第一章 学園都市ラフレスタ
第一話 追われるもの
ここはラフレスタ。
エストリア帝国の帝都近郊にある城壁都市のひとつ。
広大な城壁に取り囲まれた中には約七万人の市民が暮らし、この世界では大都市に分類される都市である。
昼間ならば喧騒と活気に溢れる街の表通りであるが、今は深夜の刻。
誰もが寝静まる時間帯のため、通りを行き交う人はほぼいない。
今宵はふたつある月も空に現れていないため、夜の闇が完全に街を支配している。
季節は初夏であり、湿り気を帯びた優しい風が薄暗い通りに流れる中、突然、静寂を破る甲高い笛の音が響いた。
ピィー!ピィー!
警告を示す笛の音を背に薄暗い街の片隅を全速力で走る男達の影が三つ。
そして、その男達の少し後ろから彼らを追い駆ける集団。
「こら待て!止まれ!」
彼らを追う集団は一様に先に進む者達に静止を呼びかけるが、追い駆けられている側の黒ずくめの男達はこれに従うつもりは無い、ただひたすらに暗い街道を全力疾走する。
この全身黒ずくめで頭部まで布で覆われた衣装を着た彼らはいかにも盗賊という姿である。
顔の殆どを覆われて表情は解らないものの、僅かに隙間から覗く目からは焦燥の色が見え隠れする。
明らかにこの状況に陥ったのは彼らにとって不本意であったが、それでも男達は諦めず、器用に闇夜の街道を全力で駆けていく。
そして、この盗賊三人を追い駆けるのはこの街の警備隊である。
ラフレスタという街の治安維持を職務に、現在進行形で忠実にこれを実行している。
「こら! 待てと言っているんだ!」
警備隊の先頭のひとりが声を張り上げて、金属製の軽装鎧をガチガチと鳴らしながら警告する。
右手に警ら棍棒、左手にランプを持ちながら、賊を逃がすまいと走る彼ら。
盗賊団との距離をつかず離れず追い駆ける。
警備隊の装備は比較的軽装であるが、それでもそれなりの重量のある鎧を着込んでいる。
そんな状況で全力疾走できたのは普段からの彼らの訓練の賜物と言えるだろう。
そして、その警備隊の後ろに少し距離をおいて息を上げながら走る平服姿の若い男二人と女一人がいた。
背丈は前方を走る警備隊達とそう変わらないが、顔に幼さがまだ十分抜けきれない青年達。
三人とも支給された警ら棍棒とランプを揺らしながら全力疾走をしているが、少しずつ前方の本職警備隊集団と距離が離れつつある。
それでも離されてなるものかと必死の形相で走る彼ら。
もし、太陽の昇る昼間に彼らの顔を見ることができたのならば、顔は真赤に染まり、必死の形相をしているのが誰にでも解っただろう。
追跡を始めてから既に十分以上の時間が経過しており、一般人ならば、とうに根をあげていいレベルである。
本職である警備隊の人間は当然だとしても、こんな追跡劇になんとか追従できている彼らも本来ならば称賛されて良いのだ。
しかし、現実を冷静に受け止められないのは若さ故か、先頭を走る青年は苛立ちに耐えかねて思わず口から悔しさの言葉が漏れる。
「ハァ、ハァ、ハァ。ちくしょう!」
その後ろを走る別の青年も何かを言おうとしたが、口から言葉を発する余裕もなく、そのまま走る事に没頭している。
そして、一番後ろを走る女性は体力の限界が近いのか、次第に距離が開き始めていた。
「・・・アクト、待ってよ」
彼女はそう発してみたものの、前のふたりから言葉が返ってくる余裕も無い。
結局、走り続ける羽目になる・・・
女はもう限界か?と思っていたが、急遽、追跡劇はここで終焉を迎えることになった。
貴族街外れの大通りを右に曲がったところで、細い路地に入り込んだ三人の黒装束達が急に立ち止まったからだ。
何故ならば、向こう側にも別の警備隊が待ち伏せしており、自分達は挟み撃ちにされた形になっていた。
「投降せよ」
警備隊の隊長クラスの男が黒装束の三人にそう促すが・・・
黒装束からは「・・・」無言の返答。
無言は拒絶の意思と判断した隊長は警ら棒を彼らに向けて詰め寄って行く。
「ハァーッ!」
豪快な掛け声と伴に隊長は黒装束の男を叩きのめそうとした。
しかし、相手はそれをスラリとかわし、当たることはない。
それは攻撃した方の隊長も予想していたのか、更に次の攻撃、次の攻撃と、次々と追撃をかける。
ブンブンと轟音を上げて棒が空を切る中、やはり攻撃は全てが当たらない・・・
