第21話 いるはずのない人

 リリスは慌てた。多分ブライアンも慌てている。

 しかし片や観客席。片や別ブロックのステージの上なので、Cブロックで全身をガタガタ言わせているアントンに詰め寄ることはできない。

 というか座って欲しい。本当に心配になるくらい足がガタガタしている。汗もすごいし、呼吸もかなり荒れている。疲労困憊がすごい。


 しょうがない。暴れ馬が目立つホワイトホース家の中で、アントンは誰もが認める温室育ち。恐らく末っ子のリリスと同じくらいか弱い。もしかしたらお散歩大好きなリリスと違って室内で計算するのが大好きな次兄だ。リリスよりか弱いかもしれない。

 そんな温室育ちのお姫さまアントンが、まさかの武道会出場予選突破。


 どうしてそうなった。


(と、とと、止めなきゃ!)


 これ以上はいけない。アントンもだがこっちの心臓も止まる。

 しかし残念ながら制止の声は届かないのが世の常である。


 予選を勝ち抜いた選手たちは、本戦に向けて三十分間の休憩を挟む。その間に四つのブロックに分かれていたステージが盛大な絡繰り仕掛けを披露して一つの舞台に変貌していた。中央にある十字の溝がもりもり盛り上がって一つのステージへ早変わり。なにあれどうなってるの?

 とにかくその休憩時間は、妨害行為防止のために接触禁止となるらしい。だから同じ選手であるブライアンは勿論、観客のリリスも接触ができない。予選を勝ち抜き疲労困憊だったアントンを救急搬送することができない。


 この仕様を聞かされたとき、Dブロックでブライアンが「マジかよっ」という顔をしていた。麗しの騎士様の滅多に見ない間抜け面だったが、リリスはそれを笑うことができない。リリスも「やべぇっ」という顔をしていたので笑えない。


 無念。


(どうしよう…アントン兄さんはちょっと叩けば吹っ飛んじゃう、人との距離感が壊れているバグってるクリスだって気遣うくらい精密にできているのに…というか今朝普通に挨拶したのに当たり前みたいに出場しているの何で!? エイドリアン兄さんはこのことを知っているの!? わ、私はどうしたら…! もう、もう)

「アントン兄さんのばか…っ」

「…アントン様…」

「「!?」」


 斜め背後で次兄を呼ぶ声が聞こえて、驚いて振り返る。振り返った先では一人の女性が目を丸めてリリスを見ていた。


 観客席の後ろの方に座っていた、二十代後半と思われる女性。

 彼女がずっとそこにいるのは気付いていたが、失礼ながらリリスは関係者スタッフかな? と思っていた。

 何故なら彼女は周りの令嬢がドレス姿なのに対し、仕事服スーツで姿勢良く座っていたからだ。


 亜麻色の髪をひっつめて、丸い眼鏡をしてピシッと座っている様子はどこから見ても仕事中。丸眼鏡の奥、鳶色の目が理知的で、キャーキャー応援することもソワソワ戸惑うこともなかったので、てっきり関係者スタッフだと思っていた。


 しかし彼女は、心配そうな声音で次兄アントンを呼んだ。

 ここでようやくリリスは、この大会の趣旨を思い出した。


 嫁取り合戦である。

 出場者は、嫁にしたい相手がいる男達(一部騎士団長例外)である。

 そんな大会に次兄が出場している…ということは。


(アントン兄さんがお嫁にしたい人がいる…!?)


 そして招待状を送っているならこの場に来ているはずで。

 つまり。つまりこの人は。


「アントン兄さんの恋人…!?」

「こ…っ!? ち、違います違います同僚です!」

「違った! 早とちりでしたすみません!」

「い、いえ…」


 慌てて否定されて、リリスは自分の早合点を反省した。しかし女性はもの言いたげにリリスを見ている。リリスは首を傾げ…ハッとした。


「初めまして、リリス・ホワイトホースです。兄がお世話になっています」

「あぁ…やはり妹さんでしたか。ニコル・ナンバリングと申します。財務課に勤めております、アントン様の同僚です」


 ブライアンとリリスは特に説明なく兄妹だと理解されるが、アントンとリリスは即座に兄妹と判断されないことがある。色彩は同じだが、アントンが分厚い眼鏡をかけているので顔立ちがわかりにくい所為だ。

 この女性、ニコルも迷ったのだろう。リリスの自己紹介に納得したように微笑み、挨拶を返してくれた。


「ナンバリング様は…」

「どうぞ、ニコルとお呼びください。私は平民ですので、ご令嬢にそのように呼ばれる身分ではないのです」

「平民…え、でも財務課にお勤めとなると、大変優秀な方ですね! たくさんお勉強したんですね! アントン兄さんみたい!」


 言うまでもないが財務課は数字に強く、根気のある人間でないと発狂する魔の部署だ。間違えたエリートが集まる場所だ。

 国の財政資金にかかわる部署だ。相応の身分あるものでないと就職することのできない場所。そこに平民の女性が務めているのだから、リリスが想像もつかないほど努力を必要としただろう。

 わあすごーいっと子供のような反応をしてしまったリリスだが、純粋な賛辞にニコルは理知的な瞳を丸くした。そして、ふわりと目元を緩めて笑った。


「ええ、アントン様のように仕事ができるよう、日々励んでおります」

(ほわぁ…)


 ぴしっとしていて一見厳しそうな人だけど、笑うととても柔らかい印象になる。


(アントン兄さんは数字大好きで、仕事仲間とどんな感じか気になっていたけど…ニコルさんみたいに優しそうな人が一緒なら大丈夫そう)


 なんて安心したが違う違う。

 その数字大好きアントン兄さんが嫁とり合戦の本選に出場してしまうのだ。

 リリスはニコルを見上げて、失礼ながら聞いてみた。次兄が招待した女性が、ニコルだといいなと思ったのだ。


「あの、ニコルさんは、誰に招待されてここへ…」

「…予選で敗退しました、元夫からの招待ですね」

(あっこれ聞いちゃダメな奴だった――――!)

「お気になさらず。寄りを戻すつもりはなく、文句を言わせないために来ていただけでしたので」

(あっ未練とかない奴だ――――!)


 招待されたからには足を運ばないと難癖をつけると予想されている元夫は、予選で負けて当然な気がした。応援ではなく義務で来ただけだからほかと温度差があったらしい。


(でも、じゃあアントン兄さんがお嫁さんにしたい人って誰だろう…)


 つい疑心暗鬼になって周囲を見てしまう。あの若い子だろうか。大人びたお姉さんだろうか。まさかのスモーキー夫人だろうか。


 なんて混乱しているリリスの背後で、ニコルもこっそり周囲を見回していた。少し不安を滲ませて、見たくないものを探すように。

 一部始終を隣で見聞きしていたソフィラだけが、何かを察して小さい口をもごもごさせ、沈黙を選んでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る