第6話シュトラウス家攻防戦②
「逃げろおぉぉぉぉぉ!!!」
外からエミールの叫び声が聞こえると、二人揃ってその声に反応する。それと同時に玄関扉に大きな衝撃が走ると、軋みながらゆっくりと開き、一人の男が入ってくる。
「炎の魔女、アネット・シュトラウス・・・だな?もうわかっているとは思うが私は魔女狩りだ。貴様の命を貰いにきた。無駄な抵抗はするな。大人しく命を差し出せ。」
その男の発する冷酷な声と、目だけでわかる確かな殺意が二人の体を貫く。
エルウィンは十年生きてきて、今まで体験した事のないあまりの恐怖に自然と涙が溢れ、自分のズボンが湿っていく感触まではっきりとわかった。
アネットは自身が震えながらも、母親としての本能か、エルウィンを守るようにしっかりと抱き締めていた。
「一つだけ教えてください・・・。あなた達はどうしてこんな事をするんですか?私達魔女が、一体何をしたと言うのでしょうか!?」
覚悟を決めたのか、開き直ったかのように思った疑問を口にするアネット。
「どうして・・・だと?貴様ら魔女は存在が悪だ。魔法で人々の暮らしを豊かにしていると思わせ、その実世界を瘴気病で狂わしている元凶だろ?」
「そんな・・・統一政府直下の研究機関においても瘴気の原因が魔女である根拠はなく明確に否定されているはずです!」
「ならなぜ大気中の瘴気は増え続ける?瘴気病の患者はなぜ世界中で増えるのだ?貴様ら魔女がこの世にどういった理由で生まれてきたのかはわからぬ。だが瘴気が蔓延したのは貴様ら魔女が誕生し、その数が増えたからだ。大気中の魔素をその身に取り込み、魔法に変換するその特異体質・・・魔法を生み出した副産物として、まるで燃えカスのように魔素は瘴気という毒素に変わり、再び大気中へと放出される。どれも貴様の言うように根拠はなくとも理屈が通っているのはわかるだろう?貴様ら魔女は瘴気にやられんらしいな?その身体から排出してる毒物だ、それは当然の事。」
「違いますっ!そんなっ」
反論しようとするアネットを遮り語気を強める男。
「私の言った事が事実であったのなら統一政府がそれを認めると思うか!?今さら魔法のない世の中に戻るとでも?王族や貴族ら中央にいる豚ども程魔法の恩恵を受けているっ!民衆にしてもだっ!戻れるわけがない!!人々が魔法に頼る限りは瘴気で苦しむ奴らは今後も増え続ける・・・貴様はその子が瘴気病になったとしたら?僅かでも自身のせいで発病した可能性があったとしたら、これまで通りでいられるか?」
その問いにハッとして腕の中にいるエルウィンの顔を見て、何かを必死に堪えるように強く歯を噛み締め涙を一筋流すアネット。
「今こそ人類は回帰を果たさねばならん。魔法のない、自然と共にある本来の姿への回帰だ。そのために貴様ら魔女には犠牲になってもらう。もうわかっただろう?問答は終わりだ。」
そう言い放つと男は腰の剣に手をかける。
が、その瞬間、二人の話しを涙と鼻水が入り混じり恐怖に震えながらも黙って聞いていたエルウィンが、突然アネットの腕をふりほどき立ち上がると、勢いよく走り出し壁に掛かった父親の形見の剣を手に取り、鞘から引き抜くと震える手でその剣を男に向けた。
「それを私に向けてどうする気だ?」