黒装束の男は凄まじい見切りと俊敏さを以ってすべての攻撃を回避していた。
驚くべき身体能力だが、警備隊としても感心してばかりはいられない。
このままでは埒があかないと判断した隊長の部下数名がその攻撃に加わることになる。
攻撃の数が増す事で、黒装束の男達は遂にかわし切れなくなり、いよいよ殴打されるか?と思ったところで新たな行動に出る。
「ギン」という甲高い音とともに隊長の警ら棍棒が跳ね返されたのだ。
警備隊に支給されている警ら棒は特別製であり、木の軽さと金属並みの硬さを持つ武器。
それは硬化の魔法が施された代物であり、金属製の剣とも対峙可能な武器であったりする。
殺傷を目的とするものではなく、相手を無力化して捕獲する武器としては最適の逸品。
しかし、それは相手の持つ武器が通常の場合であるという前提であり、現在の隊長は身を以って今回の異常さを理解させられることになる。
「魔法の剣か! 賊のくせに高級品を持っていやがるぜ!」
忌々しく愚痴る隊長。
黒装束の男は言葉を発しないものの、覆面から覗く目は少し細める形になり、まるで自分の武器を自慢するかのような身振りを示す。
そして、次の瞬間、何かが爆発して、隊長が吹き飛ばされて宙を舞う。
巨漢と言っても差しさわりのない隊長だが、その巨体がいとも簡単に吹き飛ばされて、空宙で一回転し街道に頭から落下したのだ。
不意打ちに近い攻撃を喰らった隊長は、これで一瞬のうちに気絶させられてしまう。
その光景を他の警備隊員達は、何かの幻想を見せられるように唖然と眺めていたが、すぐに気を取り戻した副隊長が声を大きく荒げる。
「気を付けろ。よく解らない魔道具を使われたようだ。もう、殺す気で確保するしかない」
そう言い放った彼は警ら棍棒を捨て、腰に付けた長剣を抜く。
他の警備隊員達もそれに従い、持っていたランプも捨てて、両手で帯剣し、黒装束の男達と対峙することになる。
対する黒装束達も懐に隠し持っていた短剣を完全に抜き放つ。
ここで黒装束の男達が持つ金属製の短剣の刃が闇夜の中で青白く淡い輝きを見せた。
暗闇の中でも目立つ青色の輝き。
それは素人でも『これが魔法を帯びた武器である』と解るほどの誇示である。
青白い輝きが増すほど強い魔力が付与されていると言われるが、目の前で輝いた青白い光を見た警備隊員達は、今まで見た中で最も青白、強い輝きを持つ魔法剣・・・それだけで強力な武器であると認識し、驚きを隠し得ない。
凄まじい魔力が付与されている事の証しだが、しかし、この程度で臆するようではラフレスタの警備隊としては務まらない。
「憶するな! たたみこめ!」
副隊長のそんな号令が合図となり、黒装束の男に正面と後方から警備隊は襲いかかる。
そして、事態は一機に乱戦となった。
剣と剣の打ち合う音が響く中、それを遠巻きに見る三人がいた。
先程、必死の形相で警備隊に追従していたアクトとインディ、サラという名前の三人の青年達である。
基本的に彼らは戦闘の参加は許されていない。
彼らの本職は学生であり、『警備隊の補助』というのが、現在の彼らの任務だったからだ。
ラフレスタ高等騎士学校に所属している彼らは、現在は職業実習生という名の授業の一環で参加しているだけであり、たまたま今回の事件に遭遇しただけなのである。
実習生の主な役割としては、警備業務の補助であり、今回の黒装束の盗賊に関しても、とある貴族の邸宅の敷地から出てくるところを偶然彼ら三人が発見し、警備隊の本職へ通報し、そして、現在に至っている。
戦闘が始まれば、彼らは基本的に待機を維持し、他の部隊への連絡が任務なのだ。
まだまだ騎士の卵で、学生の身である彼らは、技量、体力伴にも半人前であり、授業中に無駄な死傷者を出さないための処置でもあった。
先程の追跡劇でも実力の差を嫌と言うほど味わった三人であったし、追跡の疲労がまだ抜けないことも幸いして、今は規則どおり待機の状態を守っていた。
「アクト・・・奴らが、噂の月光の狼なのかな?」
そう呟いたのは三人の中で一番背が高く、ブラウンのくせ毛から形の良い目や鼻を覗かせているインディという名の青年であった。
「その可能性が高いと思っている。そして、噂に違わず、すごい使い手のようだな」
