第26話 義理の姉妹の可能性


 ブライアンが手ずからアントンを救護室に運んだので、二十分の休憩が挟まれた。


 精密機器な兄の容態が気になったリリスは、心配そうなニコルと一緒に救護室へと向かった。会場は広いので案内人が複数配置されている。なので迷わずアントンのいる救護室へと向かうことができた。

 案内された救護室には寝台が三つ並んでいる。衝立で区切られた一番奥にアントンが寝かされていた。

 分厚い眼鏡を外して眠っているアントンは、まさに眠りスリーピングビューティー。ブライアンに繊細さを追加した美貌の次兄は、精巧なお人形のようだった。


(アントン兄さん、儚げもプラスされちゃってるわ…相変わらずの計算された美しさ…)


 多分神様が計算した。

 そしてニコルは三度見していた。


「どうかしたの?」

「いえあの、あれ? アントン様? こちらアントン様でよろしいですか?」

「間違いなくアントン兄さんよ?」


 急に挙動不審になったニコルに首を傾げながら待機していた救護員に話を聞いたところ、ただの気絶なので数分もすれば目が覚めると保証された。ブライアンは丁寧に優しく慎重に優しく後遺症が残らないようとっても優しく気絶させたらしい。

 そのブライアンも決勝戦があるので既に戻っている。ならばリリスも戻らなければならない。さすがにそれくらいの判断はついた。


「ニコルさん、アントン兄さんをよろしくお願い致します!」


 リリスはニコルに深く頭を下げて、付き添いを頼んだ。


「は、はい。任されました…」


 ニコルは頬を染めて視線を彷徨わせたが、しっかり了承してくれた。リリスは安堵して観客席へと引き返す。


 リリスは全然意識していなかったが、兄が告白した女性に対して実妹からの「(付き添い)よろしくお願いします」は「(今後とも)よろしくお願いします(意味深)」と言っているようなものだった。リリスは気付いていなかったがニコルは深読みしたので、「任されました(意味深)」と返していた。


 リリスは全く気付いていない。気付いていないが結果オーライである。

 任せた。


(それにしても…ソフィラいなかったな。蕾の人も居なかったし…アントン兄さんしかいなかったけど、救護室って他にもあるのかしら)


 案内の人に「アントン兄さんのところへ行きたい」とお願いしてここに辿り着いたリリス。実際その通りで、救護室は複数用意されていた。

 なので、予選敗退したものと本戦に出場したもので救護室は別になっている。もし「救護室へ行きたい」とだけ言えば、ニコルの元夫と遭遇する万が一もあったかもしれない…が、そこまで考えが回っていないリリスだった。


(それにしてもアントン兄さんがあんな大胆なことをするなんて。思い切りのいい人だとは思っていたけど、びっくりだわ)


 アントンは自分の数値実力を把握している。数字を愛する人なので、数値実力以上の行動は基本的にとらない。人の心があるので考慮するが、基本的に数値実力重視で行動する。

 それなのに、こんな無茶をした。それは、アントンが恋をしていたからだ。想いを成就させたかったから。


(あのアントン兄さんが…恋)


 思わずリリスがドキドキしてしまう。落ち着かなくて足取りが跳ねた。


(蕾の人も、ソフィラが好き…なのよね)


 ソフィラがいると気付いてからのあの反応。赤くなった顔。それを見たソフィラの、羞恥に滲んだ歓喜。


(オニキス様…も)


 蜂蜜色の、甘やかな視線。

 甘く甘く、甘く漬けられて…美味しく食べられてしまいそうな、そんな恐怖を抱かせる人。


(あの人は、私が好き)


 さすがのリリスも認めざるを得ない。


(黒薔薇の騎士団長で、すごい人なのに…私が好き)


 なんで、と叫びたいのは相変わらずだ。

 でも、戸惑いながら相手をしっかり見ていたソフィラやニコルを見て、大事なのはそこではない気がしてきた。

 大事なのは…リリスが、オニキスをどう想っているのかだ。


 思い出すのはライラの言葉。

 些細な切っ掛けで恋に落ちるのだと語った。スケッチブックに描く被写体を決めるような気軽さで、惹かれることもあるのだと。

 ならばスケッチブック一杯に黒薔薇を咲かせていたリリスの気持ちは。

 格好いいなぁ、描き応えがあるなぁと思っていた、リリスは。


(待って…オニキス様だけじゃない。私は可愛いソフィラも描きたい。だから描きたいって気持ちだけじゃ決定打には…違うの浮気じゃない。浮気じゃないもん)


 浮気じゃない。

 浮気じゃないけど。

 何度描いても足りないと感じたのは…。


「あ! リリス! こっちよ!」

「ソフィラ!」


 考え事をしながら歩いていたが、無事観客席に戻って来られたらしい。そして戻って来ていたソフィラがパタパタ手を振ってリリスを呼んでいる。

 リリスはぱっと表情を明るくしてソフィラの隣へ座ろうと…したら他のご令嬢たちによいしょよいしょと観客席の中央へと流された。ソフィラも一緒だ。あれ??


「お待ちしていましたわリリスさん。そろそろ決勝ですのでどうぞこちらへ」

「はぃ…?」


 こちらへと言われたが強制的に流されたのだが。気付けばスモーキー夫人の隣に座っていた。


「スモーキー夫人? な、何故…」

「勿論これから麗しのブライアン様と飢えた狼がリリスさんを巡って戦うからです」

「はぇ?」

「言い直します。白薔薇の君と黒薔薇の君の決勝戦が始まるからです」

「はわぁ…」


 いつの間にか、リリスの周囲を令嬢達が取り囲み、リリスが他の席に座れない状態になっていた。

 しかも令嬢達に一切の悪意がなく、ワクワクした明るい表情で舞台を見下ろしている。


「後列では遠すぎますし、最前列より中央の方があちらからもよく見えます。この戦いの関係者であるリリスさんには是非、絶好の視聴席で彼らの戦いを見守って欲しく存じます」

「はぅ!?」


 リリスは固まった。

 だってこの大会、嫁取り合戦の発端。オニキスとブライアンの決闘話は、騎士達はともかく他の人たちには漏れていないはずで…。

 だからあの二人がリリスを掛けて決闘とか、そんな事情を知っている人は限られている。そう、騎士が知り合いだとか身内がいるとか…。


 身内が…。


 リリスは固まったまま、じっくりスモーキー夫人を見上げた。

 彼女は波打つ黒髪を結い上げて、少しだけ渋みのある蜂蜜色の目を細めて笑っている。

 そう、蜂蜜色の目。

 この、既視感は…。


「兄の黒薔薇が勝ちましたら、リリスさんはわたくしのお義姉様かしら?」

「はぉ…!?」

(おねえさま…!? 私が!?)


 ということは。


「お、おにきすさまの、いもうとさん…?」

「はいお義姉様」


 リリスの背後に忍び寄っていたという、例の。

 マーブル・スモーキー子爵夫人。旧姓マーブル・ダークウルフは、リリスの震えた声ににっこり笑顔で肯定した。お義姉様呼びで。


(みぎゃ――――!?)


『お待たせしました! 【第一回武力であの子のハートを射止めろ! 筋肉と筋肉による嫁取り合戦】決勝戦をはーじめーるわよぉ~!』


 リリスが心の中で絶叫したのと、王妃の愉快な宣言は同時だった。

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