番外編 ヤンキー騎士と小動物系令嬢 1


「あんのくそ親父…!」


 スパロウ・ブルーバードは荒れていた。

 父親譲りの青い髪をかき混ぜて、黒い目を猛禽類のように尖らせて足早に歩を進めた。訓練を終えて汗を流し着替えを済ませてきたが、本日打ち付けられた背中がじんじん痛む。

 スパロウの父親は、ガーデニア王国を守る四つの騎士団の一つ、青薔薇騎士団の騎士団長だ。幼い頃は憧れを込めて見上げていた背中だが、現在は怨嗟を込めて睨み付けている。


(今日もまた、余計なことばかり言いやがって…)


 スパロウの父、青薔薇騎士団の騎士団長、スワロー・ブルーバードは、騎士団長の中では最年長。必然的に就任記録も最長だ。

 若返りを図り、自分もそろそろ引退だと嘯くのは構わないが…。


(それを俺に、押しつけようとするんじゃねぇ!)


 とってもいい笑顔で「俺に一太刀入れられたらお前が今日から騎士団長だ」などと宣言して、スパロウに斬りかかってくる歴戦の騎士団長。

 しかも必ず訓練終わりにやってくるので、ただでさえ疲れているスパロウは「このくそ親父!」と罵声を上げながら応戦している。


 騎士団長になりたくない訳ではない。しかし親にお膳立てされた状態で団長になりたくない。もっと言えば父親の跡を継ぎたくない。なるなら他の騎士団がいい。

 しかし他の騎士団も代替わりが終わっている。なので次の代替わりは青薔薇だと誰もがわかっていた。

 そしてその最大候補が、息子であるスパロウだと。


(冗談じゃない!)


 親の七光りで特別扱いなんて謗りを受けるつもりはない。

 父親など関係なく、実力で騎士団長の座を手に入れる。

 しかしブルーバード家は貴族とは名ばかりの一代貴族。本物のお貴族様には敵わない。

 黒薔薇の君、オニキス・ダークウルフは伯爵子息。去年22歳の若さで黒薔薇騎士団の団長に上り詰めたのは実力は後ろ盾あってのことだ。あの若さで団長の座に実力だけでつけるほど、騎士団は甘くない。

 白薔薇騎士団の団長だって、子爵家の三男でありながら男爵位を得たのは騎士団長の座を得るためだと聞いた。いや、与えるためだったか。


 とにかく、跡を継げと簡単に言ってくるスワローだが、そんなに簡単なことではないのだ。

 イライラしながらも足は進み、スパロウは目的の場所に辿り着いた。


 黄色い薔薇が咲き誇る庭園の先にぽつんと建っている小さな図書館。平民が利用するには上等で、貴族が利用するには質素な個人経営の図書館だ。

 スパロウは慣れた様子で庭園にある黄色いアーチを通り抜け、図書館の扉を開いて目的の本棚まで真っ直ぐ進んだ。


 進んだ先で、本棚に向かってつま先立ちになり、一生懸命小さく跳ねている後ろ姿を見つけた。

 ふわふわ揺れるたんぽぽ色の髪。小柄で華奢な肩。懸命に伸ばされた細い腕と指先。その指先がかすめる本の背表紙は、触れる度に棚の奥へと進んでいるように見える。それに困って、オロオロしている様子が後ろ姿からも窺えた。


(かっわ…!)


 可愛い。

 小動物が一生懸命跳ねている。


(何だあの可愛さ攫うぞ!)


 スパロウの脳内で猛禽類が小動物を鋭い爪で捕獲しようとしたが、間一髪狩人の発砲で事なきを得た。


 危なかった。本能で後ろから抱きしめるところだった。

 恋人でもないのにそんな行動するやつは危険人物だ。騎士に通報してくれ。あ、俺が騎士だ。


 なんてあほなことを考えていたら、少女はとうとう懸命に伸び上がってぷるぷる震えだした。あれは危ない。


 スパロウはゆっくり怯えさせないように近付いて、震えて転びそうな小さな背中を片手で支えた。そしてもう片手を伸ばして、少女が求めていた本を抜き取る。

 驚いて顔を上げた少女の宝石みたいな緑色の目が、スパロウを見上げた。


「す、ぱろうさん…っ」

「んぐっ」

(何だその拙さ幼女か! 一人で出歩くな危ないだろう!)