険しい表情を崩さずにそう答えたのは金髪直毛で碧眼の青年アクト。
乱戦の中、黒装束の男達は常に二・三人の警備隊を同時に相手し、そして、ほぼ互角に立ち回っていた。
冷静に立ち回る彼らに対して警備隊達は十分に攻め切れず、数の力を以ってしても戦闘状態は均衡を保っていた。
二十人近い警備隊と互角の勝負ができる三人の黒装束の男達は、それだけでも凄腕だと言えるだろう。
しかし、これに異を唱える存在がひとり。
「いや、この状況は長くは持たないと思うわ。すごい速度で魔素が動いているから、あの男たちは何らかの魔道具を使っているんでしょうね」
小柄で赤毛の女性であるサラはそう断言する。
「このまま進むと魔力切れになるわよ。常人ならば、持ってあと五分ってところね」
クリクリとしたかわいい彼女の目は現在、目の前で繰り広げられている男達の戦いに向けられていた。
「それはどういう事だ?」
アクトの質問に対してサラは淡々とこの状況を解説する。
「黒装束の男達は魔法の力を持つ補助道具、つまり、魔道具を使って体力や攻撃力の底上げをしているみたいね。彼らは詠唱もしていなかったし、魔法発動のきっかけも感じられなかったから、きっと特殊な魔道具を使い魔法を常時発動させているのだと思う。で、さっきも言ったけど、その魔素の使われ方が尋常じゃないのよ」
「さすが魔法に詳しいサラだな。俺はその辺のことが苦手だから、全然解らないが・・・」
アクトはサラが持つ魔法の分析能力を今更ながらに賞賛する。
この世には魔法と呼ばれる神秘の力があり、それを駆使する事で人間は一時的に驚異的な力を発揮できるのだ。
勿論、誰もが魔法を使える訳ではないが、魔法を操作する力、すなわち魔力は一部の人間を除き、大なり小なり誰もが持つ力だと言われている。
サラはその魔力と魔法の元となる魔素の流れを分析する能力に秀でており、現在もその才能が発揮されているのだろう。
「黒装束は剣と腕輪、あと・・・首元あたりの小さい光、ネックレスかしら? そこから大量の魔素の活性が感じられるわ。これ程となると・・・常人ならば五分と持たない。でも・・・」
ここで、サラは今ここで起きている現象に対して違和感を感じはじめていた。
現在ここで使われている魔素の消費はとても大きいが、それに対し発現させている現象が控え目過ぎると思う。
既に大魔法を何発も打てるような魔素の動きがあるにもかかわらず、目の前で起きている現象は剣の攻防ぐらいであり、大きな事に使われていない。
確かに黒装束姿の男達の動きは凄まじく、これに魔法が使われているのは事実だろうが、それにしても・・・何か言いようのない不自然さを同時に感じていたのだ。
何か見落としているような・・・もっと大きな事が起こっても不思議ではないぐらい。
しかし、彼女の感じた違和感がその口から漏れる事は無かった。
それは自分が口を開くよりも早く戦いの均衡が破られ、戦闘に終結が見えてきたからである。
警備隊のひとりが偶然にも黒装束の剣を弾き、青白い魔法剣は宙に舞う。
「あっ」と呆気にとられた黒装束の顔面に警備隊員のパンチが炸裂し、ひとりが崩れ落ちた。
「ベン!」
別の黒装束の男が気絶させられた男と思わしき名を叫び、崩れ落ちた相棒に注意が向いたが、それが隙となり、別の警備隊員の容赦のない蹴りをまともに浴びて身体が飛ばされる。
「ぐっ!」
飛ばされた男は別の黒装束の仲間に当たり、そして、折り重なるように倒れてしまう。
そこに別の隊員が雪崩れ込み、靴で剣を蹴り飛ばし、その腕を切り落とそうと剣を突き立てた。
寸でのところで、黒装束の男は横に回転してそれを回避し、もう一人の仲間を引き寄せて、始めに剣を飛ばれたひとりの元へと集結する。
身を寄せた三人の黒装束に対し、警備隊副隊長の男は口を開いた。
「ここまでのようだな。ここは大人しく投降してもらおう。これ以上反抗すると、本当に死ぬ事になるぞ。この盗賊めが!」
「・・・」
対する男達は無言。
それを見た副隊長はこれ以上の問答は無用だと悟り、隊員たちに包囲を命じる。
ゆっくりと確実に包囲網が狭ばめられて全方位から警備隊が押し寄せる。
「もはや、ここまでか・・・」
黒装束の男がそう呟いた。
