回生

 戦力が増え事態が好転したかと思われたのも束の間、僅か数手で戦力の半分を失ってしまった惨状を半ば放心状態で眺める。

 

 

「…」

 

 

 沈黙する友人に青い顔を晒すアリア。

 身を削って己達を守った従者の姿に険しい顔つきをするデューク。

 

 余波により吹き飛ばされた友人は力無く四肢を放り出し、毟り取られた様に欠けた胴を風に晒す。

 

 血に染まる従者は、まるで壊れ、捨てられた人形のように肩から先を失ったまま野晒しにされている。

 

 両者共に遠目からではもう息は無い、そう思う程に悲惨な姿であった。

 まだ胸が小さく上下していることが唯一の救いといえるだろうか。

 

 

「ふ、二人…共…」

 

「落ち着け、アリア…!」

 

 

 声を震わせる彼女の隣でデュークは宥めるように両肩に手を添え、努めて冷静に、しかし語気を強くし訴える。

 

 

「今から治療すれば十分に間に合う———オレに任せろ」

 

 

 彼女の動揺に揺らぐ瞳を射抜く彼は、確固たる意思を宿した仮面の下で状況を把握せんと黙思する。

 

 

「(…二人の損傷は共に部位欠損…オレの体力の消耗も少なくはない…このまま他人の肉体領域に触れるのならば———)」

 

 

 眼下にて地に臥す二人へと目配せをし、最後に戦場の中心で無防備にも立ち惚ける黒獣の様子を伺う。

 

 黒獣は徐に手を伸ばすと蹴り飛ばした斧槍を手元へと引き寄せ、見せつけるように肩へと担ぎ、此方へ向けて首を捻る。

 

 デュークの意識が向いていることを察すると、挑発なのか威嚇なのか全身に火の粉を散らした。

 

 

「(…このまま嬲り殺すつもりか…性悪な…)」

 

 

 恐らくはこのまま彼が治療すべく飛び込んだとしても、まるで視界にチラついた虫の如く払われてしまうことだろう。

 

 そしてそれはデュークが容易に想像できるように、目先に仁王立つ獣にとっても同様であった。

 

 

「(オレが招いたと言っても過言ではないこの惨状…オレが、何とかせねば…)」

 

 

 馳せ参じた仲間が一幕の攻防で瀕死へと追い込まれた事への動揺、刻一刻と迫る時間に二の足を踏ませる敵の存在、そして己の未熟さが招いた結果への責任と罪悪。

 

 ここまで己を運んだ様々な状況が擦り切れるような思考を持って尚彼を掻き乱す。

 

 今こうして悩んでいる時間さえまるで時計の砂が落ちるように、誰かの命が削れていっている。

 

 そうして思考の隙間、黒い鎧が擦れ合う不吉な音が耳に滑り込む。

 

 瞬間、彼は意を決したようにその面を上げ、黙り込んでしまった彼女へと言葉を投げかけた。

 

 

「アリ———」

 

「———ねぇ、デューク」

 

 

 それと同時、彼の名を呼ぶアリアの声が言葉を遮った。

 

 普段と変わらない、しかし落ち着きを取り戻した静かで強かな声に、デュークは出かかった言葉を飲み込むことで傾聴の意を伝える。

 

 それを汲み取ったアリアは「ありがとう」と短く感謝を述べると、今度は先程とは立場が入れ替わったように、冷静さを欠こうとしていた彼へと———

 

 

 

「———お願いが…あるんだ」

 

 

 

 ———そう切り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒獣は己の獲物を掻っ攫い音も無く飛び立った鳥、そしてその上に跨る二匹の獲物を眺めていた。

 

 暫くすると先程の一匹がその背から降り立ち、己の眼前へと躍り出た。

 

 正体の見通せない忌避感を覚える靄を纏い、己に痛みを与える刃を手にするソレは、切先を下げ、迷い無く此方へと向かって来る。

 

 だがその歩みに不安と躊躇いを感じ取る黒獣は、兜の奥で醜悪な造形を歪め、石突で地を叩き、脅かすように揺さぶった。

 

