第3話
一時間目 図工
今日の登校を騒がせた絵具セットはこのために使うのだ。
テーマは「一瞬を切り取って」。
外に出て、虫が飛びたつだとか、水しぶきが上がるなどの特別な一瞬を目に焼き付け、それをテーマにして作品を作る。
テーマは前回の授業でみんなで外に出て決定しているようで、今日から作品制作に取り掛かる。
針金などの紙と絵具以外のものを使ってもいいらしい。
なんて自由度の高い課題なんだ。
何を作っても正解で誰かにとがめられることもないなんて、昨日までの会社員としての生活とは大違いだ。
そして、自由であるからこその難しさも今までの生活では感じていないものだ。
それに加えて小学五年の俺という男はワークシートにほとんどヒントを残していない。
何を作ろうとしていたか、まったくわからないぞ……。
俺はワークシートの解読を早々に諦め、風に揺られる木の葉を描くことにした。
何を作ってもよいのだ。
作品の出来よりも、自分のやりたいことにどんどん挑戦して楽しむことが図工というものだろう。
こげ茶のクレヨンを細かく砕いて土でも表現してみようと思い、黒板の前にクレヨンを取りに行く。
ついでに周りの作品をチラと覗いてみると、みんなが思い思いに作っている中で一人しきりに周囲の目を気にしているやつがいた。
大介だ。
そういえば、あいつ絵とか工作とか苦手だったな。
高校の文化祭なんかでも絵をいじられていた気がする。
高校時代ではもう吹っ切れていたが、小学生の時はまだ恥ずかしがっていたのか。
これはなかなか自由な授業で教室内を歩き回ってもいいようだから、どうしても困っていたら少し声をかけてみよう。
俺はそう思って自席に戻り、童心に帰って作品作りに没頭した。
二時間目 図工
もう二時間目に入ったのか。
描いていると興が乗ってきて木の葉の細かい動きにこだわり始めてしまったためか、時間が経つのが異様に早い。
大介の方を見ると、苦戦しているようだ。
いきなり絵の具で描き始めるやつもいる中で、鉛筆で下書きをして、それを何度も消してやり直している。
分かるよ。
自分に自信がない分野ほど考えすぎちゃて、他人の目も気になって、全然自分を認められないんだよな。
俺は社会に出た経験もあり小学校の授業だと割り切って描くことができているが、図工が苦手な小学生にとっては大きな困難なのだろう。
消しゴムをかけては頭を抱える大介を見て俺はそう思った。
何か助けになれないだろうか。
俺も芸術センスはないが、大介の絵のいいところを褒めて、自信をつけてもらうことくらいはできるかもしれない。
しかし、そんな考えは必要なかったらしい。
「お、下書きか。偉いな」
寄り添うように大介の席の隣にしゃがんだのは林先生だった。
「いや、描くのが遅いだけです」
普段は元気でおちゃらけた性格の大介が萎れた様子で返す。
先生は微笑み、周りにあまり聞こえないように少し小さな声で続けて言った。
「あのな、作品を作るのって、すっごい難しいんだ。プロだって渾身の作品を作るなら何日も、何週間もかかる。だから、作業があんまり進まないのは全然変なことじゃない。真剣に作品に向き合ってる証拠だから、もし授業の終わりに完成してなくても先生は全然気にしないぞ」
「でも全然上手くいかない。描きたい物が描けない」
「だよな。先生だってそうだよ。そこで一つおすすめだ。ミスってもいい。一回描いてみよう。下書きはうまくいっているように見づらいんだ。だって、線も鉛筆だし色もついてないからな。だから、例えやり直すことになっても、クレヨンとか絵の具とか、色々なステップ踏んでからやり直そう。描いてるうちに自分の絵が好きになってくることだってあるし、そもそも自分が100%満足出来なくても、ゆっくり上手くなってきゃいいんだよ」
小さく頷く大介の背中をポンと叩いて林先生はまた歩いていった。
この先生が大好きだった過去の自分の目が少し誇らしかった。
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