再会

 渦巻く魔力が血肉を創り失った四肢を再生させる。

 

 乾いた地面の広がっていたそこは既に赤いカーペットを広げたように血に染まっていた。

 

 

「ハァ…!ハァ…!」

 

 

 デュークは今し方取り戻した脚を折り膝をつく。

 

 再生すれども一時的に血を失えば寒気が全身を襲う。

 彼はその強烈な倦怠感と喪失感には慣れつつあったものの、肉体が訴える渇きに逆らうことはできない。

 

 

「右腕七回、左腕五回、右脚十一回、左脚九回、脇腹、脹脛、肩…部分的な欠損計三十四回」

 

 

 顎に手を遣りまるで事務仕事の集計でもするかのように結果と過程を照らし合わせるギーリーク。

 

 彼はデュークの肉体を破壊する以外は本当にただ診ているだけだったのか、その足は彼が言うところの「実験」を開始する前から一切動いていなかった。

 

 

「魔力が無くなれば補完してやろうと思っていたが…必要なかったようだ」

 

 

 彼は身を屈めると己の足下まで延びる赤い水溜りの端を指で掬い、擦るようにして観察する。

 

 

「血色は良好、呼吸は多少荒れているが魔力の巡りも依然問題無し」

 

 

 そうしてその視線を跪くデュークへと向ける。

 

 

「———ァ゛グ…ッ!」

 

 

 同時に、彼の指先が破裂する。

 

 しかし次の瞬間には指先に瞬時に構築された術式によってその細い指先が形作られてゆく。

 

 ギーリークはそれを目にすると感心するように頷いた。

 

 

「良いな、既に感覚的に行使しつつある。実に順調だ」

 

「クッ…!」

 

 

 棚に並ぶ薬品を見るソレと変わらぬ目でデュークを見下ろすギーリーク。

 

 デュークは心からの称賛を送る彼へ向け横薙ぎに振るう掌より稲妻を放つ。

 

 

「そして———」

 

 

 それにギーリークは避ける素振りも見せず、吸い込まれるように己の眼球を狙う雷光を迎え入れた。

 

 直撃した稲妻が雷火を散らす。

 

 

「———その不可能に立ち向かう精神も素晴らしい。それはいずれ探究心へと直結することだろう」

 

 

 だが彼は焼かれた右眼より異臭を孕んだ黒い煙を上げながら平然と口を動かす。

 

 立ち昇る煙が晴れれば、そこには相も変わらず人間性の感じられない虫のような眼があるだけだった。

 

 

「化け、物が…!」

 

「それはもう三度聞いた。それにこの程度で化け物呼ばわりするな。俺は歴とした人間だ」

 

 

 荒ぶる呼吸を整えようともせずデュークは感情のままに罵る。

 ギーリークはため息混じりに聞き流した。

 

 

「ふぅ…だが、此処までの反復実験を見ればやはり俺の目は間違っていなかったと言えるだろう」

 

 

 彼は濡れた地面を遠慮無く踏みながらデュークへと歩み寄る。

 そうして片膝を着き覗き込むようにして彼との視線を合わせる。

 

 

「まだ発展途上ではあるが…改良の余地はいくらでもある。」

 

 

 ギーリークは徐に、ごく自然に手を伸ばし、デュークの顔にへばり付いた血の一部を拭い取った。

 

 

「俺は錬金術を専門の一つとしていてな———」

 

 

 指先に付着した血へと魔力を流せば、血がまるでのたうち回るように不規則に暴れ始めその形を変えてゆく。

 

 

「———ある程度の魔力の影響が見込めれば、このように構造を変化させることが出来る」

 

 

 そうして完成した———否、生まれたのは一匹の小さな小さな蠅であった。

 

 デュークはその光景に絶句する。

 

 目の前の男は、血というただの物質を一つの生命へと最も容易く昇華して見せたのだ。

 

 

「…まあ、これは血液という物質が生命に強く結びついているからこそ可能とする事ではあるが、生体の構造を変化させるくらいは出来る」

 

 

 ———その結果人を捨てる可能性は大きいがな。

 

 淡々と語るギーリークは気の抜けるような羽音を鳴らしながら飛び立った蠅を横目に見る。

 

 その瞬間蠅は花火のように赤く散った。

 

 

「…王都を襲わせたのは…それで作った者達か…!」

 

 

 デュークは屈んで尚見上げるような長身の男を下から睨み付ける。

 呼吸を整え、押し殺すように発するソレは苦痛を耐える呻き声にも似ていた。

 

 

「お前が言っているのは恐らく拾ってきた死体を改造した者達だろう。失敗作ではあるが、性能を確認しておくことは必須だからな。まぁ、無駄に数が多く処理に困っていたところでもあったが」

 

 

