番外編 インテリ眼鏡同士の恋模様 2
「冗談だと…思っていました」
アントンの眠る救護室。
ニコルは過去を反芻しながら、赤みのある頬を隠すように俯いていた。
だって、ニコルは離婚したばかりの傷物だ。年だって、アントンより四つも年上の三十二歳。
この年齢になれば、出産だって難しい。ニコルを今更求める男など、火遊び狙いの男か収入狙いの男しか考えられない。
しかしアントンは誠実で、女性関係も全く聞かない身綺麗さ。収入だってニコルと同じ職場で、実家が子爵家なのだから間違いなくニコルより資産がある。
そんな、ニコルなど選ばなくても、もっと若い娘を選んでも許される立場の男なのに。
だからニコルはアントンに告白されて…その場で、お断りしたのだ。
私などは、あなたに勿体ないと。
(…だから、大会に出るあなたをみて、新しい恋を見つけたのだと思ったのに)
告白されたニコルはお断りしていたから、彼はその場で引き下がったから、彼が新しい恋をして大会に出たのかと思った。
彼には自分じゃない、若くて可愛い女の子がお似合いだと思っていたから。
ちょっとだけリリスがその女の子ではないかと思ったが、妹だった。色彩は似ていたが、顔立ちがわからないので似ているかわからなかったから。
でもまさか、こんなに美しいとは思っても見なかった。別の意味で尻込みしてしまう。
それなのに。
彼は会場で、観客や王族が見守る中で、ニコルに愛を告げた。
「なんで、私なんか…」
「ニコルは、魅力的な人だ」
「!?」
かすれた声が聞こえて、慌てて顔を上げる。枕に頭を乗せたまま、ぼんやりと目を開いたアントンがニコルをみていた。
(…美しすぎない?)
眠っている姿も宗教画の天使のようだったが、寝ぼけ眼のアントンはその比ではない。むしろ意識があるのにぼやぼやした様子から、人間らしさが追加されたアンバランスがより美しさを強調している。
「いつも一生懸命で、わかりにくい私の言葉も理解しようと努力してくれた。今のままの私を認めて、寄り添ってくれたニコルは、頼り甲斐のある魅力的な女性だ…魅力的すぎて、余計な虫が寄りついてしまったのが、無念でならない。もっと早く出会えていれば、余計な虫は私一匹で済んだだろうに」
「アントン様が虫」
悪い虫のように言っているが、どこからどう見ても美しい羽を持つ蝶にしか見えない。
私が花だったとしても、あまりの美しさに光栄ですと蜜を差し出すばかりだ。
「ニコルはしっかりした女の人だけど、同じくらいさみしがり屋だから、悪い虫にも引っかかってしまったのだろうね」
「!?」
初めての評価に驚いた。
「ここにいるということは、私の気持ちは、ちゃんと聞こえた?」
「…聞こえました、が。なんて危険なことをしたのですか」
頬が熱い。
知らない人のように美しいが、中身は変わらずアントンだ。ニコルはそわそわと落ち着かないまま、とにかく苦言をぶつけることにした。
だって本当に、危険行為だ。大怪我をする可能性の方が高かった。
しかしアントンは、ゆったり身を起こして目元を擦る。寝起きの動作が愛らしくてニコルの心臓は締め付けられた。ぎゅんっ。
「ニコルに信じて貰うため、必要だと思ったから」
「…え?」
「ニコルに振られてからも、私の中では数式で一杯だった」
それは平常運転だ。
「どうすればニコルが頷いてくれるだろうかと計算が止まらなかった」
全然諦めていなかった。
仕事中は普段通りなので、諦めたと思っていたのに全然だった。
だらけた格好ばかりなのに、眼鏡を外せば儚い外見なのに、根性がある。
「でも計算して、組み立てて、ニコルが気にする余剰を取り払っても、ニコルが信じてくれる結論が出てこない…」
しょんぼりされると、ニコルが虐めている気分になって胸が疼く。
この儚い外見は反則だ。普段の格好では勿体ないと思っていたが、あれでいい。この状態のまま外に出せばすぐ攫われてしまう。根性はあるが腕力はないので、隠しておいた方がいい。
「だから、大変申し訳ないけれど、信じてくれるよう計算した」
「え?」
儚い外見をした美しい天使は、澄んだ冬の空のように薄い青みのある碧眼を、夏の太陽のようにギラつかせてニコルを見据えた。
「ニコルが信じるしかないように、私の気持ちを周囲に知らしめて外堀を埋めることにした」
「…まさか、この状況はすべて計算した物だと?」
