地に堕ちた———

 煌めく紅蓮は軌跡を描き、神々しき金緑の彗星と衝突する。

 溢れる熱と覇気は荒御魂の威光の如く、剣を捨て緋弾をも捨て振るう拳は天降あもる巨星の如し。

 

 

「———オォォラアァァァッ!!」

 

 

 技も何も無い殺意のままに薙いだ拳は、しかしそこに秘められた壊滅的なまでの力により一つの術理へと昇華する。

 

 そしてその殺意が向かうのはたった一人の少女のみ。

 

 

 ———《深結界ルー=ラギテクト=ケルタ》。

 

 

 彼女が静かに指を振えば男と少女の間に分厚い———否、深い結界が生み出される。

 

 波打つ蒼の結界は赤熱する握拳と衝突した瞬間呑み込むように受け止め、その表面を一瞬にして水蒸気へと姿を変えた。

 

 

「ク、ソがぁッ!!」

 

 

 男は爆発する高熱の水蒸気に鬱蒼しそうに目を細め、反対側の腕を振り絞ると底無しの結界へと撃ち込む。

 

 一発、二発と撃ち込み続ければ、やがて揺らぐ水面に罅が入り始めた。

 

 

「まるで怒れるオーガのようだね———」

 

 

 少女はその光景を内側より見送るとその脳裏に三つの術式を組み上げる。

 

 一つは水、一つは風、そして最後の一つは雷。

 

 三つの元素が混ざり合い渦巻き、一つの陣を極彩色に彩る。

 

 

「第三節三重詠唱———」

 

 

 膨れ上がる霧は黒雲を生み、黒雲は孕む霹靂をその内で鳴らし、暴れる大風はそれら全てを先導する。

 

 

「———《嵐歩ドレイズ=ラジド=レイジオン》」

 

 

 雷纏う黒き暴風は宛ら外套の如く少女の身を包み、迫る一切を己の結界ごと消し飛ばす。

 

 悠々と一歩を踏み出せば固く踏み平された大地は巻き上がり、二歩踏み込めば足場が消える。

 

 そのまま飛び上がった少女は吹き荒れる暴風に足を浮かされた男目掛けて急降下し、まるで地面の代わりにするかのように両の足で踏み抜いた。

 

 

「ッ、グッ…ガ…ッ!」

 

 

 男は交差させた両腕で降り注ぐ黒雲を受け止める。

 

 

「———上位者、気分かよッ、ァア゛…ッ!?」

 

 

 分厚い雲の向こうに居る、今己を見下ろしているであろう少女を睨みつけ、男は焦熱を噴火させ雲を吹き飛ばした。

 

 黒に覆われていた景色は一瞬にして赤に染まり、己の領域と言わんばかりにその熱を吐き出す。

 

 

「…その死に体で元気なことだね」

 

 

 風を操り優雅に地面へと降り立った少女は疲れたような眼で男を見る。

 

 

「それはこっちの台詞だ若年増が」

 

「…目上のものに対する口の聞き方がなっていないね」

 

「ナッハハハハッ!思ったよりも短気だな、尊敬されてぇなら頭と顔の皺増やして出直して来いよ!」

 

 

 男の言葉が何かに触れたのか眉をピクリと動かし、一層声を低くして唸るように言う少女。

 

 男はそれが余程面白かったのか盛大に笑い飛ばし挑発する。

 

 

「…それに、随分としぶとい。人の記憶に棲みつく悪魔の方が幾分かマシだ」

 

「そりゃあ良い。俺等は自称肥溜めの蜚蠊なもんで…ピッタリじゃねえか…」

 

「そうかい、なら…先ずはその何でも放り込みそうな汚い口から閉じてしまおうか———」

 

 

 その身に稲妻を纏い背へと翼を生やした少女は突風が吹く、或いは稲妻が駆け抜けるが如き速度で間合いを詰め、両肩から腕までを一直線に雷火の弾ける掌底を放つ。

 

 瞬間移動にも近い加速から撃ち出される一撃を男は顔面に受けるも僅か一歩で踏み留まる。

 

