第30話 あなたの視線


 一気に移動した令嬢達のあまりにも統率の取れた動きに、リリスは演習で見た騎士達の動きを思い出した。ここにいるご令嬢たちはほぼ、その演習を見学していたご令嬢たちだ。


 見て覚えたの? 練習していないのにここまで動きがシンクロする?


 令嬢達が一気に動いて道を塞いだため、リリスも逃走経路を失った。リリスの隣でぽかんとしていたソフィラは子爵夫人あっという間によいしょよいしょと回収された。


 二人の周辺にぽっかりと人が居なくなる。障害物のない空間を、オニキスが長い足で悠々と、リリスに近付いた。

 オニキスが近付くと、薔薇の香りが漂ってくる。はじめて嗅ぐ【宣誓の薔薇】は、濃密な甘さが鼻腔から伝い舌に残る程だった。

 …待って。本当にこれ薔薇の香り? 蜂蜜じゃなくて? 麻痺してきた。

 リリスの目前までやって来たオニキスは、長い足を折って跪いた。籠から取り出し抱えられた十二本の薔薇が、リリスへと捧げられる。


「リリス嬢…いや、リリス。罪作りな君」

「冤罪っ」


 冤罪である。リリスが一体何をした。

 …わりと色々しているが本人に自覚はない。


「君は、俺をずっと見ていた」


 普通、逆ではなかろうか。


 オニキスがリリスを見ていたのに。蜂蜜でリリスを絡め取ろうとしていたのに。


「騎士の演習で白薔薇を応援しながら、ずっと俺を見ていた」

(アッハイ)


 逆じゃなかった。

 リリスがオニキスを見ていました。間違いない。


「俺を見ているのに君はつれなくて、俺に関わってこようとはしなかった。心地よい、好意に満ちた目で俺を見ていたのに、声援一つ、俺に贈ってはくれなかったな」


 なんだかとんでもない小悪魔みたいな表現。

 リリスは慌てた。スケッチしていただけなのに、まさかそんな風に思われていたとは。


「声を掛けることも、近付くこともしない。それでも君は俺を見ていた」

「それはその、スケッチしてたからでっ」

「ああ、光栄だからいつでも描いてくれて構わない。だが本当に、いつも」


 くっと、オニキスの口元が吊り上がる。


「視線を感じて振り返れば君がいた」


 言われて、気付く。

 やけに視線が合うなと思っていた。サクラでブライアンを応援して、暇つぶしにオニキスを描いて…やけに視線が合うなと、頻度が高いなと、呑気に。


 いつも。

 いつも。

 オニキスは、振り返っていた。


 視線を送っていたのは、リリスの方が先だった。

 見ていたのは認める。認めるけれど。

 視線を感じて振り返るくらい強く、見つめていたのはリリスだった?

 …そんなに、見ていた!?


(わ、わ、わ、わぁあああ~~~~!?)


 足の爪先から、ぶわわわわと熱が迫り上がってくる。


「…だだだだだってスケッチしてたし観戦してたし応援してたし必然的にそうなるというかそんなつもりは全然なくてっ」

「いけない子だ」

「いけない子ですか!?」

「熱心で愛らしい視線だけでなく、とうとう声援までくれたのに。俺をその気にさせたのは君なのに、逃げようとするいけない子だ」

「いけない子ですか!」

「そんな酷い君が愛しくて、だからこそその視線を独り占めしたくなる」


 オニキスの手が、うろうろ彷徨うリリスの手を取った。小さな手を花束へと誘導して、リリスの手に【宣誓の薔薇】を添えさせる。


「俺以外を見るな」


 至近距離でリリスを見上げる蜂蜜の瞳。強引なのに、その甘さで抵抗する気持ちを奪われる。


「俺だけを見て、俺だけに声援をくれ。リリス」

「ひょえ…っ」


 至近距離で見つめられて、リリスは間抜けな声を漏らす。蜂蜜の瞳が、誘惑まみれでリリスを見ている。


 彼がこれだけ甘いのは、独占欲の表れだった。

 花が蜜で蜂や蝶を誘うように、彼も甘く甘く誘惑していた。家族に甘やかされるリリスに向かってこっちのほうが甘いぞと、ただひたすら誘惑していた。


 ふらふら近づいて、の味を知れば最後。

 知らなかった頃には戻れない。

 なんて甘やかな罠。勢いが怖い。


(怖いけど…私はオニキス様のこと、嫌いじゃない)


 それでも逃げ出したくなるのは羞恥心。そして気後れ。

 だって恋愛初心者ばぶちゃんのリリスのお相手が黒薔薇の騎士団長大人の色気完備なんて、初期装備状態で四天王に立ち向かえと言われているようなもの。歴戦の猛者の前に貧弱装備で並ぶのは恥ずかしいし、どうして勝てると思ったのか問いたい。