「ダメよエルウィン!やめてぇ!!」
アネットは必死にエルウィンを制止しようと叫び声をあげる。
「お お お母さんを・・・ま 守るんだ!お母さんは、いつもみんなのために魔法を使って感謝されてるんだっ!魔女は、お母さんは悪くないっ!お前は嘘つきだっ!」
じりじりと男に剣を向けたまま、にじり寄るエルウィン。
「子供を殺す趣味はない・・・が、向かってくるなら誰であれ容赦はしない・・・」
男も剣を抜く。
「やめてくださいっ!エルウィンの命はどうかっ!!エルウィン!剣を捨ててっ!お願いっ・・・エルウィン・・・」
泣きながら崩れるように床に突っ伏すアネット。
「うわあぁぁぁぁーーー!!!」
エルウィンは叫びながら素早く斬りかかった。決して冷静ではいられない状況においても、身体は普段の訓練で動きを覚えている。
その攻撃を見て男は少し驚き、慌てて攻撃に備え構えた。子供にとっては自分の背丈程もあろうかと思われるサイズの剣を軽々と、それも並みの大人顔負けの速度で斬りかかってきたのだ。
キィィーーーン
剣同士がぶつかる高い金属音が響く。
「む・・・子供にしてはやるなっ!だがっ」
男は大人と子供の体格差を活かして、受け止めた剣を難なく押し退けるとエルウィンに向けて今度は自身から攻撃を仕掛ける。
力で押し退けられたエルウィンも素早くバランスを立て直し、男の攻撃をギリギリで回避した。
「ほう!これを避けるかっ!面白い子供だ!だがこれはどうかな?」
避けられた剣を男はそのまま切り返し再度避けたエルウィンに向けて間髪入れずに攻撃を繰り出す。エルウィンは攻撃を受け止めるわけにはいかなかった。先程の攻撃時もそうだったが、ハンスとの訓練で散々大人との力の差は痛感しており、鍔迫り合いは子供の自分には圧倒的に不利である事を理解していた。しかしそれと、同時に、今戦っているこの場所は家の中であり、室内の狭い環境は身体が小さく、小回りの利く自身に有利である事も知っていた。
(捕まったら終わりだっ!力で勝ち目がないなら動き回って攻撃回数を増やして隙を作るしかない!)
勝手知ったる自分の家の環境を利用し、立て続けに攻撃を仕掛けるエルウィン。
何度も斬り結ぶ内に、次第に冷静さを取り戻していた。目的はただ一つ、目の前にいる母親を殺そうとしているこの男を倒す事、ただそれだけ。今の自分にやれる事が明確になった事で、迷いのない動きに男も多少翻弄されていた。
(いける!この人は先生より強くない!絶対に倒してみせるっ!)
(なんという子供だ・・・身体の小さい事を利用して狭い室内を縦横無尽に動き回りこちらの隙をついて的確に攻撃をしてきている。こいつは・・・。)
互いの思いも剣を通じて交錯かのように、それぞれが錯覚するほど刃を交えただろうか?男の目付きが急に鋭さを増す。左目の傷はさらにその印象に拍車をかける。
「・・・なかなかやるな。だが遊びはここまでだ。」
エルウィンは一つだけ勘違いをしていた。
それはこの男の実力を見誤っていた事だ。
あくまで子供相手という事実は男に力をセーブさせていたのだが、エルウィンはそれがこの男の実力であると認識してしまった事で、本気を出した男の攻撃への反応が僅かに遅れてしまったのだ。
(さっきより早いっ!これは避けられない!)
