第24話

和也さんも疲れきって、私ももはや万策尽き、これ以上の抵抗は無理だと思われた、その瞬間。

病室のドアが勢いよく開き、警官が飛び込んできた。

「動くな!ナイフを捨てろ!」

警官の手には拳銃が握られている。


混乱の中、天道くんは窓から飛び出して逃走した。警官は直ぐにそれを追っていった。

その後、私は緊張の糸が切れたように、急激に意識が遠のいた。


私が目を覚ましたのは、それから2日後のことだった。和也さんが病室で私の手を握っている。

またか...と、私はまるでデジャブを見る気分でその手を眺めていた。その瞳には、もはや完全に運命の糸は写らなくなっていた。

「よかった...目を覚ましたんだね」

和也さんの声には安堵の色が濃かった。

「うん。天道くんは...?」

私の最初の言葉に、和也は少し表情を曇らせた。


「詩織、あのね...」

タイミングを待っていたように、病室のテレビからニュースキャスターの声が響いた。


「一昨日夜に病院から逃走した天道翔太容疑者は、路地から大通りに飛び出し、走行中の車にはねられ救急搬送されましたが、その後死亡しました。警察は...」


私は言葉を失った。自分が必死に救おうとした命が、結局こんな形で失われてしまうなんて。

「私には、もう運命は見えないの。天道くんの運命も変えられなかった...」

和也さんは私の手を優しく握り締めた。

「詩織、君は彼を救おうとした。それが最も大切なことだ」

私は深いため息をつく。

それを見て、和也さんは続けた。

「人の運命を変える事なんて、本当は誰にもできないのかもしれないね」


私は窓の外を見つめた。朝日が昇り始め、新しい一日の始まりを告げている。

「和也さん、ありがとう...やっぱり、自分の力で未来を作っていかないとね」

「ああ、そうだな。そして、その未来に僕も一緒にいていいかな?」

私の頬が熱くなった。

「うん...一緒にいてください」

私は決意を新たにした。もう運命は見えない。でも、それは新たな可能性の始まりでもある。これからは自分の意志で、そして大切な人たちと共に、未来を紡いでいこう。


あの激しい一夜から1ヶ月が経った。

私は徐々に体力を取り戻し、今日からようやく会社に復帰することになった。朝のオフィスは、いつもと変わらない喧騒に包まれている。

だが、私が出社すると、一瞬静寂が訪れた。

「おはようございます」

私の声に、同僚たちが我に返ったように次々と声をかけてきた。


「紡木さん、おかえりなさい!」

「大丈夫?無理しないでね」

温かい言葉の数々に、胸が熱くなるのを感じた。

「みんな、ありがとう。もう大丈夫です」

デスクに向かう途中、佐藤さんが寄ってきた。

「詩織さん、聞いた?私たちの会社、なんとか立て直しに成功したんですって」

「え?本当?」

佐藤さんは嬉しそうに頷いた。

「うん。詳しくは聞いてないけど、大手企業の支援があったみたいで...ほら、橘さんの所。何も聞いてないの?」

私は思わず苦笑いする。


和也さんの顔が頭に浮かぶ。彼とはこの1ヶ月、毎日電話で話していたが、何の話も聞いていない。

「そう...よかった」

「あ、そういえば私にも良いことがあって」

佐藤さんの頬が急に少し赤くなる。

「私、来週から彼と同棲始めるの」

「えー!そうなんだ、おめでとう!」

私は心から祝福していた。彼女の運命の糸をつい見ようとしたが、もはや何も見えない。きっと幸せである事には違いない。


その日の午後、部長から呼び出しがあった。

「紡木君、新しいプロジェクトの話が来ているんだが」

「はい」

「実はね、いつもの〇〇商事からの依頼なんだ。また新しい企画を立ち上げてもらいたいそうだ。プロジェクトの詳細は来週の打ち合わせで聞くことになる。紡木さん、担当してもらえるかい?」

