亡者たちのコロニー

神田新世

第1話 ゲートを越えて①

 目的地へたどり着くのには、そう時間はかからなかった。通勤ラッシュといえども、その駅で降りる人間は決して多くない。


 こうなることを見越して出入り口付近を陣取っていた彼は、ドアが開くと同時に小動物のようにするりと抜け出し、人もまばらなホームを案内図だよりによたよたと歩いていく。


 やっとの思いで外へ出ると、小さなロータリーにタクシーが一台だけ停まっていた。学生が利用するであろう駐輪場は閑散としていて、ますます人気のなさを感じる。腐っても首都近郊だというのに、この寂れようはなんだろうか。


 周囲を見渡し、すぐに目的地の方角にあたりをつける。地図など確認しなくても、目印はそこかしこに散らばっていた。

 

 『陸軍巡回中! ご迷惑をおかけします』

 『これより先への危険物の持ち込みは禁じられています』

 『偏見をなくし、共存社会を目指そう!』

 『異人による土地の不法占拠を許すな!』


 塀、電柱、シャッターと、鬱陶しいほどに張り付けられた注意喚起およびプロパガンダのポスター。そのごみごみしたスラムに似た景観のせいで、軍が駐留しているにも関わらず、ひどく治安の悪い場所のようになってしまっている。


 さながらギャングの縄張りにでも迷い込んでしまったような……今にも路地裏から荒くれ者が飛び出してきそうな雰囲気だ。ポスターどころか、身ぐるみまで剥がされてしまってはたまらない。なるべく早く通り過ぎようと、歩調を速めた。


 彼は家を出てから、緊張しっぱなしだった。というのも、今日は初めての出勤。全国の新米社会人にとって、今後の展望を占う重要な日だ。似合わないスーツ、履き慣れない革靴、重いビジネスバッグ。まさか自分がこんな格好をする日が来るとは……と、いつの間にか相応に歳を重ねていたことに感慨深くなる。


 そうして道なりに進んでいくと、途中で大きな立て看板が見えてくる。


 『この先検問所』


 ここだ。彼はその、一般人にとっては警告文にも映る掲示に従い、建物の角を右へ曲がっていった。するとそこで、奇妙なくらいふっつりと家々の波が途切れて、さらに先には圧巻の光景が広がっていた。


 それは壁だった。長く、長く……円を描くように一帯を囲い込む、高い石壁。なまじ規模が巨大なため、それ自体に迫力はあっても、見る者を惹きつける意匠や装飾の類は一切なく、ただただ部外者の侵入を阻むためだけに造られたことが容易に察せられる。


 そして手前には、軍が営む検問所……ゲートが敷かれていて、周辺を兵士たちが巡回していた。あそこへの立ち入りを監視するためだけに、人員を割いているのだろうか。蟻の這い出る隙もないというのは、まさにこのことだ。


 そんな砦とも、監獄ともつかない様相を呈しているものの、壁の内側には外の物々しい雰囲気とは真逆の、一棟の近代的な高層ビルが屹立しており、それがいっそうこの場所の特異さを際立たせていた。


 生唾を飲み込む。なにを隠そう、あのビルがこれからの勤務地になるのだ。この様子だと、通勤するだけでも一苦労しそうだ……そんなことを考えながら、外観を眺めつつ歩いていく。


 それにしても、この柵と標識しかないだだっ広い道路は、いったいなんだろうか。周辺には空き地が広がっているだけで、建造物の類は一切ない。あちらとこちらを隔てる境界線ということか、あるいは戦車や装甲車が走るから、このように広くスペースを取っているのか。これだけ見通しが良いと、見つからずに向こうへ近づくのは不可能だろうし、これも一つの防衛策なのかもしれない。


 とはいえ、こうして歩いているだけでも、目立ちすぎるほどに目立つ。遮蔽物の一切ない場所を進んでいくというのは、想像以上に不安をかき立てられるものだ。ましてや前方には軍隊がいるのだ……あそこから、こちらの動向を観察しているに違いない。例えやましいことがなくても、じっと見ていられるのは気分が良いものではない。思わず立ち止まって、萎縮してしまいそうになる。


