第5話 一か八か

「おい、まだ生きているのであれば飯の時間だ。ただでさえ少ない飯を分け与えてやっているんだから、味わって食うのだぞ」


 もう月明りしかでしか足元が見えなくなったころ、部屋の外から俺の生存確認が行われた。普通間者が捕虜となれば、生き恥を晒さない精神で自害することがあるためだろう。もちろんだが俺は死んでいない。むしろここから生き残ろうと色々あがいていたから、正直死ぬ暇などなかった。


「生きている。飯はありがたくいただくよ」

「…そうか。やはり帝国の間者は図太いんだな」


 そういいながら、扉の鍵が外される音がした。ゆっくり中の様子を探るように開かれたのは、俺が脱出しようととびかかっていけないようにだ。

 そんなことをするつもりがないため、あちら側からしっかり見える場所に大人しく座っていた。


「ふん。随分と行儀よくしていたんだな。ところでそれはなんだ?天井から脱出でもしようとしたのか?」

「まさか。俺はこの世界のことをよく知らないからな。知るために書物庫を漁っていただけだよ。ちょっと興味深い本が多くて、散らかしてしまったけど、この部屋を出るまでにはちゃんと片付けておくから心配はしないでほしい」

「それは我らが死ぬ時だとでも言っているのか?」

「いや、我らっていうか俺もだな」


 そう伝えると、その男は怪訝な表情でお椀を俺の前に置く。

 粥のような飯ではあったが、すでに捕らえられた昼間から何にも食べてない俺にとってはご馳走だ。


「食ってもいいのか?」

「あぁ、まぁ毒などが入っていないことを祈りながら食べればいいさ」


 そうは言われても、これを食わなければ俺は餓死する。もうここまで来たら毒が怖いなどと言っている場合ではない。

 お椀を手に取って、匙で粥を掬った。塩のみで味付けされているのか、ずいぶんとあっさりしているが、空腹だからこそ身体中にしみわたっていく感じがする。ここまで粥がうまいと思ったことなど無いと感動しながらあっという間に平らげてしまった。そんな様を驚いたような様子で運んできてくれた男が見下ろしている。


「もう食い切ったのか。毒見もなしでそこまでがっつけるとは、ただの馬鹿か、それとも尋常でない度胸の持ち主か」

「どちらでもない。俺はこの城の人間に認められなければ死ぬしかないほどに追い込まれている。だからこのままここに閉じ込められたままならば、毒で死ぬのと大差ない。そう割り切っているんだよ」

「…ただの馬鹿であったか」


 とはいっても毒が仕込まれている可能性は限りなく低いとは思っていた。あの女性は俺に暴力をふるった男を叱責し、龍神について触れたときにも周囲が殺気立つ中で冷静に俺を観察しているようだった。

 結果としてこうして保留扱いで書物庫に閉じ込められたわけであるし。


「ところで俺をここに閉じ込める決定を下した女性、あれは誰なのだろうか」

「…おぬし、まことに間者か?李家のお嬢を知らぬとは…」


 その後、「あっ!?」という表情で口を押えた。まぁ普通に考えれば口が滑ったどころの話ではないが、幸いにも俺は間者ではないし、そもそも間者であればそんなことは確認するまでも無い情報。

 次からは気をつけろよ、という感想しかない。


「あの方が李家のお嬢様だったのか」

「…間者、なのだろう?もしや一人前にもなっていない者を帝国は送り込んできたのか?我らを新人訓練かなにかの場とみているのではないだろうな」

「だから俺は帝国とは一切関係の無い人間で…。そこで俺はずっと考えていた。あんた、名前は?」

「お、俺か!?俺の名を知ってどうしようってんだ」

「別にどうにもしない。ただ今以上に出世できる機会を得るかもしれないと、こそっと助言してやろうと思っているだけだよ」

「…出世だと?それは李家を裏切って帝国内で地位を得るとか、そういった話か?」

「いいや。この戦いを李家の勝利で生き残ることが出来れば、あんたは間違いなく出世することが出来る。重要な情報を得て、それを李家のお嬢様に伝えた人物としてな」

「何を言っている。そもそも俺は」


 だがこの男、馬鹿馬鹿しいと一刀両断しないあたり、出世には興味を持っているようであった。

 そりゃ興味がないやつがいるわけ無い。このような世界では地位こそすべて。

 晋華帝国の初代皇帝だって、最初は小さな国の領主であった。それでもいくつかの地域と領主を従えて帝位を得た。これによりさらに強大な国家を築き上げたのだ。

 皇帝の地位がなければ、おそらくここまで大きくはなれていないだろう。


「まぁ聞いてくれ。そこで判断を下してくれて構わない。だが名前だけ教えてほしい。いったいどこの誰に情報を売ったのか、それだけは覚えておきたいからな」

「…信じてよいのだな?」

「もちろんだ。もし疑わしいと思えば、なんとでも言ってお嬢様に俺の処刑を求めればいい。俺は抵抗などしないし、甘んじて受け入れる」

「わかった。そこまで言うのであれば教えよう。俺の名はかん蘇臣そじん。恵楽御城の弓手百人隊の小隊を率いている

「その弓手百人隊の小隊長はどのくらいの地位の高さだろうか」


 そのあたりの知識は無いから問いかけただけなのだが、蘇臣は明らかに不機嫌そうに口を尖らせた。


「下から数えた方が早い。百人隊の小隊長は正直平民でも腕が良ければなれる。俺の実家は武官を輩出している家だから、小隊長から出世が出来ない俺は不出来な息子と蔑まれている。悪いかよ!?」