 アリアはその攻撃的な姿勢に表情を険しくし、脚を押し込むように前へと運び、霞に構えた。

 

 獣は突き刺した石突を土砂ごと持ち上げ、最初と同じように姿勢を低く「構え」を取る。

 纏う殺意が波の如く膨れ上がり、正面に立つアリアの肌を削そぎ取るように通り抜ける。

 

 しかし、それでも彼女はその場を退く事無く臨戦する。

 

 

「(———今のボクは、受け継いだだけの剣に振られ、与えられた鎧に着られ、護られているだけだ)」

 

 

 アリアがカローナやユラの参戦を目にした時、一番最初に抱いたのは安堵であった。

 

 いつも依頼の際に目にしていた頼れる背中に靡く桃色の髪。

 剽軽ながら幼馴染を常に気にかけていた優しく強かな瞳。

 

 ———これならば勝てる。

 ———きっともう大丈夫。

 

 そんな希望を胸に抱いた。

 

 実際、二人が参上してからの戦闘は間違い無く相手を追い詰め、着実に勝利へと近づいていたはずだった。

 

 だがそんな二人の力添えがありながら迎えた結果が———今の惨状であった。

 

 そうやって己が取り乱す中、幼馴染は依然とした姿で言うのだ。

 

 

『———オレに任せろ』

 

 

 その一言で彼女ははたと気付く。

 

 

 ———自分はなんて卑怯なのだろうか、と。

 

 

「(これくらいモノにしないと———英雄の剣なんて振れるわけがない)」

 

 

 カローナと共に依頼に行くと提案された時。

 間一髪の所で二人がデュークを救い出してくれた時。

 そして———今、彼の言葉を聞いた時。

 

 その時感じた安心感は———再び頭の隅にチラついた、己の弱さへの言い訳でしかないのではないか。

 

 共闘と言いながら味方の強さを理由に紡いできた繋がりにしがみつき、戦いの中で怯え、震え、誰かに頼り切りになる事を是とするならば、己はこの剣を捨てねばならない。

 

 勇気や覚悟などと聞いて呆れる。

 

 

 彼は変わったのだ。

 

 己が変わったことを証明するならば、恐れから逃れる為ではなく、立ち向かうべく戦いに臨まねばならないだろう。

 

 

 ここからの時間は自己犠牲ではなく———信頼の証だ。

 

 

「(———掴んで魅せる)」

 

 

 唸り声と共に黒獣の重圧な脚が沈む。

 

 攻撃の起こりを捉えたアリアは、塵の流れさえ追える世界の中、自身の内に秘める魔力に意識を溶かす。

 

 煮詰まる魔力は、やはり外界から浸透する暖かい魔力を拒む事はない。

 

 

「(今はメアリスさんの魔力が一方的に干渉してきている状態…なら、ボクの魔力とメアリスさんの魔力が落ち合う点を探さないと、十分な強化は発揮されない…!)」

 

 

 強化と言うからには、掛けられた者がその伸び代を活かすことが出来なければ宝の持ち腐れも良い所だ。

 

 一時的に得た全能感は、この結果を目にすれば所詮は錯覚でしかないことなど火を見るよりも明らかである。

 

 それは突然与えられた力に溺れ、呑まれ、振り回されている何よりの証拠であった。

 

 

『———』

 

 

 ただこの一瞬の為だけに凡ゆる認識を外へと追い遣る。

 永遠にも思える時の中、研ぎ澄まされる魔力に秒針が動いたような僅かな変化が見えた。

 

 黒い鎧の底で幾つもの小石が砕ける音が脳に響く。

 同時、黒獣の脚が地から離れ———眼前へと塵を切り飛ばす刃が飛び込んでくる。

 

 横薙ぎに放たれ独楽の如く回転する大斧を掠めるように跳び上がり回避したアリアは、一瞬にして消えた敵の姿を探す。

 

 空気に混じる異質な魔力の澱みを洗い出す最中、少しずつ歯車が噛み合うように馴染んでゆく魔術の鎧は、飛翔を錯覚させる程の跳躍を彼女に与える。

 