 しかし、自分はただのサラリーマンだ。明らかに出勤途中であるスーツ姿の人間を、ことさら怪しむこともそうないだろう。怖がることはない、大丈夫、大丈夫……。


 そうして無事、ゲート前まで到着した。意外とあっさりしたものだった。軍人たちが止めに入ったり、警告を発される様子もなかったので、思ったより警備はきつくない。武装勢力ゆえの余裕だろうか、それとも……。


 「あの~。ここ、通りたいんですけど」


 彼がそう呼びかけると、こぢんまりとした守衛室の窓が開き、女が顔を出した。刺すような切れ長の目に、きっちりした軍装。ただの受付というわけではなく、紛れもない軍人だ。彼女は無感情にこちらを見ると、即座に言い放った。

 

 「帰れ」

 「ふぁっ!?」


 開口一番に回れ右を命令され、出端をくじかれた彼はずっこけそうになった。


 「えっと……ボク、向こうに用事があるんですけど」

 「帰れ」


 この取り付く島もない感じ……イメージ通りの軍人だ。彼は内心ムッとしたが、ことを荒立てても仕方がない。


 「ほら、よく見てください。ボクのこの恰好を」

 

 真新しいスーツとビジネスバッグを見せつけ、自分がサラリーマンであることをことさらアピールする。


 「制服だな」

 「ええ、そうです。スーツはビジネスマンにとっての制服!」

 「うむ。だから帰れ」


 しばし沈黙が流れる。微妙に会話がかみ合わない。これはもしかすると、ひどい誤解を受けているのかもしれなかった。


 「……大変恐縮ですが、外見だけで人を判断してませんか?」

 「そんなことはない」

 「じゃあボクはどんな人間に見えます?」

 

 その問いかけに対して、ある意味予想通りに即答してくれた。


 「クラスに馴染めず引きこもってはいるが、たまには登校しなければまずいと危機感を抱き、できれば普通の生活に戻りたいと願って、母親に家の外まで見送られ、勇気の一歩を踏み出したが、踏ん切りがつかず途中で帰ろうか悩んでいる、卓球部所属の中学生」

 「ちが~~~う!!!」


 やはりそうだった。余計なお世話だ、と言いたくなるぐらいとても具体的な答えではあったが、なにもかもが間違っている。


 「なにがだ」

 「中学生じゃないです!」

 「では小学生か」

 「小学生でもないです!」

 「ふむ……」


 女は守衛室から出てくると、思案顔で彼の全身をまじまじと見つめる。


 「?」

 「? じゃないですよ! 社会人ですって!」


 もうお手上げ、とでも言わんばかりに首をかしげられると、さしもの彼も傷つく。もしかして本当に学生時代の制服を着てきてしまったのではないかと、一瞬不安になったが、どう見ても紺のダークストライプ柄のスーツだ。

 

 「社会人」

 「そう、それ!」

 「……のコスプレ?」

 「社会人のコスプレをするのは、だいたい社会人じゃないですか!?」


 これ以上ない正論を突きつけたはずなのに、女はまだ納得いかない様子で腕を組んでいる。


 「君は何者だ、いったい」

 「だから社会じ……」

 

 堂々巡りに陥りそうになったところで、彼は気づいた。そうだ、身分証を提示すればよいのだ。というか、初めからそうするべきだった。ビジネスバッグを足元に置き、ゴソゴソ……。


 「動くな」

 「は?」

 

 顔を上げなくても、その警告と空気で分かった。自分は今、銃口を向けられている。途端、冷や汗がブワッと噴き出てくる。


 「なにをするつもりだ?」

 「あ、み、身分証を、お見せしようと……」

 「そのままでいろ」

 

 言われた通り、しゃがみこんだままの姿勢でいると、ビジネスバッグをサッと取り上げられた。


 「ついでだ。荷物の検分もさせてもらう」

 

 そう言って、中身を次々と取り出していく女。名目上、民間人のここへの立ち入りは自由ではあるが、軍の警戒区域であることに変わりはない。不用意な行動をとれば、こうなるのは当たり前だ。必要以上に恐れることはないが、気を抜きすぎてもいけない……そんな場所であることを痛感する。


