二章 二日目 ③
※
着替えを済ませると、また戻ってきたニコラに「朝食の準備ができました」と有無を言わさず連れ出された。豪華な部屋と豪華なベッド、清潔な衣服の上に朝食まで与えられる捕虜がいったいどこにいるのだろう。
戸惑いながら後に続くと、
「遅いぞ、ルチェラ。何をグズグズしていた!」
通された部屋で食事を始めている公爵を目の当たりにして、思わず悲鳴を上げそうになった。
「朝からうるさい女だな。静かに起きて来れんのか」
カイが迷惑そうに耳を塞いでいるところを見るにつけ、悲鳴は自分が思うほど上手く抑えられていなかったのかもしれない。
「とにかく、さっさと座れ」
行儀悪くフォークで対面の椅子を指し示すカイ。朝日を背中に浴びるその姿は光のマントを纏っているようで神々しさすら感じられたが、
「す、座れません」
「なぜだ?」
「なぜって……」
説明がいりますか? どこの世界に捕虜と朝食を共にする公爵がいるというのですか。座れと言われても座れるものではありません。
「遠慮はいらん。昨日伝えたはずだ。お前は俺の物だと。俺が俺の私物をどこに持ち込もうと俺の勝手だからな。礼儀作法の範疇ではない」
「ひ、人を物みたいに言わないでください。私も昨日お伝えしたはずです。修道女の身は神様のものですと」
「そういうことは洗礼名を思い出してから言え」
ぐぅっ。
「暴風公爵なんて蔑称は覚えているくせに、神から貰った名前は忘れるのか」
ぐぅぅっ。
「信心が足らんぞ、不良修道女め」
神様、天罰はまだですか? やるなら今です。遅いくらいです。
「ルチェラさん、閣下には何を言っても無駄ですよ。座りましょう、食事は大勢の方がおいしいですから」
待ってください、ニコラさん。なんであなたまで座っているの? 嘘でしょう、なんで食事を始めているのですか。公爵と執事と捕虜が囲む食卓がこの世にあっていいんですか。
「ニコラとは毎朝こうだ。どうせ顔を突き合わせて業務連絡を交わす必要があるなら、メシも一緒に済ませてしまった方が効率的だろう」
「あ、あなた達には常識とか伝統を重んじる心がないのですか? それでも公爵なんですか」
「言っておくがお前も一緒だぞ、ルチェラ」
あとテーブルマナーも! フォークで人を指さないでください。
「お前もいつ何を思い出すかわからないからな。極力俺の手元に置いておく。寝る時以外はずっと俺の手元に置いておく」
「そ、そんな……」
血の気がずどんと引いていくのが自覚できた。
「俺の物でいるのが嫌なら一刻も早く記憶を取り戻すことだ。お前から全ての情報を引き出させたらいつでも解放してやるさ」
「ほ、本当ですか! 約束ですよ!」
「いいとも、約束だ……神に誓おう」
うう、昨日は神様なんていないって言ったくせに。
冗談のように神様の名を語り、肩をすくめてみせるカイ。挑発的であると同時にどこか絵になる仕草が腹立たしい。
「絶対ですよ! 絶対絶対約束ですからね!」
「くどい。さっさと座れ」
「……約束ですから」
最後にもう一度だけ念を押して私は目の前の椅子を引いた。
「すごいですね、ルチェラさん。公爵と約束を取り付ける修道女なんて前代未聞ですよ」
「どういたしまして」
おおげさに囃し立てるニコラの声を聞き流し、お尻を席に落ち着けた。
わ、フカフカだ。
当たり前だけれど、ラグフォルツ家の家具は椅子もテーブルも飾り気こそ少ないけれど質は良いものばかりだった。テーブルクロスもお皿もカップも使う手が震えるほどの高級品で、公爵家の威容をこれでもかと示している。
ただ唯一、その上に盛られた料理だけが不釣り合いなほど簡素に思える。普段から粗食の習慣なのか。それとももしかして、修道女である私に合わせてくれているのか。
だとしたら申し訳ございません。こうしてお皿を眺めてみても、食欲はほとんど湧いてこなかった。それは怪我のせいなのか、未だ記憶が戻らない不安のせいなのか、慣れない環境のせいなのか。
「……」
あるいは、暴風公爵が真正面からこっちを見つめてくるからなのか。やめてください、公爵様。あなたの目力はあなたが思うよりも強力なのです。
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