「ブロック分けの人員配置だけは運頼りだったけれど、本戦での行動は今この状態に持っていくための計算だった」
「アントン様!?」
「私は弱いからね。弱い私が疲労困憊でも勝ち上がれば、ブライアンでなくても棄権を勧めたよ。勝ち上がる彼らは騎士だから、大勢の前で弱い者いじめはできない」
実力より気持ちを評価するオニキスと当たったときだけ、問答無用で制圧される可能性があったけれど…アントンは運良く、誰よりもアントンを知っているブライアンと当たることができた。
棄権を勧められたら、そこからはもう
そこで、大勢の前で、愛を告げれば。
「流石に私の本気は、ニコルに伝わるだろう?」
「…!」
彼は。
身分や離婚歴。年の差などで言い訳をしてアントンの気持ちを本気で受け取ろうとしないニコルに、自分の本気を示そうとしたのだ。
この大会に出場し、その想いを大衆の前で告げることで。
「…逃げ場がないとか、頷くしかないとか、そうやって追い詰められる必要はないよ」
王妃様が目を掛けてくださるからと言って、女性側の事情を無視する方ではない。
大々的に告白したのだから、民衆は結果を気にするだろう。結果的に振られたとしても、アントンはそれを隠すつもりはない。
「私の本気を知って欲しくてここまでしたが、ニコルが本当に私との未来を考えられないのなら、そう言ってくれて構わない。大事なのは君の気持ちだと、兄にも言われている」
「お兄様に私のことをお話になったのですか!?」
「結婚したい人が居るとだけ。兄は、私が幸せならそれでいいと言ってくれた」
「…そこまで外堀を埋めておいて、私に決定権があるとおっしゃるのですか」
「うん」
頷いて、力が抜けたように笑う。
「だって君は、私の気持ちを信じられないだけで…私のことは想ってくれていただろう? だから私の気持ちを知らしめることができれば、勝率は格段に上がると計算済みだよ」
「わ、私の気持ちを何故そんな、確信を得て…!?」
「お互いに気持ちがあると思っていなければ、キスなんかしない」
「わああああああ!」
「君は気持ちのない異性相手に、盛り上がったその場の空気だけでキスを交わすような女性じゃない」
「あああああああ!」
ニコルは顔を覆って叫んだ。
――気の迷いだと言い聞かせていたのに、そう言われては何も言えない!
アントンに告白される前。二人っきりの執務室。思いがけぬ残業で、雨が降って、雷が…。
距離の近付いた密室の男女。何事も起きぬ訳がなく…。
「私も、女性相手に揶揄ったり遊んだりするような、不誠実な男のつもりはないよ」
「アントン様…っ」
アントンが告白したのは、そういった下地もあったからだった。
なのにニコルは、気の迷いだとか自分は相応しくないとか、そう言ってアントンを退けた。
気持ちは、あった。あったからこそ、その先に踏み出せなかった。
そんなニコルの弱さを、アントンは一度引いて観察し…大勝負に出た。
「ニコル」
細くて強く握れば折れてしまい様な腕をしながら、ニコルを抱き寄せる力は強い。
腕力とか筋力とか、そういう問題ではなくて…静かなのになりふり構わぬ様子が、引き寄せる腕に滲み出ていた。
「私と結婚してください」
「アントン様」
「
かすれて震える彼の声に、ニコルは逃げ続けた自分を恥じた。
決死の覚悟で告白したのに、信じて貰えないのは、どれだけ辛かっただろう。
それでも諦めず想って、信じて貰うためにこんな大がかりなことまでして…ニコルが信じられなかったばっかりに。
一度目の結婚は惰性だった。向き合うことも、わかり合うこともしなかった。仕事ばかりだったニコルにも責任がある。
二度目なんて、考えていなかった…考えたくなかったけれど。
「…私も…あなたと、いつも一緒にいたいです」
抱き寄せられた腕に応えるように、身を寄せる。
「申し出を、承ります」
「ニコル!」
アントンが歓声を上げて、ぎゅっと抱きこむ力を込める。それに応えるように背中に腕を回したニコルは瞠目した。
(細い! 薄い! 同じ人間!?)
想いを通わせた余韻が吹っ飛ぶ体型に、ニコルは自分が彼を絞め殺してしまわないかと戦慄した。
今後、むしろ真綿で締められるように溺愛されることになるとは、考えもせず。
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