一章 一日目 ④
「では聞け、ルチェラ。ことは聖皇帝アディマ様に関わる重大事だ……アディマ様は覚えているな?」
「はい、もちろんです」
八百年の歴史を誇る我らが祖国マルジョッタ皇国の現皇帝アディマ様。若くして即位したが、賢君と名高く国民の評判もすこぶる良い。
「そのアディマ様が亡くなられた」
「ええ! アディマ様が!」
「……」
「……」
「――あっ」
聞き返したら舌を焼かれるんだっけ? 咄嗟に唇を掌で抑えた。
「……三日前の夜のことだ。お忍びで城を出られた陛下は数人の供を連れてローゼ川を渡河する際に石橋の崩落に巻き込まれて身罷られた」
おお、セーフ。見逃してもらえた。よかった、今度からは気を付けよう。
「地震や嵐の類は起きていない。目撃情報によれば陛下が橋を渡るタイミングで、なんの前触れもなく突然石で出来た橋が崩れ落ちたそうだ」
石橋が……崩落……?
口に出して言えないので心の中で繰り返した。
なぜだろう、鼓動が早まる。息が苦しい。目の奥がズキリと痛んだ。
「凡そあり得ることではない。橋を作ったのは俺だ。だからわかる。あの橋はたった一か月で落ちるようなやわな作りはしていない。だが実際に橋は崩れ、皇帝陛下は亡くなった。八公爵は皆大騒ぎだ……八公爵も覚えているな」
もちろん、覚えている。
聖皇帝の下にあって長らく国を支える八つの公爵家。ブラウト、ジルバ、グリーエル、ネス、トルガン、ローリー、ルウェンディア、そして、ラグフォルツ。この国に暮らす者はもちろん、隣国に住まう者ですらその名前を知らぬ人間はいないだろう。
「やつらは橋に欠陥があったとして、架橋したこの俺を弾劾するつもりでいるらしい。口さがない者の中には、俺が皇帝を暗殺するためにわざと崩落させたと言い出すやつまでいる」
ああ、さすがは暴風公爵。身内からのご評判も散々であらせられる。
「何か言ったか、蛙」
「いいえ、何も」
あと、ルチェラとお呼びください。決してその名前が気に入ったわけではありませんが、そのままストレートに蛙呼ばわりされるよりは傷があそうございます。
「この俺が聖皇帝暗殺など馬鹿馬鹿しい。言葉にするのも不愉快だ。証拠だってありはしないが、そんなことはやつらにとってもはどうでもいいらしい。故意であったにしろ事故であったにしろ、とにかくアディマ様崩御の責任が俺にあるという流れが出来ればそれで間に合うということだ」
間に合う? 何に?
「現皇帝アディマ様はまだ若かった。子はいないし、兄弟もとうの昔に亡くなられている。つまり跡継ぎがいないということだ。これがどういうことかわかるか」
「えっと……」
わからないから教えてください。そう尋ねたら舌を焼かれてしまうのだろうか。
「数百年ぶりに、この国で『選択の儀』が行われるということだ」
「選択の儀……ですか?」
「知っているのか?」
刹那、漆黒の瞳に刃のような鋭さが混じった気がした。
「いえ、何も」
「……そうか」
正直にそう答えると、カイは刃を鞘に納めるかのように視線を床に逃がす。
「まあ、知らなくて当然だ。市井には伏せられている情報だからな。ニコラ」
「はい。選択の儀とは、皇帝が世継ぎを残さずに亡くなった場合に行う儀式のことです」
主の続きを請け負ってニコラが言葉を続ける。
「八公爵の当主を一所に集め、その中から次期皇帝を選び出します」
「公爵様の中から次期皇帝が選ばれるのですか?」
王の血族からではなく?
「八公爵家は元を辿ればどこも皇帝の遠縁に当たりますから。誰が選ばれても皇帝の血筋は守られることになるのです」
「はあ、なるほど。でも、それと私に何の関係が……?」
この人になら質問をしても舌を焼かれはしないだろう。そう思ってかねてからの疑問を口に出してみる。
「選択の儀は次期皇帝を選ぶ神聖な儀式です。一応神の声を聴くという体はとっていますが、そもそも相応しくない者は出席することすら許されません。つまり、その……皇帝殺しなどという疑いがかけられてしまえば、まっさきに弾かれて儀式にすら参加できないということに……」
チラチラと主の顔色を窺いながら、ニコラは言葉の最後を濁らせた。カイは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「このままでは選択の儀は俺を抜きにして進められることになる。そんな事態は、絶対にあってはならない」
なぜあってはならないのか聞いてもいいのだろうか。
「……アディマ様のご遺志を継げるのはこの俺だけだからだ。次期皇帝はこのカイ・ラグフォルツ以外にありえない。もし他の人間が後を継いでしまえば、この国の民にとって計り知れない損失となる」
ああ、ご自分で。そういうことをご自分で。さすがは暴風公爵。
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