Ⅰ期 伝説の始まり

第一話-1 魔法店

 大天使の一人に数えられるラザムは、そのベルリンブルーの瞳に無気力そうな少年を映していた。


 身長は一七一センチメートルという平均そのものな背丈だが、どうも体重の方がそれに全く見合っていない。事前に収集された情報によれば、四七キログラムである。単にやせ細っている、と表現していいものか分からないが、少なくとも、健康上の問題があるわけではなさそうだ。しかしそこに、野暮ったく伸ばされ整えられていない、やや色の薄い黒い髪があちこちに向いて跳ねていることと、眠そうなダークブラウンの瞳の下にはうっすらと隈ができていることで、どうしても不健康そうな印象は拭えなかった。


「ラザム様、本当にこの方で、お間違いないのでしょうか」


 不安そうな声をかけてくるのは、ラザムと同じ大きさの天使だった。レファンという名前で、ラザムと違い、ガーネット色の瞳を持っている。彼女の言うことは、ラザムの方こそ言いたいことだった。


 ──本当に、この人物が次の魔力使用者・・・・・でいいのだろうか、と。




 細川裕という少年は、見た目を裏切らず、なかなかに陰気な人物であった。


 本人がそもそも人との関わりを積極的には取ろうとしないことが気質的な理由ではあったが、見た目を整えたり人と関わったりするよりも、優先してやりたいことがあるのもまた事実であった。


 結果、彼は友人の数を減らした。そしてそれを取り戻すつもりは一切なかった。


 春に入学したばかりの菅野台高等学校に中学からの友人がいないことを知ると、彼は人脈を築くことをあっさりと諦め、休み時間を趣味の読書に費やす徹底ぶりだ。それを苦とは思わない。


 彼は孤独に慣れていた。というよりも、彼は自分の境遇に対して受動的だった。


 父親の細川悠一ゆういちを事故で亡くしてから、感情を表に出すことが極端に減った。生活のため、母親の細川裕子ゆうこは夜遅くまで働くようになったが、三食孤食で済ませるようになっても、「そんなものか」と堪えた様子を見せない。


 直近で感情を大きく表出させたのは一年半前、七年来の親友を失ったときだっただろうが、そのときだけは感情に任せて行動したものの、以降は再び、感情を表出させなくなった。大抵の場合は、何が起きても、「なるようになるし、なるようにしかならない。あと最後には大体何とかなる」と言って平然としていた。一五歳にして達観していた。


 そして、自らの死期を半ば悟ってもいた。


 かといって、日々を大切に精一杯生きよう、などと真面目に考えることはなかった。SF小説『銀河のチェスボード』や、異世界ファンタジー小説『不運の騎士』など、とうに人気の終わった作品ばかり読んで時間を浪費するような人物である。ときには、「やりたくないことにかまけていられるほど、人生というものは長くはない」と明らかに誰か──具体的には『銀河のチェスボード』に登場し怠け者で知られるグリーンヒル元帥──の受け売りのようなことを言いながら、試験管の試薬を爆発させている。彼は高校で、化学同好会に入っているのだ。


 この化学同好会というものは変人の集まりと揶揄やゆされる三部活の一角であり、彼もその例に漏れない一人である。あるとき恋愛思考について話題になったとき、次のように発言した。


「俺に恋人ができるより、死ぬ方が早い」


 ないものねだりはしない主義の彼だった。




 六月二〇日、梅雨半ばに差し掛かる、暇な日曜日だ。暇というものは貴重なもので、時間を浪費するときほど疲労が回復する時間はない、と考える細川である。冬ならばこたつや布団に潜って惰眠をむさぼってもいいのだが、何しろこの時期なので、そういうわけにもいかない。


 結果、彼は今何をしているのかというと、一年ほど前に放送された、テレビアニメ版『不運の騎士』のオンライン配信を、朝からぼんやりとパソコンのモニタで眺めているのだ。


 日本から異世界に一人の青年が送り込まれ、現地で結婚して産まれた少年が主人公で、彼は歳の近い王女を助け、王国の騎士となる。それからが大変だった。ヒロインの王女と言い合い、大精霊を怒らせ、息をついたのも束の間、翌日には国を脅かす天災と戦うことになる。


 内容は面白いのだが、一点惜しむらくはタイトルのセンスだろう、というのが細川の評価だった。この名作にいまいつつほど及ばないタイトルのせいで、手に取られないこともしばしばあるという。大手ライトノベルレーベル『天川あまのがわ文庫』で出版され、メディアミックスも進んだ今、この期に及んで改称するわけにもいかない。不運の騎士は、どこまでも不運な騎士だった。


 主人公たるタクトの有名な台詞に、


「神の馬鹿め、俺が一体何をした!」


 というものがあるが、物語の登場人物にとってみれば、作者は絶対神に他ならない。不満の矛先としては、これ以上ないほど適任である。作中ではこの後、ヒロインたるレミリア姫に、


「あなたは神ではなく、わたくしを信じてください」


 と言われるまでがテンプレートなのだが、生憎同じくアンチ神の細川には、レミリアはいない。


「愚かな神よ、死んだら殴ってやるから覚悟しろ」


 などと、神に対して口が悪くなる一方だ。明らかにタクトの影響だった。


 とはいえ、普通の人間ならここで魔法行使をしようとは考えない。この世界で魔法が使えるか、と問われれば、否、と答えるのが当然である。


 普通でないのが細川だった。魔法力を実在のエネルギーで代替できないだろうか、などと真剣に考えるのは、彼くらいなものだろう。時折馬鹿になる、と友人に評されたこともある。


 だからこそ、彼ら・・の目に留まった。

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