二章 二日目 ⑤


 その一言で食事は強制的に終了した。追い立てられるように部屋に戻され、メイド達に問答無用で服を脱がされ、代わりにドレスを着せられる。


「え? え? ドレス? 待ってください。服ってこれであってますか? 修道服の間違いでは?」


 何を言ってもメイド達は聞き入れない。着替えが終わって部屋に入ってきたニコラに抗議するが、


「閣下のご指示通りです。お顔、失礼いたします」


 黙れとばかりに顔にふわふわの何かを押しつけられた。ほのかに甘い香りが漂う。パフだ。


「お化粧するのですか? なんで?」

「動かないで! ここからは真剣勝負です!」


 怖っ。どうしよう、ニコラさんが急に怖い。ああ、神様お許しください。

それから数分、私は見たこともない化粧品を惜しむことなくふんだんに塗りたくられ、


「まあ、こんなところでしょうか」


 鏡の中に、より一層見覚えのない女の顔が出来上がった。


「え、誰……これ?」


 見違えるという言葉を自分の顔に向かって使う日が来るとは思わなかった。

驚きのまま目をしばたたかせると、鏡の中の見知らぬ女もすっかり長くなった睫毛をパタつかせる。


 ……あなた。ちょっと見ない間に随分美人になっちゃったね。

 土気色だった頬は桃色に輝き、ガサガサだった唇は果肉のように潤いに満ち、落ち窪んだ眼は花が咲いているかのよう艶やかだ。


「いくらなんでも変わりすぎじゃないですか。これじゃほとんど変装ですよ」

「いいえ、これがルチェラさんの正しいお姿なのです。私は初めて見た時から確信しておりました。ルチェラさんはお化粧映えするお顔だと」


 櫛でぺちぺちと掌を打ちながら、ニコラは満足そうに己の作品を前後左右から眺め回した。確かに素晴らしい腕前ではあるけれど。そんなことより何よりも。


「ニコラさんって、なんで女の化粧ができるんですか?」

「ラグフォルツ家の執事ですから」


 いや、ラグフォルツ家の執事、激務が過ぎるでしょう。さっそうと前髪に櫛を通すニコラを眺めながら、公爵家の業務形態が少しばかり心配になってしまった。 

 ああ、違う。私が心配しているのはそこじゃなかった。そもそもなんで、私にドレスと化粧を? その疑問を口にする間もなく私は馬車に押し込まれ、


「遅い! すぐ準備しろと言っただろう!」


 中で待っていた暴風公爵にドヤされた。

 怒らないでください。あなたのご命令でこんなにキンキンゴテゴテにされたんです。


「出すぞ、掴まれ!」


 どこにですか? などと問う隙も与えられず馬車がフルスピードで走り出す。私は毬のように座席を転がり、


「――痛いっ」


 無我夢中でカイの肩にしがみついた。

 あ、また怒られる。反射的に身構えたけれど、カイは黙って私の顔を凝視していた。


「な、なんですか? 怒るなら早く怒ってくださいよ」

「お前は本当に……礼儀というものを知らん女だな。それでも修道女か」


 ま、ま、ま、まさか暴風公爵に礼儀知らずと謗られるとは思いませんでした。


「まあいい、じっとしていろ」


 そう言うと、カイはさらにグイと顔を近付けて、


「ちょっと、なんですか」

「じっとしていろと言っただろう」

「あ、あんまり見ないでください。どうせ似合ってないとか言うんでしょ」

「そんなわけあるか、うちの執事の仕事はいつだって完璧だ」

「え?」

「こっちを見ろ」


 ああ、だめだ。またカイの瞳に絡め捕られる。この漆黒の瞳はまるで魔法だ。魅入られたが最後、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。カイは飾り立てられた私の顔を無遠慮にまじまじと見つめる。口紅が溶けるほど熱烈に。


 そして、


「これなら大丈夫か。念のためにこれも被っていろ。絶対外すな」


 何かをぼすっと被せてきた。何ですか、これは。帽子かな? これだけつばが広々として、これだけ深々と被ったら、外からは顔も何も見えないことでしょう。


「えーっと、あの、カイ様?」

「喋るな、酔うぞ」

「……お化粧した意味とは?」

「喋るなと言っただろう」

「いや、本当に……ねえ、本当に……」


 カイはもちろん私の疑問に答えることなく、御者を務めるニコラにスピードを早めるように言いつけるのだった。

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