反撃
咆哮と共に地を沈める勢いで跳躍する黒獣が空中崩壊したかのようなメチャクチャな姿勢で斧槍を構え、空気が揺らぐ一振りと陽炎の如き不可視の斬撃の雨を降らせる。
アリアは己の体験した脅威からセーフゾーンを予測し、カローナは迎撃と防御の術式を構築する。
「ユラ」
「———御意」
跪くように地へと拳を構え背後に飛ぶ主人の命めいがままに術式を撃ち込めば、荒れた地面を穿ち鈍色の槍が姿を現す。
揺らぐ斬撃を真正面から迎え撃つ槍は衝突の瞬間に砕け散るも、見事にその全てを撃ち落とし、宛ら雨天の水面の如く空間に波紋が広がった。
だが視界が乱れる向こう側、黒獣は重力に身を任せ、上段に持ち上げた得物を落下と同時に地面を砕く。
そうして生まれた一際強力な衝撃波が大地に迸った。
「魔術でもないのに…どうなってんだろうね」
カローナが構築した術式を半身となって担ぐように構える。
その手元には火花を散らしながら咲いた火球が、まるで水の中へインクを落としたように黒く染まる光景があった。
注ぎ込まれる魔力を燃料に轟々と燃ゆる炎は、次第に馴染み始める黒を呑み込み仄暗い黒炎と化す。
「———《
地を蹴り、スローイングによって放たれた豪火球は空気を灼き、迫り来る衝撃の波を爆破によって消し飛ばす。
舞い上がる土埃。
壇上幕の如く視界を埋める火柱。
木々や草花が焦げる匂いが立ち込めては爆風に吹かれ、一瞬にして火種が消え去る。
「…カローナさん、今の———」
それが、その光景がアリアには酷く異様に映った。
それはまるで不安を煽るような、あるいは煮え滾るようなドス黒い何かが胸の内で蠢くような、そんな気持ち悪い感覚だ。
アリアはどうしようもなく絡み付いてくるその違和感を拭おうとカローナへと声を掛ける。
しかしその瞬間、立ち昇る黒い煙の幕の向こう側から強烈な悪寒を感じ取り、カローナと同時に左右へと散開する。
脚が地から離れるとほぼ同時、黒幕を打ち破り現われた黒獣が袈裟に掬い上げるように振るい、土砂を打ち上げた。
「ぅ…!」
巻き上がる土埃を全身に浴び、思わずむせ返りそうになり腕で顔を守ろうとするアリア。
だが寒気のするような風切り音を耳が捉え、即座に視界の確保を優先した。
刹那、切り返した斧槍の腹に打たれた岩が砕け、散弾銃の如く放射状に放たれる。
「《
デュークの魔力の粒子が収束し、形を成し、アリアの眼前へと出現する氷の柱。
硝子が砕けるような音を立て、次々と飛来する礫が立ちはだかる氷塊を襲った。
僅か一秒にも満たぬ間に蜂の巣となった氷面に亀裂が生まれると同時、最後の一押しとばかりに放たれた鋭い突きが礫諸共粉々に砕く。
アリアは煌めく破片を翻し、突き出された穂先を足場に飛び上がる。
そうしてその頭上から岩をも叩き割る一撃を見舞わんと剣を振り下ろす。
その姿を捉えた黒獣は得物という錘を即座に手放し、爆発的な瞬発力を以て宙を舞うアリアへと鉄の鞭の如き脚を薙ぐ。
「「———《
「———ハッ!」
二人の魔術師の生み出す氷鎖による拘束、そして一人の従者による鋼の鎖が黒獣の脚、そして全身に絡みつき瞬間的に動きを制限する。
硬直する鎧、殺される蹴り。
瞬く間に全ての鎖が砕け散るも、アリアは与えられた攻めの瞬間を決して逃さない。
「セアァ!!」
———縦一文字。
雷光の如く閃く銀線が鎧の頭頂から股下にかけて駆け抜ける。
重心の傾いた姿勢のまま見舞われた一振りに、黒獣は地を鳴らすような重い唸り声を上げ後方へと大きく退く。
だが数少ない相手の守りの兆し。
