光は闇を照らすもの
「……」
アリアは困惑と驚愕から目を見開いて固まる。
原因は他でも無い眼下に広がる光景にあった。
アリア達はメアリスの提案によって前日と同様、ロングレアの街並みと食事を観光せんとあてもなく大通りにて物色をしていた。
実際のところ昨日の店以外にも美味の醸し出す店頭や鼻の惹かれるような香りは跋扈していたのだ。
元々外出が苦でも無いアリアにとっては願ってもない話であった。
しかし周囲の光景に魅了されながら目移りも激しく瞳を輝かせていたアリアの視界に突如として躍り出た小さな影があった。
「(子供……それも助けて、って…)」
それは酷く消耗しており、彼女の足を掴んだまま力無く倒れていた。
身体が枷かのようにズルズルと引きずり這い出てきた瞬間は、正直に言って一瞬死霊の類と見紛えた程である。
よく見れば引き摺った軌跡には細く生々しい赤の線が二本、人混みの奥へと続いていた。
傷だらけの足からも、一目で血だと分かる。
「妙な術式も無い…か」
メアリスはつい先程声を掛けてきた軽率な男のせいで歪めていた顔を神妙な物へと変える。
ボソリと背後で呟いた彼女は、好奇の目を向けつつも逃げるように避けてゆく大衆の目も憚らず前へと出る。
気になることはいくつかあるが、先ずは子供の回復が先決であると結論付けた。
「失礼するよ」
「メアリスさん…この子…」
「…まだ、分からない。だが放っておくわけにもいかない」
メアリスは少年の側、メアリスの足下で屈む。
そうして魔力を流せば独りでに抜けて行くガラス片や木片を横目に、彼女は聖魔術を施す。
回復の最中、見れば見るほど痛々しい傷跡にアリアは顔を顰めた。
「…こんな体躯でこれだけ血を垂れ流していればこうもなる」
「砂に土に木片にガラス…通りは清掃が行き届いてはおりますが、この様子ですと路地の辺りからやってきたのでしょうか」
ジークは少年の装いと状態からそう判断する。
服の質はともかく取り立てて異臭がする、体が汚れている、痩せこけているというわけではない。
脚部以外に目立った傷があるわけでもない。
だがこの通りは人通りも多く通行の主幹でもあるために整備も行き届いている。
これ程露骨な悪路を経由してきたのであれば、自ずと答えは出てくるというものだ。
「ひとまず、本人に話を聞くのが先決だ」
「…………ぅ」
そうして三人が少年を観察している中、完治した少年が目を覚ます。
まるで快眠から目覚める朝の如く、陽の光に目を細く瞬きゆっくりと瞼を持ち上げた。
彼は夢見心地な様子で三者の顔へと視線を彷徨わせる。
すると直後、弾かれるようにして飛び起きる。
「い、今…オレ、どれぐらい寝て———!」
「———落ち着きたまえ。君が倒れてから時間は経っていないよ」
取り乱す少年を宥めるメアリス。
肩に手を乗せ震える瞳を掴むように視線を合わせる。
一度交差すると、まるで紐で結び付けられたかのように
視線が固定され、呼応するように身体も落ち着きを取り戻し始めた。
「先ずは事情を聞いてもいいかな?」
「……助けて、欲しいんです…!妹が、オレの妹がまだ捕まったままで…!」
少年の言葉は実に簡潔であった。
身内が脅かされている、助けて欲しい。
何処にでもある悲劇の一幕であった。
「捕まっているというのは、どんな奴にだい?」
「…オレが知ってるのは一人だけ、です。デカい男で、顔は分からない…仮面・・を被ってたんだ」
彼女達にとって仮面の集団と言われれば一つしかない。
メアリスは勿論、アリアは目の色を変え、乗り出すようにその情報に強く反応を見せた。
「メアリスさん…!」
「…気持ちは分かるが結論を急いてはいけない。一つ気になることがあるんだが良いかな?」
見定めるようにスッと目を細める。
鋭利さを携えた瞳で覗き込む少女に狼狽える少年。
半ば攻めるような姿勢に思うところがあるのか、アリアはジークへと含みのある視線を配る。
するとジークは黙認の意を示すように静かに目を伏せる。
アリアはその行動に釈然としない思いを抱きつつ、再び二人へと視線を移す。
メアリスは静観に徹する二人を傍に、少年へと問うた。
「何故、彼女に助けを求めたんだい?」
メアリスの問いはその場の誰もが内に過る疑問であった。
現在の一行は昨日と同様に混乱を避けるべく市民に紛れるような、最低限の実に質素な装いをしている。
アリアの絹のような白の髪も、メアリスの特徴的な長耳も帽子や装飾によって上手く隠している筈であった。
そんな中、彼は態々人混みを掻き分け、血の足跡を残してまで彼女へと辿り着いたのだ。
側から見れば唯の華奢な少女であるアリアへと。
「そ、れは……」
「……」
少年は動揺から視線を外そうとするも、揺れるばかりで逸らすに至らない。
メアリスは沈黙を貫き、代弁するように明確な応答を翡翠の瞳で訴える。
アリアはその様子を心配そうに見ていた。
いざとなれば自身が割って入ると、そんな体勢にも見える。
そうして数秒間の沈黙の末、彼は迷いを見せつつも一つ、答えを返した。
「わからない、けど…オレの目には、その人しか映らなかった…です」
酷く曖昧だった。
メアリスから見て少年に魔術の心得は無い。
本能的な回避はすれど、身を潜めた強者を見分ける眼も無い。
あるいは逸材たる魔法の類なのかもしれない。
しかし、よりにもよって
「……相分かったよ」
———だが嘘でもない。
そこにある焦燥も、メアリスとは別の何処かへと向いた粘つく恐怖も嫌悪も、底に隠れた子供相応の無垢さも。
