番外編 ヤンキー騎士と小動物系令嬢 3


(ど、どうしよう…!)


 正面から逞しい腕に拘束するように抱きしめられて、ソフィラは緑の目をグルグル回した。

 図書館で彼が本をとってくれたときに彼と本棚に挟まれて、胸元にもたれてしまったこともあったが、感触が全然違う。


 熱い。

 はじめから彼の体温は、ソフィラにとってとても熱かった。

 指先が触れたあの時から…。


 はじめは憧れの偶像と出会った興奮だった。一人で盛り上がって意味が分からなかっただろうに、彼は話を合わせてくれた。ソフィラが気まずくならないように、こちらに合わせてくれた。それだけでソフィラは胸をときめかせた。

 本の趣味も似ていて、話は弾んだ。話すうちにもっとたくさん会いたくなった。丁寧に話そうと心がける彼の、時々漏れる雑な言葉遣いが好ましかった。


 もっとたくさんおしゃべりしたいな。そうしたら素の口調で、もっと仲良くなれるかもしれない。

 なんて純粋に親睦の深まりに喜んでいたソフィラは、ある日図書館の外でスパロウを見かけ…話しかけようとして、固まった。


 隣に、綺麗なお姉さんド迫力の女豹がいた。


 路地で壁に寄りかかるようにして立っているスパロウの肩に手を置いて、真っ赤な唇で笑う女性。

 露出のある格好はしていないが、胸や腰のラインがよくわかる服を着ている。凹凸のある、スパロウと釣り合いのある大人の女性強い雌

 スパロウは女性の手を払って迷惑そうな顔をしていたが、並ぶ二人はとてもしっくりして見えた。少なくとも、ソフィラと並ぶよりしっくりくる。とても大人な空気。

 女の人は笑って、スパロウから離れ…別の男と去って行った。その距離感から、女性がスパロウではなくそっちの男性とよい仲なのは察せたが…。


 ソフィラは自分の胸元を確認した。

 ストンと平らな、凹凸のない身体お子様体型

 今まで意識したこともなかったのに、急に自分が子供っぽくて恥ずかしくなった。


 スパロウは、優しい。顔が怖いからと気遣ってくれるが、ソフィラは恐れを感じたことがない。顔で言うなら、申し訳ないが友人リリスの長兄の方が怖い。

 スパロウさんは大人だから、私じゃ物足りないかな。ストンとした胸元を見下ろして、ため息をついた。


 こっそり大人の装いという物を試してみたけれど、凹凸の少ないソフィラには似合わなかった。今までの清楚可憐なお淑やかな装いから脱せない。

 自分に似合うのは、控えめなレースや甘いリボン。

 わかっているが、それが子供っぽく見えて仕方がない。


 自らの装いに、鏡を見て嘆息するソフィラを、使用人達がソワソワしながら見ていた。

 年上だ…年上に片想いしている…! と、ざわめいていた。ばればれだった。

 ちょっと大人なドレスや化粧を試して、早く大人になりたいと嘆息する少女がわかりやすすぎて、使用人達は悶えていた。報告を受けた母親も悶えた。父親は膝から崩れ落ちた。


(もっとスパロウさんを知りたいって言ったら、困らせちゃうのかな)


 ソフィラが知っていることは少ない。

 名前はスパロウ。ソフィラの八つ年上で、二十四歳。

 青薔薇騎士団に所属する騎士。意外と読書家で、ソフィラの知らない本も多く読んでいた。食事のとき、躊躇わず手を使うけれど所作は綺麗。ソフィラが困っていると、迷わず手を差し伸べてくれる。 


 その手が、触れる箇所が、いつも熱い。

 だから触れ合うとすぐわかって、びっくりして、恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなくなる。


(でも、触れたい…)


 だからきっと、彼の袖を掴んで引き留めるような真似をしてしまった。

 彼が、ソフィラ以外の…大人の女性のところに、行って欲しくなくて。


(初恋…だよね。きっとこれが、本でよく見る、好き、だわ…)


 滅多に読まないロマンス小説を一読して、自分と照らし合わせて、はふぅ…なんて悩ましくため息をつく。


 そんなお嬢様に、使用人達は大興奮だった。恋のお悩みだ。大人な男性に恋のお悩みだ! 母はいつ相談恋バナされるだろうかとソワソワだったし、父はいつ婚姻の話をされる大人の階段を上るかと気が気でなかった。気が早い。


