出発前のあれこれ
「アインスです。今女の子に国外にまで拉致られそうになっているところです」
「…誰に言ってるの?」
「暇人だよ」
「?」
食器同士が擦れ、皿の上の料理が口に運ばれてゆく。
二人と一人が奇妙な邂逅を終えた翌日、アインスとアリアは何故か同じ卓の上で食事を共にしていた。
食卓に着いているのが二人だけなせいか、大人数が想定されているであろう円卓の席は有り余っている。
加えて両者は互いに向かい合う訳でもなく、隣席しているせいで余計に寂しい光景となっていた。
しかしそんな周知の事実も物ともしないのか、強かな勇者は頓珍漢なことを言う男の真横を陣取ることに大変ご満悦であった。
「毎回思うんだけどさ、何で貴族の食卓ってこんなだだっ広いの。落ち着かなくない?」
「んー…お客さんが来た時に困らないため…かな?」
「今二人だけだよね。透明人間でもいるんじゃないかって思うくらい余ってるけど」
「ごめんね。食卓がここしか無いんだ。良かったらボクの部屋でもいいけど…」
「こんな機会またと無いからね、この光景を楽しもうかな」
事あるごとに自室へ誘う勇者の娘。
今は亡き父が耳にすれば天より舞い降り全力で聖剣を振るう所業である。
少女自身深い意味が無いことは確かなのだが、幼馴染の王子からすれば「淑女の風上にも置けない」と言わざるを得ない案件であった。
甲斐性の無い男、アインスは少女の提案を華麗にスルーすると、両手を占領していたナイフとフォークを綺麗になった皿に添える。
すかさず使用人が口元を拭く。
コレには流石のアインスも動くことができなかった。
「とんでもねぇ世界だ。ここ明らかに俺がいるべき場所じゃないよね」
「…一緒に居るくらいなら良いんじゃないかな?デュークには何も言ってないけど」
「うーんこの溢れ出る幼馴染感。俺今凄い美しい絆を見てる気がするよ。貴族って案外適当なの?」
困惑に困惑を重ねた顔で最後の頼みの綱であるジークに縋れば、ジークは凪の如く穏やかな様子で言う。
「高貴なる方々の在り方は其々に御座います」
答えているようで答えていない回答に返す言葉もないアインス。
冷静に考えれば全然大丈夫ではないはずなのだが、果たして貴族の寛容さと捉えるべきか将又はたまた信頼か、それともネズミ一匹程度潜り込んだところで処理など容易という権威の現れなのか。
世界有数の大貴族である少女はその権力を遺憾なく発揮し、類稀なる不審者を国事行為にも近い行事にて同行させようとしていた。
見る者が見れば傍若無人ここに極まれりである。
「そう言えば今のアルブレイズ家の当主は誰なの?まさかとは思うけど———」
「———ボクだよ。他に誰も居ないからね。だからボクが許可してるなら何も問題ないんだよ」
「台詞が暴君のそれなんだけど。多分君だけの問題じゃないよね」
まあ仕事は殆どジークに丸投げしてるんだけど。
使用人達が食後の卓を清掃する光景を横目に、朗らかな表情でそう語るアルブレイズ家現当主アリア・アルブレイズに冷や汗を禁じ得ないアインス。
溌剌とした姿や行動力は美徳であるが、それが実権を有することの恐ろしさたるや。
果たして彼女を止めることが出来る存在がクラディアス王家以外に居るのだろうか。
「別に秘密裏にやるってわけじゃないし、客人ってことにすれば訳ないよ」
「訳ないよ、じゃないよ。いや俺も移動の手間が省けるし色々都合は良いんだけどさ…」
最高級の料理を満喫しておきながら渋い顔をするアインス。
彼の仲間がこの場に居たならばどの面下げて言うのかと呆れる姿が容易に想像できることだろう。
「…アインス様」
そんな彼の下へ澱みない所作で近づくジークがアリアの目を盗み耳打ちをする。
「アリア様は斯様に振る舞われてはおりますが、先の異変を
