ルカ


 身体に纏わりつく奇妙な重さに意識の覚醒を感じる。

 重い、でも軽い。

 相反する感覚に包まれて、その感覚が水に極めて近い感覚だと気付いた。


 昔、まだ深いプールに脚がつかなかった時に、体を水中に浮かべた時の感覚に酷似していた。

 いや、別に陰キャな俺は人の集まるそんなところではしゃぐことなど出来ないので、それを体験したのは能動的な行動の末の出来事ではなく、プールの授業中に脚が攣ってしまった故に半ばおぼれて身動きが取れなくなったと言う思い出したくない話なのだが。


 まあ、とにかく俺が今身体を置くのはきっと水の中だと仮定して、そこで初めて目を開いていないことに気付いた。

 意識はクリアなはずなのに酷く重い瞼を上げるのに苦戦する。

 寝起きに匹敵する視界の悪さに眉間に皺をよせながら、段々とクリアになる視界で状況の把握に試みる。


 やはり水の中にいるのか乱反射する水面が視界いっぱいに広がっていた。

 とんとなしに手を伸ばすが、到底届くことはない。

 その手が、元のの手なのか今のの手なのか、妙に曖昧な気がして判別がつかない。

 意識はクリアなはずなのに、そこだけが曖昧で……


 ブクブクと泡をもして水面に上がっていく空気の球を見ながら、俺は寝がえりでもするかのように酷く緩慢な動きで身体の向きを変えた。

 無意識的な行動だった。

 どうしてか、水底を見なければならないと思ってそちらに身体意識を向けたのだ。


 一人称視点のゲームの様に自分の腕が映り込んだ視界には一人の少女がいた。

 水底から浮かぶようにして一人の少女が現れた。いや、初めから居たのかもしれない。

 水の中で空気の球と共に綺麗な黒い髪が少女を支えるように広がっていた。

 黒い後光を髪で再現した彼女の瞳は青一色だ。


 日本人離れした端正な顔立ちをしながら、それでも日本人的な顔立ちを残した幼い少女。

 見たことがあった。

 知っていた。

 その少女は、ここ数か月共に一時も離れることなく俺と共にあった。


 御野間リオの、異能倶楽部ボス、ルカの身体。

 そんな少女は浮上し、俺との距離がすでに少なくなっている。

 それに惹かれあうように対照的に沈む俺と少女の身体が重なろうとした時、俺の身体は少女の形であることに気付いた。

 無意識的に少女の手と合わせられた俺の手は、ピタリと重なることで一寸の狂いもなく少女と全く同じものだと主張する。

 だが、触れ合ったと思った次の瞬間には触れることは出来ないのかそれは透けるように通過した。


 そのまま顔が近づき、口づけするかのように重なったあと、少女は完全にすれ違った。

 なんだか名残惜しくて、振り向けば少女はいつの間にか最初俺がいた水面近くに身体を浮かべていた。

 そして周囲が段々と暗くなって水底に近づいたことを実感した時、不意に意識が遠のいた。


 それは、まるで体の主導権が移り変わるかのような感覚だった。





 ◆

 

 御野間リオの身体に起きた異変。

 端的に言えば女体化。

 だが、その詳細を語るのであれば、その一言では表すことは不可能だった。


 特筆すべき点は多くあるが、一つ挙げるとするならば、それは元の御野間リオの身体からの直接的な変化ではないと言う事だった。

 つまり、男であった御野間リオの身体が、女としての特徴を色濃く残すような変化を経たわけではなかった。

 男の身体と女の身体とでは、両者黒髪ではあるが、その質は違った。

 目の色を見れば違いは明らか、黒から青に変化していた。

 それらを異能の発現に寄った変化として考えることも出来ただろう。


 だが、リオ自身、体が完全に置き換わった感覚を持っていた。


 そして、それが真実だとした場合、その身体は誰のものなのか?

 服を着ていた状態で女体化したことから、元の身体と配置を入れ替えるようにして転移でもしたのではないか?