 そんな中送られてきた、ソフィラ・ビーハニー伯爵令嬢宛ての招待状。

 見守っていた大人達はソフィラの恋のお相手からの招待状だと思って沸いた。しかしソフィラは困惑していた。


 彼が送ってくれたのなら嬉しい。けれどソフィラは、スパロウは、お互いの家名を伏せていた。

 身分がはっきりしてしまえば、図書館での雑談も、ちょっとした軽食の買い食いも、気軽にできなくなってしまうから…。


 だから彼は、ソフィラのフルネームを知らないはずだった。しかしソフィラの困惑を知らぬ家族によって、ソフィラは大会の会場へと連れて来られた。


 彼だったら嬉しい。だけど招待状を送れるわけがない。彼だったら。でも。でもでも…。


 悩んでいたら、彼がいて。

 まさかと思って。

 でもそんな様子もなくて。

 しょんぼりしていたら、また様子が変わって…。


『そふぃらさん』


 名前を呼んで、くれたから。

 あの招待状は、彼だと、思って。

 意識を無くした彼を心配して救護室に来て…。


「あ――…くそ、怯えさせるつもりなかったのに…」


 気付いたら、彼の腕の中だった。

 低い声に、びくりと肩が跳ねた。何時も聞いている声よりも低い、雑な声音。

 それがとても男性的で、ときめいた。

 しかしその震えを、怯えていると解釈されてしまう。


「こうならねぇようにこっちは細心の注意を払ってたってのに…」


 ぶっきらぼうな言動。言いながら拘束する腕が強くなって、ソフィラは声にならない悲鳴を上げた。

 手の平が、指先が、小柄なソフィラの肩を、腰を掴んでいる。

 指先の力加減。手の平の熱。腕の力強さと、ぴったりくっついた胸板の柔らかさに目が回る。

 全身が心臓になったみたいに、小さな身体が鼓動で破裂してしまいそうだ。

 ぎゅっとくっついて、抱き竦められて、抱き潰されそうで…強い力が、少し痛む力加減が、胸を締め付けるほど嬉しいなんて。


(は、はし、はしたない…! 私、はしたない!)


 男性とこんな距離感が嬉しいなんて、淑女としてはしたないよね!?


(た、助けてリリス…!)


 ちなみにこのとき、リリスもソフィラに助けを求めていたのだが、双方知るはずがなかった。


「震えてるな…なあ、こういうの怖いか?」

「ひょっ」


 肩を抱いていた手の平が背中を撫でてきて、ソフィラは思わずつま先立ちになった。


「放せねぇけど、怖がらせたくはねぇんだよ…」


 いいながら、下から上へ、ゆっくり撫で上げる指先。

 下ろした髪の内側。晒したことのない項に男性的な手が触れる。髪を乱すように後頭部を掴んだ手の平が、より強くソフィラを彼の胸元に閉じ込めた。


 言外に伝えられる『逃がさない』に、ソフィラの指先が甘く痺れた。

 彼はソフィラが子供だから、怖じ気づいて逃げると思っている。だけど逃がしたくないと思っている。


 つまりそう。そういうこと。つまりそういうこと。


(そういうこと、だよね…!)


 甘い歓喜に震えながら、ソフィラはきゅっと唇を引き結んだ。

 好きな人からの執着は、嬉しい。けれど、気持ちに付いてこられない子供だと思われている。


(私は、こ、子供じゃない…! 子供じゃないよ…!)


 残念ながら子供は皆そう言う。


(怖くない、怖くない…どう伝えたら…どう、したら)


 怯えさせたくない。スパロウが一番主張するのは、そこだ。彼はソフィラが怯えることを前提に考えている。

 そんなことない。そんなことないのに。

 だってソフィラは…。


「だ、大好きです!」


 このときソフィラは、相手に何を聞かれているとか頭から飛んでいた。

 頑なに怯えていると思い込むスパロウの誤解を解きたくて、飛び出したのは自分の気持ちだった。


 突然の叫びに、スパロウがぎょっとして腕の力を抜く。痛いくらいの抱擁が解かれて、ソフィラは愕然とした。

 大好きと訴えたのに腕の拘束が緩んだ。何故! まさか伝わっていないのだろうか。

 ソフィラは慌てた。あんなにくっついてくれたのに、離れてしまう。放したくないと言っていたのに。何故!


「わ、私はスパロウさんが大好きなので、大好きなので…!」


 焦燥感で、固まっていた腕が動いた。開いた距離を詰めたくて、彼の背中にしがみ付く。


「だから、放さないでください…!」


 力一杯縋り付く。

 ソフィラなりの全力で、スパロウにしがみ付いた。ぎゅっと目を閉じて、歯を食いしばってしがみ付いた。放さないでと訴えて、身体がぷるぷる震える。


「…小動物ちびっ子、やっぱり侮れねぇわ…」


 ちょっと気が抜けた声での発言。その意味はちょっとわからなかった。

 わからなかったが、腕がしっかりソフィラを抱きしめたので、やっと安心できたのだった。


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