新たなる約束、新たなる試練

 太陽が眠り、月が世界を支配する。

 

 何処からか聞こえてくる獣の声は逢魔時を知らせるが如く、低く低く鐘の音のように星々の瞬く夜空を揺らす。

 

 夜は全てのものが月光の恩恵を受ける。

 暗い夜道を探るには唯一の導であり、その冷たい灯りに縋る他ない。

 

 それは勇者の館とて例に漏れず、豪邸の肌を撫でるような月光が照らしていた。

 

 

「全く参っちゃうね」

 

 

 丁寧に手入れされた芝生を踏み、草原のように広大な庭園で一人景色を堪能する。

 ポッケに手を突っ込み煙草でも取り出すのかと思えば、手にしたのは昼間に買った袋入りのキャンディであった。

 

 結局彼等はあの後街へ行き、復興する街並みや人々の様子を見て周り、彼等との交流を嗜んだのだった。

 

 アリアは心から楽しんでいたことは間違いなかったものの、どこか引っ掛かりを覚えているような様子があったというのはパン屋の店主の言であった。

 

 

「貴族っていう割にあんなお転婆なんだから。まさか泊まることになるとも思わなかったし」

 

 

 夜であり一人であるからか、自然と溢れるような台詞は呟く程度のものであり、周りに人がいなければ聞かれることもないだろう。

 

 家がいくつも入りそうな程だだっ広い敷地に囲われているお陰で、近所にまで聞き耳を立てられるという事態に陥らないことが幸いだろうか。

 

 

「まあ元気なのは美徳だ———」

 

「———お兄さんってもしかして独り言多い人なの?」

 

 

 そんな彼の背後から少女がひょっこりと顔を覗かせる。

 既に湯浴みを済ませた後の髪も乾いており、日中に見たシルクのような艶やかな白髪が流れている。

 

 アインスは気がついていたのか、特に大きな反応を見せることもなく肩越しに彼女を見遣る。

 

 

「君が来なかったなら独り言だっただろう。でも君が来たから独り言じゃなくなった。つまり俺は変人じゃない」

 

「…?お兄さんは変わってるけど変じゃないよ」

 

「世間ではそれを変って言うんだよ。世知辛いよね」

 

「…よく分からないけど、頑張ってね」

 

「優しい世界だぜ…」

 

 

 よく分からないことを言う男に可愛らしく首を傾げる。

 何故だか男は感無量な様子であった。

 

 

「寝なくて良いの?」

 

「…お兄さんとお話ししたくってね」

 

「可愛いこと言うね。いいよ、お話ししようか」 

 

 

 仕方がないというように振り返る彼は、近くにあった椅子に座る。それは二年前、初めて出会った彼等が座っていた物と同じであった。

 

 アインスは遠くを見つめたまま世間話をするように話し出す。

 

 

「それにしてもよく君も俺なんか家に入れるよね。賢者ちゃんなんか見た瞬間魔術撃ちそうな勢いだったよ」

 

「そ、そんなことになってたんだ…」

 

 

 賢者の態度は確かに過ぎる程胡乱気ではあったものの、自身が知らない間にそのような関係となっていたとまでは思っていなかった。

 

 アリアは両者に何があったのか少しばかり気になった。

 

 

「自分でいうのも変だけどさ。俺、凄い怪しいよ?」

 

 

 席に付いた最初の問いはきっと彼女の想い、その核心だったのだろう。

 

 彼の言葉にアリアの顔が強張った。

 

 自身のことを滑稽に語る彼の声には、いつもとは違う色があった。

 ヘラヘラとした顔の裏にはアリアへの疑念か敵意か、あるいは焦燥か、察するに難い感情を孕んでいるように感じられる。

 

 だが彼女はそんな彼の様子に怖気は覚えなかった。

 むしろ、これから彼の触れるべからざる何かに触れるかもしれないという恐怖が胸の内に滲み出す。

 

 

 ———虚空を眺めていた彼の眼が彼女へと向く。

 

 

 真意を問うその視線は、まるで瞳の奥まで覗かれているように思える程鋭い物であった。

 

 しかし不思議とそこに不快感はなく、アリアはただ真摯に応えるべく口を開いた。

 

 ゆっくりと、本心を届けるために探るようにして丁寧に言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

「…ホントはね……お兄さんが何か目的があってボクに近づいてるって分かってたんだ」

 

 

 

 

 勇者としての誇示が、勇気がその一歩を後押しする。

 

 

 

 

 

「……」

 

「これでも貴族だからね……人の顔とか仕草とか……そういうのはよく見てるんだよ?」

 

 

 それは心の奥で痞えていた泥のような物であった。

 

