愛のまにまに




 喧嘩をしてください。


 喧嘩部部員を全員、ちぎっては投げちぎっては投げ終えた大輝だいきは、雅也まさやをグルグル巻きにしていたポリエステルロープさえも引き千切ると、口から血煙を吐き出しながら雅也にそう願い出た。


「俺の名前は大輝と言います。あなたは覚えていないかもしれませんが。雅也さん。あなたは俺の初恋の人なんです。俺は幼稚園児の時に一目惚れをしたあなたに、あなたに勝ったら結婚してくれと一方的に願い出た。修行を重ねてのち、自信がついたら申し込もうと、このおよそ十年間、あなたを視界に入れないようにしていたが、図らずもあなたは俺の視界に入ってきてしまった。その時の俺は自信がなくて、あなたから、いや、すべてから逃げてしまったが、今は違う。今なら、あなたに勝てそうな気がする。あなたは喧嘩に優劣をつけない人だが、この申し出をどうか受け入れてはくれないだろうか?」


 後輩に声をかけてやりたい。

 ポメラニアン化したままの乙葉を家に連れて帰りたい。

 今迄はただ暴力を受け止めるだけだった喧嘩部部員たちに一喝入れてやりたい。

 そう思った雅也はしかし、大輝の申し出を受け入れると言った。


 誰だったかは覚えてはいなかったものの、確かに幼稚園児に求婚された事を覚えていたので決着を付けようと思った事と、こんなに正々堂々と喧嘩を申し込まれたので嬉しかった事も、一つの理由ではある。

 それともう一つ。


乙葉おとは君に、喧嘩しているわしを、ありのままのわしを見せれば、熱に浮かされている目を覚まさせる事ができるかもしれない)


 いや。本当は、

 本当は。


(わしの方が、熱に浮かされているので、冷ましたい、というのが、本音。だろう)


 とてもおかしな話ではあるだろうが。

 怖い姿を見せて、遠ざかってほしかった、のだ。


「「お願いします」」


 ポメラニアン化したままの乙葉の前で、雅也は歯を剥き出しにして、大輝と喧嘩を開始させた。

 って言うか、乙葉君。いつまで腹を晒し続けるんだ?

 そんな邪念も吹き飛ばし、ただ、大輝だけに意識を向けたのであった。


















「自信がないとか関係なく何回でも喧嘩を挑めばよかったあああ~~~」

「よしよし。よく頑張りましたね」

「負けたのも悔しい!もうすでに!心を別の者に奪われていたのも悔しい!」

「よしよし。いっぱいお泣きなさい」

「でもまだ俺は諦めない!」

「うんうん。これから何度でもぶつかって行けばいい」


 喧嘩教室の先生は、静かに帰って来たと思ったら大泣きし始めた、同居人であり愛弟子でもある大輝を優しく慰め続けたのであった。











「乙葉君。喧嘩しているわしは怖くなかったか?」

「怖かったですけど、怖くなかったです」

「年下の男子高校生に三十代のおっさんが手加減しないなんて、幻滅したか?」

「幻滅していません。小学生や中学生に手加減しなくても、雅也さんだったら、絶対に幻滅しません。雅也さんは、一方的に痛めつける為だけに、手加減せずに喧嘩をしているわけじゃないって、わかっていますから」

「………運命の相手、だから、か?」

「はい」


 雅也は内心で苦笑を溢した。

 運命の相手であって、嬉しくて、だが、運命の相手の一言ですべてが解決するのが、受け入れられるのが、悲しかった。悔しかった。

 自分自身を知ってほしかった。

 乙葉の事を知りたかった。


(ああ。もう。観念、すべき、か)


 熱に浮かされたままでいい。

 熱に踊り狂おう。


「乙葉君」

「はい」

「ポメラニアン化した時に、できる限りでいいのだが。もしも可能ならば、の話であるが。腹を、わし以外に見せないで、もらえないか?」


 全身真っ赤っかになった雅也を前に目を丸くした乙葉は、ゆっくりと、花を綻ばせるように、時間をかけて、満面の笑みを浮かべたのであった。


「雅也さん。俺とも、喧嘩してくださいね」

「乙葉君が、強くなったら、考えよう」

「はい。早く強くなります。強くなって、今日の雅也さんと大輝君のような喧嘩をしたいです。二人とも、すごく、すっごく、キラキラしていましたから」

「………そう。か。それは。とても、とても。嬉しい」

「………あの。やっぱり。家に。泊まりに来ません。か?」

「………………それは、やはり。まだ。早い」

「………はい」


 雅也は、ポメラニアンになってもいいかなと、欲望のままに流されそうになる己を必死で諫めながら、乙葉を実家に送り届けたのであった。











(2024.7.15)



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天の川を渡れば 藤泉都理 @fujitori

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