俺は、小学生になったんだ。

寒川吉慶

プロローグ

「もし過去に戻れるとしたら、何歳の時に戻りたい?」


一度はこんな質問から繰り出される会話をしたことがあるのではなかろうか。

個人的には、「無人島に何をもっていくか」よりも相手のことを深く知ることができ、ましてや「好きな色はなにか」よりも会話も弾みやすい、なかなか興味深い質問だと思っている。

俺は今までにその質問をされた場合、迷わず「小学五年生の頃」と答えていた。

日々の仕事に追われずに、将来に対する漠然とした不安も感じずに、ただ毎日をその輝きに気づかずに純粋に楽しんでいたあの頃に戻りたい。

日ごろからふとした時にこのような考えに陥るため、迷うことなくそう答えられるのだろう。

確かに戻りたかった。

だが、本当に戻れるなんて思っていたわけないだろう。

それも、こんな。

こんな大事な時に。


今朝俺を起こしたのは若いお袋の声だった。

洗面所で自分の顔を見て、訳も分からず立ち尽くす俺にお袋は「早く朝ごはん食べちゃいなさい」といっぱいに持った茶碗を差し出してきた。

不思議なことに、周りが当時と何も変わらず動いていると勝手に頭の中が整理されていき、自分のやるべきことが分かってきた。

そうだ。

ご飯を食べ終わって食器を下げたら、着替えて歯磨きをして、時間割を確認してランドセルに持ち物を詰めるんだ。宿題は昨日のうちに終わらせていただろうな。


俺は、小学生になったんだ。

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