 蹴り抜かれたように男の背後が爆ぜた。

 

 

「オラヨォッ!!」

 

 

 男はそのまま前方へと踏み込み、下から顎を刈り取るように拳を放つ。

 

 少女は結界を展開しつつその一撃を紙一重で避ければ、その背後の景色が焼き払われた。

 

 

「———」

 

 

 しかし少女はその光景に見向きもせず更なる三色の魔術を重ねる。

 

 

「———《業水ルヴォルド=メルス=アルマイム》」

 

 

 彼へと向けたままの掌より透き通った流水が放たれる。

 

 男は至近距離より放たれたソレを蒸発させようと赤熱した肉体で正面から一身に浴びる———その寸前、何かを察知した男が半身になるように翻した。

 

 反応が遅れ腕が肩ごとその流水に侵される。

 

 

「———マジかよ…!」

 

 

 瞬間、浴びた箇所から陽に晒された氷のように肩の周辺までもが溶解した。

 

 

「ッ、二度は効かねぇぞ!」

 

 

 男は流水の沸点を遥かに上回る熱によって肉体を覆う。

 それによって襲いくる腐水は彼へ到達する直前にして気化する。

 

 男は失った半身の欠損部分よりマグマのような血を溢れさせ、その身に秘める熱を外部へと垂れ流す。

 

 

「おいおい、どうしてくれんだよ」

 

「…どうやら、その熱の制御も難しくなり始めたようだね」

 

「元々俺のモンじゃねぇからな」

 

 

 少女は息絶え絶えに語る彼の言葉に眉を顰める。

 

 

「やはり、そうだろうとは思っていたよ」

 

 

 彼女が見る限りでは、彼の胸に沈む心臓には彼のモノとはまた別の意思が宿っている。

 

 それも、複雑性のないほとんど一色に染まった執念であることから唯の残留思念であることも分かる。

 

 恐らくは誰かのものを取り出し、擬似的な宝具のようにしたのだろう、と。

 

 

「その持ち主は魔術師なのかな?」

 

「…あぁ、俺が知る限りで最低の魔術師だ」

 

「…確かにお世辞にも偉大とは言えなさそうだ」

 

「ハハッ、だろうよ」

 

 

 男は残った腕で頭をボリボリと掻くと、徐々にその肉体から熱を失いながら口を開く。

 

 

「あのな、これだけは言っとくが…コイツはまだ死んでねぇぜ?」

 

「…その中で生きていると、そう言いたいのかい?」

 

「ああ…俺も死んで、この心臓が完全に潰れるその瞬間まで、アイツの魔道は続いてる。目標はテメェの苦い顔見る事だって言ってたしな」

 

「それはそれは…くだらないね」

 

「間違いねぇ…でも、それで十分だろ」

 

 

 男は鼻で笑う。

 嘲笑するのは自身かこの心臓の持ち主か…あるいは目の前の少女か。

 

 

「…さてと、君のその馬鹿みたいに厄介な熱も収まってきたところで…終わりにしたいんだけどね…」

 

 

 少女が手を掲げる。

 

 それと同時、渦巻いていた焦熱が押さえつけられるように地面へと流れ落ちその色を失う。

 

 

「…こっちはただでさえ冷めてるっつーのによぉ…」

 

 

 そう呟く男は一瞬心臓へと意識を向けたかと思えば、不思議なことに抵抗するそぶりも見せず受け入れるように只々怠そうに棒立ちとなった。

 

 彼の脚が凍り始める。

 

 

「はぁーあ…ま、いい最期じゃねぇの」

 

 

 次第に這う空気は地面を銀に塗りたくり、煌めく礫を振り回す。

 

 男を侵す銀の鎧もまた足元から始まり凄まじい速度でその全身を覆う。

 

 

「その熱と共に消えたまえ———《氷天下アス=ニヴフヘル=ジ=アヴルニフ》」

 

 

 大地を食い荒らすような嵐とは違い、それは凍える殺気を圧縮したように鋭く吹き荒れるそれは、やがて一つの領域を完成させた。

 

