第16話 贅沢には慣れる
「理由なんて、説明されても理解できるものではありませんよ」
しょんぼり下がったリリスの肩を抱き寄せながら、優しい声でライラが囁く。
「切欠など、千差万別。こちらの何気ない言動が他者へ影響を与え続けています。影響された側は覚えていても、与えた側は覚えていないことがほとんどです。いいことも、わるいことも総じて」
そういうものだろうか。
そういうものかもしれない。
だって物語の主人公は、沢山の人を救うがそのすべてを自覚している訳ではない。主人公が鈍感だからとか、そんな理由だけではないはずだ。
ソフィラの好きな冒険譚だって、主人公の何気ない動作で罠が解除され、困っていた人たちが脱出するシーンがあった。主人公は最後まで自分の手柄だと認識していなかったし、助けられた側は偶然だとしても深く感謝していた。
そういうことだろうか。
リリスが全然気にしていない動作で、相手に影響を与えてしまったのだろうか。
…あんなになるまで?
あんなになるまで??
「繰り返しますがリリス。伯爵子息に生理的嫌悪はありますか」
「な、ない…」
「ならば羞恥心をかなぐり捨てて正面から相手をよく見なさい」
「みょ!?」
当たり前だが難しいことを言われた。
「伯爵子息は黒薔薇の騎士団長…令嬢相手の浮いた話は聞いたこともなく、立ち振る舞いは堅実堅剛清廉潔白…そんな男が恋を知って浮かれているとしても不思議ではない。何せ相手は私の
「ライラ姉様? 速すぎて聞き取れないわ?」
隣に居るのに聞き取れないくらいの音量と速度。戸惑い頬を染めるリリスに、ライラはにっこりと微笑んだ。リリスは尻込みした。
これは姉が相手に脅しを掛けるときの顔だ。
「リリス。これは私の経験談ですが、私とあなたは違いますからそれがすべてではないと心に刻みながら聞いてください」
やっぱり脅しみたいだ。
「私は確かにしつこさに折れて結婚しました。しかし旦那様が私に捧げる愛の熱量に、なにも感じなかったわけではありません」
告げられた内容にちょっとほっとしたが、ライラの「何も感じなかったわけではない」はリリスが思っているような甘酸っぱい感情ではなかった。
「旦那様の愛情熱量があまりにも暑苦しくて…他の人からの愛しているが物足りなくなったな、と」
過激かつ重い愛に、いつの間にか慣れてしまっていた、と。
「みぇ…っ」
震えた。
他人事でなさ過ぎて震えた。
「リリス…伯爵子息の愛情表現を、蜂蜜と言いましたね」
「言いました…」
今後の展開が見えてきて震える。
「その濃厚な蜂蜜。蜜をたっぷりかけられたパンケーキに慣れた後、バターのみのパンケーキを与えられて、物足りなさを感じずにいられますか」
「みぅ…!」
リリスは震えた。ぶるっぶるだ。衝撃的な事実に気付いてしまったのだ。
(贅沢に、慣らされちゃう…!)
パンケーキの色が変わるほど、蜜でふやけるほど蜂蜜を掛けておいて…密の甘さで誘惑し、たっぷり蜂蜜じゃないと満足できない身体にされる。
直接的な愛の言葉を囁かれていないのにこの密度。
いざ囁かれてしまったら、二度と抜け出せない蜜の沼に落ちてしまう。
(まだ…まだ負けてないもん! 蜂蜜なしのパンケーキだって美味しいもん!)
美味しいが、甘さは段違い。
甘さを覚えてしまった自分に、その差が我慢できるだろうか。
満足できない可能性に震えた。視点が定まらないくらい震えた。
「嫌悪がないのなら熱量を受け止めて付き合い続けるのも一つの手。恋をしていなくても、愛してくれる人を愛せそうなら、その手を取る選択肢もあります」
むしろ貴族として、愛してくれる相手に嫁ぐのが難しい。
「相手がこちらに夢中なうちに手綱を付けて乗りこなすのです。大丈夫。あなたはホワイトホース家の子。暴れ馬だろうと
「みぃい…っ」
今現在暴れ馬な旦那を乗りこなしているライラだからこその助言にリリスは震えた。ずっと震えている。
乗りこなそうとして沈んでいく未来しか見えない。
「しかし愛せないと思うなら、どれだけ愛されても拒みなさい」
屹然と告げられた言葉に、震えが止まる。
顔を上げれば、真剣な表情のライラがリリスを見ていた。
「喧しいくらい暑苦しい愛を叫ぶ旦那様ですが、応えない私の態度に不安を抱き続けていました。無償の愛はありません。無限の愛もありません。愛されたいから喧しく訴えてくるだけで、応えて欲しいから蜜を与えているのです。愛を無限にしたいなら、こちらからも愛を返す。お互いの愛を交わしあって、愛とは継続していくのです。応えられないのなら、蜜に沈んでいる場合ではありませんよ」
期待を持たせるのは残酷なことです。
(そんなつもりもないのにもう残酷だって言われちゃった私はどうしたら…)
それすら甘く囁かれたのを思い出し、蜂蜜過剰摂取に命の危機を覚えて
真剣に考えたいのに、
(考えなくちゃ…考えなくちゃいけないのにぃ~~~!!)
演習場で遠くから黒薔薇の騎士団長を見つめていたときよりも、彼のことで頭がいっぱいになっている。
(みゃ――――っ!!)
それを自覚するのはなんだかとても恥ずかしくて、リリスは奇声を上げて頭を抱えた。
甘い甘い蜜で溺れないよう必死になっているリリスを他所に。
騎士団による武道会…嫁取り合戦が始まる。
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