 「身分証は財布の中か?」

 「は、はい」

 「それと、もう身体は楽にしていいぞ」


 許可を得られたので、深く息をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。ゲート付近ではポケットに手を入れたりするのも、やめておいたほうがよさそうだ。


 「ふむ、これか」


 そうして見つけた保険証を、凝視する。そこに書いてあることこそ、紛れもない真実だ。これで誤解も解けるだろう。


 「君の氏名は新井風太。間違いないな?」

 「はい」

 「年齢は二十三歳」

 「はい」

 「……二十三歳?」

 「はい」

 「訂正する。十三歳」

 「国が発行した公文書を訂正しないでください」

 「誰にでも間違いはある」

 「なんでそこだけ寛容なんですか!」


 彼……風太は頭を抱えた。公的書類を見せて信用して貰えないのならば、いったいどうすればよいというのか。


 「む、これは……社員証?」

 「あの会社のですよ」


 先日、書留で郵送されてきたものだ。なんでも、カードキーの役割も果たしているらしい。


 「なるほど。氏名は一致するな」

 「年齢も一致してますって」

 「まあ、いいだろう」


 得心がいった様子で頷くと、広げた荷物をしまい込んで、あっさりとビジネスバッグを返してくれる。それは良いのだが、結局、年齢の問題をうやむやにされたようで、悲しくなった。


 「人間の社員を見るのは、君が初めてだよ」

 「え、それって……」


 そう言いかけたところで、背後から男の声が届いた。


 「おっ、織姫様。子守りとは珍しいことで」


 上がり調子でそう言いながら現れたのは、ちょうど巡回から帰ってきたらしい軍人だった。


 「来訪者に対して失礼なことを言うな」

 「あなたがそれ言います?」

 

 相手が軍人でなければ、ついでにチョップも食らわせていたところだ。


 「失礼もなにも、どう見てもお子様じゃないの。言うなれば……」


 男は無遠慮にも言葉を続けた。


 「クラスに馴染めず引きこもってはいるが、たまには登校しなければまずいと危機感を抱き、できれば普通の生活に戻りたいと願って、母親に家の外まで見送られ、勇気の一歩を踏み出したが、踏ん切りがつかず途中で帰ろうか悩んでいる、卓球部所属の中学生」

 「しつこ~~~いっっっ!!!」


 風太は怒り心頭で、たった今しまわれたばかりの財布を再び引っ張り出し、乱暴に身分証を押しつけた。こんなシンクロニシティがあってたまるものか!

 案の定、男もまた目を黒白させて、風太の人となりを訝しんでいる。とはいえこんな反応にも、すっかり慣れたものだ。 


 「一応訊くが、お前さん、これ偽造書類じゃないよな?」

 「正真正銘、本物です」

 「まあ、そうなんだろうよ。でもこれは、その……にわかには信じがたいな」

 

 彼の言うことも理解はできる。それが普通の反応だ……残念ながら。


 「聞いちゃ悪いかもしれないけどさ。いつ頃からそうなんだ?」

 「小学五年生ぐらいですね」

 

 風太は頭のてっぺんに掌を乗せて、在りし日に思いを馳せた。


 当時は成長期真っただ中。小学生の頃は女の子のほうが背が高かったりもしたが、中学へと進級すると、その差はあっという間に縮まり、逆転していく。周りがみな、たくましい大人の身体へと成長していくなか……たったひとり、自分だけが、子供体型のままだった。


 努力はした。しかし遺伝子には限界がある。努力では、持って生まれたものは変えようがないのだ。今となってはこれも、個性の一つ。そう信じて日々を生きている……というか、信じないとやってられない!


 彼は新井風太、二十三歳。身長にして約百三十六センチ。とってもミニマムな成人男性なのである。


 「……まあそれはそれとして、だ。珍しいのは身分もか」

 「人間の社員が、ですか?」

 「ああ。ここを通るのは、物資の搬入ドライバーか外交官ぐらいなもんだ」


 そうだったのか。それほど人間というのは、あちらでは稀少な存在……。単に外国へ行くのとは、わけが違うということらしい。


 「まさか、向こうに住み込むってわけじゃないだろ?」

 「ええ、電車通いです」

 「そうだよな。俺たちは交代で守衛に立ってるから、これからはちょくちょく顔を合わせることになりそうだな。ひとつ、よろしく頼むよ」

 「こちらこそ」

 