 そんな答えの出ない疑問が出てくる。

 だが、それよりも今この状況であれば答えの出る問いがあった。


 それは、魂の数だ。

 リオの身体が変化したわけではない。

 ならば、その新しくリオの魂と呼べる物が入った体には別の魂は入っていなかったのか。


 そして、その答えは、ヘルマンによって首筋に打たれた異能発現剤によって証明されることとなる。

 リオ自身が持つ異能に酷似した黒い稲妻。

 だが、その光に相違を見出そうとすれば、その黒の奥に青が見えた。

 破裂するような音を立てて空気を割るような光が昇る。


 その光景は、新たな異能の誕生を表していた。

 それは、産声を上げるかのように言葉を吐いた。


「──おはよう、で良いのかな」

 

 新たな魂が目覚めた。

 つまり、御野間リオの中にはもう一つの魂と呼ぶべきものが同居している。

 それは、より目の中の青を強くして目の前に立つ男を見た。

 男の名前はヨスト、異能倶楽部と対立する組織のボスである。

 そんなヨストは、その地位に見合うべき実力を持って、最大限の警戒をした。

 そして問うた。


「誰だ、お前は」


 気付いていた。

 本来のルカが碌な攻撃力も持たない異能を持っていることを。

 だからこそ、これが別物であることを感じていた。

 ヒリつくような黒く縁取りされた青い稲妻。

 それは、只の光の結晶ではなく、紛れもなく凶器となりえる異能だった。


 だが、誰だと問うたのは半ば無意識でのことだった。

 目のまえに立つ人物が、別人に代わっているだのと言う事は、冷静な思考の末に見抜けていたわけではなかった。


 そして、そんな言葉に、ソレは答えた。


「誰?……そうだなぁ。異能組織のボス、ルカ、それが一番近い表現だと思う」


 ルカ、そう名乗った少女は「それが貴方に理解してもらうには最適の回答だろうから」と続けた。

 散々と聞いてきたその名前を初めて聞いたような感覚に襲われる。

 先ほどまで、自身と対立していた人物ではなく、今、目の前にいるこの人物のための名前だと、そう感じた。

 これが、本物の異能倶楽部のボスだと。


 ルカは何でもないようにそう言った後、衝撃を受けたような顔をしたヨストなど気にせずに、自身の来ていたパーカーの胸の辺りで拳を握り引き上げた。

 振り抜かれたように見えた手から舞うように伸びるのは先ほどまでパーカーから垂れて居た紐だった。

 紐を引き抜いた彼女がそれを使い髪を結び、一本に束ねれば、酷く印象が変わりより別人だと言う無意識下の考えは強くなる。

 彼女が、調子を確かめるように首を動かせば、結ばれた紐の先で伸びる金属のアグレットが子気味のいい音を立てた。


「発現剤による効果か。……いや、今はそんなことはいい。やることは同じだ」


 余裕を見せるルカとは対照的に、ヨストはブツブツと独り言を唱えた。

 そんな様子に少し顔をしかめたように見えた。

 パーカーの紐を引き抜いた時点で、ルカの顔を覆っていたフードは取れていて、異能によって作られた影は消え払っており表情はさらされていた。

 そんな彼女は容赦なくヨストに言葉を向けた。


「悪いけど、私の時間はあまり長くないらしくて。だから、あまり、無駄にしたくないからさ。さっさと、終わらせてもらうよ」


 そう言ったときには、ルカは動いていた。

 バチッと雷鳴が轟けば、すでに電撃がヨストに迫っていた。

 ヨストもすでに分かっている。

 この電撃は攻撃力を持っている。

 当たればよくないことくらい。


「──ふっ」


 だが、ヨストだって一組織のボスである。

 これを避けることも簡単だ。

 異能「陽炎」。

 その中の一つの能力を駆使して攻撃を避けた。

 ヨストに直撃したかに見えた電撃は空を切って姿を消した。


「かつて、六大組織からの攻撃を凌ぎ切ったのだ。これくらいは容易い」


 ルカへの挑発か、ヨストはそう言った。

 だが、その鉄壁の表情の裏では、顔を歪めていた。

 陽炎を使っての攻撃の回避をしたが、それを掠めてしまっていたのだ。