回避が間に合わず咄嗟に剣によるガードを行うが、男の力で身体ごと吹き飛ばされ、壁に全身を強打する。
本来経験を重ねた者であれば、お互い様子見しているなどの駆け引きは自ずと身に付くのだが、経験不足がここにきて露呈する結果となった。
「うぅっ・・・なん・・・で・・・」
「やはり子供だったな。最初に見せたのが私の実力だとでも思ったのか?」
全身を強く打ち付けた際の大きな衝撃でエルウィンの身体は言うことを聞かない。
男は剣を抜いたまま近寄ってきて目の前に立つと静かに話し始めた。
「今でも並みの騎士ならば負けるかもしれん・・・確実に貴様は強くなる。それだけの才能を秘めてる。」
「・・・?」
男の発言の意図がわからず一瞬困惑の表情を浮かべたエルウィンだったが、次の言葉でそれはすぐにわかった。
「このまま成長した時には、将来我々の障害になるやもしれぬ。・・・だからここで死ね。」
その言葉とともに手に持っていた剣を躊躇なく振り下ろした。エルウィンは自分の死を覚悟したが、待っていたのは、それよりも残酷な事実であった。
エルウィンに覆い被さるように自分の身を盾にして男の凶刃から我が子を守る母親の姿がそこにあった。
剣はアネットの身体に深々と食い込んだ。
大量の鮮血が宙を舞い、その場に崩れ落ちそうになったが、エルウィンがそれを必死に支えて懸命に呼び掛ける。
「お母さんっ!お母さんっ!しっかりして!お母さぁん!!」
アネットは虚ろな目で呼吸も荒いながら、まだかろうじて呼吸をしており、血にまみれたその手で我が子の頬を撫でる。
「エル・・・ウィン・・・逃げ なさい」
「ちっ・・・順番が狂ったか。まぁいい。
どの道貴様も母親と一緒にここで葬ってやるわ。」
そう言って再び剣を構え振り下ろそうとしたその時、突然の人影が男も気付かぬ程のスピードで二人の間に入ると、瀬戸際でその剣を自身の木剣で受け止める。
「ハァッ ハァッ 悪い!エルウィン・・・遅れた!」
その姿を見てエルウィンは大粒の涙を流しながら大声で叫ぶ。
「ハ、ハンス先生えぇぇ!お母さんがっ!」
ハンスは雨に濡れた髪を左手でかきあげながら優しくエルウィンに微笑みかける。
「良く耐えたな、やるじゃねえかエルウィン。後は俺に任せろ。お前の無念は俺が晴らす!」
そう言ってエルウィンに向けた優しい笑顔はは今度はまるで鬼の形相になり男に向く。
「ここからは俺が相手だ・・・テメー自分が何やったかわかってるだろうな?手足切り落として動けなくしてから洗いざらい吐いてもらうから覚悟しろよ?」
「ハンス?なるほど・・・ハンス・スタイナーか・・・これは強敵だ、その木剣で私の手足が切り落とせるかどうかは別の話しだが、今ここで貴様とやるメリットがない。当初の目的は果たした。ここは消えさせてもらう」
そう言うと男は躊躇なく外に向かって走り出した。
「なっ!?逃がすかっ!!」
ハンスは後を追おうと動き出したが、横たわるアネットとエルウィンが視界に入った事で自身を戒め、追跡を中断した。
逃げ出した男は階段を下った所で倒れているエミールと二人の部下を見つける。
「ほう、まだ生きていたか?あの二人相手に・・・奴らは死んでいるようだな。貴様もまた強者だったか。だがその傷では助かるまい。私が手を下すまでもない。」
瀕死で辛うじて息だけはしているエミールにそう捨て台詞だけ残すと、雨の中の暗闇に消えていった。そしてエミールもまた、その最後の言葉を聞いたか聞かずか、何かを言いたそうに口をモゴモゴと動かすと、静かに目を閉じ、二度とその目を開ける事はなかった。
家の中ではエルウィンが母親を腕の中に抱きながら嗚咽しており、傍らにはハンスも自身が何も出来ない現状に苦悶の表情を浮かべ、エルウィンの肩に手を乗せて慰めるような仕草をしている。
アネットは最後になるであろう言葉を、今にも消え入るような声でエルウィンに伝えようとしていた。
「エル・・・ウィン・・・自分を責めてはダメよ・・・あなたは幸せに・・・・ゴ ゴメ ンネ 一人に させて・・・愛してるわ・・・エル・・・ウィン」
最後に涙は流しながらも子供に心配はかけまいと笑顔のまま、アネットはエルウィンの腕の中で30年という短い生涯を終えた。
「やだよ・・・お母さぁん・・・一人じゃ生きていけないよぉ・・・やだぁ!死んじゃ嫌だぁ お母さぁぁぁん!!」
慟哭がシュトラウス家の中を響きわたる。
降りしきる雨はまるでエルウィンの流す涙を表すように一晩中続いていたのだった。
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