ロングレア邸にて

 一人の老人、二人の少女、そしてそれらに侍るようにして先導する複数の影が豪華絢爛なる装飾の散りばめられた廊下を歩く。

 

 赤を基調としたカーペットにシミ一つ許さない白の壁は権威と神聖さが同時に混在しておるような印象を受ける。

 

 

「…綺麗な絵だね〜」

 

「グラムが聞けば卒倒しそうなほど浅いね…」

 

 

 アリアの興味があるようで理解の薄い視線を散らしながら溢す感想に言いようのない表情を見せるメアリス。

 

 アリアは王城に置かれていたような鎧や武具に興味を示す一方で、独自性の高い絵画や展示品のように揃えられた壺にはまったくと言っていいほど関心が無い。

 

 まるで宝の持ち腐れと言うべきか、アリアの美的感覚はその身を置く環境に追いついていない、或いは置いてけぼりにしている節がある。

 

 

「伯爵の所に来たのももう随分前だよね」

 

「そうですな。アリア様もまだまだ幼い頃でしたから、殆ど覚えておいでではないのでは?」

 

「そんなことないよ?」

 

「…」

 

 

 そんな介入しようのない会話の繰り広げられる隣で、メアリスは沈黙したまま飾られる装飾品や窓の外に映る庭園の草木を眺めていた。

 

 

「ふぅむ…随分と丁寧に整えられてるね」

 

「ロードレッド様は大変多趣味な御方でございまして、彼方にあるのもロードレッド様ご自身が植えられ、手入れされているものにございます」

 

「それはそれは…大らかな人物なんだろうね。伯爵ともなれば趣味の時間を確保するのも大変そうだ」

 

「ええ。ですから『質』を大切にされている方であると、そう思っております」

 

 

 従者達の説明を聞きながら深い感心を示すメアリスは、植物が穏やかにも活き活きとしている様に心が洗われるような感覚を覚えた。

 

 やはり森人と言われるだけはあるのか、長年の人間圏での生活で帰属意識が薄れているとはいえやはり緑の息吹には人一倍敏感であった。

 今では半身となっているからか、より感覚が鋭くなったように感じている。

 

 

「時間は有限だからね。豊かな人生を歩んで———」

 

 

 そう、メアリスが興味を示す最中。

 

 整然と立ち並ぶ緑や燦爛と咲き乱れる花々のその隙間にまるで小さな澱みのような、靄のような存在を捉えた。

 

 その感覚は正に違和感と言うべきもので、普段であれば気のせいと処理してしまっても問題の無いもののように思えた。

 

 

「(気のせい…いや…)」

 

 

 それは花に止まっている蝶であり、餌を運ぶ蟻であり、血を求める蚊であった。

 

 その景色に介在することが当たり前で、居ることすら気づかず気にも留めないような、そんな存在だった。

 

 しかし———

 

 

 

『———かの勇者様ともなればこの噂、値千金……いや一金程度にはなるかと存じます』

 

 

 

 メアリスは卑しい笑みを作りながら思ってもないようなことを口走る万屋———ザルド・ルーチェと、そこにあった奇妙な繋がりを思い起こす。

 

 

「(…警戒はしておくに越したことはない、か)」

 

 

 この街には既に奴らが潜んでいる可能性がある。

 

 彼女はザルドを見て抱いた懐疑をより確信に近いものとして保管する。

 

 彼女の視線が鋭くなるのと同時、外を吹く微風が揺らいだ。

 

 

「少々お待ちを」

 

 

 メアリスが気を張り巡らせていると、どうやら目的の部屋まで到着したのか、先頭を歩いていた使用人が足を止め一行を手で制する。

 

 厳格な風貌や相応の立ち振る舞いからも、恐らくは彼が執事長に当たる人物なのだろう。

 

 彼は両開きの大扉を四度ノックすると、静かながらよく通る声で向こうにいる人物へと呼び掛ける。

 

 

「ロードレッド様。御一行様がお越しになられました」

 

『———お入り下さい』

 

 

 

「お待ちしておりましたアリア様、賢者様」

 

 

 執事長が扉を開いたその先に居たのは、ソファーの前に立ったまま朗らかな表情で彼女達を出迎える中年の男性であった。

 