 

「(後ろ———)」

 

 

 得物を投擲し手を離れる瞬間、どうやってか砂埃さえ上げる事無くアリアの背後へと回り込んだ黒獣は、投げた先で斧槍を掴み取る。

 

 そうして穂先で足下を貫き、その反動で足を浮かせ、地を突き放すように跳ね上がる。

 

 相応の質量を有する巨体で疑わざるを得ない挙動を見せる黒獣は、崩壊した姿勢など意に介さないとばかりに並んだ彼女を正確に見定め、斧槍を叩き落とすように振るう。

 刃渡りが人間大程もある刃が着火し、轟々と揺らぐ焔が空に浮かぶ三日月の如き軌跡を描く。

 

 

「《リド》」

 

 

 しかし翼を持たず、自由を奪われ落下を待つばかりであったはずのアリアは、しかし重力に逆らうように弧を描いて舞い上がる。

 

 文字通り間一髪———熱が肌を炙るような至近距離を刃がすり抜ける。

 

 服の裾が黒く焦げ崩れ去るも、相手の動きを読み取ることに注力する彼女が気が付くべくもなく、次なる守勢を迎える。

 

 

「《リド=———」

 

 

 火花散る神経。

 組織を削る血の激流。

 ゆっくりと混ざり合う異色の魔力。

 

 自我さえ届かぬ深層の無意識界で———カチリ、と更なる歯車が噛み合う。

 

 

「———テムナ》!」

 

 

 空気を裂く白銀の風が吹き抜け、鉛の如き質量の旋風が斧槍を振り切った黒獣の首筋へと見舞われる。

 

 だが雷光が瞬くと同時、黒獣は反発する電磁力に弾かれ急降下し一撃を免れる。

 

 辺りの気配を探るアリアの額を流れる一筋の汗が雫となって夜に溶ける。

 

 彼女は地に足をつけるべく動きを合わせるように瞬間的なダウンバーストによって己を撃ち下ろし、既に攻勢へと転ずる敵を見据える。

 

 ———着地の瞬間、酷く鉄臭い刺激と共に、ドロリとした血が鼻から溢れるのを自覚する。

 粘ついた血が唇を伝い、口の端から顎へと垂れ、ポタポタと焼けた草花を汚す光景が彼女の眼下に映った。

 

 

「(まだ…猶予は奴が油断している間だけ…!)」

 

 

 想定通り、予想以上。

 一瞬にも等しい時間の中で、精神、肉体、共に過剰な迄に酷使する対価が彼女を襲う。

 

 しかし、それでも彼女は怪物の一挙手一投足を見逃さぬよう、全神経を相手の挙動の捕捉に注力することを辞めはしない。

 

 親しき友が言う「信念」。

 達観した先人の言う「正義」。

 

 両者はそれを———貫き通せと言う。

 

 ならばこれこそが今の彼女にとって、そして未来の自分にとって枷でもなければ、況してや栄誉でもない———きっと後悔の無い、自らが誇る選択なのだろう。

 

 

「———来なよ…!」

 

 

 一度鼻と口元を拭い、それでも流れる血は最早気にも留めず垂れ流す。

 

 強がるように睨みを効かせれば、黒獣の唸りに苛立ちが見え始める。

 籠る殺意がより一層強まったのは、恐らく気のせいではない筈だ。

 

 相手が嘲笑を見せるなら、と此方も嗤って返して見せる。

 

 刹那、黒獣の手元が掻き消える。

 

 足運びから移動の予兆を見せなかった黒獣の挙動を予測していたアリアは、《ヴェリト》の出力を抑える事無く発揮する。

 

 ほんの一瞬、まるで写真機に写したような景色に捉えたのは、地中を潜水する魔物の如く大地を掘り起こしながら高速で迫り来る衝撃波。

 

 己の距離は既に十歩余り。

 

 本能は逃げろと絶叫し、理性は呼吸する間もなく到達すると半ば諦める。

 

