第6話 糖度80%


 とろりとした蜜の存在に怖気づきながら、リリスはオニキスを見上げた。彼はそれだけで嬉しそうだ。

 なんで。

 というか、なんだこの展開。あれ?


「あなたは今日だけでなく、演習があるといつも、兄の応援に来ているな」

「は、はい」

(サクラだけど)

「いつも楽しげに兄を呼び、愛らしい声で声援を送っているのを知っている」

(愛らしいかな!? キンキンしなかった!?)


 自分としてはちょっと恥ずかしいくらい高い声を出していたと思う。お小遣いのために。


「しかし演習中は必要以上騒がず、慎ましく絵を描いて過ごしていた」

(ノルマ達成しか考えてなかったからです!)


 ノルマは三回。入場、演習、退場だ。この演習項目はブライアンが対戦するときのみで、ない日もある。なので慎ましく過ごしているように見えたのだろう。


「そして気の所為でなければ…君は、俺を見ていただろう」

「ぴぃ…!?」

(しまったあからさまに反応してしまった!!)


 その通りだったので、つい。

 気付かれていた驚きと指摘された羞恥心で顔が赤くなる。その反応を見て、オニキスは鋭い目元を和らげて笑った。


 …誰!? この柔らかな笑顔、誰!?


「良かった。自惚れではなかったようだ」

「あ、あわ、あわわわわ」

「少し不安だったから、観戦する君の後ろに我が家の妹に忍び寄ってもらっていた。君は、白薔薇より黒薔薇がお好みらしいな」

「ぴゅ…!?」


 いたんですか私の背後に、オニキス様の妹さんが!

 いつものご令嬢たちだけだと思っていたのに! 忍び寄っていたんですか!


 ちなみにリリスの背後には複数の女性が定期的に忍び寄っているが、ただの一度も気付いたことがない。

 なので白薔薇騎士団応援団では、妹の好みは黒薔薇だが、健気に兄を応援している愛らしい妹として有名だ。何なら兄を隠れ蓑に黒薔薇に恋心を募らせていると思われている。

 お小遣い欲しさのサクラなど言えた空気ではない。


 顔を赤くして狼狽えていたリリスは、いつの間にか目の前に立っていたオニキスが距離を詰めてリリスを閉じ込めるように壁に手をついているのに気付いた。なんてこった、壁ドンだ。身長差から、覆うように身を屈められて圧迫感がすごい。閉じ込められた。


「リリス嬢」

「ぴぇ…っ」


 目が、声が、甘い。

 おかしい。堅実で清廉な空気はどこへ。蜂蜜をデロデロに熱して絡め取るような、身動きが緩慢になるこの熱量は何だ。


「君たち兄妹仲がいいのは良いことだが…是非次の演習では、俺に声援をくれないか。君の視線で焦げそうなのに、声援は一切向けられないなど生殺しが過ぎる」


 生殺しされているのはこっちの方である。

 なんだこの大人の色気。やめてくれ私はうら若き十六歳の乙女です。今にも腰が砕け散りそう。抱きしめたスケッチブックに縋るが何の防御力もない。何ならスケッチブックに黒薔薇ばかり描いていたので、これも敵かもしれない。おかしい。味方どこ。


「リリス!」


 味方いた!


 優美な立ち回りを心がけている兄が、血相を変えて飛び出してきた。白薔薇の君は妹に迫る黒薔薇の君を認め、甘い目元をつり上げる。


「俺の妹に何をしている黒薔薇の! 【入り口で黒薔薇が白薔薇の妹を襲っている】と通報を受けたが事実か! 事実だな! 引っ捕らえろ! イヤ俺が引っ捕らえる!」

「落ち着いてくださいお義兄さん」

「誰が義兄だ! 確かにお前より年上だがお前を義弟にする予定はない!」


 ちなみに兄ブライアン二十七歳。オニキス二十三歳である。オニキスとリリスの年の差は七つ。


「丁度良かった。次からとは言わない。今からリリス嬢の声も視線も思考も俺に向けて欲しいと思っていた。妹が兄離れするためにも婚約を認めてくれないか」

「図々しいな!? 謙虚かと思えば図々しいな黒薔薇ァ!! あとリリスは兄離れできている!! できていないのは妹離れだ!!」

「なるほどそちらか。ならば遠慮はいらないな。リリス嬢、結婚してくれ」

「段階を踏め段階を!! 一段も二段も飛ばすやつにうちの可愛い末っ子はやらないぞ!!」

「なにこれ…」


 兄の白薔薇と迫り来る黒薔薇に挟まれて、リリスは口から魂を出しそうになっていた。なにこれ。


 味方だと思っていたブライアンが騒ぐため、先程より人目が集まっている。なんだなんだと人だかりができそうだ。集まる民衆を、空気が読める騎士達が交通整理してくれていた。彼らは彼らで団長たちのやりとりを民衆に見せるわけにはいかない。


 リリスは羞恥で小さくなった。背の高い男性に挟まれて周囲からはきっと見えなくなっているだろう。きっと。

 そう願っていたのに、オニキスの無骨な手の平がリリスの頬に添えられた。思ったより温かな手の平に身体が跳ねる。促されるように視線をあげた先で、とろみのある蜂蜜に絡め取られた。


「俯かず、俺を見てくれリリス嬢」


 上から、たっぷり、蜂蜜をかけられるパンケーキの気分。


「君の視線が俺以外に向けられるのは、耐えられそうもない…俺を見て。俺を描き続けてくれ」

「ぴょ…っ」


 駄目だこれとっろとろにされる。

 蜂蜜に漬けられた肉は柔らかくなるんだよ知ってた? きっとこんな気分。ふにゃふにゃしちゃう。


 とろとろしたお肉みたいに柔らかく料理されそうだった私の身体を、ブライアンがさっと支えてオニキス様から引き剥がした。ブライアンも身長が高いので、私の足が地面から浮いてプランと揺れる。それくらいがっちり抱きかかえられた。


「妹に近付くな受粉したらどうしてくれる!!」


 リリスは人間なので近付いただけではしない。


「勿論責任をとる」


 リリスは人間なので近付いただけではしない。


 睨み合った白と黒。見守る周囲。当事者なのに、全く発言できていないリリスは陥落寸前。

 二人の男は、同時に叫んだ。


「「よろしいならば決闘だ!」」


 二人の宣言と同時に、わっと周囲の騎士達が歓声を上げた。


「いいぞブライアン団長やっちまえ! 妹ちゃんを守るんだ!」

「すかした黒薔薇に吠え面をかかせてやるんだ!」

「応援しますオニキス様団長! 白薔薇の妖精のためにも!」

「シスコン野郎に格の違いを見せつけましょう!」


 歓声を上げるだけの騎士が集まっていた。


「なんでぇ…」


 いつの間にか野次馬していた周囲がお祭り騒ぎになった為、リリスの疑問は誰も拾ってくれなかった。


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