色褪せて、なお‥‥‥。

鈴ノ木 鈴ノ子

いろあせて、なお‥‥‥。

 地域の今昔と銘打たれて、大学の写真クラブの作品が張り出されていた。

 何気なく見つめた川遊びの1枚に私達夫婦の視線は釘付けとなった。

 子供達数人の水遊びを撮影した白黒写真、その中に楽しそうに遊ぶ愛しい我が子が笑っていた……。

 

 その日は20年目の節目に当たる慰霊の帰りで近くにある道の駅へトイレを借りるために偶然に立ち寄ったのだった。

 冷えた車内から一歩外へと出ると蒸された大地の暑さが襲い来る。皮膚より湧き上がる汗とベットリと張り付く髪の毛の不快感さが、訪れている地域への思いも相まって、あの絶望の瞬間がフラッシュバックした……。

 

「行ってきます!帰ってきたら自由研究手伝ってね!」


「はいはい、気を付けてね、あ、写真撮るわよ。表紙にするんでしょう!」


 コンパクトデジカメ向ける、レンズ越しの弾けるような笑顔が眩しかった。

 夏休みに予約した青少年キャンプ、そのために今まではサボりがちな宿題を早めに終わらせた小学6年生の息子がバスに乗り込んでいった。私達は出てゆくバスの窓からこちらに手を振る息子を見送る。写真は帰ってきたら自由研究で使うからと本人たっての希望だったから、バスが出てゆくまでを何枚か撮影して、帰ってきたらどんな成長をしてみせるのだろうと楽しみに帰路へとついた。

 

 2日後の昼下がり、オフィスで仕事をしていた私のスマホが見知らぬ番号を表示していた。


「はい、松川です……」


 不審電話かと思い声のトーンを落として出る。相手側の背後はかなりバタバタしているらしく喧騒が酷かった。

 

『長野県警察飯田署の吉川と申します。松川翔太さんのお母さんでしょうか?』


「はい。私が翔太の母ですけど……」


『落ち着いて聞いてください。加沢川で土石流が発生しました。キャンプ場にいた皆さんが巻き込まれて現在捜索中です。至急、現地へお越しください。』


 電話の先で警察官から聞かされた言葉にその場へと崩れ落ちた。

 全身の毛が逆立つ、汗が吹き出て胸が締め付けられるていく。慌てて駆け寄ってきてくれた同僚の背後にあるテレビから、ニュース速報が白文字で同じ文言が流れてきて、それが夢ではないことを無情にも告げていた。

 

 山体崩壊による土石流は、キャンプ場のすべてを抗いようのない力で押し流して、すべてを土と岩の奥深くへと呑み込んで覆い隠してしまった。結局、キャンプ参加者と一般客のほとんどが発見されることすら叶わず、やがて還らぬ人へと認定されて多くの遺族は悲嘆の涙に明け暮れる結果となった。

 私達は贅沢だった。

 地区の公民館に数少なく並んだ棺の中に発見された息子の傷だらけの片腕が安置されていたのだ。

 力強くギュッと握りしめられていた泥だらけの名札が「僕だよ!」と叫んでいるようであったと、声を震わせ涙を浮かべて説明を下さった災害派遣の自衛隊員に深々と頭を下げて、その腕を胸元に搔き抱く、冷たいけれど息子の「ただいま」の温もりは確かに感じられた。

 私達は大切な息子を自宅へと連れ帰った。

 だが、荷物の欠片すら見つからず、発見を心の奥底から待ち侘びる関係者やご家族に対して強烈な後ろめたさが尾を引いて、私達は贅沢なのだと改めて思い知った。

 

 息子を荼毘に付したのちに、小さな骨壺を抱えて帰宅し、そして祭壇へと息子を座らせた途端、私達はようやく叫ぶように咽び泣いた。張り詰めた糸が途切れて感情の奥底から湧き出でる悲しみが追いついたからだろう。


 出かけ際に撮影した最後の写真を見つめるたびに胸が苦しくなる。

 手を振る姿が永遠の「さようなら」を告げていたのではないか、引き留めれば我が子を助けることができたのではないか、あれをすれば、これをすればと結果が変わることはないというのに、思考と精神が蝕まれていく、やがて、私が壊れてしまう前にと、夫は写真を隠してしまった。


