー。プシュッという小気味のいい音で、瑞々しい清涼感に洗われた。この音が炭酸飲料の一番美味しいところだ。


 下着姿のまま部屋に戻ると、潰れた座椅子に体をはめ込み、エアコンとテレビの電源を入れる。


「今年中に、都内は人口密度100を達成する見込みです」

 画面向こうの若い女性アナウンサーが、素っ気ない顔で言った。わたしは壁のカレンダーを見る。今年も、もう半分も無い。そして年が明ければいよいよ、地球の終わりまであと十年となるのだ。



『三十年後の二XXX年、地球に巨大な隕石が衝突します』


 政府が世間にその情報を公開したのは、今から二十年前のこと。

 当時小学生だったわたしにも、周りの大人達の反応から、それが嘘でも冗談でもスピリチュアルな予言の類でも無いことはすぐに分かった。最新の科学技術による未来予測。天気予報が100%の的中率となった時代で、それは確定事項にほかならない。


 情報公開までに、政府はあらゆる想定を重ね準備を進めていたのだろう。国民は困惑する暇もなく“新たな星への移住計画”を知らされる。それは隕石衝突までの三十年の間に、人類を別の惑星へ移住させるというものだった。


 移住先に選ばれたのは、地球から十二光年先にある惑星“オアシス”。これまで発見された惑星の中で最も地球に近い環境にあるというオアシスは、発見当初から移住の可能性を見出され開拓が進められてきた。巨大なシェルターがいくつも設けられ、宇宙旅行の旅先として人気を博していたオアシス。人々が新たな居住地としてそれを受け入れるのに、そう時間はかからなかった。


 計画の告知から数年、各国の移住計画が始動した。人々は続々と転送マシンで地球を発っていく。今日に至るまでの約二十年で、地球上の人類の三分の一、日本国内では約七割が移住を完了させていた。


 ――にも関わらず、わたしはまだ地球に居る。


 移住はあくまで自由意志で、本人が希望し所定の手続きを踏まなければ地球に残ることも出来るのだ。それが全人類に与えられた“移住選択権”。この権利は一見すると個人の意思を尊重するもののようだが、別の意図も隠されている。これは一部の人類の“切り捨て”なのだ。


 移住にかかる一定の費用が支払えない経済的弱者や、転送マシンのシステムが行き届かない発展途上国の国民、文明社会と隔絶した暮らしを送る少数民族を、自由という名の下で切り捨てるものである。


 その無情な意図の裏には、いくらオアシスの表面積が地球の二倍あるといっても、人類が人類らしく生きていける場所や資源の確保が、全人類分に追いついていないという深刻な実情がある。しかしその粒度の情報を得ることが出来るのは、問題なく移住できる恵まれた者達だけだ。であるから、この指針への反抗はそれほど大きなものでは無い。みんながみんな、保身のために黙っている。


 移住選択権を、自らの意志で地球に残るために行使する者も居た。地球を愛し信仰する者や、住み慣れた地球で余生を終えたい年配者などがそれにあたる。


 だから、敬虔な心など持ち合わせておらず、まだ二十代半ばの女性……つまりわたしが残っていることは、世間からは自殺行為だと見なされても仕方がない。


 けれど、そうではない。

 わたしだって勿論、隕石が衝突するまでにはオアシスに移住する予定である。ただ、シェルター生活は息苦しそうだし、先に移住を終えた失恋相手の顔も暫く見たくない。だから先送りにしているだけだ。


 いずれは捨てられる星でも、今のところ生活に不自由はない。電力や水道などのインフラはあと数年は保証されているし、食料や日用品は転送マシンを用いた通販でまかなう事が出来る。仕事だってパソコンがあれば何の支障も無かった。クライアントも上司も同僚も、画面の中とスピーカーの奥にしか居ないが、それは移住したオアシスの在宅社員とて同じである。面倒な懇親会に呼ばれないだけ、こちらの方が楽なくらいだ。


 娯楽も充分、いや、十二分。二十四時間いつでもテレビ番組や映画を観ることが出来るし、オンライン上で既に移住した友人とゲームをしたり、カラオケを楽しむことだって出来る。


 つまり現状は、一見すればただの豊かな引きこもり生活なのだ。部屋の中に居る限りは、移住計画が進んでいることなどメディアが作り上げたフィクションにさえ感じられる。



 わたしは退屈なテレビをBGMに、手元の携帯端末をいじった。ほぼ惰性でSNSを眺める。タイムラインの先頭には、数時間前の友人の投稿。コメントが沢山付いていた。『結婚おめでとう』『末永くお幸せに!』……それらは今日、わたしも口にした言葉である。


 画面の中で美しく微笑むウェディングドレス姿の友人と、下着姿でコーラを呷るわたしは、果たして同じ生き物なのだろうか? 迫りくる三十代を前にして独り身であるという現状を、普段はあまり悲観的に捉えることはなかったけれど、流石に友人の結婚式の夜は勝手が違うらしい。ほんの少しだけ、寂しさや焦りのようなものを感じてしまう。


『あんたも早く移住して、良い人見つけなよ』


 キラキラ眩しい花嫁の言葉が蘇った。数人の友人と身内しか参列していない静かな結婚式を終えた友人は、明後日にはオアシスへ移住するという。そしてあちらで、再度賑やかな結婚式を行うとのことだ。この時期まで残り、わざわざ地球で結婚式を挙げた理由は、夫側の頑固な祖父にあるらしい。まあ、詳しい話は聞かなかった。


(良い人、か)

 長く恋人が居ない身としては、出会いの有無が彼女の言う“良い人”に直結するとは思えなかった。しかし、確かにこのままでは、あらゆる意味で孤独に歳を重ねる一方だろう。


 わたしはコーラを飲んだ。さっきより美味しくない。炭酸が美味しいのなんて、本当に一瞬だけだ。……それにしても、暑い。

 電源を入れたものの、一向に働く気配のないエアコン。白いプラスチックに覆われたその機械は、最初にピッと声を上げた限り、うんともすんとも言わない。最近不調だと感じることは多かったが、遂に壊れてしまったのだろうか?


(修理、お願いしないと)

 わたしは咳払いをし、少しだけ高い声を作って――壁に取り付けられたスマートデバイスに向けて、修理要請をした。明日には来てくれるだろうから、部屋を片付けておかないと。……明日でいいか。


 窓を開けると、涼しい夜気が流れ込んできた。照明を消し、ベッドに横になり――なんとなく眠れなくて、ゲームアプリを開いてしまう。四角く発行するその異世界で、わたしは世界を救う勇者だ。敵は魔王。


 そうそう、世界の終わりはやっぱり魔王がもたらさないとね。


 隕石なんて、芸が無い。

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