 小動物は生まれたて。

 上空を忙しなく旋回する猛禽類を必死な形相の狩人が警戒している。

 スパロウは咳を一つして、支えていた手を背中から放した。必要以上にくっついてはいけない。騎士として。紳士として。


「こんにちは、ソフィラさん」

「こっ、こんにちはっ」

「とりたかった本は、これで間違いないです、か」

「は、はいっ」

「高いところにある本は踏み台を…いや、司書に声を掛けてとって貰うようにして、ください。ひっくり返ったら危ない、です」

「す、すみません…っ」


 頬を染めて俯きながら、小さく謝罪する。本を抱えて小さくなる様子が、地面を掘って隠れようとする小動物のようだ。


「見つけてしまったら、どうしても欲しくなって…子供のようだと、呆れてしまいますか…?」


 赤く染まった頬。きゅっと縮こまった桜色の唇。潤んだ緑の瞳は、身長差のあるスパロウを怖々と見上げて上目遣いになって…。


「子供のようだとは思っていません」


 思わず真顔で返した。


(だから困ってんだよこっちは!)


 スパロウ・ブルーバード。二十四歳。

 とてもじゃないが、八つも年下の少女にそんな本音は告げることができなかった。



 スパロウがこの小動物のような少女、ソフィラと出会ったのは数ヶ月前。


 彼は「さあ今日こそ世襲して見せろ息子よ」などとちょっかいを出してくる青薔薇騎士団長構いたがりのクソ親父と「息子は大変だな次期団長」なんて囃し立てる同期に苛ついて訓練を抜け出していた。

 適当に歩き回って見つけた小さな図書館。サボるのに丁度いいと黄色い花のアーチを通り抜け、スパロウは図書館の扉を開けた。

 図書館は規模こそ小規模だが、清潔感ある静寂に包まれていた。ちらほら見える人影は平民のもの。騎士として人の配置を気にしたあと、サボりに来たんだったと嘆息した。


 父親への反抗期を拗らせて絶賛反抗期継続中のスパロウだが、彼は読書が嫌いではなかった。小難しい本は敬遠しているが、歴史から学ぶ戦略や創作混じりの冒険譚は嫌いではない。だからこのときも、昔読んだ冒険譚でも振り返りながら時間を潰そうと、なんとなく目に付いた知っているタイトルに手を伸ばした。


 本当に何気なく手を伸ばしたのが始まりだった。

 その伸ばした手が、指先が、本の背表紙ではなくか細い指と触れ合った。


「「あ」」


 同時に、隣に立っている少女の存在に気付いた。


 清楚なワンピースを身に纏った、どこからどう見ても貴族のご令嬢。なるべく質素な装いに寄せようと…平民に見せようと努力している形跡は認められたが、それでも気品の隠せないご令嬢が立っていた。

 ふわふわしたたんぽぽ色の髪。きょとんと無垢に見上げてくる緑の瞳。愛らしい顔立ちの少女は、意外なことに冒険譚に興味があるらしい。

 どうしても読みたいなんて強い気持ちでも無かったスパロウは、少女に譲ろうと手を引こうとして…。


「…っ!!!!!」


 ぽぽぽぽぽっと白い肌が見事に色づいた。

 桃色の花が咲いたのかと思った。


「…は?」

「ひゃっあ、しょのっふぇ…っ」


 謎の奇声を上げながら、少女はぷるぷる震えた。


「え、あ、落ち着け。じゃない。落ち着いてください。怖くない怖くない」


 思わずホールドアップしながら弁明した。

 目付きが怖いと女子供に泣かれることもあったので、似たような弁明をしたことがあった。しかし今までに無い反応に、どう対応すべきか困る。蒼白ではなく赤面は初めての経験だ。


「しゅみっすみません…あの、突然本当に、すみませんっ」

「いや、気にしないでく…ださい。俺はどうも、女の人を怖がらせてしまうようなので」


 いつも通りの口の悪さが飛び出しそうになり、慌てて軌道修正した。ただでさえ見た目が怖いのに、言動で女子供を威圧してはいけない。スパロウは騎士として、婦女子には丁寧に接しなければならない。


「ひがっち、違います違います。あ、あにょ、あの」


 緊張から酷く舌を噛みながら、少女は頬を染めながらスパロウと見上げた。


「あ、あなたが…私の思い描いていた『蒼穹の勇者様』そのままだったので…」


 勝手に取り乱してしまいました。ごめんなさい。


 スパロウは一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 理解して、思わずぽかんとする。


『蒼穹の勇者』

 それは、スパロウも知っている冒険譚に出てくる勇者だった。

 主人公の騎士は空色の髪をした勇者で、ドラゴンの血を引く彼は人より鋭い目をして背が高く、周囲に恐れられていた。彼は窮屈な人の世界からドラゴンの棲む空の都を目差して旅をする。その旅でたくさんの種族と触れ合い世界を救う勇者となる冒険譚。

 …昔、母に何度も強請って読み聞かせて貰った冒険譚だ。


「そう、でしたか…」

「あい…」

(あいってなんだ可愛いな!)


