第2話 銀貨一枚


「お待たせリリス。待ち疲れてないかい」

「平気よブライアン。でもお腹は空いたかもしれないわ」

「それはいけない。早く帰っておやつにしないとね」


 演習後、私はブライアンが手配した馬車に乗って子爵家へと帰る。

 騎士として身を立てたホワイトホース家三男のブライアンは、騎士団長に就任した暁に男爵位を戴いた。一代限りの爵位だが、子爵家の三男として快挙だ。

 なんか色々あったらしいが詳しいことは知らないリリスである。

 そんなわけで屋敷を貰ったブライアンは、持ち家から職場へと向かっている。つまり現在、ホワイトホース家に住んでいない。

 それなのにリリスを送迎しているのは、全て声援のため。声援で黒薔薇に負けないためだ。


(しょうもない…)


 キラキラした笑顔で馬車までエスコートされるが、リリスはずっとスンッと抜け落ちた表情をしていた。


 あと、お腹空いた。

 騎士達は身体が資本なので、本部の近くに飲食店が近い。広場も近くて、屋台から漂う油の匂いやタレの香りが空腹を擽る。

 一度でいいから行ってみたいのだが、中々許可が下りない。

 今日も話題に出す前に、家で用意されているだろうおやつを言及されてしまった。ちょっと唇を尖らせて、渋々馬車に乗り込んだ。


(串焼き…食べたい…)


 食べ歩きしている平民の、なんと幸せそうなことか。


(服が汚れるとか、行儀が悪いとか気にせずかぶりついてみたい…)


 令嬢としてアウトだが、とても美味しそうだ。ついつい視線が屋台へ向いてしまう。


「…ブライアン、お小遣い」

「うんうん、屋敷に着いたらやろうな」

(今貰って今屋台に行きたいのがばれている…)


 残念ながら、馬車の車輪は回り出してしまった。無念。


「今日もありがとうリリス。暑くなかったか? 応援してくれるなら後ろの日陰でもいいんだぞ? その方がリリスもよく見えないだろうし」

「後ろのご令嬢たちのパラソルが丁度良く日陰になるから大丈夫よ」


 令嬢達が密集している場所だ。日よけ対策はしっかりされている。リリスはしていないのだが、不思議と快適に過ごしていた。


(…ん? 今なんか変なこと言わなかった?)


 ブライアンの言葉に引っかかりを覚え、大きく首を傾げた。傾げたが答えが出ず、リリスは不思議そうにブライアンを見上げた。

 対面に座った背の高い兄は、ニコニコキラキラ輝きながらリリスを見ている。


「それで、今日は何を描いたんだ?」

「その辺の花を描いたわ」

「あ、俺か!」

「その辺の花って言われて自分だと思うのなんで?」


 確かに白薔薇の君なんて呼ばれているが、自信過剰すぎないか。

 …黒薔薇の君を描いたので、全く勘違いとも言い切れず、リリスは苦い顔をした。ちなみに演習場に咲く野花のスケッチもしているので嘘ではない。

 ブライアンは綺麗な顔を爽やかに煌めかせながら笑う。


「わかっているさ。俺が思わず画家が足を止め瞬きも止め心臓を止めるくらいの美しさだと。思わず一度天に昇ったが描き上げるため蘇ったと画家に言わしめた男だ。身内特典で好きなだけ描いてかまわない」

「なにそれ知らない」


 急に身内も知らないとんでもエピソードを発しないで欲しい。


 ちなみに画家は、描いたは良いが納得のいくできあがりでなかったようで自ら描き上げた絵を破壊し、頭を抱え身体を逆折りにして、一から修行をやり直してくると叫び姿を眩ませたらしい。

 画家一人の人生をめちゃくちゃにした男。それがブライアンだ。


「…クリスがそっちに狂わなくて良かったわね」

「クリスティアンも芸術肌だったからな。アイツは独特の感性を生きていて俺にも分からん」

(ブライアンも独特で理解できないよ…)


 クリスティアンはリリスのすぐ上の兄で、七人兄妹の六番目。画家を目指して放浪の旅に出た問題児だ。

 そんな決意をするだけあって絵が大好きなのだが、描き上げる絵は抽象的。独特の感性から生まれた芸術は、リリスの理解を超えていた。

 デッサンは目を見張る描写力なのに、仕上げに入ると抽象的な仕上がりになる理由がわからない。


(元気かなクリス。所在不明だけど)