「はい、喜んでお引き受けします」

部長室を出た私は、深呼吸をした。復帰早々で大きな仕事になりそうだ。私の胸は高鳴っていた。


その夜、いつものように和也から電話があった。

「詩織、仕事復帰どうだった?」

「うん!実はまた和也さん所の会社から、仕事貰っちゃって......本当は、辞めてそっちに行こうかなって思ってたんだけど。もう少しやらないとダメかなぁ」

少し間があって、彼の言葉があった。

「そうだね。それはやった方がいいと思う!」

「うん。だから...また暫く。会えない日が続くかもしれないけど。待っててね」

「もちろんだよ!」


彼との電話を切った後、私はベッドに倒れ込んだ。

寂しさが込み上げてきたが、会社を支援してもらってる企業、まして自分を気に入ってくれている所との仕事は断れない。

窓の外では、優しく輝いている満月を見ながら。私はそんな事を考え、そして静かに目を閉じた。明日からまた、新しい日々が始まる。


あれから1週間が過ぎ、ついに新プロジェクトの打ち合わせの日がやってきた。私は少し緊張しながら会議室に向かった。

「紡木さん、準備はいい?」

佐藤さんが声をかけてくる。

「うん、大丈夫」

会議室のドアを開けると、そこには見知らぬ男性が立っていた。


「はじめまして。〇〇商事の加藤と申します」

「紡木です。必ず満足いただける企画を提案させて頂きます。よろしくお願いします」

打ち合わせが始まり、新しいプロジェクトの概要が説明される。詩織は必死にメモを取りながら、時折窓の外を見やっていた。


やがて加藤さんが、一旦電話で席を外し。その後、直ぐに戻ってきた。

「...すみません。総責任者が到着しましたので、改めてご紹介させていただきます」

加藤さんの言葉に頷くと、彼の後ろから別の人物が入ってきた。そこに現れたのは...。

「か、和也さん!?」

思わず声が出てしまった。


彼は満面の笑みを浮かべながら、詩織に向かって歩いてきた。

「久しぶりだね、詩織」

「どうして...?」

「サプライズだよ。実は先週、こっちに戻ってきたんだ」

私は言葉を失った。喜びと驚きが入り混じる。いや、本当に急いで辞表を出さなくてよかった。


「えっと...」と、加藤さんが困惑した様子で声を上げる。「お二人、知り合いだったんですか?」

和也さんが笑いながら答える。

「ああ、彼女は僕の...大切な人だよ」

その言葉に、私の顔が赤くなる。相変わらずサラっと......


打ち合わせは和やかな雰囲気で進み、新しいプロジェクトの輪郭が徐々に明らかになっていった。私は時折彼の顔を見つめ、彼もそれに気づくと微笑み返す。

会議が終わり、二人きりになった時、彼が私に囁いた。

「今夜、時間ある?」

もちろん、小さく頷いた。

「じゃあ、7時に駅前で待ち合わせね」


その夜、私は久しぶりに念入りにお化粧をした。鏡の前で何度も服を変え、髪型を直す。

「姉ちゃん、新しい男でも出来た?」

健太が茶化してくる。

「違うわよ!和也さんよ!」

「ああ、かず兄こっちに戻ってきたんだ」

「あんた、なに勝手に兄弟みたいな設定にしてるのよ」

健太は笑いながら去っていった。


待ち合わせ場所に着くと、和也さんが花束を持って立っていた。

「綺麗だよ、詩織」

その言葉に、私の頬が熱くなる。こういう人だった、と思いながら彼について歩く。

連れて来られたのは、二人が初めてデートをしたレストランだった。


「覚えてる?」和也さんが尋ねる。

「うん、もちろん」と、私は微笑む。「あの時は緊張して、フォークを落としちゃったっけ」

わざと落としたのだけれど。

それから二人で懐かしい思い出話に花を咲かせながら、ゆっくりとディナーを楽しんだ。


デザートが運ばれてきた頃、彼が真剣な表情になった。妙な緊張感に背筋が伸びる。

「詩織、今回のプロジェクトは絶対に良いものにしようと思う」

「うん、私もそう思ってる」

「そこで...先ずは僕の計画を聞いてもらえないかな?」

私は少し首を傾げた。

「企画を考えるのは、うちの会社の仕事なんですけど?」

緊張感をほぐすように、私は皮肉っぽく言う。


思惑通り、和也さんは笑った。

「とりあえず聞くだけ聞いて」

「分かったわ。聞くだけね」

私も笑いながら答える。すると彼はゆっくりと席を立ち、私の隣で突然ひざまずいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る