 突然実家での扱いに関する不満を俺にぶつけてきた。しかしそんなことを言われても困る。

 それは単に実力不足が招いた結果だと言いたい。俺は自分で言うのもなんだが比較的努力家な方だと思う。大学だって少し難しめのところを志望して、どうにか共通試験から受かることが出来たくらいだったし、そもそも努力をすることは嫌いではない。

 この命がかかった状況ですら、生き残るためにできる最大のことをやってみた。

 あとは目の前にいる実家からの扱いに不満を持つこの男がどれだけやってくれるか次第。下手をすればもろとも破滅しそうな怖さがあるが、この際仕方がない。

 むしろここまで話を聞いてくれるのは彼しかいなかったと考えなおせば、俺は運も持ち合わせていたのだと思うことが出来る。


「いや、悪くはない。むしろここから出世街道に乗れるんだ。いずれは百人隊の隊長。いや、もっと上だって目指せる。こんなところで死ななければ、どこまでだっていけるに違いない!」

「おぉ!それは夢があるな!」


 とりあえずわかったことは、俺のことを馬鹿だ馬鹿だと言っていたこの蘇臣の方が馬鹿っぽいということ。

 しかしそんなことはどうでもいい。

 まずは俺の信用を勝ち取るところから始めよう。そのために李家のお嬢様にとある情報をプレゼントだ。

 無事に受け取ってもらえると嬉しいんだがな。そう思いながら、何やら感慨に浸っている蘇臣を見た。

 …やっぱりだめかもしれない。話を聞いてはいてくれたが、頼りにならなさそうな雰囲気がプンプンだ。


「…そういえばお前の名も聞いていなかったな。偽名だろうが、一応教えてもらおうか」

「たしかにバタバタしすぎて名乗っていなかったか。俺は高柳泉だ。これだけでこの世界の人間でない証明になりそうなものだが」

「…変わった名ではある。しかしそういった類の名が無いわけではない。音として似通っているのは海興王国の東部、海を渡った向こう側にある日仙にっせん国の者がそのような感じだが…。まさかお前」

「だから間者じゃないって何度も。もうそろそろいいか?あまり時間がない」


 俺が強引に話を切って主導権を奪ったことが気に入らないのか、あるいはまだしゃべり足りないのかわからないが、蘇臣は不服そうな顔を俺に向ける。

 しかしもう馬鹿なことに付き合っている時間はない。帝国は恵楽御城内の人間が思っている以上に早く動き始めている。

 城内は兵糧攻めだと思い込んでいるが、帝国はそこまで時間をかけるつもりが無いようなのだ。

 というのも、この恵楽御城は北に切り立った山脈、他は堀で囲まれており、堀がある三方は橋で城下とつながっているような状態にあるのだが、すでに東西の橋が切り落とされている。

 恵楽御城としては攻め口を1つにして、大軍を生かさせないつもりなのだろうが、どうやら帝国は森の中で急ごしらえの橋を造り始めているようなのだ。

 ようは梯子のようなものなのだが、すでにそういった攻め方が確立されているのか、だいぶ頑丈そうに出来ていたことが確認できている。

 間違いなく奴らは東西の門もこじ開けるつもりだ。そして数が少ない恵楽御城の兵は、攻め口になっていると思っている南側に兵を集中させるだろう。

 するとどうなるのか。

 がら空きの東西門を突破されて終了。そこまで攻め込まれては降伏など飲まれないだろうし、あとは蹂躙されるだけ。俺も正体不明な人間として、そのまま殺害されるだろう。


「…東西の堀に橋を!?それは本当か!?」

「あぁ、本当だ。どうにか外に出る手段があるのであれば、確かめてみるといい。地図で言うところの…」


 俺は床に散らかった書物の中から、例の恵楽御城とその周辺の地図が描かれた紙を取る。

 そして指が触れないように、そっとその地点2か所をさし示した。


「そもそもずっとここにいたのであろう?なぜそんなことがわかる?帝国の情報を少し売ることでお嬢に信頼されようとしているのか?」

「まさか。これは俺の能力だって。龍神『焔禍』様より授かった力によって、それを視ることが出来た。帝国の間者であれば知らない真新しい情報だって持っている。例えば、蘇臣」

「…な、なんだよ」

「駄目じゃないか。いくら台所を任されている女の子が可愛いからって口説こうとしたら」

「いや、だってこのまま死ぬかもしれない、し…。は、はぁ!?どうしてそれを!?」

「それとここは大丈夫か?随分と派手に殴られていたみたいだが。あの図体がでかいやつ、加減が下手なんだろうな」


 俺がこめかみに手を触れると、蘇臣は化け物をみるかのような目で俺を見て後ずさる。


「だから言っただろ?俺は龍神様より遣わされた人間なんだと。そういった少し変わった力が使えるんだって。それを込みで李家のお嬢様に伝えてくれ。俺であればこの窮地を救うことが出来るって」

「そ、そんなことが」

「ここで時間を食えば食うほど、出世の道は遠のくぞ。ほら、お椀と匙を持って行った行った」


 半ば追い出すような形で蘇臣を押し出す。

 ここまでは計画通りだ。あとは次にやってくる人物が誰であるのか。強面の武人であれば詰んだ確率が高く、そうでなければ生き延びる確率が高くなる。理想は李家のお嬢様が直々に迎えに来てくれることだが、それはあまりにも理想が高すぎる。

 とにかく生き延びるための手は尽くした。もうできることも無ければ、部屋が暗すぎて本を読むことも出来ない。

 明日、目を覚ましたくらいにすべてが決まっているだろう。

 となると、今日はもう寝よう。あの夢から始まり、あまりに長い1日だった。もう、疲れ、た…。

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