第29話 立ち上がったのは


『両者ダウーンッ!』


 両者が地面に伏して、すかさず王妃が叫んだ。倒れ込んだ両者、起き上がる気配がない。が、ちょっと震えているのはなんとなくわかる。


『これは一体どういうことかしら。どちらの攻撃も当たったようには見えなかったけれど、同時に倒れてしまったわ!』

『あれは…嬉死うれし悲死かなしだね』


 なにそれ。


『嬉し恥ずかし悲し。感情が高ぶりすぎると身体に異常をきたす恐ろしい症状だよ』


 なにそれ。


 戸惑う周囲を他所に、両者が震えながら拳を地面に叩き付けた。剣で交戦していたときより鈍くて大きい音が響く。

 待って、拳強すぎる。ちょっと地面が削れてない?

 オニキスの苦しげな声が響いた。


「リリス嬢が…リリス嬢が初めて俺に声援を送ってくれた…なんて愛らしく致死量の満ちた愛の言葉ラブコール…こちらの心臓を射止めに来ている。狙い澄まさなくても彼女の声援一つで俺の心臓が爆発しそうだ。白薔薇お前、これほどのものを受けながら平然と日々演習に勤しんでいたというのか。化け物か?」


 そんな物騒なものを送ったつもりはない。


 対するブライアンは九腸寸断の思いを吐き出していた。


「リリスが…リリスが俺以外に声援を…! 愛らしい声で名前を呼んで声援を…っ」


 腸がズタズタにされたような声を出さないで。


「何故だ! こいつの方が将来的にリリスを養えるというのか! 確かに有望株だがだからこそ苦労するぞ! 妬み嫉みの積乱雲! 近隣住民に避難を呼びかけるレベルの暴風雨の発生地帯だというのに…それでもこいつに勝って欲しいというのか!」


 お前が言うな。


 白薔薇も黒薔薇も騎士団長。そういう意味ならどちらも台風の目。

 むしろ近すぎて被害に遭わないリリスはブライアンの嘆きが半分も理解できていなかった。なんか泣いてる?


「俺ではなく…黒薔薇に…く…っ! リリスの望みは叶えたいが…嫁には…出したくない…!」

「なにこれ」


 ほんとになにこれ。


 さっきまで真面目に剣を交えていたはずなのに、今では崩れ落ちて両者地面をひたすら殴りつけている。

 どういうことだ。何だこの茶番。


「お…オニキス様頑張って!」

「ぐふっ」

「かはっ」

「なんでぇ!」


 茶番を早く終わらせてくれと言う意味も込めて再度声援を送ったら、吐血したかのように呻いて二人とも完全に倒れ伏した。とどめだった。リリスは泣いた。ソフィラは呆然とした。子爵夫人は笑いを堪えるので必死だった。観客は騒然としていた。


『なんということでしょう…互角の実力を誇っていたモノクロ騎士団長。その二人を倒したのは白薔薇の妖精! なんと言う大波乱! 誰がこんな結果を想像したことでしょう!』

『そうか…妖精ではなく、白薔薇の小悪魔だったか…』

(なんでぇ――――!)


 リリスは応援しただけなのに。応援しただけなのにこの扱い。私なんかやっちゃいましたかと叫びたい。応援しただけなのに!

 ほんとに応援しただけなのに何故この結果。


 倒れたブライアンの手元で愛妹と赤文字が見えるのは何だ。吐血したのか。なんで。するような攻撃を受けていないはずなのになんで。なんでオニキスはちょっと満ち足りた顔をしている。致死量が満ちた? 駄目なやつ!


 リリスが半泣きになっていると、王妃がさっと手を上げて宣言した。


『カウント入ります! 先に立ち上がった方が勝利!』


 相打ちじゃないのに相打ち扱い。決まったのは対戦相手の一撃ではなく観客席からの応援。攻撃ではない。

 しかしさすが王妃。思い切りだとっても良かった。


『テンカウント! ワン! ツー! スリー!』


 思ったよりテンポが速い。

 間隔をあけてカウントする王妃の声に、自然と観衆の声も重なった。王妃のカウントと共に、立てられる指の数が増えていく。


『フォー! ファイブ! シックス! セブン!』


 五本指の折り返しで折りたたまれて行く指先。

 倒れて震える二人。

 噴き出さないように必死な青薔薇。


『エイトッ! ナイン…テェエ――ンッ!』


 最後には握り拳を突き上げて叫ぶ。侍女がどこから取り出したのか小さな鐘を五回叩いた。カンカンカンカンカァ――ンッ!

 立っていたのは、一人。

 激戦を掻い潜ったような体で立ち上がった黒い薔薇が、拳を突き上げた。


『勝者…オニキス・ダークウルフ選手ぅう――――!』


 うおおおおおお…!