 金から色が抜け落ちたような銀髪は老いを思わせない艶を持ち、翳りのある青の瞳は、漲る若さとは違う静穏な魅力を醸し出す。

 

 彼は二人に会釈をした後、従者であるはずのジークにも軽く目を伏せる。

 

 

「お久しぶりですアリア様。私自らお出迎えできず申し訳ございませんでした」

 

「い、いえ。こちらから申し出たことですし、ボク達も街を楽しめましたから」

 

 

 彼は眉を八の字にして頭を下げる。

 仮にも権威、面子に重きを置く貴族———それも伯爵位を冠する人物の頭はそうそう軽いものではない。

 

 相手が勇者、そして賢者という世界的な存在であることを吟味してなお、彼は謙虚な為人を有しているように見えた。

 アリアもその行為を制するように食い気味に否定をする。

 

 

「美しい街を拝見させてもらったよ。感謝する、ロングレア伯爵」

 

「賢者様にそう仰って頂けるとは…領主冥利に尽きます」

 

 

 それらを塗りつぶすレベルの怪店が存在した訳だが、それについて問うのはこの瞬間ではないだろう。所謂無粋というやつである。

 

 実際、最後を除いてアリアが楽しんでいたことは事実である。

 

 

「さぁ、どうぞお掛けになってください」

 

 

 ロードレッドは頭を上げると、向かいのソファへと座るよう促す。

 

 アリアとメアリスが腰を下ろせば、即座に側仕えの者が紅茶を入れ、彼女達の目の前に静かに置いた。

 

 

「では改めまして…ようこそ御出でなさいました。此処ロングレアを賜っております。ロードレッド・ロングレアと申します」

 

「アルブレイズ家当主、アリア・アルブレイズです。この度は丁重なお出迎え感謝致します」

 

「メアリス・テア・ウェリタヴェーレだ。さる人物から彼女の目付け役を依頼されて来た。よろしく頼む」

 

「…よろしくお願い致します」

 

 

 彼の自己紹介に続くように名乗りを上げる二人。

 

 しかし名に恥じぬよう堂々と名乗るアリアに軽く頭を下げるメアリスに対しロードレッドは反応を見せつつも、何処か噛みきれないような様子であった。

 

 

「…あの、何か?」

 

「っ、いえ。申し訳ございません。ただ…」

 

 

 彼のその様相は向かいに座るアリアにとって、まるで喉まで掛かっている何かを吐き出すべきか否か、そう苦悶しているように見えた。

 

 この場において沈黙は不味い。

 だが果たして問い直すべきかとそう彼女が逡巡していると———

 

 

「グラムのことかな?」

 

 

 ———アリアの隣からそんな問掛が放り込まれた。

 その声の主は、言わずもがなメアリスである。

 

 彼女の無遠慮な言葉に反応を示したのはアリアと、そしてロードレッドであった。

 

 彼は遠くの記憶に映る景色を眺めるように視線を少し下げ、ポツポツと語る。

 

 

「…此度の訃報につきましては…心中、お察しいたします」

 

「…」

 

 

 何か返すべきなのだろう。

 しかしアリアは彼の様子を見て、敢えて遮ることなく沈黙を返す。

 

 その目と耳を確と彼へと向けて。

 

 

「グラム様とは…少ないくない交流がございました。滅多にお会いできる方では御座いませんでしたが…親交は確かにあったと、そう信じております」

 

 

 遠くを見つめる彼が思い出すのはアリアがいた数年前のグラムか、あるいはさらに古い彼なのか。

 

 彼は懐かしさと哀しさの入り混じる表情を浮かべていた。

 

 

「…貴女が、アリア様こそが他の誰よりもご理解なさっているということは承知しております。しかし…」

 

 

 膝に添えられた両手が強く握り込まれる。

 

 

「…今でも信じられないのです。あのグラム様を屠ることができる存在が居るなど…」

 

 

 悔しさか恐ろしさか、震えたような声音で何かを堪えるように言う。

 

 

「…戦場は王都だった。民が避難していたとはいえ、巻き込む可能性もあったんだ。きっと、そこにつけ込まれたんだろうさ」

 