 普通ならば避ける事は不可能、だが———

 

 

「避け———ろッ!!」

 

 

 すんでのところで身体に言い聞かせるが如く、無理矢理後引っ張るようにして後退させ回避する。

 突風が全身を打ちのめし、跳ねた心臓ごと殴り付ける。

 

 瞬間、抉り返された地面から爆炎が噴き出し、高波の如く襲いかかった。

 

 

「———《リド》…!」

 

 

 己の身と剣身に魔力を巡らせる彼女の内で———また一つ調和の歯車が回り、嵌る。

 流転する魔力が冷えた体を無理矢理熱し、湧き上がる生存本能と戦闘意識が剣を握る両腕に命令するように活力を与える。

 

 

「———ヤアァァッ!!」

 

 

 キラキラと煌めく白銀の塵が舞い、攻城の一撃が絶望的な紅い壁に大きな裂け目を切り開く。

 彼女を呑み込まんと波は勢いを止める事なく広がり続けるも、開かれた隙間は閉じる事はなくアリアの両脇を抜けて行く。

 

 だが肌を撫でる熱風が通り過ぎ、煮え滾る空気が吹き荒れるのも束の間、一呼吸さえ置く間も無くその視界に黒い巨影が現れる。

 

 制御下にある身体強化による力を全開に、応戦すべくアリアは影の方へと身を捻り、上段に大きく構え———

 

 

 

 ———ブツッ、とまるでか細い雑草の根をちぎった様なノイズが頭の奥から数度聞こえる。

 

 

 

 瞬間、引き裂かれるように視界が乱れる。

 突然のことに混乱する脳と戦いの最中に居る精神とがぶつかり合い———結果、肉体に致命的なラグが発生する。

 

 

「(魔力の流れが…乱れ———)」

 

 

 まるで時が飛んだように彼女がフリーズしたその時、正面から伸びた巨腕が華奢な胴を鷲掴みにする。

 

 勇猛果敢に剣を振るう姿に見合わぬ小柄で軽い少女の体などまるで摘み取った花でも拾い上げるかの如く持ち上げ、晒し上げるように、鑑賞するように仰ぐ黒獣。

 

 されど底に優しさなど微塵もある筈も無く、握る掌に力が籠り、骨が軋む音が鳴る。

 

 

「ぐ…ぁ゛…っ」

 

 

 呻くアリアの未だお粗末な視界の中、兜が蠢き、牙が覗く。

 

 ———捕食。

 その二文字と、幼馴染が弄ばれた光景が彼女の頭を過ぎる。

 

 だがそのまま開かれるかと思われた大口は、しかし何かを思い出したのか鳴りを潜めてしまう。

 

 そうして、彼女を大きく振りかぶると眼下へ目掛けて叩き付けた。

 

 意識に肉体が追いつかないアリアは、受け身を取ることさえ出来ず地面を跳ね、転がる。

 されど二転、三転と土に身を汚した彼女は、それでもその手に持つ剣を手放しはしない。

 

 

「(まだ…まだだ…もう少し、だけ…!)」

 

 

 何とか起きあがろうと膝を立て、視界の端が赤く染まっている事に気がつく。

 

 どうやら脳へのダメージによって眼からも血が溢れて来ているようだ。

 制御は安定し始めたものの、負荷を掛け過ぎたらしい。

 

 彼女は子鹿のように震えそうになる脚を強化によって抑え立ち上がり、込み上げて来た血塊を吐き出した。

 

 相対する黒獣は彼女が立ち上がった事に更なる苛立ちを覚えたようにも見えたが、その様子は何処か怪訝そうでもあった。

 

 元よりしぶとくはあったが、どうにも不屈が過ぎる。

 

 そうして数秒の沈黙の後、答えを出したらしい獣は斧槍を大きく構えた。

 

 相性が良いのか、魔術を盗まれてから何度も見た稲光は淀み無く、徐々に洗礼されてきていることが見て取れる。

 数度の攻防のみでこれを習得する獣らしからぬ人智を超えた学習能力は戦慄に尽きる。

 