 物語の主人公に似ていると言われるのは、妙に照れた。

 正直青薔薇の君お父さんに似ていると言われるより嬉しいのだが、羞恥で縮こまる少女に何と伝えよう。女子供には泣かれるので近付かないようにしていたツケがここで来た。スパロウは必死に考えて、ふと思いついた言葉を口にした。


「ド、『ドラゴンの瞳が青、オレンジ、黒くなるのは何故だと思う?』」

「! …『昼は青、夕はオレンジ、夜は黒い空を写すから』…っ」


 きらきらと、輝く瞳がスパロウを見上げた。

 緑の目を輝かせ、白い頬を桃色に染め、期待に満ちた顔でスパロウを見上げる少女。


「それは、幼いドラゴンを保護した勇者と賢者様のやりとりですね…っ」

(かっわ)


 きらきらと、瞳だけでなく全身が輝いて見える。

 何だこの生き物。


「ゆ、勇者様も読んだことがおありで…?」

「勇者様って…ふはっ」


 まさかの勇者呼びに、流石に笑った。

 くしゃりと破顔したスパロウに、キラキラしていた少女は目を丸くした。

 それは、笑った顔が思った以上に明るくて…鋭い目元が和らいで少年のようになった笑顔に、胸がきゅんと締め付けられた。締め付けられて、またぽぽぽぽと頬が染まる。

 笑っていたスパロウは、少女が初めてのときめきに困惑していると気付かなかった。大変惜しい。


「勇者ではなく、俺はスパロウといいます」

「わ、わたし、私は…っソフィラです。ソフィラです、スパロウさん」

「ソフィラさん」


 それが、二人の出会いだった。

 あとから思い返せば「いや、ロマンス小説か…?」と首を傾げてしまうほどベッタベタな、男女の出会い。


 同じ本を読んでいたこと。本の趣味が似ていたことから、二人は図書館から庭園に出てベンチに座り、あれこれ感想を伝え合った。流石に解釈は異なったが、お互い違う視点は新鮮だった。

 というのもスパロウは絶賛反抗期継続中。付き合いのある友人たちは読書より(良識ある)賭け事や狩りが好き。ソフィラも読書友達はいるが、だいたいがロマンス小説派で冒険譚を趣味にしている友人が少なかった。


 なので二人とも、滅多に語れない種類の会話に大層盛り上がって盛り上がって…日が暮れかけてやっと時間の経過に気付いた。

 流石に語りすぎた。


 二人揃って慌てて帰宅して…楽しく語り合ったのに、次の約束をし忘れたことに帰宅してから気付き、スパロウは珍しく心の底から落ち込んだ。青薔薇騎士団長自宅でも愉悦部が思わずそっとしておくくらい落ち込んだ。

 お互い名前だけしか告げなかったので、どこの家の者か特定できない。痛恨のミスだったが、家の名前を聞いたら遠慮が顔を出して楽しく語れない気がしたのだ。子供みたいだが、変なところでブレーキが働いた。


(…ただの悪足掻きだ)


 ブルーバード家は一代限りの男爵家。一応貴族としての教育は受けていたが、それだって最低限。どう見ても貴族令嬢だったソフィラとは、釣り合わない。


(なんて、今日あったばかりの相手に考えることじゃねぇな。多分もう会えないだろうし…)


 そう思いつつ、スパロウは本当になんとなく、昨日と同じ時間に同じ図書館の黄色いアーチを潜った。

 そして向かった本棚の前。

 オロオロキョロキョロ誰かを探している小動物少女を発見し…目が合った瞬間、ぱっと喜色満面になった素直な女の子に、心臓を容赦なく抉られたのだった。


 小動物、意外と鋭い爪と牙を持つ。

 スパロウが最近学んだ教訓である。

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