 

 メアリスはグラムを貶めることなくそう己の考えを述べた。

 だがその言葉は半分が心からのモノであり、同時に半分は気休めのようなものであった。

 

 彼女、そして隣にいるアリアは知っているのだ———ギーリークという特記戦力の存在を。

 

 故に彼女はグラムの実力を信じつつも、しかし相手がそれを上回った可能性を捨てきれないでいた。

 

 そう、メアリスが自身の放った言葉を咀嚼する裏で、アリアが口を開く。

 

 

「父は、今でもボクの英雄です。例え賊に敗れたとしても、それは変わりません」

 

 

 しかし———と、続ける。

 

 

「———『英雄に敗北は無い』などという考えは…守られる者の願望であり…幻想なのかもしれません」

 

 

 それは弱い言葉であった。

 

 彼女よりも遥かに多くの経験をし、現実を見に沁みて理解している彼とて、人を導く者として心の内にしまえど決して口には出さない事実であった。

 

 

「何と…」

 

「———だから」

 

 

 アリアは彼が言わんとしていることを理解し、その上で遮るように告げる。

 

 

「———その願いを叶え、幻を現実足らしめるのが今のボクの役割であり…ボク自身の願いでもあります」

 

 

 父は言った———英雄にならなくても良い、と。

 

 だがあの日、絶対的な英雄という虚像は崩れ去った。

 それにより民にとっての永遠なる平穏という未来は奪われた。

 

 ならば、己はそれを取り返さなければならない。

 英雄でも勇者でもなく、皆の平和を願う一人の少女アリアとして。

 決して正義による悪の断罪を執るわけではなく、襲いくる災から彼らを『守る』という形で。

 

 英雄にならなくてもいい。

 讃えられなくてもいい。

 

 ただ、彼等の心の平穏を取り戻したい。そのために剣を振いたい。

 

 それこそが今の彼女が成し遂げたいと想えることであった。

 

 隣で聞いていたメアリスはその言葉を吟味するように目を閉じていた。

 

 対してロードレッドは対面に座す存在に、ただならぬもの見たように目を見開き、そのまま伏せた。

 

 それは驚愕に加え、何処か哀愁を思わせる姿にも見えた。

 

 

「仇は…」

 

「……え」

 

 

 そうして彼はポツリと呟く。

 アリアは思わず聞き返す。

 

 

「仇は…取らないのですか?」

 

 

 彼は先ほど同様にどこか言いずらそうにしつつ、しかし濁すことなくハッキリとそう問うた。

 その視線はアリアだけではなく、背後に控えるジークにも向けられたものであった。

 

 それは知人を失ったやるせ無い思いを投げ掛けるようでもあり、彼女達の心中を慮るもののようにも聞こえた。

 

 アリアは少なくとも思うところがあるのか、一拍を置きつつもまるで声明を上げるように明々とした声音で答える。

 

 

「良いんです。ボクは…何より父はそれを望んでいない」

 

「…不躾な質問でした。流石はアルブレイズの血を引く御方だ。やはり、貴女は強い」

 

 

 己の問いの意味を理解していたのか謝罪する彼は、そういって微笑んだ。

 顔に薄く刻まれた皺が少しばかり深くなる。

 

 

「まぁ、共通の話題とはいえあまりに暗い話だ。折角こうして話すんだ。このくらいにしようじゃないか」

 

 

 言葉に窮しオロオロとし始めていたアリアに代わり、メアリスがそう言って強引に話を折る。

 

 ロードレッドは気を害した様子もなく「そうですね」と頷くと、持ち上げるようにその腰を上げた。

 

 

「失礼致しました。では話の口直し…というわけではありませんが、クッキーなど如何でしょうか。趣味の一環ではありますが、この日の為に焼いたものがあるのです」

 

「是非、お願いしよう」

 

「…あ、えと、ボクも是非とも食べたいです!」

 

 

 そう提案する彼は儚さの混じる表情から一転、何処か得意げな様子であった。

 

 賛同するメアリスに続き、慌てたように便乗する。

 

 彼の提案を皮切りに、場の空気に少しづつ暖かみが戻って来る。

 

