天衣無縫の影
夜空の下、平原にて唯一の光源である月明かりに照らされ二つの存在がぶつかり合う。
細い線のような銀は舞姫の如く優雅に、鋭く閃く刃は烈火の如く激しく、その光沢を散らす。
ユラがローブの男へ向け踏み込みと同時に貫手を放つ。
その矛の如き指先は空気の壁を穿ちながら男へ真っ直ぐと飛ぶ。
———鋒が人中を貫いた。
「
しかし貫通する男の影は気付けばそこにはなく、意識の外に居たかのように突然背後へと現れる。
腕を振り上げ手刀の構えを取る男に、ユラは振り返ることなく上半身を屈め、宛ら暴馬の如く右脚で蹴り上げる。
男が彼女の踵を鳩尾にめり込ませ、大きく上方へと飛ばされた。
だが、ユラはその手応えの無さと羽根のような軽さから完全に受け流されたと悟る。
即座に振り返り宙を舞う男を視界に収める。
———。
瞬間、音も無く空が煌めく。
ユラは地を鳴らし地面から獣の爪にも似た歪曲する巨大な刃を護るように展開する。
刃の層が展開されると同時、一瞬の間に幾重もの金属同士が衝突するような音が響き明滅するような火花が散る。
ユラはさらに魔力を地面に流し、男を串刺しにせんと剣山のような密度で鋼鉄の槍を放った。
「———」
男はその仮面の内で己に迫る槍を捉え、周囲に銀を散らしながら身を捻る。
そうして槍が男へと到達すれば纏う銀線が槍を弾き、向かう槍はまるで男を避けるように通過する。
「ッ…面倒な」
ユラは男の異常なまでの身のこなしに眉を顰める。
零距離での体術は対処され、至近距離かつ死角からの魔術による奇襲も通用しない。
行動が制限される空中状態でさえ量で攻めようとも今のようにまるで安全圏を予知しているかのように翻される。
男の重力を感じさせない程の体操術とその間合いを図る能力は正に異常であった。
そして何より厄介なのは———
「ッ」
———この生きているかのように舞い狂う銀線である。
当初は何が起きているのかも理解するのに時間を要したものの、相対した今ならばハッキリと見える。
その正体は———糸。
陽が天の頂へと昇る真昼でさえ視認の困難な程に細い糸は、視野の悪い夜であれば尚のことその目を欺く。
況してやそれが魔力を纏い、柔剛一体となった刃へと昇華しているのならば脅威と言わざるを得ない。
「だが———」
身を投げ出すように落下し砂埃一つ立てず着地したローブの男へ向け、ユラが右脚を踏み抜く。
「———攻めない理由にはならん」
彼女と男を繋ぐ一直線上、その地面から駆け抜けるように刃が発生する。
地中を鉄の獣が突き進んでいるとさえ錯覚するのその刃の波に、男は横合いへと回り込むようにして回避する。
そうしてそのままユラへと滑るように迫る。
男と共に飛んでくるのは無数の銀線。
「疾ッ…!」
ユラは周囲に刃を展開しつつ往なし、翻しながら男を正面から迎え討つ。
彼女が正面を見据え構えると同時、その身を覆うローブによって死角となった五指が万糸を指揮し彼女を斬り刻まんと襲わせる。
対する鋼の刃は視界の右端に閃く初撃を弾き、左下から迫る第二波を切断。
続く真上からの奇襲を加速することで翻し、真正面からの追撃を刀身で往なす。
服の端々に僅かな切れ込みが入れどその身に一切の傷は無し。
一歩につき最低でも四度。
襲来する蜘蛛の巣の如き斬殺の陣、その悉くを卓越した体術、そして魔術により生み出す鋼の刃にて迎撃する。
「———ハァ…ッ!」
そうしてとうとう男の眼前へと到達したユラはその側頭部へ向け刀身を付与した脚撃を叩き込む。
しかしまるで見えない壁に衝突したように男の真横でその足が止まる。
見れば、数本の糸が曲線を描いたまま固定されている。
そこに特有の弛みやしなりは無く、鉄の棒の如くその形を維持している。
ユラがそれに気を取られた瞬間、男は指を動かし彼女の足を弾いた。
両者の間に再び距離が生まれる。
「(あの糸…)」
恐らくは宝具ではないだろう。
まだ本領を発揮していないだけの可能性もあるが、だとしても周囲に人も居らず、こちらを圧倒できるのであれば情報を漏らすことなく殺すことは出来るはずだ。
だとすれば魔具か特殊な素材か…
そう彼女が男の操る糸について思考を巡らせている時だった。
「———《
唐突に男が仮面の下で口を開く。
ユラが一瞬警戒をするも、男は構わず続けた。
「魔力を流せば無限に延長し、鋼鉄のように硬化させることも絹のように軟化させることも出来る…中々便利でしょう?」
冷めた声音と柔らかな口調から発せられる凶悪な、されど聞いたこともない素材の特性。
ユラは己の記憶を探るもやはりそんなものは存在しなかった。
彼女の警戒心が更に上がったことを察したのか、男はその疑問に答える。
「まあ聞いたことはないでしょうね。なんせ、コレはウチの研究者が造る魔物から生まれた偶然の産物でごさいますから」
躊躇うこともなくその素材の入手経緯を話す男。
真偽は定かではないが、もしそれが本当だと言うのであれば決して無視できることではなかった。
「…分かっていたことではあるが、此度の異変はお前達の仕業で間違いないのだな?」
目の前の男が森の異変の中核に携わっていることは間違い無いだろう。
そしてそれが組織的な物であることも確定した。
…この男の喋る情報の何処までが罠で何処までが塵なのかは分からないが、そこに疑う余地はない。
「ええ、相違ございません」
「…殿下はあの森に居られるのか」
「さぁ、それはどうでしょう———」
男はそうはぐらかしつつ首を傾けると、真横を鉄の槍が通過する。
そうして彼が糸を指揮すれば、一瞬にして槍が輪切りになり地面へと転がった。
「…答えろ」
「まあまあどうか落ち着いて下さいませ。俺も立場上そう口を割るわけにもいかないのです」
自らぺちゃくちゃと喋っておきながらそう宣う男に、ユラも焦りと共に少しづつ苛立ちが募る。
「なら…お前は何者だ」
「…俺、ですか?そうですねぇ…」
彼女が問えば、男は居直すようにその立ち姿を整える。
一拍置くと、再度口を開いた。
「では…名前は非公開ではごさいますが、改めまして———」
男の周囲を銀が舞う。
「———とある組織にて暗部統括を拝命致しております…皆には『統括』と呼ばれております故、差し支えなければそうお呼び下さい」
天衣無縫の万糸を踊らせ、温度の感じられない声で男はそんな名乗りとも言えない名を名乗った。
「殺すつもりはございませんが…どうかもう少しの間だけお付き合い下さいませ」
そうして、穏やかな糸の舞は更なる凶刃へと展開される。
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