 発する熱は攫われ、吹雪と霰は皮膚を毟り取る。

 

 展開された零の領域は生命の悉くを拒絶する。

 

 

「……こっからは…アンタの、番…だぜ…ッ…見せて、やれヨ…」

 

 

 既に足先から胸辺りまでが凍りつき、肩から先も芯まで氷像とかしている。

 

 男の身から自然と放出される焦熱も、身体の大部分が氷へと化しているせいかその火力も外界に奪われてしまう。

 

 

「…それ…じゃア、ナ…ヒー…ロォ…」

 

 

 氷と肉体の境目が徐々に競り上がり首にまで到達する。

 声帯は凍結しその声さえも殺され、口から漏れるのはまるで空気が吹き抜けるような風音ばかりとなった。

 

 肺の空気や漂う水蒸気さえ瞬く間に氷の礫へと変えられ、体内が冷気で満たされる。

 

 

「———」

 

 

 もはや抗う術は無し。

 銀世界の中心に一つの哀れな氷像が生み出される、そんな未来が待っているだけだ。

 

 

「……」

 

 

 だが少女はそんな光景を目にしてなおその目に警戒を浮かべていた。

 

 

「…君は…本当に何なんだい?」

 

 

 彼女がその視線を向けるのは己が生み出した死の世界の中で己ともう一つ、変わらずその熱を激らせる———緋の心臓であった。

 

 荒ぶる極寒をものともせず、むしろその存在を際立たせるように脈打つ姿はまさに生命を司るに値する心の臓そのもの。

 

 姿形は歪なれどその力強さは神秘さえ思わせる。

 

 

「…やはり、それだけは潰しておかないといけないね」

 

 

 少女は完全な氷像とかした男へと歩み寄り、掌を心臓へ向け魔力を募る。

 

 

「君が生前どれ程魔術を研磨したかはよく理解した」

 

 

 少女は「だが」と続け、まるで心臓へと語り掛けるように言葉を紡ぐ。

 

 

「だからこそ私はその魔道を『罪』によって幕引とさせはしない」

 

 

 一言、また一言溢す度、取り囲む金緑の魔力がより濃く、より重く、術式陣へと収束する。

 

 

「何も成すことなく終わる…それが君への罰だ」

 

 

 ソレは男に一度打ち込んだ魔術。

 

 しかしそこへ注ぎ込まれる魔力と殺意は先の比ではなく、目の前の災いを払わんと輝かんばかりの魔力を練り込んでゆく。

 

 

「せめて、最期の魔術だけは穢すことなく静かに沈みたまえ」

 

 

 纏う風は大気がのたうつように、軋む空間は世界が悲鳴を上げるが如く。

 

 練り上げられた術式はとうとうその力を解放する。

 

 

「———《崩哮リド=クシャルウル=ヴルガ=ルドロヒム》」

 

 

 瞬間、氷像を殺意の神風が包み込む。

 

 魔力に照らされ金緑に煌めく風の領域は、しかし一歩踏み込めば殺戮の絶界。

 

 微風の囁く音が聞こえる程に静かな王都で、たった一つの生命が消滅する。

 

 

「…その熱意だけは、賞賛しよう…正しく生まれ変わりたまえ、咎人よ———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———ドクン。

 

 

 

 

 

 

 

 

「———ッ!」

 

 

 鼓膜を震え上がらせるような鼓動が響いた。

 

 

 

 ———罪を背負い、投げ捨ててこそ俺の魔道だ。

 

 

 

 同時に心臓の奥に宿る執念が叫ぶ。

 

 大罪を現世に残し冥土に逃げる、それの何と悪辣なことか。

 誇りなど無い、地面に這いつくばって泥土を頬張る薄汚い悪として堕ちた道こそソレが歩んできた全てだ。

 

 故にこれは決して天を超えることの無いソレが———天を地にまで引き摺り堕とした魔である。

 

 

「コレは…」

 

 

 冥土より送られし置き土産。

 魔術の祖である少女は、しかしその魔術を知らない。

 