 手間が省けた。

 そう付け加えるギーリーク。

 

 たった数刻にて王都を地獄へと変えた男の目的は、ただ己の作品の出来を確かめることと、塵を捨てるためだったのだと言う。

 

 そのあまりにふざけた言葉がデュークの鼓膜を震わせれば、彼は歯を砕けんばかりに食いしばった。

 

 

「どれだけの命が…奪われたと思っている…っ!」

 

 

 デュークは王城で見たあの光景を思い出す。

 

 突如魔物と化した観客。

 襲われ、潰され、食い千切られる民衆。

 逃げ惑い泣き叫ぶ女子供。

 

 果たしてアレを地獄と呼ばずになんと呼ぶのか。

 

 デュークは無駄と分かっていてもそう嘆かずにはいられなかった。

 目の前の元凶に訴え掛けずにはいられなかった。

 

 そうしなければ、無力な自分を許すことができそうになかったから。

 

 彼の嘆きにギーリークは立ち上がり極々悠然とした態度で、それどころか軽蔑さえ宿した眼でデュークを見下ろし答える。

 

 

 

「分からんな、何をそこまで嘆くことがある。むしろ喜ぶべきだろう」

 

「…は?」

 

 

 何を言っているんだと、脳がフリーズするデュークにギーリークは高説を垂れるように語る。

 

 

「叡智とは、常に多大なる犠牲が積み重なることで後世へと残されてゆくものだ」

 

「それは言い換えるならば、犠牲となった者たちもまた叡智の一部として歴史に刻み込まれてゆくということだ」

 

「何の成果も残すことの出来ない木偶の坊が唯死ぬ、それだけのことで人類に多大な貢献をすることができ、更には世界の記憶の一部となることができる。さぞかし光栄なことだろう」

 

「今回の実験で世界は一歩進んだ。これの一体何が不満だというのだ」

 

 

 そう語る彼は、デュークが彼と邂逅してから見てきた中で「疑問」という最も大きな感情を浮き彫りにしたような様相をしていた。

 

 デュークは言葉も無く戦慄し、愕然とする。

 

 ただその肉体が異常なだけだと思っていた。

 

 ただその纏う雰囲気オーラが不気味なだけだと勘違いしていた。

 

 そうではない。

 

 この違和感は、決してそんな浅いものではなかったのだ。

 

 

「…お前は…本当に、『人』なのか…?」

 

 

 ———コレは根本から我々とは違う。

 

 それはまるで、『人』を知った人形が、あるいは魔物が、『人』を真似しようと皮を被ったような、そんな違和感だった。

 

 

「重ね重ね失礼な奴だ。俺は紛れもなく人間だ。ただ他者よりも少し好奇心が強いだけでな」

 

「…狂人だな」

 

「真理を追求する者とは、皆一様に狂っているものだ。でなければ探究者は務まらん」

 

 

 何を当たり前のことを、と吐き捨てるギーリークは「さて」と座り込むデュークへと向き直る。

 

 

「先程見せたように、俺はその肉体を改造することで ある程度の力を与えることを保証できる。」

 

「俺の目は特殊でな。実体があろうと無かろうと、姿が見えようとそうでなかろうと、そこに存在しているのであればその構造を深部まで把握することができる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———《淵眼バロール》。それがこの眼の名だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この眼を以て俺がお前の理想への道を見通し、導いて見せよう」

 

 

 そこまで言って、ギーリークは眼下のデュークへとゆっくりと手を伸ばす。

 

 

「———掴め、デューク・クラディアス。コレが最後のチャンスだ」

 

 

 まるで警告をするように、あるいは命令するように、ギーリークはその掌をデュークに差し出す。

 

 その光景はある者には和解のように見え、ある者には交渉のように見え…そしてある者には断頭台の上で向かい合う罪人と執行者のようでもあった。

 

 それを握らなければ、その先に何があるのかは想像するまでもない。

 ギロチンの刃を止める一手は目の前の冷たい手だけである。

 

 

「…そうか…それは何とも…」

 

 

 故にデュークの答えはとうの前から決まっていた。

 

 

「———」

 

 

 彼は迷う事なくその手を持ち上げ———

 

 

 

 

 

 

 

「———腐っているな」

 

 

 

 

 

 

 

 ———その掌をギーリークの顔面へ向けた。

 

 

「《風裂リド=テムナ》———」

 

 

 緻密に練られた術式から放たれた風の刃が男の頭部を一瞬にして細切れにする。

 

 

「———《火炎灼ヴォル=ファウ=ディエス》ッ!」

 

 

 続け様に放射される高温の爆炎が飛び散る肉片を余す事なく炭に変えた。

 

 それでも彼の魔力の奔流はまだ止まらない。

 それどころか更なる激流が深奥より溢れ出る。

 