 赫く亀裂に先程よりも遥かに強力な一撃の兆しを予見するアリア。

 

 灰色に近づく世界の中ゆったりと動く初動、しかし次の瞬間にはその穂先が残像を生む程の速度で振るわれ———

 

 

 

「なっ———」

 

 

 

 ———在らぬ方向へと投擲される。

 

 手元を離れ、急激な回転を得る斧槍は大きく弧を描き、夜の寒空を駆け、やがてブーメランの如く地上へと向かう。

 

 アリアからすれば制御下から外れたのか、そう思せる一投。

 

 しかしその先に見まみえた存在と、黒獣の狙いに気が付いた彼女は瞠目しする。

 

 

「デューク!!」

 

 

 斧槍の矛先、そこに在ったのは———ユラの下へ降り立ったデュークの姿であった。

 

 

「(不味い、バレた…!)」

 

 

 彼女の言う作戦とは———詰まる所囮であった。

 

 作戦などとは言うものの、その内容は黒獣の意識の集中化であり、デュークを意識外へと追いやる事。

 

 彼の役割はその隙に彼女達二人を治療する事であり、その間アリアはその時間を是が非でも稼ぐ必要があった。

 

 当然デュークからの反発はあったものの、既に二人で挑んでも倒せない事は分かっていた。

 

 あの二人がいなければ全員犬死にして終わりだと、回避に徹すれば勝算がないわけではないと、そう伝えれば悲痛な顔をしながらも彼は納得してくれた。

 

 とは言えその糸口も「身体強化の制御」という博打でしかなかったのは秘密であるが。

 

 

「(時間が足りない!)」

 

 

 黒獣との剣戟は僅か二合程度。

 稼いだ時間は一分にも満たない。

 

 遠目に見えるデュークは治療の最中であり、ユラの失った腕は未だ完治していない。

 

 

 

「(間に合わ———)」

 

 

 

 そうして二人に無慈悲な凶刃が迫り———

 

 

 

 

 

 

 

 

「———お手を煩わせてしまいました…殿下、アリア様」

 

 

 

 

 

 

 

 ———金属のひしゃげる音が鳴り響く。

 

 ソレは斧槍のへし折れる音でも、況してや黒獣へとアリアによる痛烈な一撃が撃ち込まれたわけでもない。

 

 

「おい、まだ完全には———」

 

「ご安心下さい殿下。止血していただいただけでも十分なお恵みに御座います」

 

 

 ソレは———鋼の巨腕が斧槍の凶刃を受け止めた音である。

 

 その中央から半ば程までが重い一撃によって裂かれ歪んだ腕の先、そこには肩から先を鋼の鎧へと変えたユラがデュークを守るように構えていた。

 

 

「それに———私の手足は一度死んでおります故」

 

 

 ユラは立ち上がり、修復した巨腕に斧槍を握り込み、大きく身を引くと投擲の構えを取る。

 

 そうして引き絞った弓を解くが如く———撃ち出す。

 

 黒獣はそうはさせまいと手を翻し得物を手繰り寄せるべく磁場を発生させ、雷火を走らせる

 

 しかし反対側から迎え撃つ雷撃によって両者の中心で稲妻が弾け、軌道が逸れる。

 

 

「———流石に一芸が過ぎる」

 

 

 雷撃の発生源———二本指を立て黒獣を見据えるデュークは侮蔑と称賛を合わせ含んだように口角を上げた。

 

 

「だが良い技だ。貰ったぞ、獣」

 

 

 その言葉を送ると同時、音を置き去りに、黒獣の胸部へと砲弾の如き斧槍が突き刺さる。

 

 寸前で柄を掴み取り貫通は免れたものの、脚を浮かせ唸り声と共に後方へと吹き飛ぶ黒獣は、衝撃を殺すように身を縦に回転させ地鳴りを伴って着地する。

 

 だがその時、鎧の背を照らす月明かりを遮る影が覆う。

 

 

 

「———さっき送り損ねたから、今度こそ良いモン上げちゃうね♪」

 

 

 

