Act3.「深夜のファーストフード店」

 道すがら、わたし達は自己紹介をし合った。

 少年の名は文月フヅキ マコトというらしい。何の因果か、七不思議に挑戦した当時のわたしと同じ中学三年生だった。


 ちょっと悪い顔が似合う、生意気な雰囲気のマコト。薄茶色の明るい髪色を見るに、不良なのかもしれない。並ぶと頭一つ分彼の方が高く、発達した喉仏が視界に入った。照れて俯けば、血管の浮き出た腕。イマドキの中学生はこんなに大人っぽいのか……と妙に意識してしまう。


 わたしはつい、自分の名前をマリーだと名乗ってしまった。どうしてあだ名を教えてしまったのかは分からない。日本人離れした名前の筈だけれど、マコトは特に気にした様子もなかった。


 夜更けの街で食事が出来るところは限られている。居酒屋に中学生を連れて入るのは流石に気が引けて、男子中学生にも馴染み深いだろうファーストフード店を選んだ。

 態度の大きな彼だから、安っぽいと文句を言われるかもしれないと思ったけれど、意外にもマコトは嬉しそうに目を輝かせている。ハンバーガーが好きなのだろうか?


 ようやく年相応に見えたマコトに、わたしは安心した。マコトはそれが気に食わないらしく、誤魔化すように咳ばらいをして「弟が好きなんだよ。……最近は病院食ばかりで、食べられないと嘆いていたな」と言った。


 自動ドアが開く。店内は夜を見失う明るさだが、店員も客も少なく、全体的に空気がよれている。窓辺のカウンターでは、スーツの男性がしなびたポテトみたいな顔でパソコンを睨んでいた。


 活気のない店内だけれど、揚げ物油のこってりした匂いは、わたしに食欲を思い出させる。Sと食事に行ったばかりだが、先程はとても食べる気がしなくて、ちょっと摘まむ程度だったのだ。アクアパッツァは何だか貝殻がいっぱいで食べにくかったし。


 今になってようやく、体が本来の空腹を思い出したみたいだ。


 わたしは派手な色合いのメニューを眺めながら、真剣に吟味する。さて、何にしよう……アップルパイと、ソフトクリームと……。


「マコトくんは何にする? 遠慮しないでね」

 自分の注文で頭がいっぱいで、彼を忘れかけていた。わたしはお姉さんぶって取り繕う。マコトは「ああ、うん」と曖昧な返事で、ぼーっとディスプレイのメニューを見上げていた。


「俺は……肉と……米と……餡子」

「あはは」

 なんとも独特な冗談だ、と笑うわたしに、マコトは至って真面目な顔で首を傾げている。……まさか、初めて来たなんてことはないだろう。ファーストフードも、エナジードリンクも、よく似合いそうな見た目なんだから。


「えっと、お米と餡子はないかな。とりあえず……ビッグバーガーとナゲットとポテトLにしておくね。飲み物はコーラでいい?」

 マコトはこくこく頷いた。


 店員がレジに注文を打ち込んでいるのを見ながら、頼み過ぎたかもしれない……と少し不安に思う。どうだろう、男子中学生ならこれくらいペロリと平らげてくれるだろうか。


 支払いを済ませ、ウェイティングカードを受け取り、わたし達は二階の角席に座った。一階より人目が無く話しやすそうだと思ったからだ。


 テーブルの上で固まっているソースの汚れをペーパーナプキンで擦り取っていると、難しい顔の店員が注文の品を運んでくる。その顔に浮かぶのは、テーブルが汚れていた事に対しての後ろめたさなのか、ガラガラの店内で二階まで上がらされたことに対する不満なのか、深夜に男子中学生を連れ回す女への不信感なのか。

 わたしは何にも気付かないフリをして「ありがとうございます」と店員を追い返した。


 トレーの上には、コーラとホットコーヒー。バーガーとポテトとナゲット。それからアップルパイ、スタンドに刺さったコーンのソフトクリーム。カラフルなパッケージで賑わっている様子を見ていると、活力が蘇ってきた。


 わたしは早速ソフトクリームに手を伸ばしかけるが、マコトが丁寧に手を合わせ「いだたきます」と言ったため、静止する。その所作は美しく、粗暴な言動の彼からは想像もつかないものだ。わたしはマナーのなっていない自分を恥じ、彼に倣って「いただきます」と手を合わせた。


「……」

(……?)

 しかし、マコトは中々食べ始めない。彼はテロテロのペーパーで包まれたハンバーガーを持ち上げ、興味深げに四方八方から眺めているばかりである。


 もしかして……本当に、食べたことが無い?

 まさかとは思いつつ、一応食べ方を教えてあげることにした。「この包みをこうして、手持ちにすると食べやすいよ」と説明しながら、ラッピングを剥がして彼の手に持ち直させる。なんだか弟ができたみたいで気持ちが良い。


 マコトは目の前にハンバーガーが姿を現しても、暫くはじっと見つめて、どこから食べようか考えている様子だ。円形のハンバーガーなんてどこから食べても同じだろうに……わたしはそんな彼を興味深く観察する。


 マコトはようやく意を決し、大きな口で綺麗にかぶりついた。そして目を見開き、幸せそうな顔で一口目を堪能すると「うんまい!」と顔を綻ばせる。


 なんだ、可愛いじゃないか。


 大口を開けて頬張っているのに、マコトが食べている姿は何故か気高いものに感じた。頭ごとハンバーガーに寄せて齧り取る姿は野性味に溢れているが、まさに野生動物の営みのように、生き物として美しく思える。


「これは食べたことがある」とポテトを数本一気に放り込むところも、様になっていた。だからわたしはすっかり見惚れてしまい、手元に垂れた溶けたソフトクリームに、ハッとする。慌てて手の甲を舐める自分も動物みたいと言えばそうだが、そこには美の欠片も無い。


