第10話 視線の熱量


 オニキスがリリスを知ったのは、去年の社交シーズン。


 丁度その頃騎士団長に就任したオニキスは、引き継ぎの関係もあって顔合わせのために夜会に出ていた。伯爵子息としてではなく、黒薔薇の騎士団長として別の人脈が必要だった。

 その夜会で、白薔薇の騎士団長ブライアンが一人の少女をエスコートしているのを目撃した。


「おや、ホワイトホース家はまだ愛らしい娘を隠していたのか」

「末の娘のデビューは白薔薇の騎士団長のエスコートか。身内は得だな」


 銀色の髪に透き通る碧眼。似た色彩を持つ二人は一目で兄妹とわかり、仲よさげに笑い合ってダンスの輪へと流れていった。

 デビュタントの女性は基本的に白いドレスを着用する。慣例通り白いドレスを身につけた少女は銀髪の印象も相まって神秘的で妖精のようだ。しかし兄に見せる笑顔は明るく、彼女が幸せのただ中にいることがよくわかる。


 オニキスにとってその頃は、少女よりそのパートナーの方が興味深かった。

 いつもキラキラと輝かしい笑顔を浮かべて貴婦人に丁寧な白薔薇の騎士団長。特別親しくしているわけではないが、避けている相手でもない。同じ騎士団長同士として、一応挨拶でもするかと爪先を向けたところ。


 ギラリと獰猛な殺意を向けられた。

 殺気ではなく。殺意。


「邪魔したら…わかってんだろォな?」など巻き舌で柄悪く凄まれている気分になった。

 ちなみにダンスのお相手、愛らしい妹は興味深そうに周囲を観察していて兄の様子に一切気付いていなかった。


 意味も分からず挨拶出来ず終わった夜会。伯爵家に帰宅したオニキスは、白薔薇応援団の一員である妹のマーブルから白薔薇の君の為人を聞いた。


「ブライアン様は愛情深い方だから、年に数回しか会えない妹さんとの逢瀬を誰にも邪魔されたくなかったのね。昨夜は本当に断れない目上の方以外とは挨拶していなかったわ。妹さんが疲れたら最後まで残らすすぐお帰りになったし…本当に恋人のように甘やかしているから、彼は愛する人をああして溺愛するのねって身悶えしながら見ているわ」


 妹は数年前に結婚し、すぐ夫と死に別れた未亡人だ。マーブル・スモーキー子爵夫人として数々の夜会を渡り歩いている。兄として妹の行動は心配だが、白薔薇の騎士団長に入れあげてからは健康的になった。

 ちなみに多くのファンを抱えるブライアン。彼はファンサなるものはするが、ファンを自称する貴婦人の誰とも親密になることはない。きっちり線引きされているからこそ、ファンも境界線を理解して弁えていた。

 ブライアンが特別扱いするのは身内だけ。その身内に対する溺愛を見て、今日も推しが幸せそうで尊いと喜びの活力を得るらしい。

 正直何を言っているかオニキスには理解できない。


「平等に感謝する…当たり前のようで難しいことよ。それができないなら、お兄様はファンにファンサしない方が良いわ。絶対恋に狂う令嬢が現われるから」


 言われなくてもブライアンの真似はできないので、オニキスはどれだけ騒がれても反応しないことにしていた。

 それがストイックだ、硬派だと余計騒がれる原因となったが、オニキス本人にはどうすることもできない。


 とにかく去年は白薔薇の君の存在感が強く、妹の存在は霞んでいた。

 しかし今年、白薔薇の存在こそが霞む。


(…妖精が、俺を見ている)


 思わずそう思ってしまうほど、少女は愛らしかった。


 オニキスが視線を感じて振り返れば、必ず白薔薇の妖精がオニキスを見ていた。

 絹糸のような銀髪を無防備に揺らして、あどけない碧眼で楽しげに…オニキスを見ていた。

 こちらが照れてしまうほどの熱量で。嬉しそうに、熱心に。


(焦げてしまいそうだ)


 湖面を想わせる色合いの瞳なのに、あまりに熱心に凝視してくるので火がついてしまいそうだ。オニキスは、視線がこれほど熱いとは知らなかった。

 白薔薇騎士団長の妹リリス・ホワイトホース子爵令嬢は、兄のブライアンを応援するためいつも演習場に現われる。愛らしい声で歓迎し、激励し、労った。愛らしい声は、すべて兄に向けられている。


 しかし視線は。

 自惚れでなければ常に…オニキスへと向けられていた。


 目が合ったのは何度目だろう。

 互いの目の色もわからないほどの距離だというのに、すぐ傍に彼女の血縁者であるブライアンがいるため色彩の想像がたやすい。余計な解析度ばかりが上がっていく。

 一日に何度も目が合った。演習場に出ればどこにいても視線を感じた。

 白薔薇応援団所属の妹も、リリスはオニキスばかり見ていると太鼓判を押していた。

 リリスはオニキスを見ていた。ずっと、ずっと。熱心に。


 しかし、あれだけ長いこと視線を送っているにも関わらず、たった一度もオニキスへ声援を送ったことはない。

 あんなに視線を、向けてくるのに。


(俺は弄ばれているのか?)


 堅物な男を誘惑しているつもりなのだろうか。

 これが妖精の悪戯だというのならなんと甘美で残酷な遊戯なのだろう。

 オニキスの思考が迷走しかけている最中、演習を終えたオニキスの元に妹のマーブルが乗り込んできて、


「お兄様がへたれているから妖精がしびれを切らして他所の花に飛んでいきそうですわよ!!」


 と叫んだ。


 ――それは。

 それは、駄目だ。

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