6 手紙

 ジョナサンの体調でも崩したようにゆるゆると背もたれ代わりに背中をあずけた壁に寄りかかった。


「……え?」

 この様子を見て、唖然としたのはマリッサである。

 エヴァも旦那の消沈ぶりにやや戸惑ったような顔になる。


「ちょっと、なんとか言ってくれる? 無言が一番こわいんだけど」

「いや、まあ、その」

 言い淀んだ、というより、言語化できていない何かを言うために頭を必死に動かしているような具合だった。


 普段接している紳士的な彼が崩れる様を不思議そうに見るマリッサに、エヴァは向き合った。

「この人ね、いや、この人だけじゃなくて私もだけど、そういうとこあるの」

「え?」


 要領を得ない様子のマリッサ。

 エヴァは彼女に向き合って、その手を取った。

「私達はたしかに結婚してる。結婚式でもどんなときでも共に支え合うと神の前で誓った。だけどね、『1対1で愛し合う』とは誓ってないのよ」

「はあ……」


 まだ今ひとつ理解が追いついていない、という風のマリッサ。

「つまりこの人は、私も愛してるけど、あなたも愛してる」

 エヴァはいよいよ核心の言葉を口にした。それはジョナサンの中でもやもやとしている感情を、的確に言語化したものでもあった。


 ここまで言われてようやく理解が追いついたマリッサは、ぱっとを顔を赤くし、口元を覆った。


「えっ、ええっ……じゃあ、一緒に暮らそうっていうのは……だめ、重婚はさすがに違法だから」

「重婚じゃない。パートナーが2人になるだけ」

「つまり、恋人、いや、愛人?」


 そう言われて、ジョナサンは弱ったという表情で視線を落としていた。


「エヴァ、時々君という人間が本気で怖くなるよ。……僕も、それだけはまずいと思って生きてきた。だからずっと言わなかったし、考えないようにしてきた。……ほら、僕らが知り合って9年以上だろ、エヴァと知り合うきっかけを作ってくれたのも君だ。だから恩がある」


 これにエヴァはぴしゃりと夫の膝を叩く。

「こら、言葉を濁さない」


「わかってる、だけど、世間体を考えろ、一夫多妻なんてありえない。そもそも男女として平等じゃない。そこは君が特に嫌がるところだろ」

 そういわれて、エヴァは不敵に笑んだ。


「私も私で、あなたとは別に愛人を作ったらどうなる?」

「え?」

「この際だから言うけど、ずっと言い寄ってくれてる人がいるの。ネイサン、あなたと出会う前から」


 ――エヴァ・クレインが旧姓のエヴァ・メイだった頃のことである。

 きっかけは生徒の一人、アルバート・リーから『恋人の日』に手紙をもらったことに起因する。


 アルバートは大人びた子ではあった。栗色の髪で背も高く、礼儀正しい。家柄も親が法律家という恵まれた家庭である。

 エヴァは生徒のいたずらか、可愛げのある片思いと割り切って、『在学中は生徒と教師は交際できない決まりになっている。年も離れているから、もっと良い相手を探しなさい』という趣旨の手紙を書いて返した。

 するとアルバートは『卒業しても好きだったら、真剣に考えてくれますか?』とさらに返事の手紙をよこしてきた。


『そこまで言うなら、考えましょう。ただし、あなたは他の子と違って大学行くことができる子だと思っています。大学を卒業して、仕事につくまで、私以外の女性に惹かれなかったら、その時改めて考えましょう。ただ、その時までに私が結婚していないという保証もありません。それでもよければの話です』

 と返した。


 アルバートはこれに、

『わかりました。あなたのために純潔を守り通したら、お付き合いすることを考えてください。たとえその時あなたが純潔でなくても僕は構いません』

 と返してきた。


 これ以来、アルバートは二週に一度の頻度で手紙を送ってよこすようになった。そしてエヴァの誕生日と聖誕祭の度に彼女の実家へ、花屋に花束の配達を頼んだ。

 どちらも今でも続いている。

 手紙が届く都度、エヴァは近況を添えて返事を書き続けている。誕生日にもらってばかりでは悪いからと相手の誕生日と聖誕祭にカードを送っている。


 むろん、3年前に結婚したことも伝えている。

 アルバートは、『それでも愛は変わらない』という趣旨の手紙を寄越し、文通の関係は続いている。いずれも決して彼女に離婚を求めるようなものではなく、むしろ結婚したことを祝福し、時には聡明すぎるエヴァについていけないジョナサンを擁護すらするほどだった。


 その元生徒が今年から、法律事務所の弁護士助手として働き始めていた。その法律事務所も3人が暮らすこの街にあり、クレイン夫妻の住むアパートから乗り合い馬車で1時間ほどのところにある。


 つまり、向こうは既に愛人としてでも構わないから交際したいと申し出ているも同然なのである。――

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