 マコトはそんなわたしを「はは」と馬鹿にして、コーラの蓋をパカッと開け、ストローを挿さずに飲む。……大量の氷に顔面を直撃されていた。


「うわ、つめた!」

「だ、大丈夫?」

「あ、ああ。……それにしても、あんたの食い物は甘味ばかりだな」

「ちゃんとコーヒーも頼んだよ!」

 暗に“子供っぽい”と揶揄われた気がして、ついそう言い返してしまった。……正直、カッコつけで注文したブラックコーヒーは飲みきれる自信がないけれど、内緒だ。おまけに紙コップの淵に口紅がべっとりついて、一瞬それが何なのか分からず血かと驚いたのも秘密にしておこう。


 ……大人ぶらなくても大人だというのに、わたしは何をしているのだろう?

 とりあえず大人の証として、未開封のスティックシュガーをこれみよがしにトレーの真ん中に置いておく。マコトはそれを不思議そうに見た。


「その白い棒みたいのは何だ?」

「え? お砂糖だよ」

「砂糖! 使わないならもらっていいか?」

「何に使うの?」

「こうするのさ」

 得意げに、マコトはフライドポテトに砂糖を振りかける。わたしは「もったいない!」と眉を寄せた。ポテトが台無しになってしまった!


 けれどマコトは一仕事終えたみたいな顔で、その砂糖がけのフライドポテトをパクつく。そして「やっぱ“甘い”は“美味い”だな」と満足そうにした。


 わたしは疑いの目で、その笑顔とキラキラ輝くポテトを交互に見る。マコトは次々にポテトを口に入れ……空腹が落ち着いたのか、ふうと息を吐き椅子に背を凭れた。そのまま、何気ない調子で切り出す。


「で、そろそろ本題だが。俺ならあんたの問題を解決できる。さあ、どうする?」

「……それは、マコトくんがお祓いをしてくれるってこと?」

「まあそんなところだ。でもそのためには、色々と話してもらわなきゃならない。あんたは自分に起きていることに、なにか心当たりがあるんだろ?」

「どうしてそう思うの?」

「そういう顔をしてるからさ」


 マコトが体を起こし、じっとわたしを覗き込む。

 いつでも寝起きみたいな、半分下りた目蓋。なのにその黒目は鋭く、全て見透かされてしまいそうだ。


 答えに窮するわたしの口。マコトが悪戯に、スッとポテトを差し込んでくる。甘じょっぱいその味は……案外悪くなかった。寧ろ美味しい。わたしの反応に気を良くしたのか、マコトが得意そうに二ッとした。強張っていた表情筋が弛緩する。

 ……彼になら、話してもいいかもしれない。


「話すと長くなるんだけどね」

「できるだけ短くまとめてくれ。俺が眠くならないように、分かりやすく楽しく、でよろしく」

「……楽しくは、無理かな」

 わたしはコーヒーを一口飲み、苦さに浸る。


 ――そして、話し始めた。自分が彼と同じ中学生の頃に行ってしまったことを。その時に失ってしまった大切な友人のことを。それ以降、鏡を見ると恐ろしい姿が現れるようになったのだということを。


 マコトは時々ポテトやナゲットを摘まみながら聞いていた。けれど目だけは、わたしから離さなかった。


「……という訳なの」

 一通り話し終えると、これが肩から荷がおりるという感覚か、と思った。

 問題は何も解決していないというのに、半分は解消したみたいに気持ちが軽い。けれどその半分は消えてしまったわけではなく、目の前の少年が持つのを手伝ってくれているだけ。話を聞き終えたマコトは静かに「そうか」と呟いた。


「……で、あんたは、自分に憑いているものの正体を、何だと思っているんだ?」

 わたしはその問いを恐れていた。しかしあれが幻覚ではない以上、もうちゃんと向き合うしかない。

 

 鏡の向こうに居た女は、やはり、どうしても、“彼女”にしか見えなかった。見覚えのある背格好、丈の短いスカート。絡まり合ったボサボサの髪はパーマ髪にも見える。認めたくはないけれど、もうそんなことは言っていられない。


 あれは、あの日鏡の中に消えていった、わたしの友人だ。


「わたし……わたしには、友達がわたしを連れて行こうとしてるように、見える。見殺しにしたわたしのこと、恨んでるのかも」

「見殺しにしたのか?」

「それは……その瞬間のことは、あまりよく覚えてないの……ただ助けられなかったのは事実だから」


 わたしは彼に懺悔しているみたいに、下を向く。目の前の不良神父は「ふーん」と尊大な態度でふんぞり返った。


「ま、とりあえずあんたの学校とやらに行ってみよう」

「え、中学校に? うそ、やだよ、怖い!」

「もう充分、怖い思いをしてるだろ?」

 マコトはこの問題を解決するためには、全ての始まりである中学校に行く必要があると考えているらしい。


 わたしは自分のトラウマ発祥の地になど、二度と行きたくなかった。でも、さっきみたいな恐ろしい目に遭うのも嫌だ。このまま何もしなければ、トラウマが増え続けていく未来しか見えない。


 だから、とてつもなく嫌だが、付き合ってくれる味方が居る内に、腹を括るしかないだろう……そのためには腹ごしらえだ!


 ナゲットの最後の一つをむんずと掴み、ソースをたっぷり付けて口に入れると、ジャンクフードの心地よい罪の味が沁み渡った。「ああ、俺の!」と身を乗り出すマコトに、まだ口を付けていないアップルパイを差し出すと、彼は甘い香りにあからさまにニヤけた。やっぱり、甘党みたい。

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