 瞬間、振り返り様に火を纏った回し蹴りを放つ黒獣。

 

 だがそれよりも数瞬早く兜へと到達する———漆黒の氷塊。

 

 

「オラァッ!!」

 

 

 頭頂へと爆発的な質量が叩き込まれ、大地へと撃ち込まれる黒獣。

 地下で何かが暴れるが如く隆起し、両者の破片が土砂と共に宙へと舞う。

 

 

「コレは———アリアの分っ!!」

 

 

 氷塊———基もとい、漆黒の氷像は尚も拳の雨を止ませることはない。

 

 地面と大質量に挟まれ無防備となった黒獣へと反撃の隙さえ与えず連撃を繰り出す。

 

 その背後で———五体満足のカローナが快活な笑みを浮かべていた。

 

 

「カローナさん…良かっ、た…間に合ったんだ」

 

 

 体に血が足りていないのか、剣を杖代わりに立とうとしても膝をついてしまうアリア。

 

 そこへデュークが稲妻を纏い飛び込み、彼女を抱え離脱する。

 

 

「無事———ではないな…負担をかけたな、アリア」

 

「ううん…役に立てて、良かったよ」

 

 

 死を免れた二人の姿にアリアはほっと胸を撫で下ろす。

 

 そんな中、デュークは訝しむようにカローナへと視線を向けていた。

 

 

「(…傷が治っている…?)」

 

 

 誰よりもその理由を知っているはずの彼が、そんな疑問を抱く。

 

 しかしそれもそのはずだろう。

 

 何故ならば———

 

 

「(———オレは治療などしていないはず…)」

 

 

 ———間に合わなかったのだから。

 

 デュークは習得した聖魔術によってその練度や体力、損傷具合によって必要な時間に差異はあれど、肉体を修復をすることができる。

 

 今回、彼は自身が消耗していたこと、そしてユラの損傷が予想以上に複雑であったことから、結果的にユラ一人の完全な回復さえすることができなかった。

 

 にも関わらず、目の前の彼女は失ったはずの肉体を綺麗さっぱり取り戻している。

 

 そのことが彼にとって異様でならなかった。

 

 

「(…聖魔術が使えたか、或いは薬が残っていたのか…?)」

 

 

 戦闘中垣間見える実力からそんな可能性を見出す。

 彼女ならば聖魔術が使えるのも不自然ではないだろう。

 少なくとも、あの激しい戦闘の中で薬が無事である方がありえない。

 

 

「デューク、もう大丈夫だよ」

 

 

 魔術を行使し続けていた彼にアリアがそう呼びかける。

 しかし彼はそんな彼女を見ながら眉を顰める。

 

 

「まだ全快したわけではないだろう」

 

「けどデュークが消耗するわけにもいかないし…それに…」

 

 

 そこまで言って、アリアは黒獣の方へと目を遣る。

 

 その先では巨人の一撃によって抉れた地面の中、岩塊に埋もれた黒獣が怒りを露わに巨人を薙ぎ払う姿が見えた。

 

 中心に穴を空け陥没した胸部。

 鈍い光沢を放っていた鎧に刻まれる幾つもの傷に歪んだ兜。

 体力の消耗を隠し切ることの出来ない、明らかに緩慢になった動き。

 

 それは確実に削られているのが相手も同じであるということを表していた。

 

 

「最後の攻め時だよ、デューク」

 

「…そう、だな。このまま押し切ってしまうべきか」

 

 

 如何なる油断も死に直結しうる局面。

 

 此処で出し惜しむ訳にはいかないと、黄金の稲妻を纏うデューク。

 強力な負荷はあれど理由を同じくして白銀の風を纏うアリア。

 

 二色の軌跡を描き、カローナの氷像を一振りで微塵に砕いた黒獣へと最後の進撃を仕掛ける。

 

 

「《風裂リド=テムナ》ァ!!」

 

 

 黒獣の放つ衝撃波にも引けを取らない斬撃が黒獣とカローナを分断するように通過する。

 