「お前のせいじゃない、お前は立派な母親なんだ、それは俺が一番よく知っている。世界で一番の母親だよ。だから、もう自分を責めるな。翔太だって悲しむよ……」


 ボロボロになった私を抱きしめて、そう必死に伝えて抱きしめてくれた夫の腕の中で、ひたすらに嗚咽しては、自らを、夫を、神様を、誰も彼も、構わず責め立てては涙を零した。


 以来、最後の写真は目にしていない。諦めて20年の永い刻を過ごしてきた。


「あなた、これ、翔太よね……」


「あ、ああ、間違えることない、翔太だ」


 あの日のために購入した水着を着て、光り輝く川で友人達と遊んでいる翔太の横顔は輝いていて、久しぶりの息子の笑顔に視界が滲み、やがて涙が止めどなく流れ落ちてくる。


「どうか、なさいましたか?」

 

「この写真のことを教えてください……」


 案内席に座っていた若い学生さん達が駆け寄ってきて私達を心配してくれながら声を掛けてくれる。息子が生きていた同じくらいの年齢であろう子供達に事情を説明した。血相を変えた彼らはそれぞれが電話をかけ始めると、やがてフィルム10本にも及ぶ写真ネガと現像された写真が届けられる。すべての写真があのキャンプ場で撮影されていて、その内の数枚には翔太の姿もあった。


「もし、ほかの人にも見せてくださいとお願いしたらほかの人にも見せてくれるかい?」


「ええ、お力になれるのでしたら構いません、なんでしたらここで現像できるように準備します」

 

 夫の問いに大学生は深くしっかりと頷いてくれる。遺族会の会長に夫が連絡して事情を説明すると会員各位に至急の連絡が回った。慰霊祭の当日で皆が帰路の途中であったことも良かったのだろう。数十分後には最初の車が入ってきた。大学生達はすぐに現像作業を始められるように用意すると意気込んでくれて、道の駅の支配人は場所の提供を快諾してスペースと照明を夜通し解放してくれた。


「あ、母さん、居たぞ!」


「あぁ、見つけたぁ……」


 1台、また1台と道の駅に車が走り込んでくる。

 連絡を受けた遺族が次々と参集して現像されて張り出されていく写真を食い入るように見つめては再会を果たしてゆく。

 道の駅の支配人は地元消防団にも連絡してくださったようで交通整理のために駆けつけてくれていた。警察や消防も協力して下さったが、不意に20年前のあの時を彷彿とさせた。


 暗雲の立ち込めた重い空気の体育館、そして遺族待合室。


 だが、今回は違うことは明らかだった。

 

 写真越しではあるけれど再会を果たすことができたのだ。

 

 学生たちは焼き増しの要望を最後の1人に至るまで叶えてくれ、明け方、朝日が昇る頃、希望した遺族の元に写真が手渡された。来ることの叶わなかった遺族には後日、学生が直接伺ってお渡しすると涙ながらに語ってくれて、寄り添ってくれることのありがたさに深く感謝して頭を下げた。

 

 ネガの持ち主もまた同じ被災者だった。

 キャンプ場の近所に自宅があったそうだ。恐らくフィルムを使い切ったために一度自宅へと帰り、補充する際に撮影済みを自宅のフィルムボックスへと入れたまま現場へ戻って被災したのだろうというのが学生達の見立てらしいが詳しいことは分からない。母子家庭で最愛の息子を失ってしまった母親は、私以上に苦しみもがいて、長いことその部屋を片付けることができなかったそうだ。


「そのフィルムボックスは写真クラブの名入りで、お母さんが送ってくださったんです。道の駅を下ったところに大学の合宿所があって毎年撮影合宿をしてまして、それで地元の今昔と銘打って写真展を開催したのです」


 その偶然が無ければ出会うことなど二度となかったかもしれない。

 驚いたことに彼は翔太と水遊びをしていた。タイマー撮影で撮られたであろう写真には、彼と翔太、そして友達が川で水切りをして楽しんでいるワンショットもあった。


「めっちゃ面白い先輩だったそうで、人を笑わせてから写真を撮るのが大好きだったそうです」


 彼の撮影した写真はそのすべてが笑顔で溢れていた。

 キャンプ場に居たすべての人と、係のおじさんに至るまで、全員と話して写真におさめた彼の行動力と情熱が今日を作ったのだ。


 私達は天を見上げて心の底から冥福を祈る。


 最愛の人達の笑顔を残してくれた彼に感謝して。


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色褪せて、なお‥‥‥。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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