 あの時は気が付かなかった彼の影。

 自分の事ばかりで見えていなかった光の裏側。

 

 

「でもそれが、なんて言うか———何かに囚われてるみたいで……」

 

 

 ポカポカとした陽光の中に居た彼、窓に腰を掛け語りかけた彼。

 

 記憶の中で今でもハッキリと残っているその姿、変わらないその熱。

 

 だが、自分アリアは変わったのだ。

 

 

「あの時は思わなかったけど、今思うと……前のボクみたいで……だから、その……それが良いことなのか悪いことなのか分からないけど———」

 

 

 俯いていた顔を上げ、アインスを見る。

 見える景色はあの時へと巻き戻ったようにそっくりだった。

 

 今度は彼女が言葉 こえ を贈る番だ。

 

 

「———ボクもお兄さんの力になりたい、って……そう、思って……」

 

 

 何かになろうとして何者にもなれずに終わろうとしていた。

 その先にあるのは唯の暗闇であると誰よりも理解しながら奥底で囚われ、嘆いていた自分がいた。

 

 そんな中、鎖を断ち切り光を差し込んでくれたのは———見つけてくれたのは彼だった。

 

 

 ———ただ恩を返したい。

 

 

 二年前、英雄の虚像しか見ていなかった自分を救い出してくれた彼に報いたい。

 

 穢れなき心が掲げる、ひたすらに真っ直ぐな想いであった。

 

 

 

「ははっ」

 

 

 

 思わずといった風に笑うアインス。

 アリアは面食らったように一瞬呆けてしまう。

 

 

「な、なにを…」

 

「いや、ごめんね。でもそっか…成る程ね」

 

 

 悪い大人にでも騙されそうで心配になるよ、とカラカラ笑う。

 アリアは自身の真剣な言葉を軽く捉えられているような気分になり、ムッと顔を顰めた。

 

 

「……けどそうだなぁ。もしそうなら助けてもらおうかな、ははっ」

 

「お兄さん…」

 

「…心配しなくたって良いよ。確かに隠し事はしてるけど、大したことじゃない。みんな抱えてるような下らない秘密だよ」

 

 

 晴天の空のような快活な声は、不安も無粋な心配も吹き飛ばすように透き通ったものだった。

 心なしか、星の瞬きも彼の宣言に喝采をあげているようにさえ思える。

 

 

「本当に、大丈夫なの?」

 

 

 彼女の心中を代弁するように夜風が芝をザワザワと揺らす。

 冷たい気流が二人を肌を撫で、熱を攫っていく。

 

 

「ああ、きっとね」

 

「…絶対って言———」

 

「———じゃあ絶対だ。大丈夫、子供に心配させるほど落ちぶれちゃいないよ」

 

 

 アインスは安心させるように言い聞かせる。

 アリアの視界に柔和な彼の顔が映り込む。

 

 あの日と変わらない、小さなテーブルの向こうに見た諭すような顔だ。

 夜であるというのに、あの暖かな日向に囲われているような錯覚を起こす。

 

 

「…わかっ、た」

 

 

 だというのに、何だか薄寒い。

 アリアのそれはきっと冷えた夜風のせいではなかった。

 

 

「よし、良い子だね」

 

「もう、子供扱いしないでよ…」

 

 

 揶揄う彼に気恥ずかしくなり、自然と笑顔になるアリア。

 星の海の下、男女と言うには歳の離れた二人が仲睦まじく言葉を交わす。

 

 変わらない。

 二年前から何も変わらない。

 彼は変わっていなかった。

 

 

「やっぱりそろそろ寝た方がいい。背伸びないよ?」

 

 

 もう夜も遅いと就寝を促すアインス。

 性懲りもなく揶揄うその様は、今の彼女にはどうにも誤魔化しているように映って仕方がなかった。

 

 水底に沈んだままの疑念は無くなることはない。

 沸々と湧き出るソレは微々たるものであれど、しかし滲んだインクのように染み付いて堕ちない。

 

 アリアは後ろ髪を引かれるような様子で彼にも早く戻るようにだけ言い、館へと向かう。

 

 ドアノブに手を掛ける時、もう一度だけ彼へと振り返る。

 そこで見えた彼と、そして自身との間はほんの数歩だ。

 

 

 ———けれどもアリアにはそれが、今も尚遠のいているような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優しげな微笑み。

 柔らかな目尻。

 緩やかな弧を描く口元。

 

 それは確かに彼女があの日見たものと変わらない。

 

 

 

 

「———待ってるよ、勇者ちゃん」

 

 

 

 

 自然と浮かび上がったそれらをも不穏に染め上げる視線は、去り行く少女の背を最後まで捉えて離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、皆が皆寝静まった夜の深み。