 男は気さくに笑いかけてくる。いっぽう女はというと、仏頂面で会話を見守っているだけだ。なんだか対照的なふたりだった。


 「んで、彼女はいんの?」

 「え?」

 「彼女!」

 「……いませんけど」


 悲しいかな彼の恋愛遍歴は、小学生でストップしていた。「いい人だけど、弟にしか見えない」が定番の断り文句だ。いくつもの酸っぱ苦い思い出に、顔をしかめた。


 「そうか、そうか。なら同士ってわけだ。お互い、頑張っていこうぜ。なあ、織姫様」

 「は? 知らん」


 なぜだか男は嬉しそうに、わざとらしく女へと話題を振るが、にべもない反応だ。

 

 「くくっ、そうだよな。頭にあるのは、メシと筋肉のことだけだもんな」

 「銃もだ」


 メシ、筋肉、銃。軍人らしい趣味といえばそうだが……目の前の女は、体格的には普通に見える。だからといって、力比べで勝てるとは全く思わないが。 


 「もうちょっと色気づいて、遊ぼうよ。若さは取り戻せないんだから」

 「取り戻せないのは筋肉も同じだ。それに遊びは心得ている」

 「けっ、射撃場通いが遊びかい」

 「料理もだ」 

 

 なんだか二人とも仲が良さそうで、ちょっぴり羨ましくなる。これも軍隊行動で培った、特殊な仲間意識によるものだろうか。 

 

 「どうよ、お前さん……風太だったな。織姫様、素材は一級品だよな」

 「え、どういうことですか?」

 「だから、顔だよ、顔!」


 そう言われて、自然と女の顔へと目が向いた。彼女はそっぽを向いているが……確かによく見ると、綺麗な人だ。不愛想なのも、それはそれで味があるというか。


 「まあ、美人だと思いますよ」

 

 すると、女はぴくりと反応する。


 「ありがとう」

 「は、はあ」

 「おいおい、俺には冷たくしといて、そりゃないだろ!」

 

 営業スマイル……とでもいうのだろうか。うっすら微笑んだ程度でも、表情の違いが見て取れた。


 「だが、顔よりも筋肉を褒めてくれると、もっと嬉しい」


 言うが早いか、彼女はするりと上着を脱ぐと、半袖から伸びる腕を見せつけてきた。その上腕から手首にかけて、しなやかでありながら、たくましさも兼ね備えた筋肉が、美しく実っている。


 「おお……さすが軍人さん。お見事です」

 「それほどでも」

 

 フッ、と息を漏らすと、先ほどよりも濃い笑みを浮かべたが……これはドヤ顔というか、悦に入っている表情だ。なるほど、これを自慢したくてウズウズしていたのか。お茶目なところもあるものだ。


 「俺ぁ心配だよ」

 「案ずるな、死なないために訓練をしているんだ」

 「そうじゃなくてねぇ」


 男は遠い目で、どこか残念そうにため息をついた。

 ふと時計を見ると、ここに到着してから十分以上が経過していた。話の腰を折るのも気が引けるが、そろそろ潮時だ。


 「あ、あの~。ボク、そろそろ行かないと……」

 「ああ……悪かったな、捕まえちまって」


 男は申し訳なさそうに手刀を切ると、女にアイコンタクトを送る。彼女が頷いたのは……通しても大丈夫だ、という確認のためだろう。


 「ここにサインをしていけ」


 女が一冊のノート……ゲートの通行記録を差し出す。風太は名前を書きながら、過去の日付を見た。最後のサインは、五日前……これだと守衛たちも暇だろう。男も話をしたがるわけだ。


 「初仕事なんだろ。頑張りなさんな」

 「は、はい」

 

 サインを終えると、立ち塞がっていた二人は道を開け、背中を叩いて送り出してくれる。そして機敏な動作で姿勢を正すと、風太に向けて敬礼を行った。


 「異人特区へようこそ。幸運を祈る」


 ゲートを越え、壁を越えた先になにが待ち受けているのか、彼には知る由もない。ただ一つ、はっきりしているのは……自分は人間である、ということだけだった。

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