 何故ならばそれは新たなる原点であり、新たなる魔道の始まりであるのだから。

 

 

「熱が鎮まったのではなく心臓が奪ったのか…!」

 

 

 心臓が埋まる氷像が内側から溢れ出す焦熱により蒸発する。

 そしてそれを皮切りに目を焼くような極光が放射された。

 

 

「結界はあの娘程得意じゃないんだがね…ッ———」

 

 

 目を細める少女は心臓を破壊することを諦め、ソレを中心に一枚の結界を創り出す。

 

 

「王都を護れ———《永遠聖国サラ=エルニアム=ロメス=マグニフィカ》」

 

 

 心臓を囲うように瞬時に構築される大結界。

 

 そうして次の瞬間———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———《大葬壊ヴォルガロン=ラハームス=ヴァ=オーレン》———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———太陽が顕現する。

 

 

 

「———ッッ!!」

 

 

 

 強烈な魔力の波動と共に爆発的な熱波が王都を襲う。

 

 結界で覆っているはずの熱線が天を灼き、既に荒れている大地を焦土へと変える。

 

 

「マズい———」

 

 

 少女はそこで初めて焦燥をその様相に浮かべた。

 

 額より流れるは熱に当てられたせいか、はたまた目の前の己さえ知らない魔術へのある種の畏れか。

 

 彼女はその手を虚空へと翻す。

 

 するとその手の内より現れた蔦が上下に延び、一本の杖へと化した。

 

 彼女は大気を炙る地上の陽に対抗せんと地面に杖を打ち付けると、杖の先を中心に術式を描く。

 

 その軌跡が擦なぞるは同じく第四節二重詠唱。

 

 

「———」

 

 

 彼女が魔力を流せば、その足元を中心として深い蒼の渦潮が生まれ、周囲の建物を避け一瞬にして一帯を覆う。

 

 ジリジリと水面を焼かれるも底より溢れる大水がその水位を瞬く間に押し上げる。

 

 

「———《深潭ノ悪夢リドラーレ=マドルニア=ルル=トゥルーガ》」

 

 

 彼女が唱えると同時、水面の一面より九つの水龍が顕われる。

 

 そうして王都の中心でその猛威を振るう太陽へ喰らいついた。

 

 少女は杖片手に空の手を握り潰すように掌握する。

 

 九つの龍はその手の動きに合わせ絡み付き、獲物を絞め殺すように太陽を呑む。

 

 だが陽はその内で水龍を焼き払わんと劫火を激らせれば、九つあった水龍の頭は一瞬にして沸騰し瞬く間に空間へと溶けてしまう。

 

 

「…恐ろしいな」

 

 

 少女は構わず水面より次々と龍頭を生み出し太陽を襲わせる。

 最早九つどころではない、天へ落ちる滝の如く地上の太陽光を沈めんと雪崩れ込む光景は正に悪夢と言えるだろう。

 

 しかしその尽くは絶対的な超熱によって炙られ、焼き払われる。

 

 少女はいっそ呆れたように苦笑する。

 

 己が行使するは仮にも第四節二重詠唱。

 現代魔術の秘奥である。

 

 その魔術に迫り超えてしまう存在など果たして何時ぶりであろうか。

 

 彼女は己の生み出した水龍が瞬く間に焼かれ、気化されてゆくのを眼にし息を吐く。

 

 

「ふぅ……全く、天晴れだ」

 

 

 少女は結界さえ貫く熱線に肌を灼かれながら首を振る。

 

 同時に太陽を封印する結界に罅が入った。

 

 

「この私が認めよう。君は私が今まで見て来た中で、二番目に強大な魔術師だと」

 

 

 やがて結界全体にまで亀裂が広がるのを眺めながら、少女は杖を振るう。

 

 瞬間、少女の中を巡る魔力の流れが大きく変化する。

 

 

「故に、手向けとして魔道には魔道…君には私の魔の軌跡を見せしよう———」

 

 

 

 そうして、少女はその魔道を示す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——— 《解天真界エメティア》」

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