第二話 白魔女


「もう、お休みなさい。私好みのハンサムさん」


 魔女はそう述べて男の額を軽く指で押し、魔法を送り込む。

 魔法はすぐに効果を発揮して、男の意識が深遠へと沈んで行くのが解った。

 身体はぐらりとなり、男の頭はゆっくりとうな垂れていき、前へと倒れ掛かる。

 それはどういう結果になるかと言うと、豊かに育った魔女の胸に自らの顔を埋めるという恰好になる。

 魔女は倒れ掛かってきた男の頭を自分の胸と腕で優しく抱え、ゆっくりと身を屈める。


「ふう」


 男が完全に眠り込んだのを確認して、安堵する彼女。


(時々いるのよね。私の魔法でさえも、効きにくい人が・・・ね)


 声や表情には全く出さないが、内心、この状況に彼女は結構焦っていた。

 最近、彼女は人からは大魔女だとか、天才とか言われて称賛される立場にあるが、人生経験はそれほど多くない。

 尤も、他人と比べようもない大きな経験をしているのは自負している彼女だったが・・・

 そんな魔女を脇で観ていた黒装束の男は少々不機嫌になる。

 

「エミラルダの胸に抱かれて眠るとは・・・羨ましい奴め!」


 先ほどの自らの身に迫った危機など全く感じさせる事なく、軽快な物言いをする黒装束の男。


「なに呑気な事を言っているのよ、ライオネル。私が来なかったら結構危なかったのではないかしら?」


 魔女は抱えていた男をゆっくりと地面へ離し、そして、形の良い眉毛を少し歪ませて、黒装束のライオネルという男を軽く睨む。


「いや、すまなかった、エミラルダ。本当に助かったよ」


 ライオネルは少し怯んだようで、すぐに謝罪とお礼の言葉を口より零す。

 そんな変わり身の早いライオネルを見て、エミラルダと呼ばれる魔女は再びため息を漏らして、ゆっくりと立ち上がった。


「作った私がこんなこと言うのも何だけれども、その魔道具をあまり過信しない方が良いわ。これはあくまで強化道具よ。元になる魔力も有限の力だし、魔力の消費だって馬鹿にならない。相手に持久戦を選らばれれば、貴方達でも勝ち目は無いわよ」

「それは今回、実感したね。でもしょうがなかったのさ。男にはやらねばならないときがある。それに、得るものは得られた。君に助けられたおかげで、私も仲間も捕まらなかった。結果は悪くない。君と幸運の女神に感謝するよ」


 ライオネルは両手を広げ、今すぐ自分と抱擁しましょう、という姿を魔女に示す。

 しかし、これを見て呆れた魔女は三度目のため息を吐くだけだ。

 この男はどうしようもなくお調子者なのだ。

 言い方を変えれば、超前向き思考とも言えるが・・・

 

「莫迦は死んでも治らないようね」


 エミラルダはそう呟くと、両目を瞑り、何かに耐えるように頭を抱える。

 当然だが、ライオネルから要求のあった抱擁に応える義理はない。

 

「私に感謝があるのならば、報酬で示しなさい。さあ、こんなところに何時までいる気なの?移動するわよ」


 そう言い捨てるエミラルダはフードを深くかぶり直し、ひとり先に歩き出す。

 

「連れないねぇ・・・まあしょうがないさ。それよりも報酬を弾む事は約束しよう。さあ、お前たちも行くぞ!」

「「ヘイ」」


 そんなやり取りを垣間見せたこのライオネルという男は黒装束の中でも地位が高いと解るが、それもその筈、ライオネルはこの黒装束の集団『月光の狼』という義賊団を束ねるリーダでもある。

 エミラルダの後を追いかけるようにライオネルと配下の男達もこれに続き、そして、闇夜の中に四人は消えた。

 残されたのは魔法によって強制的に眠らされた警備隊の面々とアクト達だけ。

 数分前まで、ここで激しい戦闘があった事が嘘のように静まり返っている。

 眠る彼らの表情は強制的に眠らされたことによる影響なのか、それとも抵抗の現れなのか、苦悶の表情をしていた。

 しかし、金髪直毛の青年ひとりだけは、まるで赤子が眠るかのように、穏やかな表情で目を閉じていて眠っていた・・・

 

 

 