 月に一度絵はがきが届くので、取り敢えず生きている。

 ただし抽象的なので、風景画のようだがどこを描いているのか分からず、やっぱりどこにいるのかわからない。


「そうだ。俺を描くのは構わないが、他の騎士達はやめておけよ。可愛いリリスにじっと見つめられて、勘違いしない男はいないからな」

「なにそれ?」

「男はなリリス。見つめられただけで恋に落ちる憐れな生き物なんだ」


 真面目な顔をしてそんなこと言われても、リリスは瞬きを繰り返すことしかできない。

 それは、とても綺麗な子に見つめられたら起る現象ではなかろうか。


 綺麗な子が、可愛い子がじっと見つめてきたら、そりゃあ男の人は勘違いするだろう。もしかして俺に気があるのかも…なんて気分になるのはしょうがない。

 だけどそれは、綺麗で可愛い子前提の話だ。


「私はブライアンが思うより可愛くないから、そんなことにはならないと思う」

「ならないように俺だけ応援するんだ。できるな?」

「できるもなにも、いつもそうしているじゃない」


 お小遣いのため、ちゃんとブライアンにだけ声援を送っているのに。何故こんな確認がされているのか。

 あれか、常務内容の確認か。確実に熟せていたかどうかの確認か。


「白薔薇の妹の好みが白薔薇だと広まれば俺の麗しさに恐れをなして求婚者は減少するはず…それでも申し込むのは余程の自信家か俺を越えると豪語する馬鹿だけだ…俺を見て怖じ気づくような男は論外。可愛い妹を任せるなど言語道断…」

「わっ このあたりガタガタする」


 急に道が悪くなって車輪の音が酷くなる。ブライアンがブツブツ何か言っていたが、リリスの耳には届かなかった。


 道が悪くなったということは、そろそろ子爵家に着く。

 子爵家は裕福ではないので、ちょっと道の整備が甘い区域に屋敷がある。それでも馬車が通るだけの広さはあるし、多少甘いだけなので問題はない。気を付けないとお尻が痛むけど。

 馬車の速度が緩んだのを感じとり、リリスはスケッチブックを抱え直した。


「ブライアン! お小遣い頂戴」

「うん。今日も応援ありがとう」

「どういたしまして」


 差し出した手の平に落ちてきたのは銀貨一枚。これがサクラを一日頑張った対価だ。


 リリスは気付いていないが、一日の報酬として高級すぎる。

 ちなみに銀貨一枚で平民は三ヶ月暮らせる。金貨だと一年暮らせる。大金貨だと三年暮らせる。


 物価を知らないリリスだが、銀貨を大事に握りしめ、満足そうに微笑んだ。その微笑みを見て、ブライアンもより微笑みを浮かべる。

 しかし、次の瞬間。


「ああ、そうだブライアン。私そろそろ嫁ぎ先を探さなくちゃいけないから、応援は次で最後ね」


 白薔薇、凍り付く。


「そもそも私が領地から王都に来たのだって、嫁ぎ先を探してのことだし…エイドリアン兄様はお義姉様と息子を残してここまで着いてきてくれているんだから、このシーズン中にお相手を見つけなくちゃ」


 エイドリアンはホワイトホース家の長男で、子爵位を継いだ大黒柱だ。

 妻子ある身で普段は領地にいるのだが、末の妹の嫁ぎ先を見繕うため、一緒に王都に出てきている。兄が子爵となったので、末っ子の嫁ぎ先は彼が決めるのだ。

 末っ子だから自由にさせて貰っていたが、いつまでも実家の世話になるわけにはいかない。リリスも嫁入り先を真剣に考えなくてはいけない時期だった。


(さすがにそろそろ本腰入れて探さないとね)


 ブライアンのお願いでお小遣い稼ぎとは言え時間を潰してしまった。自業自得だが、これを続けるわけにも行かない。嫁ぎ遅れてしまう。


「白薔薇応援団のご令嬢たちも立派に声援を送れるようになったし、黒薔薇には負けてなかったわ。後は純粋にブライアンが黒薔薇に勝てるよう頑張って!」


 そう言い残して、リリスはするりと馬車を降りた。いつも補助するブライアンは何故か凍り付いているので勝手に降りる。リリスが降りたら、馬車は静かに引き返していった。

 見えなくなるまで見送ることなく、リリスは軽やかに屋敷に入った。


(声を出して応援するのって結構楽しかったけど、ブライアンにきゃーきゃーするのはなんか違ったのよね。黒薔薇の君も素敵だけど、現実的に考えて遠いお方だし、私は身分相応に身の丈の合った相手を探さなくちゃ)


 格好いいと心躍る相手と、将来を共にする相手は違うものだ。

 リリスは夢と現実を明確にするため、黒薔薇だらけのスケッチブックを抱え直した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る