 

 王国の力を示すべく聳え立つ王城に並び、永遠の栄光を示すべく建てられた大時計塔の天辺。

 

 身を屈め、まるで子供が蟻の列を辿るように王都を一望する影が月に重なる。

 

 

「———穏やかな街で起こるよくある物語はなし演者キャストは未来の勇者(仮)に小さき賢者…その他諸々エキストラ。…一体どう踊ってくれるんだろーねぇー?」

 

 

 期待を大いに孕む弾みある声で、詩の冒頭を唄うように誰かへ投げ掛ける。

 答えの無い問いは夜の街に溶け、静寂に呑まれるように閑けさが返って来る。

 

 

「———こんな所にいたんですか」

 

 

 そこへもう一つ、人影が浮上する。

 はためくローブは上手く闇に溶け込んでおり、組織共通の仮面シンボルは相手に冷たい印象を与える。

 

 彼は彼女を発見すると、仮面越しでも分かるほどの動揺を見せた。

 

 

「何処にいるのかも分からないもので…気付きませんでした」

 

「良いよ良いよ、キミもまだまだってことさ。精進しなよぉ〜?」

 

 

 励ますようでその実大いに貶している。

 

 二言目にはお前の実力はまだまだだと、もっと頑張れよ馬鹿がとでも飛び出してきそうな意地の悪い顔が彼の視界に映った。

 

 そんな煽りを受け流し、彼は切り替えたようにして彼女に苦言を呈する。

 

 

「正直、あまり自分勝手に動かれると此方が困———」

 

「———自分勝手?オレが?ノンノンノン、天衣無縫と言いたまえよ♫」

 

 

 女は彼の言葉を遮るように否定する。

 言葉の綾とも言えない理不尽な言い訳を振り翳し、さも彼が間違っているかのように振る舞った。

 

 

王様 ボス には別に好きにしたら良いって言われてるっしぃ?木端 ザコ 風情がしゃしゃり出て来んじゃねぇよ———殺しちゃうぞ♡」

 

 

 ———無邪気な殺意が暴風の如く振り撒かれる。

 

 次の瞬間には首をへし折られそうな程の濃厚なソレは、一人間が一人で浴びるにはあまりに過度であった。

 

 男は憂鬱気味に額に手を遣る。

 

 

「…シナリオなんてあって無いようなもの、か…」

 

 

 彼等を見た者たちがこの世界に居るならば、きっとこう嘆くだろう。

 

 

 ———四つ、曠古の災厄が降り立った、と。

 

 

 姿形こそ人のモノであるが、その中身、在り方、引き起こす全ては魔術や魔法という奇跡の力を抜きにしても到底飲み込むことのできない非現実的なモノばかり。

 

 この世にシナリオなどというものがあるのであれば、それを内側から食い破り、己の世界に塗り替えてしまう。

 

 そんな存在が、今この世界には四つ降臨している。

 

 

収集家コレクター遊び人プレイヤー流浪人ボヘミアン自由こそ至高フリーダムイズベスト享楽主義者 ヘドニスト 。それがこのオイラ、リトちゃんだぜ☆。テメェ如きに止める権利なんてねぇんだよ」

 

「…存じ上げてますよ」

 

 

 何処からともなくキラン、とでも効果音が聞こえてきそうな癪に触るポーズを決めるリトなる女。

 

 

「だからよぉ…邪魔すんじゃねぇぞ…♡。そ・れ・と・もぉ…一緒に踊りたいかな?暗部陰キャの癖に寂しがり屋さんなのかなぁ?」

 

 

 ニヤニヤ、クスクス。

 心底馬鹿にしたようなニヤけ面をわざとらしく晒しながら覗き見る。

 暗殺者としての暗器の如き雰囲気も、常在戦場の洗練された立ち振る舞いもまるで見えていないかのように。

 

 だが散々揶揄われた暗部の頭領はその様相に瞋恚を浮かべることは無かった。

 

 代わりにただ呆れるように嘆息し、愚痴のように苦言する。

 

 

「まぁ…程々にお願いしま———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———ガコン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———指図すんなっってんだろ木偶が」

 

 

 

 リトは唸るような低い声で冷酷に告げる。

 そうして腹の底から吐き出すようなため息を吐くと、誰かへ向けて声を上げる。

 

 

「時計塔の上、誰か来い。あと十一秒な…………………あーあ、やーちゃったやっちゃったー……ま、いっか。許してにゃん♡」

 

 

 それだけ言うと彼女は夜の街へと沈んでいった。

 

 その間、男は声を発することもなく、指一本さえ動かすこともなく———ただその場で立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———捩じ切られたようにひしゃげた頭部を携えて。

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