剣を振り切ったアリアの両傍を二人の魔術師が飛び出し、其々が術式を構築する。
そうしてその三人を飛び越えるようにユラが黒獣の眼前へと躍り出る。
「その塵にも劣る穢らわしい目を殿下に向けるな———」
華奢に見える、しかし強靭なその腕を弓を引くが如く絞り、彼女を睨む赫い双眸を視線で射抜く。
「———地に伏せていろ、畜生」
重い一撃が兜へと突き刺さる。
金属の軋む不協和音が響き、兜の破片が弾け飛ぶ。
数倍もの体格差を誇る大鎧が地団駄を踏み、その赫の眼光を震わせた。
ユラは着地と同時に背後へと跳躍すると、宙から二人の魔術師へと視線を送る。
彼らは背を合わせると揃えるように手を突き出し、二つの術式を行使する。
「———《
「———《
緑を塗り替えるように一瞬にして広がる黒炎の絨毯は、燃え滾る音と熱を放ち、大きくうねる波の如く黒獣を巻き添えにする。
そしてさらに追い打ちをかけるように渦巻く大気が、骨肉をも引き裂く死の領域を創り出し、極熱の黒炎と一体となった。
災害じみた魔術は相手に反撃の隙さえ与えること無く、その鎧ごと滅さんと暴れ狂う。
「ひゃ〜…凄い光景だ…」
「…カローナさん、あの黒い炎は何?」
魔力の反応に警戒を配りつつ、アリアは先と同じ問いを投げかける。
するとカローナは何処かバツが悪そうな———少なくとも彼女にはそう見える———様子で目を逸らす。
「…あー…ちょっと知人に力を貸してもらったんだ」
「……そっ、か」
そんな返事に、アリアは短くそう返す。
恐らくは嘘、あるいは比喩のようなモノなのだろうと言うことは目に見えてわかることだった。
「(黒…か)」
その言葉に思い当たる節があり、彼女がそちらへ思考を裂こうとしたその時だった。
「———ッ、殿下」
「…しぶといな」
ユラの声と苦々しいデュークの声、そして急速に高まる魔力反応に思考が引き戻される。
黒く燃え盛る竜巻の中、その中心で怒りを爆発させるように膨れ上がる魔力の塊が四人の緊張を高めていった。
だが振り払われるかと思われた炎は次第に勢いを増し、獣の魔力に溶け込むように流れを変えていく。
流れの向かう先は竜巻の中心———即ち黒獣の下である。
圧縮するように集約される炎と魔力の渦は、やがて完全にソレに呑まれてゆく。
「あちゃ〜…」
「…どうなってるの…」
そうして姿を現したのは大気を掻き回すように斧槍を大きく振るう、炎を纏った鎧の姿であった。
カローナの黒炎とは違う純粋な赤の炎は、まるで鎧から魂が溢れ出るかのように全身を覆う。
「…私の炎とは違うあたり、恐らくは術式じゃなくて火を得ただけなのかな」
「風魔術に似た斬撃を撃っているのも、何処かで学習したのかもな…厄介な」
夜の森を照り付けるその鎧の姿は、今し方地獄から這い出てきた獄卒と言われても信じてしまいそうな程に禍々しく異様である。
炎の鎧が一歩前へ踏み出した。
瞬間、熱風と共に地が爆ぜる。
反射的に四人は散開する。
「ぐっ…《
先の報復か、カローナは背後へと現れた黒獣へ向け城壁のような壁を形成し距離を取ろうとする。
しかし魔力の昂りと共に放たれた石突による一撃は爆破を伴い、退避した彼女を捉える。
「ぁ゛…っつ゛…ル、《
カローナは豪火の中魔術によって熱を中和しつつ突っ切り、上空から大質量の滝を投下する。
呼吸をする度に少しずつ肺が焼かれてゆくのを感じ取るも、彼女はまるで意にも介さず行使し続ける。
水は一瞬にして蒸発し、辺り一帯が霧に包まれる。
彼女は体の随所を焦がし膝を付いた。
「ヤアッ!!」