 足元より舞い上がるように駆け巡る黄金の魔力は雷火を散らす稲妻を模す。

 

 練り上げられる術式は次第に密度を高める。

 

 

「———お前の手は取るくらいならば、オレは神へ剣を抜く!」

 

 

 爆発するように煌めく魔力が彼の手の内に構築される術式へと収束される。

 

 駆ける稲妻は術式を巡り、一瞬の静寂が訪れた。

 

 

「雷魔術・第四節…———」

 

 

 ———そうして、解放する。

 

 

 

 

 

「———《神鳴トル=エルガーラ=ヴィレ=ゼルセウス》!!」

 

 

 

 

 

 その瞬間、夜空は一瞬にして白く染め上げられる。

 

 それと同時、頭部を失ったギーリークの胸の中央に小さな穴が空きまるで溶けるように全身へと虚空が広がる。

 塵さえ残すこともなく、瞬く間にその姿が消滅した。

 

 それでも尚雷いかづちの余波は収まらず、ほんの僅かな間に闇を照らす雷光がデュークの視界の尽くを貫き、破壊する。

 

 たった一撃によって森の地面は焼け、木々は粉々になり、漂う大気は荒れ狂う。

 

 それは正しく神の怒りの如し。

 

 ただ一度の明滅によって、森の一角は火さえも上げることなく壊滅した。

 

 

「…ッ」

 

 

 己が放ったとはいえ、その絶大な威力に息を呑むデューク。

 思わず背後へと後ずさる。

 

 コレを自身が生み出したと言う高揚感と恐怖心が混ざり合った。

 

 舞い上がる煙がおどろおどろしく揺れ、昇天するように上空へと昇ってゆく。

 

 その時だった。

 

 ———ユラり。

 

 無風の中、そう風に煽られたように黒い煙が一斉に大きく揺らいだ。

 

 

 

 

 

 

「———まさか四節詠唱まで習得しているとは…奴が仕込んだせい…いや、お陰か」

 

 

 

 

 

 

 心臓が跳ねる。

 

 まるで世界が呼吸を乱すようにザワザワと風が吹き荒れる。

 騒めく木々が酷く煩い。

 

 そう錯覚する程までに、デュークの耳はその声を鮮明に拾った。

 

 

「流石に期待以上だ…交渉が決裂したことが残念でならん」

 

 

 デュークの視界の中央で、散り散りになった灰塵が踊るように集結する。

 

 その姿を取り戻していないにも関わらず、何故か声だけが響き渡る。

 

 

「だが、断られてしまった以上無理に勧誘するわけにもいかんな」

 

 

 やがて渦巻く灰塵は人型を為し、二度と見たくなかった姿を形造る。

 

 デュークは力が抜けたように両膝を付いた。

 

 

「ふん」

 

 

 舞い戻った人型の化生は何処か不満そうに鼻を鳴らし、呆然と跪くデュークの頭に軽く手を置いく。

 

 

「———精々、素材として役立ってくれ」

 

 

 そうして、掌から泥色の魔力を溢れさせデュークを包み、最早彼への興味を失ったその凶眼が構造を解かんと睨み付け———

 

 

 

 

 

「———その手で触るな」

 

 

 

 

 

 ———瞬間、白い閃光が駆け抜ける。

 

 デュークの頭部に置くギーリークの腕が半ばより絶たれ、覆っていた魔力が霧散し、両眼は頭部ごと切断され破裂する。

 

 

「…もう来たのか」

 

 

 頭部の半分を失ったまま、ギーリークは億劫そうに溢す。

 

 飛来した少女は地面へと降り立つと白光を纏う剣身を振るいデュークの前へと立ちはだかる。

 

 

「…ア、リア…?」

 

 

 項垂れていたデュークはゆっくりと顔を上げ、己の前に立つ少女を見上げる。

 

 少女はそんな彼へ振り向かず、背を向けたまま口を開く。

 

 

「こんな所で何してるの。早く帰るよ」

 

 

 その背はあまりに力強く、とてもあの時己と鎬を削った少女とは似ても似つかない。

 

 デュークは眩しさを錯覚し、思わず目を細めてしまう。

 

 

「ふむ、以前よりも魔力量が増えている…いや、今増えたのか?それに、その魔力…」

 

 

 気がつけば完全に頭部と腕を再生させたギーリークが参上したアリアをその視界に収め、興味深そうに眺めていた。

 

 

「成程な…さっさと帰ってしまおうかと思ったが、たった今用ができた」

 

 

 現れた彼女に何を見たのか、ギーリークは薄気味悪くその口角を小さく歪ませる。

 そうしてその身から泥色の魔力を垂れ流す。

 

 

「———実験再開だ。良い結果を期待している」

 

 

 狂人は悪魔の凶眼を妖しく光らせた。

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