第一話-2

「ラザム様、本当にこの方で、お間違いないのでしょうか」


「……リークスが間違った情報をもたらすとは思えません。疑念は残りますが、レファン、間違いではないと思います」


 随分と失礼なことを言うものだ、と細川は考えた。それから続けて、彼は周囲の異常な光景を前に、己の感覚を疑った。


 目の前で会話をしているのは、身長一五センチメートルほどの大きさの、人型の何か、である。そしてここは、何もない、奇妙な空間だ。淡色の色調定まらないもやが、霧のようにどこからともなく流れてきて、どこへともなく消えていく。軽く重力は感じるが、身体は鉛を流し込んだかのように動かない。


(もっとも、鉛を身体に流し込んだら死ぬだろうな)


 益体のない思考で冷静さを回復する。直前までの記憶はあった。『不運の騎士』を見ていたはずだが、突如として視界がホワイトアウトし、収まったと思ったら聞こえてきたのがレファンとやらの声だったのだ。


 大きさに目を瞑れば、目の前の二人は、細川でも美人と評する。いずれも白金色の髪をしているが、髪型と目の色は異なるようだ。ラザムと呼ばれた方は、セミロングの髪とベルリンブルーの瞳、レファンと呼ばれた方は、手の込んだブレイズの髪とガーネットの瞳、といった具合である。色を科学用語で例えるのは、細川の悪癖だ。伝わることの方が珍しい。


 そうして現状を整理していくと、「多分、夢ではない」という、些か投げやりな結論が残った。この間、白金髪の二人からは、一切の説明がない。


《魔王の間》とやらに転送された際も何も言われず、細川はただ、


(魔法陣って実在するんだな)


 くらいのことしか考えていなかった。




《魔王の間》に転送する、と言って景色が変わったからにはここが《魔王の間》なのだろうし、そこで最も偉そうな顔をしてふんぞり返っているのが魔王とやらであることは疑いない。


 とはいえ、それが受け入れるに易いか、と言われればそうではない。少なくとも細川には、この偉そうな顔をしてふんぞり返っているピンク色の巨体が、どうしても魔王という風には見えなかった。どちらかというと魔人と教えられた方が腑に落ちる。ピンク色の肌ではちきれそうになる、黒いチョッキの、どこかで見たような容貌の魔人──細川の中で、『風船魔人』という呼び名が決定した。


 身体の大きさは、ラザムやレファンの比ではないし、細川の身長もゆうに越しているだろう。だが圧迫感だとか威圧感だとか、そういったものを一切感じさせない。かといって親しみやすさがあるか、と言われればそれはまた別の話であって、共謀はできても交友は無理だな、と細川は判断した。


 もしかして、意外に体重は軽いのではないだろうか、と細川は考え、彼は『銀河のチェスボード』の一節を思い返す。それにも巨漢だが過体重には見えない人物が登場しており、モーリス准将には、『歩く飛行船エア・シップ』と形容されていた。グリーンヒル元帥の部下は、皆言うことに遠慮がないという定評があるのだ。なるほど、これがそうなのか、と納得する。


「ラザム様と、細川裕さんをお連れしました」


(こいつら、なぜ俺の名前を知っているんだ)


 前に進み出てうやうやしく腰を折るレファンを、細川は拘束を解かれた身体で見下ろし、睨む。


(最近感じていた妙な気配は、こいつらか?)


 感覚に引っかかったのは光や風くらいなものだったが、体重や体温が察知できなかったのはこの小さな身体のせいだと考えれば、納得はできるのだ、多少不愉快だが。


 風船魔人の部屋には、ラザムやレファンの他にも、複数人の白金髪の人型生物がいる。ほとんどはガーネットの瞳だが、ベルリンブルーの個体・・も一人いる。


「ご苦労だった、レファン」


 それが風船魔人の声だと気付くのに、細川は三秒ほどの時間を要した。高いとも低いともつかない妙な声で、ラザムやレファンのものとは大きく異なる。強いて言うならばボイスチェンジャーを使って変質させたかのような奇妙な声で、ついでに付け加えるのであれば、かなり尊大な口調である。つい反抗したくなるほどの。


「さて、細川裕よ」


 魔人だが魔王だかもう分らなくなった何かの意識が、細川に向く。初対面の相手、しかも一方的に調べ上げた負い目が少しはあるはずの相手にさえ、この尊大な口調は変わらないらしい。少し考え、特に下手に出る必要はないな、と細川は判断した。


「何の用があって、俺をここに連れてきた?」


 室内の人型が、無遠慮な言葉遣いに色めき立つ。魔王様と言うからには彼女たちは自分の主に無礼を働かれて苛立ったのだろうか。しかしそれを、主の方が制したとあれば、配下たちが勝手に激発する理由はない。


 細川にはそもそも、相手に礼を尽くす理由が特に思い当たらなかった。


「自分は名乗りもせずに、よく人の名を呼べたものだな」


 言外に、「無礼なのはお前らの方だぞ」と言ったつもりだったのだが、軽く流されてしまった。


「名前など二千年も昔に忘れた。ないものを名乗ることはできん」


「さよけ。それで、用件はなんだ」


「喜べ、お前は次の魔力使用者に選ばれたのだ」


「盛大な詐欺か何かか?」


 魔力使用者が何だか知らないが、どうでもいいからさっさと家に帰してくれんかな、と細川は考えた。『不運の騎士』は期間限定配信なのだ、急がなければ続きを見られなくなってしまう。そんな思考が先立ち、危うく次の一言を聞き逃すところであった。


「いくつか制約はあるが、それに触れさえしなければ、魔力は好きなだけ使って構わない」

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