その傍へと駆けつけ即座に治療を行うデューク、そして火を撃ち払い守るように剣と拳を構えるアリアとユラ。
「私の治療は良いですよデューク殿下…そんなことより———」
「何を言っている、その火傷は———いや…お前、これは…」
———直後、霧の奥で雷火が弾ける。
「———伏せてください!!」
ユラが警告し盾を創り出すその刹那、突風と共に霧が晴れ、四人の真横を何かが音をも置き去りにし通過する。
真正面から飛んできたソレは軌道こそ反らせたものの、形成した盾は薄板の如く砕かれてしまう。
勢いを殺しきれなかったユラは片腕を肩ごと消し飛ばされ、巻き込まれる様に後方へと吹き飛ばされる。
「ユラッ!!」
「ユラさんッ!!」
彼女を追おうとするも、しかし目の前に仁王立ちする処刑人の如き黒獣が現れたことでその足も止められる。
「今度は俺の雷か…!」
黒獣の手には斧槍は無く、代わりに腕に纏っていたのは見覚えのある稲妻であった。
黒獣が手を翳せば再び雷光が走り、弾かれた斧槍が引き寄せられるように手元へと戻ってくる。
「何でもありだね…」
カローナが疲労を孕んだ声でそう溢せば、黒獣は大きく背後へと振りかぶり———再び得物を投擲する。
残像を残し、文字通り稲妻の如き疾さで飛来する斧槍を其々が四方へと散り散りになって翻す。
「———ォ゛ゴ…ッ!」
しかし次の瞬間、アリアの腹部へと強烈な衝撃が加わった。
肺の空気が吐き出される間もなく押し潰され、血と内容物が混ざったような吐瀉物を嘔吐する。
「が…っ」
アリアの胴を潰す勢いで掴み取った黒獣は、紫雷を纏ったまま彼女を地面へと叩きつけ、兜の奥へと隠された凶悪な口を咲かせる。
「あ゛…ぐっ…」
アリアは朦朧とする視界の中、両手で握り締めた剣を籠手の繋ぎ目へと突き刺し———捻じ斬る。
指の一本が噴出する火ごと切断され、僅かに緩んだ隙に身を捩り脱出を試みる。
だがその行為がかえって怒りを買ったのか、更に増した圧力が地面と彼女の肉体から忌避的な音を引き出す。
「ッ…ぁ…」
最早出るのは声ではなく空気と血のみ。
やがて身体の端に痺れを感じ始める。
「《———
瞬間、真横から出現した風で編まれた大猪が黒獣へと突進し突き飛ばす。
そうして陥没した地面に倒れ伏す彼女を雷光弾ける大鷲に乗ったデュークが抱え、その場から離脱した。
「くそッ、同時にも使えるのか…!」
背後では魔術による一撃を片脚で耐えた黒獣が腕を振るい、水が撒かれる様に噴き出した炎が蛇の如く二人を追って来ていた。
「そっちばっかしつこく狙うな!———《
二人を睨む黒獣の死角からカローナの生み出した鎧を超える巨躯の巨人が腕を振りかぶる。
「自分より強い力感じた事ないでしょ?いっぺん喰らってみなさい!」
彼女の掛け声によって突風を伴って振るわれる剛腕が黒の兜へと迫った。
「…ッ、それ邪魔すぎ!」
だが、直前で両者の間へと突き刺さった斧槍によってその一撃も防がれる。
黒獣は火を掻き消し、振り向き様に突き立てられた斧槍を脚で蹴り浮かす。
そうして紫雷の迸る脚を構え———
「———」
———斧槍を蹴り、「突き」を放った。
「な———」
不安定な脚撃による突きは、しかし一切ブレる事なく真っ直ぐに放たれ巨人を破壊し、カローナの胸部を穿つ。
磁気の反発によって高速で撃ち出された斧槍は彼女を貫くままに加速した事で完全に貫通し———
———彼女の胴を大きく抉り取ったのだった。
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