 勝者決定に、歓声で会場が揺れる。

 王妃の真に迫るカウントで会場は盛り上がりを取り戻していた。なんと言う一体感。人の上に立つ王妃はひと味違う。隣の青薔薇は歓声に紛れて笑っていた。

 勝者が決まったというのに、リリスはスンッと表情をなくしていた。

 こんな勝ち方ある?

 いいの? これいいの??

 拳を突き上げて勝利宣言していたオニキスの足元で、震えながらブライアンが四つん這いになって嘆いていた。


「畜生…! どれだけ可愛がっても妹は嫁いでいってしまう…! 俺以外の男に妹たちを任せるなんて、不安でしかないのに!」


 そうは言われても。


 嫁がないとしてもずっと家にいるわけにいかないので、ブライアンにずっと守って貰うわけにいかないのだが、彼はずっと弟妹を囲っていたいようだ。


「俺の剣は家族を守る為の物だ…リリスが望むのなら俺は…この腕を…振り下ろすわけには…っ」


 なんて苦渋に満ちた顔。

 認めたくないがリリスがオニキスの応援をするから、オニキスを望んだと判断したのだろう。

 ならばブライアンは防波堤ではなく邪魔者だ。妹の望みを叶えるために、ブライアンは自ら引き下がった。

 引き下がったが、血涙を流しそうな顔をしている。


「絶対疵一つ付けるんじゃないぞ…! リリスが少しでも傷ついたら花弁をむしるようにお前の指をむしるからな…!」

「報復が猟奇的だな」

「我が家の天使を預けるんだぞそれくらいの覚悟を決めろ!」

「預ける? 貰い受ける」

「小憎たらしい…!」

『はいはいちゃっちゃか表彰式を始めるわよ~優勝者オニキス・ダークウルフ選手こちらへいらっしゃ~い』


 実況席まで階段が迫り上がってくる。

 なにあの謎技術。観客もどよめいた。


 とっても今更だが、実況席は二階にある。リリスたちがいる三階の観客席の右下に実況席があり、全体を見渡せる仕様だ。

 謎技術で迫り上がってきた階段を上がったオニキスが、舞台の上にいるときより近くなる。実況席と階段のつなぎ目の踊り場で、彼は王妃の前で跪き、頭を垂れた。

 王妃は拡声器を持ったまま堂々と彼の前に立った。


『今大会優勝したオニキス・ダークウルフ選手へ、優勝した褒賞として【宣誓の薔薇】を贈呈するわ』


 しずしず付き従っていた侍女から籠を受け取った王妃は、拡声器を握ったままなので片手でその籠をオニキスへと手渡した。

 王妃様、ずっと拡声器を放さない。


『おめでとう。あなたの筋肉がナンバーワンよ! 強さを磨き上げたあなたの精神が、愛する人を振り向かせるに値することを祈っているわ』


 跪いたまま、両手で薔薇の入った籠を受け取ったオニキスは観客たちの拍手喝采を浴びながら、呟いた。


「視線だけなら、既にいただいているのです」

『ほほう』

「私がすべき努力は、彼女が他所に目移りしないよう、彼女の気を引き続けることだと愚考しております」

(私が浮気者みたいな言い方――――!)


 あっちにもこっちにも目移りする気が多い子みたいな言い方をしないで頂きたい。

 どちらかというと、蝶が飛んでいるのに気をとられる二歳児ぴよちゃん扱いかもしれない。


『なるほど視線を独占したいのね。黒薔薇の君で満足しないなんてたいしたお嬢さんだわ。いいぞもっと翻弄してやりなさい! 翻弄してこそ、魅力的に咲いてこそガーデニア国民! 咲き誇れ! 我が国の薔薇国民たちよ!』


 大仰な動作で両手を上げて、王妃は観客を振り仰いだ。好奇心一杯の桃色が、彼女こそ薔薇と言わんばかりに咲き誇っている。


『【第一回武力であの子のハートを射止めろ! 筋肉と筋肉による嫁取り合戦】これにて閉会よ!』

『そのタイトル押し通したね』


 さすが王妃様、ぶれない。


 多数に見られながら薔薇を渡されて、流されるまま受け入れてしまう令嬢もいるということで、薔薇の受け渡しはここまでらしい。手助けは入るらしいが、最低限の気遣いはしてくれる。

 リリスはほっとした。今まさに、この場で薔薇を渡されたらどうしようかと思っていたからだ。


 薔薇を受け取り立ち上がったオニキスは、閉会の宣言が終わってすぐ階段を下り…ない!

 彼は階段ではなく、柵にひょいっと飛び乗って、助走もつけず三階にひょいっと現れた。

 そう、三階へ。

 リリスのいる、三階席へ階段を使わずやって来た。


 閉会宣言がなされたと言っても、観客が立ち上がる間もなく大胆に移動した優勝者オニキスの姿に、誰もが彼に注目した。


「リリス嬢」


 その一言で。

 ざっとご令嬢たちが一気に動いて、リリスとオニキスの間だから人垣が消えた。



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