 後退した黒獣は石突で地を叩き隆起させ、一瞬にして楼閣の如き岩の柱を生み出した。

 

 隆起する柱は生きているかの如く畝り、向かい来る二人の存在へと突進する。

 

 

「岩の魔術、か———!」

 

 

 アリアが迎撃すべく担ぐように剣を構える。

 

 瞬間———横から乱入した鉄塊が柱の群れを一掃した。

 

 

「糸、ですか…散々苦しめられましたが———」

 

 

 鉄塊からキラリと光る線が伸びる。

 

 それを辿れば、鋼の指に何かを引っ掛けたような挙動を見せるユラが腕を引いていた。

 

 

「———中々使い勝手が良い」

 

 

 ユラは指と腕の動き、そして魔力の操作によって糸の軌道と鉄塊の形状を次々と変化させ、暴れ回る岩の柱を粉砕する。

 

 

「ユラ、よくやった」

 

 

 優秀な従者の援護に言葉を送り、デュークは減速する世界の中己が見た光景を思い起こす。

 

 そうしてフラッシュバックするように鮮明に描かれるのは、出会ったばかりの少女が魅せた、己にとって新たなる魔術の境地。

 

 徐に、彼は両手を広げ左右に別々の術式陣を描く。

 

 右手には雷の魔術を、左手には岩の魔術を。

 それぞれ刻まれた術式は第三節、巡り、廻るは己の意思を宿した黄金の魔力。

 

 次々と思考しては答えを与える外付けの演算機構は決して本人の思考能力の範疇は超えない。

 あくまでその情報処理能力を上げ急速に回転率を高めるだけである。

 

 答えを出しては捨て、捨てた中から拾い上げ、少しずつ己の求める解を組み立て上げる。 

 

 そうして数度の試行錯誤の先に、まるで財宝の如く煌めく物を幻視する。

 

 彼はソレを掴み上げ、現実へと引き摺り出す。

 

 

「———《三節二重詠唱》」

 

 

 デュークは広げる腕を勢い良く交差させるように閉じ、発動する為の魔力の流されていない二つの術式を融合させる。

 

 金属同士が衝突するような音が響く。

 

 

 

「《———迅雷ノ礫マギル=ヴァルカ=レルガ》!!」

 

 

 

 デュークの傍に生成された岩石が稲妻を帯び、それが閃けば岩そのものが雷光の如く瞬足で撃ち出される。

 

 礫は射出されると同時に舞い散る破片の壁に穴を開け、瞬く間に黒獣の眼前へと到達する。

 

 咄嗟に殴り砕こうとするも、混戦の中で絡みついた無数の鋼の糸がそれを阻止する。

 

 そうして急速な加速によって増した質量を得た岩塊が黒獣の兜を撃ち抜き、弾き飛ばす。

 

 化けの皮が剥がされ、奇声と共に現れるのは兜の下に垣間見た悍ましい肉塊の花。

 

 

『———ッッ!!』

 

 

 黒獣は怒れるようにも、焦燥を見せたようにも思える咆哮を伴い、絡まる糸ごとユラを引き寄せ、勢いのままに蹴り抜く。

 

 

「ゴ…ァ…!!」

 

 

 瞬時に生成した盾により直撃は免れるも、義腕が粉々に砕かれる。

 同時に黒獣がアリアとデュークへ向け斧槍を半ば捨てるように投擲する。

 

 

「…ぉの゛…程度、でェ!!」

 

 

 ユラは斜め前へと糸を伴う杭を放ち突き刺すことでベクトルを変化させ、まるでスリングのように己を斧槍へと飛ばす。

 

 

「ハッ!!」

 

「そー…れッ!!」

 

 

 ユラが再生させた義腕を、カローナが氷塊を振るい、左右から挟み込むように迎撃し、とうとう斧槍に亀裂が生まれ砕け散る。

 

 だが錘を捨てた黒獣は地を踏み抜き、数本の柱を顕現させると、其れ等を蹴り、伝い、足場とし、正しく獣の如き立体的な動きで上を目指す。

 

