第1話

俺は柿原かきはら 理人りひと。29歳の会社員…。

だったはずなのだが、今は必死に絵具セットを探している。

今日の授業で使うと連絡帳にメモがあったのだ。


「『ちゃんと片付けしとかないと必要なときに困るよ』って、お母さん言ったよね!?」


とお袋が怒りながらも、今はまだ人一倍背の低い俺の代わりにクローゼットの高いところを探してくれている。


「ごめん」


そんなこと言われても仕方がない。

絵具セットを雑に放っておいた俺はもう10年前以上も前の俺なのだ。

29歳になっても片付けはいまだに苦手だが。


「あった!急いでこれ持ってきなさい!お母さんもう仕事いくからね。」


ありがたいことにお袋が絵具セットを見つけてくれ、そしてその勢いで家を飛び出していった。

時計を見ると7時半。

つけっぱなしになっているテレビでは「zipでポン!」が流れている。


大介だいすけくんと明香里あかりちゃんにちゃんと謝るんだよ!」


母親はそう言い残してドアを閉めた。

そうだ。

当時は同じアパートの大介と明香里ちゃんと待ち合わせて学校に行っていた気がする。

俺はランドセルを背負い、絵具セットと母親が入れてくれた水筒を持った。

急いで玄関のドアノブに手をかける。


そのとき、リビングの奥の窓から大きな風が吹き込んだ。

カーテンがめくれ、差し込む朝の強い光に目をつぶる。


「見つけてよ。そしたら帰してあげる」


風の中、かすかに囁くような声だったがはっきりとそう聞こえた。

目を開けると誰もおらず、静寂が家を包んだ。




「あ、きたー!」

「遅いぞ理人!」


夢うつつでドアを開けると、やや怒っている大介と「仕方ない」と言わんばかりに苦笑いしている明香里ちゃんが出迎えてくれた。

待ち合わせ場所であるアパートの前にあまりにも俺が現れないものだから、家の前まで来てくれたのだろう。

懐かしい顔ぶれに一瞬息が詰まる。


「ごめん」


辛うじて、小学五年生に戻ってから二度目の「ごめん」を口にすると二人は快く許してくれ、学校への道を歩き始めた。

俺たちの通学路には「内緒の近道」として薄暗い橋の下に入って川のように大きい用水路の脇を通るルートがあり、今日は俺の遅刻のせいでそこを通ることになった。

脇道と用水路の間にはかなりの落差がある。

昔の話とはいえ、こんなあっぶない道をよく通学ルートにしたものだ。

それにしても小学校に行くのなんて10年ぶりだというのに体はよく覚えているようで、二人と小学生らしい他愛もない話をしながらも歩みはどんどん進んでいく。

大介とは幼稚園時代からの付き合いだ。

俺が高校に上がるタイミングでこの家からは引っ越しをしたが、引っ越し先もさほど遠いところでもなく同じ高校に通ったため、20代となった今でも付き合いがある。

一方、明香里ちゃんは小学3年生の時にこのアパートに引っ越してきた友達だ。

それ以降転校はなく、今と同じアパートに住んでいるらしいが、高校は俺と大介とは違うところに進み、それを機に自然と話さなくなっていった。

彼女との楽しい記憶はかなり薄れてしまっていたから、和気あいあいと登校する中でも「こんなに仲がよかったのか」と驚いた。

当時は、周りの誰かの中に自然と疎遠になってしまう人もいるなど、深く考えなかっただろう。

誰かの転校がとても重く感じられて、できることなら友達全員と一緒にいたいと思っていた。

中学、高校、大学と、目まぐるしく環境と周りの人たちが変化していく中で、いつから人との別れを素直に割り切れるようになったのだろう。

何にせよ、今はとにかく隣に並んでいる二人が懐かしい。

あの歩道橋を渡れば小学校につく。

こんな非常事態なのに、小学生時代の生活を少し受け入れてしまっている自分がいる。

歩きながら思考を巡らせる。

なんで俺が小学生になったのかは全く分からない。

しかし、家を出る前に聞いた「見つけてよ。そしたら帰してあげる」という言葉。

あの不思議な声のおかげで、この生活は永遠ではないらしいということが分かった。

この時代で「なにか」を見つけることができれば、きっと元の世界に帰れるのだろう。

元の時代に帰りたいのはやまやまだが、無理に学校を飛び出したりなんかしたら逆に見動きが取れなくなるし、何よりこの時代の親に心配をかけたくない。

今日一日は「なにか」を探すことは意識しながらも、素直に学校生活を送る方が得策だな。

俺はそう思いながら、げた箱から少し汚れた上履きを取り出した。




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