二章 二日目 ⑧
「お待たせしました、閣下!」
言葉は、快活な呼び声に遮られた。振り向くと三人の若い修道女を連れたニコラがこちらへ歩いてくる。
「何も喋るな。逃げようとすれば殺す」
私の手を包んでいた手が、蛇のような素早さで首に回された。傍から見れば愛しい婦人を抱き寄せているように映るだろうか。その実は怪しい動きをすれば首を折るというメッセージなのだろう。
「閣下、こちらの修道女様がお話を聞いてくれることになりました。ありがとうございます、シスターイザベラ」
「とんでもございません。友愛と慈しみは神に仕える者の務めですから。何でもお尋ねください」
シスターイザベラと呼ばれた年嵩の修道女は、天羽教の教えを一手に引き受けるような笑顔で頷いた。どうやらこの執事は主人と違って人の心に入り込むのが得意らしい。天使よりも天使らしい長髪に手櫛を通し、ニコラはカイの代わりに質問を始めた。
「実は、私の主が妹君をこちらの修道院に入れたいとお考えでして。今日は施設の見学に参った次第でございます」
「それは素晴らしいお考えです。あいにく修道院長は不在にしていますが、ウォーカイル修道院はいつでもあなたを歓迎しますよ」
急遽公爵の妹に仕立て上げられた私に向かって、シスターイザベラは心の平穏を分け与えるような笑みをくれた。
「ありがとうございます。評判に違わぬ素晴らしい寺院だと旦那様もお嬢様も感心しておられました。しかし、一点気になる噂も耳にしておりまして。最近、ここの修道院で行方不明者が出たと聞いたのですが、何かご存知ではありませんか?」
「行方不明ですか? いえ、何も」
三人の修道女が驚いたように首を横に振る。
「ごく最近のことのはずなんです。本当に誰もご存じない?」
「ええ、狭い島のことですから人がいなくなったりすればすぐに耳に入るはずですが、最近はそういった話はめっきり。シスターメアリとシスターブリジッドは何かご存知ですか?」
「いえ、西の棟では何も聞いていません」
「東もです。あ、ただ、懲罰房で起きたことでしたら噂は届かないかもしれませんが」
――懲罰房?
「シスターブリジッド!」
「申し訳ございません」
シスターイザベラが寺院に不釣り合いな剣呑な言葉を窘めるが、
「懲罰房とは何でしょう? この寺院には懲罰房があるのですか?」
辣腕の執事は聞き逃さない。
「そ、それは……」
「おっと、答え辛いことを聞いてしまいましたか。申し訳ございません、今の質問はなかったことにしてください。篤実さと正直さを旨とする修道女にも秘密はあって当然ですから」
うわ、ズルっ。こんな言い方をされて黙っていられる修道女なんているわけがない。
「いいえ、私達に隠し事などありません。仰る通り当寺院には懲罰房が存在します」
まんまと挑発に乗せられてシスターイザベラが言い切った。薄々わかっていたけれど、この執事の腹の中は、その見た目ほど颯々とはしていないようだ。
「もちろん、滅多に使われることはありません。シスターニーナの時で十年ぶりと聞いています」
――シスターニーナ。
また、両目の奥がずきりと痛んだ。
なんだろう、この感覚。鼓動が一気に跳ね上がる。
瞬間的に確信した。私は、その名前を知っている。
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