 圧倒的戦力差。

 オニキスの隣に並ぶなら、リリスはお子様過ぎるに違いない…。

 だけど、咄嗟とはいえブライアンではなくオニキスを応援したときから、リリスは選んでいた。

 どうしてとか、相応しくないとか、そんなの取っ払って。自分がどうしたいのかを選んでいた。

 だから、リリスは気合いを入れて、指先に力を込めた。添えていただけの手が、花束に触れる。

 気付いたオニキスが、改めてリリスを見上げた。


「私はいけない子なので、オニキス様だけを見ることはできませんっ! スケッチが好きなので、他の人もたくさん描きますっ」


 オニキスがわかりやすく固まった。固唾を呑んで見守る令嬢達にも稲妻が走る。

 まさかこの流れで余所見します宣言。


 しかしソフィラは両手を組んで、励ますようにリリスを見守っていた。

 その視線に励まされ、リリスは言葉を続ける。


「でもそれは…う、浮気じゃありませんから!」


 顔を真っ赤にして、一生懸命訴える。

 訴えながら、オニキスから【宣誓の薔薇】を受け取った。


「オニキス様以外を見ないのは難しいですが、オニキス様のことは特別たくさん見て、もっとオニキス様のことを、知りたいです!」


 オニキスの言葉を表面通り受け取って、大真面目にお返事するリリス。

 稚拙だがこちらが照れてしまうくらい純真で…オニキスの言うとおり、堂々と余所見しますと宣言する、小悪魔いけない子だった。


 それでもリリスは【宣誓の薔薇】を受け取って、しっかり宣言した。

 あなたを知りたいと。

 その宣言を受けたオニキスは深く息を吐き、頷いた。


「…やはり俺のすべきことは、君の気を引き続けることらしい」

「ふぉわっ!」


 立ち上がったオニキスが、薔薇を抱えたリリスを抱き上げた。

 足を抱えて自分の腕に座らせる抱き上げ方。一気に高くなった視界に驚いたリリスは咄嗟にオニキスの二の腕あたりに手を置いた。なんだこれかたい。


「君が俺以外を誘惑しないよう、その目が俺だけを写し続けるよう鋭意努力すると誓う」


 こちらも大真面目に宣言して、オニキスの唇がリリスの鼻先に触れた。

 ちゅ、と響いたリップ音。わっと上がる歓声。


 白薔薇の盛大な罵詈雑言は形になる前に青薔薇によって塞がれ、どうやら無事まとまったようだと認識した王妃がさっと片手を上げて合図し、それを受けた侍女が見知らぬ装置をぽちっと起動。会場のあちこちから、色とりどりの薔薇の花びらが噴き出した。

 会場には拍手喝采が響き渡り、吹き荒れる薔薇の花びらに誰もが歓声を上げた。


 一方、何が起きたのか理解できず固まったリリスは、きょとんとオニキスを見返していた。

 見詰め返した視線の先。甘さしかなかった蜂蜜色。そこに、挑発的な色を見つけた。

 オニキスは笑う。リリスに見せていた甘さに満ちたものではない。獰猛な、飢えた獣の笑み。


「覚悟しろ」

「へぇ…!?」

(なんでぇー!?)


 ギラリと光は野生の光。甘い甘い蜂蜜の奥に潜む狼の眼光に、リリスは悲鳴を上げた。

 悲鳴を上げたが、この表情も格好いいなスケッチしたいなどと考えるリリスはやっぱり、根が呑気ばぶだった。


 ――その後、優勝した騎士だけでなく複数の恋人を生み出した【武力であの子のハートを射止めろ! 筋肉と筋肉による嫁取り合戦】は【ガーデニア武道大会】と修正され、毎年恒例の催事として根付くことになる。


 どれだけ時が過ぎても初回優勝者の黒薔薇の騎士が【宣誓の薔薇】を受け取ったその足で愛しい人に告白した経緯は、決勝戦の白薔薇の騎士とのやりとりも含めて語り継がれることとなる。


 薔薇の恩恵か執念か情熱か。薔薇を渡すことに成功した黒薔薇の騎士だが…妖精のように無邪気な彼女の視線を独占するため、その後も花の蜜のような甘さで彼女の気を引き続けた。

 婚約した後も、結婚した後も、子供を得た後も…独占欲の強い男は彼女の視線の行き先を探っては、自分へ誘導するため甘いを与え続けた。

 その甘さは、子供たちが辟易するほどだったという。


 ちなみに白薔薇の騎士は家族のために戦うと豪語し、実際妹の為に身を引く決断もしたことから「家族想いで相手の幸福を考えられる人」として大会後人気が上がったが…その人気とは裏腹に、末っ子が結婚した後も未婚だった。

 家族大好きな彼は、新しく家族を築く気があるのか。

 謎である。



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