 そうして最も高くまで伸びた柱を蹴り飛ばし上空へと舞い上がれば、魔力の渦と共にその頭部を紅く灯らせ広場を覆う程の火柱を放った。

 

 

「この短時間でどこまで———」

 

「———退いてッ!!」

 

 

 脅威的なまでの成長を魅せる黒獣の力に戦慄する彼等を押し除け、広場の中央にてカローナが魔力をその手に構える。

 

 黒獣と同じく掌に火を灯し、魔力の奔流を注ぎ込む。

 

 やがて魔力の流れに巻き込まれ渦巻く火球が黒い輝きを得る。

 

 

「魔術で勝てると思わないでよね!!」

 

 

 彼女は掌大程までに膨れ上がった黒炎を、迫り来る火の天蓋へと押し付けるように突き出す。

 

 

「———《無元炎ヴォル=ソル=ギヴル=アルゾロア》!!!」

 

 

 ———紅い天蓋と衝突する。

 

 しかし強力な熱同士の拮抗は一瞬であった。

 

 四方へと広がる黒獣の火炎のその中心へと、圧縮された熱線がまるで糸を通すかの如く貫き、潜り抜けたその先で黒獣の頭部を撃ち抜いた。

 

 後方へと噴き出すように黒獣の後頭部が爆ぜる。

 

 苦しみに悶え、内臓を焼かれる苦痛を泣き叫ぶ獣声が森に響き渡る。

 

 黒獣は頭部を掻き回すように覆い隠し落下し、魔力によって形成された柱が次々と崩れ落ちる。

 

 その光景を見上げながら横に並んだデュークとユラは互いの魔力を絞り出し、交差させ、術式を構築する。

 

 魔力の粒子は岩へと変容し、更に密度を増した金属へと姿を変える。

 

 

 

「———《堕落金剛天ゴル=ディール=アグッラ=フォールン》」

 

 

 

 やがて目の前に一本の巨大な剣が形成され、次第にその表面に紫雷を帯びる。

 

 

「———お前の技だ、喰らえ」

 

 

 そうして———射る。

 

 稲妻の尾を引き、残像さえ生まれる間も無い速度で放たれた剣は黒い鎧の胸に開いた切り傷のような穴へと狙いを澄ます。

 

 黒獣は表掌を外へと向け、その切先を掴み取ろうと構えた。

 

 耳を劈く激しい轟音が鳴り響くと同時、紫雷が膨れ上がり、剣が籠手へとめり込む。

 

 ほんの一瞬、荒ぶる熱風が押し返す。

 されど再び紫雷が閃いた瞬間、その切先は籠手の装甲を破り、儚くも斬り飛ばした。

 

 

『———』

 

 

 咆哮も唸り声も雷鳴に掻き消され、尚も止まらぬ推進力に後方へと投げ出される黒獣。

 

 魔力が散ると共に剣が霧散すれば、穿たれた胸部の亀裂から黒々とした液体が溢れ出す。

 

 そうして膝を着き、天を仰ぐ黒獣の視界に一つの白い星が映り込む。

 

 

 

「《剣に誓いを———》」

 

 

 

 星は磁場によって地面から浮き上がる岩塊を足場に黒獣の真上へと飛び上がり、剣身を下に向けながら両手で剣を掲げ、黒獣目掛け真っ直ぐと落下する。

 

 

 

「《我に、栄光を———》」

 

 

 

 月にも負けない輝きを放つ星———アリアは、溢れ出る魔力に身を灼かれながら黒獣を見定める。

 

 かつての英雄には程遠い、されど確かな希望に思える光が一筋の流星となって降り注ぐ。

 

 

 

「《顕現せよ———》」

 

 

 

 それを阻止するためか、或いは理由などないのか、黒獣はまるで縋るように、迎え入れるように手首から先を失った両の腕を伸ばす。

 

 されど眩い光は月暈の如き波紋を放ち、その腕までもを消し飛ばす。

 

 

 

 

「《———栄光の剣グラントリア》!!」

 

 

 

 

 そうして———白銀が獣を貫いた。

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