 並みの異能では傷つけることなど、出来ないヨストに対してわずかではあるがルカの異能は姿を捉えていたのだ。

 それにこの異能は──


 そんな思考がよぎる中追撃が放たれる。

 戦闘中だ。相手に息をつく暇を与えたないのは当然のことと言えた。

 だが、相手にしてやられてばかりは意味がない。

 こちらも攻撃に転じる。


 電撃を受けながし、ヨストは「陽炎」によって攻撃に移る。

 打撃でも食らわせるように接近したヨストは腕を突き出した。

 ルカはそれに食らいつき、攻撃をガードするが、そこに「陽炎」による攻撃──熱波を浴びせる。

 インパクトの瞬間、更に威力を浴びせられたルカは大きく後退した。

 単純な爆発も掻くやと言う威力だけじゃない、身を焦がすだけではとどまらないその熱はルカの身体を蝕んだ。


「───ッ!?」

「私の異能「陽炎」は攻撃にも優れているのだよ」


 クロスした小さな腕は服が焼き切れほつれて、僅かに見えた肌から煙を発していた。

 陽炎による攻撃の際に自身の異能を使用し、若干ではあるが威力を抑えたか。

 だが、陽炎の恐ろしさは何よりもその内包する熱にある。

 攻撃の威力を殺したところで火傷を負えば意味がない。


「回避に攻撃、随分と便利な異能のようだね」

「ああ、君には勝ち目などない。随分と予想は裏切られたけど、結果が覆るほどではない」


 ヨストはそう言い切った。

 予想は裏切られた。

 そりゃあ、元々攻撃力を有していないと思っていたのに、攻撃力を持った異能が放たれたのだから。

 でも、未だ致命打は受けていない。

 それに、こちらはすでに大きな一撃を食らわせている。


 そんなヨストを前にしてルカは口を開いた。


「でも、それは」


 ルカは、自身の胸倉を、いや、まるで心臓を掴むかのように黒いパーカーを歪ませた。

 そして同時に電撃が服を覆うように走った時、彼女は服を引きちぎるかのように脱ぎ捨てた。

 現れたのは、白を基調としたシャツ。

 パーカー同様に大き目のサイズではあるが、パーカーの時の様にズボンは隠れていない。

 白いシャツが揺れれば黒のショートパンツが見て取れた。


「異能の詳細が分かれば意味がない」


 そう言い放たれたときには彼女は目の前から消えていた。

 ヨストは暗がりで目を泳がせるが、捉えられない。

 一瞬、それだけの時間目を離してしまえば、途端劣勢に回るのも必然と言えた。

 彼女が接近していることに気付いたのは、その異能が自身の身に駆け巡ってからだった。


「くっ……!?」


 闇雲に周囲を陽炎による熱波で攻撃すれば、先ほどルカが立っていたであろうところで、スタっと着地したような音が鳴った。

 一つの手札を切らされた。

 いや、もう一つ見抜かれているのだから二つか。

 一つ目は攻撃の際に、陽炎による攻撃の回避方法を見破られたこと。

 空気を湾曲させて実際のヨストの身体の位置とずらすことで位置の誤認をさせると言うものだが、一度見ただけで破られた。

 そしてもう一つ、敢えて陽炎は手のひらからしか出せないと思わせて隙を作ろうと考えていたが、今の攻撃で全方位に攻撃を向けたせいでそれもバレた。


 精度としては手で異能を放った方が良いのは確かだが、不意を突いた攻撃の手段が一つ減ったことは確かだろう。


 だが、過ぎたことにとらわれることはよくない。

 それより、ルカの攻撃だ。

 一瞬のことで分からなかったが、恐らく彼女の攻撃の方法は読めた。

 恐らくだ。

 これ見よがしにパーカーを脱ぎ捨てて白い服を見せる。

 その後に、自身を陰で覆うことで白いものを無意識的に追うヨストの認識から自身を外したのだろう。

 その隙に、攻撃を仕掛けて来た。


「小細工を」


 そうは言いながら、警戒は抜かずルカを観察した。

 そして一方観察されているルカも作戦を練るためか、ヨストを見ていた。


 実のところ、ルカ自身全力を出せていないために少々頭を捻っていた。

 異能発現剤によって目覚めたばかりのルカという魂、それに付随する異能。

 そしてそんな発現間近な異能が完全に開花していないのは至極当然な話であった。

 