「…」
真実か否か、彼曰く彼女の溌剌さはある種の空元気であると言う。
ある程度心が癒えたことは確かであるが、あのような事件の後、直ぐに立ち直れることの方が不自然だと言えよう。
アインスはその嘆願にも似た言葉になんとも言えない微妙な表情を見せる。
それはどうにも居心地の悪そうな様子にも映った。
「あー…まあそれなら———」
「———あ、そうだ!折角だしこの後街に行こうよ!ボク美味しいところ知ってるよ!」
「止まんねーなこの子」
どうやら
「———霧とはまた…随分と奇天烈な魔術を使う者が居たね。臆病な水霊が使うのをみたことはあるが…」
ガラス張りの楕円テーブルを挟み、向かい合うように設置された赤のソファ。
液体のように体が沈み込みそうになる感覚はその品質の格を証明しており、職人に拍手を送りたくなるほどである。
「それに幻覚を見せる魔術…いや術か…ふむ」
良質なインテリアに王家の権威を感じるという庶民的な一面を見せるメアリスは、差し出された紅茶に口を付けながら珍しそうに言った。
因みに紅茶は無糖であった。
「…勇者殺し、星墜とし、星核の魔術、霜の糸使い、霧の魔闘士…そして英雄に比肩する錬金術師。…話を聞く限りでもこれだ。一体どれ程の戦力を有しているのか…」
実践では稀な魔術故か、彼女は深刻さを理解しながらも別の興味を向けていた。
そんな彼女を諌めるようにデュークは現状をまとめ、敵の脅威を言葉に並べる。
自室にて接敵率が最多であったであろうユラの話を深掘りすれば、個々の力は並以上、その中に霧使いのような抜きん出た者や、『統括』なるずば抜けた戦力を保持する者が潜んでいるという。
メアリスが出遭ったという星核の魔術師も同様であり、沈めたとはいえ結界を破られたと話していた。
「…ギーリークは他国への着手も仄めかしていた。帝国でも警戒する必要があるだろう…聖国に至っては数年前より新興教団が存在していると聞く」
ギーリークは魔術の素養のあるデュークに加え、勇者の血を引くアリアにも目を付けていた。
組織の主目的なのかは不明であるが、念頭に置いて損はないだろう。
アレも人知れず大森林に潜伏していたのだ。
他国の何処にいても決して不思議ではない。
若々しい美貌に皺を刻みながら唸るデュークは、王子としての務めと押し寄せる危機に板挟み状態であった。
頭を抱える彼を瞳に写すメアリスは落ち着かせるように言う。
「———まあまあそう生き急ぐことはないよ若人よ。王都が襲われ焦る気持ちは分かるが…君が全てを解決できるわけではない。一人で抱え込めばいずれ取り零すよ」
アリアにも言ったが、一生において何も損じる事のない者などいない。
それが失敗を肯定する事実とは成り得ないが、だからこそ仲間と共に取りこぼしたものを拾い合うことが理想なのである。
「…そう、だな。とはいえ、後手に回っては二の舞だ。せめて帝国に伝えるべきだろう。向こうには信頼できる友もいる。眉唾とは切り捨てない筈だ」
彼女に宥められ情報の坩堝となりつつあった思考を整理するデューク。
取るべき行動を順序立て、取り急ぎ帝国への連絡が先決であると結論づける。
「君は日程をズラして帝都で合流するんだったか」
「ああ、貴女にはアリアと共にロングレアを経由して向かって頂きたい。アイツは何をするか分からんからな、手綱を握っていて欲しいんだ」
「相分かった。君も気負いすぎずにね」
「…肝に銘じておこう」
「…まるで魔王の再来だね」
彼女の遠い記憶の中、古の
部屋を後にする間際に、メアリスは誰にも聞こえない声でそう呟いた。
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