それらが彼女の目に本物として映ったのは確かであった。
メアリスは立ち上がり少年の手を取ると、割れ物でも扱うかのように優しく引き上げる。
「疑問は残るが……私は、万が一があったとしても構わないよ」
アリアへと振り返るメアリスの瞳が金緑が灯る。
それは彼女自身信用はしていない、という、ある種の忠告のようなものだ。
同時に彼女にとって、アリアの中で出されている結論は最初から決まっているだろうと、そう理解している証左でもあった。
アリアは彼女の暗黙の言葉を飲み込み、アリアの側でネクタイを正すジークを横目に小さく頷く。
そうして自身よりも頭一つ小さな少年の前で膝を突き、少し見上げるようにして言う。
「———妹さんは今何処にいるの?」
少女は伸ばされた手を取り零さない。
少年の辿る道は彼が案内するまでもなく、彼の血の跡が物語っていた。
地面を濡らす掠れた血は短時間で乾いており、既に錆色へと変色している。
一部の先の光景を目撃していた人々は触らぬ神に、とばかりに道を開ける。
帽子を取り払い、昨日の貴族としての姿を露わにしているというのも大きいかもしれない。
中にはアルブレイズの者であることに気がついている民衆もいるのだろう。
アリア達は好奇の目を無視し、隙間を縫うようにして足を忙しなく動かす。
なお、少年はジークが背に背負っている。
辿れば辿る程、染みついた錆血は濃くなり、彼がその小さな身体で如何なる苦痛を伴っていたのかが理解できてしまう。
日照りというほどではないにせよ、ジリジリと熱された地面に生傷を押し付けながら走ったのであろう彼を幻視し、アリアは眉を顰めた。
「随分と駆け回ったんだね」
「…見つからなかったから」
「…よく頑張ったねぇ」
メアリスが少年を讃えれば、彼は隠すようにジークの背に顔を埋めた。
それが恥じらいなのか或いは全く違う何かなのか、それは分からなかった。
そうしていると、段々とメインストリートから外れ、チラホラと裏路地の入り口や崩れた身なりの者が増え始める。
その内、血の跡は一つの路地へと続いていた。
「あそこで間違いない?」
「ああ…奥はゴミだらけだから臭うぞ」
「なんてことないよ」
如何なる情景を思い起こしているのか、少年は不快そうに顔を歪めた。
少なくともそれは今目の前の景色に対して放った言葉ではないように思えた。
そんな少年へアリアは即答する。
実際、汚れ仕事とも言える傭兵を一つの生業とするアリアにとって、廃れた環境へと自ら身を投じることなどそう少なくはない。
嫌味など欠片も無い微笑を向けられた少年は、何故だかバツが悪そうに顔を逸らした。
「行こうか」
メアリスの号令と共に路地へと足を踏み入れる。
かなり入り組んでいるようで、元々は細い道や空き地として存在していたのであろう不自然な空間が幾つか見受けられる。
王都もそうであるが、元は狭い住宅域や商店街として利用されていた空間が衰退し、衛生環境や成らず者の流入で自然と廃区域となっていった場所というのは確かに存在する。
王都のスラム街などはその代表である。
これ程人の往来の激しい大通りの近隣に発生しているのは珍しいが。
「やけに静かだね。浮浪者の一人や二人、居てもおかしくないだろうに…」
何より気になるのはその静けさであった。
メアリスの言う通り、王都のように住人が占領していてもおかしくは無い…というより、その方が自然である。
しかし不気味なまでに閑散とした雰囲気は、人の気配を微塵も感じさせない。
散乱するガラス片を踏み抜く音だけが雑に響く。
少年の足跡もゴミに紛れてとうに消えてしまっている。
「随分と長いが、どの辺りなんだい?」
「もう少ししたら地下に繋がる蓋が———」
そうしてメアリスが少年へと道を尋ねる。
少年は前方へと指を突き出し、間近へと迫った目的地を指し示す。
———その時であった。
「———メアリス様」
「ああ」
ジークが呼びかけると同時、彼は少年をメアリスの方へと放った。
次の瞬間、突如として頭上、そして背後から一つの影が現れる。
メアリスは一瞬にしてその身にローブを纏うとその内側から触腕を露わにし、少年を包み込む。
「このまま真っ直ぐ行けばいいんだね?」
「あ、ぇ…あ、ああ…」
「走るよ、アリア君」
驚愕も半ば、アリアはメアリスに言われるがままに駆け出す。
背後では二方向からの攻撃を往なし、睨み合うジークの姿があった。
「———ア、アレだ、あの穴…!」
突然の強襲に混乱する少年は、しかし己の使命を果たさんとその指を目一杯突き出す。
彼の指先を追えば、そこには子供一人で動かせるとは思えない分厚く大きな蓋が退けられた人工の穴があった。
「地下…成程、地下水道か」
「この奥に妹さんが?」
「ああ、その筈だ」
激しい剣戟を背後に一寸先さえ闇に覆われた穴を覗く。
深淵を錯覚するような深さは、奥に光が存在しているのかどうかも怪しい。
梯子は備え付けられてはいるものの、錆に覆われ、大人が使うにはあまりに頼りない。
メアリスはある程度の深さに見当をつけると、背後の二人へと伝える。
「私が先に行くよ。少年はアリア君と共に私の後を追いたまえ」
「…分かった」
メアリスは彼の了解を認めると魔力を纏い、躊躇うことなく闇へと飛び込む。
それを見届けたアリアは身体強化を施すと、少年を両腕で軽々と抱え、続くようにして身を投じた。
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