 しばらくしてアクトが目覚めたのは警備隊の詰所だった。

 目は覚めたものの、まだ意識がぼんやりとする。

 話しを聞けば、どうやら自分が一番目覚めるのが遅かったようだ。

 なかなか目覚めないこと、そして、自分が魔法で眠らされたことに親友であるインディとサラは大変驚き、心配もしていたようだが、とりあえず、もう大丈夫だと言うアクト。

 そんな彼の元に警備隊の隊長がやって来た。


「アクト、目覚めたようだな。大丈夫か?」

「ロイ隊長、ありがとうございます。もう大丈夫です。隊長こそ、大丈夫ですか?」


 ロイ隊長と呼ばれる巨漢は肩と顔を擦り剥く怪我をしており、包帯で応急処置をされていた。

 黒装束の男達と戦い、最初に飛ばされて宙を舞ったのがこの人だったからだ。


「こんな事は日常茶飯事だ。怪我のうちに入らん。すぐに治る」


 ロイ隊長はフンと鼻息交じりに自らの怪我など無かったように一蹴する。

 自分の身体の頑丈さには絶対の自信があるこの人は本当になんとも無いようであった。


「それよりも、あの時に起こった事を聞かせて欲しい。どうやらあの場に居合わせた中で君が一番長く耐えられたらしい。魔法を使った人物がどんな奴だったか解るか? 他の奴等は自分に魔法をかけられた相手を認識する前に眠らされてしまったからな・・・」


 そう言うとロイ隊長は椅子にどかんと腰をかけて、口をへの字に曲げた。

 自分達が手玉に取られたあの忌々しい記憶を思い出したからだろうか・・・

 アクトはロイ隊長の要請に応えるため、しばらく目を閉じて額に手をやり、記憶を整理する。

 そうして、数刻の沈黙の後、アクトは次のように答えた。


「白い・・・女でした。白いフード付きのローブを着て・・・白銀の仮面を被った・・・女性で・・・瞳の色はエメラルドグリーンだったか・・・」


 アクトはいろいろと思い出しながら、断片的な情報を拾い集める。


「銀色の真っすぐな長い髪をしていて、透きとおるような白い肌でした。甲高い声・・・いやそうじゃなかったのかも知れない。でも頭に直接響くような印象的な声をしていた」


 断片的に思い出される彼女の印象を口にするアクト。


「そして、とても美・・・いや、これはなんでないです」


 美人だったと言おうとして、これは答える必要ない、と直後に思いつき、口を噤む。

 この場ではそんな事を言うと、なんとなく不謹慎になるような気がしたからだった。

 しかし、アクトの話を黙って聞いていたロイ隊長はウムと頷き、確信を得た表情に変わる。


「なるほど。ありがとうアクト。よく解った。どうやらその特徴から、我々がしてやられたのは『白魔女』で間違いない」

「白魔女!」


 アクトは驚き、座っていた椅子から立ち上がる。


「そうだ。『月光の狼』という自称義賊団に協力する凄腕の女性魔術師。ここ数ヶ月、巷でも噂になっている、アレだ」


 確かに彼女の存在は噂になっていた。

 すべての属性の魔法を使い熟す謎の女性魔術師。

 しかも、使う魔法はすべて達人レベルの凄腕。

 全身白ずくめの装いで、目立つこと事この上ない恰好をしているが、誰も彼女を捕まえる事ができていない。

 神出鬼没で、現れたかと思うと颯爽と大魔法を駆使し、そして、パッと姿を消してしまう。

 それは夜であっても昼であっても同じ事だった。

 魔法を放つ速度も超が付くほどに速く、場合よっては無詠唱で魔法を行使できる、とも言われている。

 無詠唱で魔法を使うことは理論的に可能らしいが、それを実現する魔術師となると、この帝国広しと言えども一握りの魔術師しか存在していない。

 その一握りの存在とは一般人とかけ離れた老練な魔術師達であり、一生をかけて魔法の鍛錬をしないと到達できないような達人ばかりらしい。

 白魔女のような若い女性魔術師が簡単にできてよい技では無いのだ。

 さらにこの白魔女は顔半分を仮面で覆う謎の女性であることも相まり、巷でいろいろな噂が囁かれている。

 どれも酒場の席で語られるような、本当なのか嘘なのか解らない噂話の類ではあるが・・・

 その中でもアクトは『絶世の美女だった』という噂は本当なのかも知れないと思う。

 いろいろな思いを巡らすアクトだったが、そんな彼には構いもせず、ロイ隊長は今回の事件の総括を口にする。


「となると、黒装束の奴らは『月光の狼』で当たりだな・・・残念だが今回は我々の負けだ。本当にしてやられた。仕切り直しだっ!」


 そう言うとロイ隊長は立ち上がり、顔をパンと叩く。

 悔しさを心に滲ませていたロイ隊長の姿はこのパンと叩く一瞬前までの事であり、それ以降は精悍な姿に戻る。

 自ら顔を叩くことが何らかの儀式だったのか、それで気持ちを切り替えて次へと進む事ができたようだ。


「今晩はご苦労だった。もう上がってくれ」


 ロイはアクト達にそう言うと、椅子から立ち上がり、戸口に立つ警備隊の見習い隊員へ指示を出す。


「アクト達三人の実習生はもう帰らせてやれ」

「ハッ」


 敬礼する若い見習いに倣いアクト達も了解を示すように頭を垂れる。

 これは帝国式の敬礼であった。

 ロイ隊長も後ろ手に軽く手を挙げて彼らしく返礼すると、大股に歩き部屋から去っていった。

 

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