 その後、ロードレッドが手ずから運んできたクッキーを食べながら彼等はつつがなく談笑を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうぞ、お好きな様に寛いで下さいませ』

 

 

 ある程度話し込んだところでロードレッドは二人———もとい、三人にそう伝える。

 彼自身はソファから動くことはなかったが、恐らくはアリア達が席を立つまではその場に居るのだろう。

 

 暫くするとメアリスは「ではお言葉に甘えて」と側仕えに書庫の場所を訪ね、確認を得てから案内に従って部屋を後にする。

 

 残されたアリアは己も移動すべきかと、少し庭園を歩いて来ると申し出で席を立った。

 そこでジークが彼女に侍るも、アリアは知古の仲であるように見えた二人での会話を提案。

 

 するとやはりというか、どうやら二人は相応の間柄であったようで、彼女の計らいにジーク———そしてロードレッドは感謝を伝え、二人が向かい合ったところで今度こそアリアはその場を離れた。

 

 そして現在、アリアは一人の使用人———先の執事長を借りて数刻前にも見た長い廊下を歩いていた。

 

 

「ジークは伯爵とも仲が良いんだね。前はそんな感じじゃなかったのに」

 

「左様にございます。ただ、あまり表に知らしめることではございませんから」

 

「そうなのかなぁ…」

 

 

 勇者家の使用人の中でも古参であることもあり、ジークはかなり顔が広い。

 

 中には使用人という身分であるのに今回のように貴族と対等な親睦を交えている時さえある。

 

 アリアはジークの人脈について不思議に思いながら、執事長へと当たり障りのない質問をしつつ庭園を目指す。

 

 するとズラリと並ぶ部屋の中で一つ、他とは雰囲気の異なる部屋を発見する。

 

 

「この部屋は…」

 

 

 その外観は他と大きく異なるところは無かった。

 だが一つ違いがあるとするならば、アリアにとってその部屋に懐かしさを覚えたことだろうか。

 

 アリアはそこで当時この部屋へと入ったと当たりをつけるも、一体なんの部屋であったのか思い出せないでいた。

 

 そうしてアリアが悶々としていると、代わりに執事長がその答えを出す。

 

 

「…あのお部屋はミレイ様…御息女様のお部屋に御座います」

 

 

 息女。

 即ち、ミレイ・ロングレアの自室である。

 

 ロングレアの息女といえば自身やデュークと同年代であったと記憶しており、数える程度に顔を合わせたことのある人物である。

 

 デューク程深い親交があるわけではないが、社交界等で姿を見れば挨拶をする程度の仲であった。

 

 

「挨拶しても良いかな?」

 

 

 そうとなれば、とアリアは執事長へとそう申し出る。

 

 あの場に同席していないことも不自然であったが、部屋を訪れて言葉を交わさないというのも無粋が過ぎるというものである。

 

 

「…お止めになられた方が良いかと。というよりも、お会いさせることが難しい状況にございます」

 

 

 だがアリアの思惑に反し、彼の反応は著しくはなかった。

 

 

「…どういうこと?」

 

 

 踏み込みすぎか、と思うもそう尋ねる。

 彼は少し間を置いて答えた。

 

 

「…ミレイ様は現在病に臥せておられまして…問題は、その原因も不明なままであることにございます」

 

 

 聞けば1ヶ月ほど前からは社交会等、外界との交流も儘ならないのだという。

 

 その事情を説明する彼は、その厳格な風貌の中に何処か謝意が含まれているように見えた。

 

 

「ですから如何なる事態となるかもわからない今、アリア様にお会いいただくことはこちらとしましては…」

 

「…そういうことなら分かったよ。また元気になったらよろしく言っておいて欲しいな」

 

「畏まりました。お気遣いを無下にしてしまい申し訳ございません」

 

 

 久々に会うということもありどうにも惜しい気持ちが湧いて来るが、そういうことであれば無理に立ち入ることもないだろう。

 

 二人は踵を返し、その場を離れる。

 

 扉を背にする中、アリアは何度か背後へと意識を向けつつ、その後の予定へと思いを馳せる。

 

 同時に彼女の容体についてメアリスに相談でもしてみようかと検討した。

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