14 旅の終わり
エヴァの月のものの出血はそれから5日ほどで止まった。その間別に大人しくしている必要もなかったのだが、下着の洗い替えのことも考えてホテルの近くの飲食店を巡る程度の行動範囲でとどめた。
まともに海を見て過ごしたのは、最終日になってからだった。
出回り始めたばかりの生牡蠣とシャンパンを出す店に入り、ジョナサンは顔を真赤にしてエヴァに腕をとられて昼下がりの通りを歩いた。
帰りは列車で半日南下したところの港から、定期往復船で1日かけて海をわたって戻る。
船の乗り込みまでの時間を、港町で開かれていた蚤の市で過ごした。
二人はそれぞれに土産を買った。
ジョナサンはターコイズのカメオブローチ。エヴァは銀細工のループタイだ。ふたりともデザインの似たものを二つ買った。
ジョナサンはマリッサのためだけでなく、エヴァのために。エヴァも同様にアルバートの土産だけでなくジョナサンとの旅の思い出のためにである。
ふたりとも、等しく二人の人間を愛するものとして、誕生日以外はどちらか片方だけに何かを贈るということは避けよう、ということを旅の途中で話していた。
帰国後は夜行列車と
道中を振り返ってみると、長逗留が月のものの影響を受けてしまったせいもあって、まるで清らかな少年少女か、老夫婦のような旅だった。
それでも二人にとっては充分だった。離婚前の最期の旅行と言っても、本当に別れてしまうわけではない。それに性的な営みは日常の中に既にある。旅行とは非日常を楽しむものだ。わざわざ家のベッドでできることをする必要はなかった。
そんなことより、二人で以前の旅の思い出を話して笑い合ったり、ベッドで誰かに作ってもらった朝食を時間を気にせずに取る特別感に浸るほうが重要だった。
列車からモーターバスに乗り換えて、その座席でうつらうつらとするエヴァに肩を貸して、彼女の左手を自分の膝にのせた。
薬指の指輪をそっと撫でる。細い金の指輪だ。そっとずらすと、指の付け根に指輪のあとがしっかりとある。
この指輪の跡が消えても、彼女の心の中に自分は居続けられるだろうか。
ふとそんなことを思って、少し寂しくなった。
本人に直接そんなことを言えば、たちまち口喧嘩になるだろう。それほど彼女は真剣にジョナサンへの愛とアルバートへの愛を両立しようとしている。
自分も精一杯それに答えなければならない。ただ心配なことがあるとしたら、同居が始まったあと、マリッサとエヴァの間で意見が割れたら、自分はどう振る舞えばいいか、だ。
「課題は多いな」
そう独り言をぼやいた。
きっと、帰ったら引っ越しに先立ってそういった事態を想定した対応の話し合いが持たれることになるだろう。そうやってひとつひとつ課題を解決しながら関係を築いていこうと決めたのだから。
もうバスがつく、という頃になり、そっとエヴァを起こした。
「あと少し」
子どものようにそうごねる妻を、ため息をひとつついてゆすり起こす。
手ぶらか鞄一つなら彼女をかかえて家まで帰ることもできたが、あいにく旅の荷物でそんな余裕はない。せめて荷物を二人分持つ代わりに自分の足で玄関までたどり着いてもらわなければならない。
仕方なく、ポケットからミントキャンディの包みを出して、一粒取り出した。それを彼女の口にねじこむと、むーっとうなりながら体をくねらせて目を覚ました。
「どうせならタバコにしてよ」
「タバコは君のバッグの中だから」
「そうね。あなたは勝手に人の鞄をあさるようなひとじゃないものね」
「わかってくれてよかった」
「いいえ、わかったとはいってない」
そういって、彼女は無理矢理にキスをしてきた、そのまま口移しにキャンディをジョナサンの口の中に押し込んだ。
「ん」
それから自分のタバコを取り出して、指にはさんだ。ジョナサンはそれに火をつけて、彼女は一口ふかす。
ほかにも車内で喫煙している客は何人もいた。パイプに葉巻に紙巻きタバコ。おおよそ百年後の未来では考えられない景色だが、今はそういう時代である。
バスの停車ベルを鳴らし、ほどなくがくんがくんと車体が音を立ててギアが切り替わり、ぐらりと大きく揺れて停車した。
煙草の火を座席近くの灰皿で消し、荷物をもって立ち上がる。そして立ち乗りの客の間を抜けるように大荷物でバスを降りた。
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