少し離れていたところでその光景を眺めていたアクト青年達もこれで今夜の捕物は終結を迎えるかと思いはじめた時、事件が起こった。
パタリ、パタリ。
それは何の前触れもなく包囲していた警備隊達が倒れはじめたのだ。
まるで操り人形の糸を切ったようにひとり、またひとりと、ひとりと・・・
そして、アクトは気付く。
自分達が走って来たとは別の方向から誰がやって来る事を・・・
闇の中から現れたそれは白いローブを来た人。
すらりすらりと優雅に歩く、まるで自分は何も恐れるものが無いと言ったような態度で、こちらにやって来た。
全身が細くて華奢な人間だったが、高い身長と相まって気品ある者のようにもアクトは思えた。
臀部や腰のくびれ、胸部の膨らみから、その人物が女性であると判断できたが、しかし、そこに女性の持つ弱さなど一遍も感じられない。
フードに覆われた頭部からは白い肌とピンク色の唇を覗かせ、自分達に少し微笑んでいるようにも見える。
突然の女性の登場に意識を奪われていたアクトだったが、気が付くと警備隊達は全員倒れてしまっている。
後ろを振り返ると、自分の相棒であるインディとサラも同じように倒れていた。
どうして? と、一瞬、この状況が呑み込めずに混乱するものの、視線を感じて再び正面に向き直ると、そこにいたローブ姿の女性と正面から目が合う。
彼女のエメラルドグリーンの瞳からは強烈な妖しい光がアクトに放たれる。
それを見たアクトは、まるで全身が金縛りにでもあったように何もできず、言葉も発せられなくなった。
彼女の目に自分の意識さえも吸い込まれるような感覚になるが、寸でのところでグッと堪えるアクト。
果たして何かの魔法を使われていたのだろうか?
アクトに詳しい事は判別できなかったが、彼は意識を失うことは無かった。
それでも蛇に睨まれた蛙のように身動きのできないアクト。
その元にゆっくりと彼女が近づいて来た。
そして、すぐ目の前までやってきて彼女はフードを外す。
そこでアクトは息を呑んだ。
ローブの奥から姿を現したのが、絶世の美女だったからだ。
その美女はアクトに語りかけてくる。
「あらあら・・・たまにいるのよね。こういうのが・・・」
透き通るような甲高い声がアクトの脳に直接響き、彼のいろんな部分を刺激した。
本当は甲高い声ではなかったのかも知れない、と後日彼は思い直したりもするのだったが、今はそれどころではない。
彼女の顔を見た時の衝撃が半端ではなかったからだ。
フードの奥から現れた彼女は、切れ長のエメラルドグリーンの瞳を宿した美人だった。
そして、その目元から鼻にかけての部分は白銀の仮面で覆われていたのだ。
彼女は顔半分を仮面で覆われていたが、それが露出した一部の白い素肌をより美しく強調する演出のように、高い鼻、ピンク色の唇、形の良い顎、そして、銀色の流れるような真直ぐの髪が、まるで美しい布を伸ばしたように頭頂部から仮面の周りを経て、フードの奥に消えていた。
魅惑的な美しさが醸し出ている女性。
今にも折れてしまいそうなその細い首も全てにおいて不自然さはなく、どこかの神話に出てくる美の象徴のようにも思えた。
自分はそんな彼女に見惚れているのだろうか・・・アクトは一瞬心の中でそう自問したが、次の瞬間、そんな疑問なんてどうでもいいと思うようになる。
そんなアクトを見た彼女は友好的な微笑みを浮かべながら口を開く。
「それでも・・・貴方は敵なのよね」
彼女は諦めたように手をパラパラと左右に振る。
「もう、お休みなさい。私好みのハンサムさん」
そう言うと彼女は自分の左手の人差し指をアクトの額に当てて、トンと押しやる。
その直後、アクトは耐え難い眠気に襲われ、意識が急速に遠退く。
本能的に激しく抵抗しようと試みるが、抵抗すればするほどに深くて甘い魅惑に蝕まれる感覚に支配されていく。
どこまでも深く、どこまでも深く・・・意識が混濁してアクトの意識は深い井戸へと落ちて行った。
最後にアクトは再び目を開けようと試みたが、それが叶う事も無く、地面に優しく崩れ落ちてしまう。
アクトの意識が深い闇にどんどん落ちて行く最中、優しい何かで顔を撫でられるような気もしたが、それが何かを確かめる術は彼にはなかった。
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