 本来、異能と言うのは鍛錬のよって出来ることと言うのが増えていく。

 リオであれば、初めは光球を出すだけであったが、試行錯誤を繰り返すことで黒い稲妻を燃すことすらも可能とした。

 そしてそれは、ルカも同様であった。

 つまり、未だルカはこの異能に慣れていないことはもちろんの事、異能自体の出力も決して多くはなかった。

 未だ発展途上、そんな状態で一つの組織のボスと対面していた。


 先ほども魂の奥底で共有している御野間リオの異能を参考に影を作り全身を暗闇と同化させたが、そううまくは出来なかった。

 そもそも、リオが使う影の仕組みと言うのはマジックミラーのような変わった特性を持つ物だが、それを広範囲に飛ばすようなことはできない。

 条件として自身の身体の周りを纏うと言ったような制限が付きまとう。

 だが、それも、彼ならばルカがしたような芸当を苦も無くすることが可能だっただろう。

 しかしルカは体に影を張り付けると言う作業に酷く疲れていた。

 これは性格もあるのかもしれない。

 ルカは内心、何てことしてんだと、自身と身体を共有しているリオの評価を改めた。


 それより、今は対峙するヨストの能力の対処について考えた方が良いだろう。

 一つ、いや、二つの能力の詳細はすでに分かったようなもの、あとはそれを上手くさばくことが出来るかということが大切になってくる。

 一つ目の能力である熱波の放出は当初、手のひらからの使用しか出来ないと思っていたが、先の攻撃で自身の周囲に一気に放出することも可能だとわかった。

 だが、その反面で相手は手札を隠す必要がなくなったこともあって、思い切り使ってくる可能性が上がったことも考慮した方が良い。

 そして二つ目の異能は回避の際に相手の認識をずらす能力だ。

 ずらすと言っても精神干渉系ではない。

 陽炎の名の通り、空間を熱によってなのか、そもそもそう言った結果自体を生み出す能力なのか知らないが、とにかく歪めることをして実際の居場所とのズレを生みだすことが出来る。

 だが、それもすでに一度目の回避で見破ることに成功していた。

 それでも厄介な能力には変わりないため、警戒は必要だが大分動きやすいことは確かだろう。


 次の瞬間両者は動いた。

 地面を蹴り、接近戦へと持ち込む。

 ヨストからすれば、相手のリーチが分からない為、遠距離攻撃が可能とは言えあまりそれに秀でていないのだから接近戦へと持ち込みたかった。

 そしてルカも同様に接近戦を望んでいた。

 発現した異能は何度か使う中で驚異的なスピードで成長している。

 だが、それでもリオの様に長距離の放出など不可能であるため、出来れば近づきたかった。


 そして両者の思惑が一致した時、異能がぶつかる。

 ヨストはそのふくよかな体からは想像が出来ないほど早い拳をルカに打ち込む。

 そしてルカもその華奢な体からは想像が出来ないほど力強い蹴りを腕を横から払うようにして繰り出した。

 両者の攻撃がぶつかり、銅像も掻くやと言うほどピタリと一挙手一投足に動きが消えた時、狙いを逸らされたヨストの拳からは熱波が空を切るようにして放出された。

 そして同時にルカの異能による黒い稲妻が叩きこまれようとしたが、ヨストは体を捻って避けた。


 一瞬、ルカは後ろに飛びのくとまた接近する。

 ルカはジグザクに動くようにして、小刻みに進行方向を変えていけば一秒も経たずに立っていた場所に熱波が来る。

 その繰り返しを一瞬のうちにして、再度ヨストへたどり着けば、蹴りを繰り出す。

 だが、黒と青の稲妻をともなって放たれたそれは空を切った。


「異能の詳細が分かればだったか?」


 先ほどのルカの言葉を煽るようにようにヨストは口にした。

 今の攻撃がかわされたのは、正真正銘異能によるわずかな認識のズレによったものだった。

 接近戦であるがゆえにからめ手的それは大きく左右した。


「──ふ」


 だが、一瞬ルカが嗤ったように見えた時には、僅かに掠った異能がヨストの身体を蝕むように削っていた。

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