好奇心の成れの果て

 稲妻が弾ける。

 血と肉を焦がす臭いが森の一角を満たす。

 

 元々開けていた空間には焼き飛ばされた木々や切り株が立ち並び、更に広大な空き地へと作り替えられていた。

 

 夜の闇に包まれた森は瞬く雷光により照らされる。

 

 

「《雷斬トル=グラード》!」

 

 

 掌が閃く。

 

 放たれし稲妻は術式により孤を描く斬撃へと形作られ目の前の不届き者を罰さんと飛来する。

 

 斬撃は見事に男の胴を両断し、血すら出ない程に断面を炙った。

 

 

「はぁ…はぁ…ッ!」

 

 

 胸から上を失った悪趣味なオブジェは、しかし気が付けば立ち昇る煙を収め整った元の姿をその視界に写す。

 

 

「…ふむ」

 

 

 男は今し方生えてきた首を傾け、顎に手を遣り、脳に思考を巡らせる仕草をする。

 

 まるで何もかもが意味を成さない、そう思わせる奇妙な事象がそこにはあった。

 

 

「魔力は言わずもがな、巡りは良好、術式の構築速度は…まあ良い」

 

 

 先ほど自身に起きた斬撃など忘れたかのように男———ギーリークは目の前の少年を舐め回すように観察する。

 

 

「成長の見込みは十分だ。やはり殺すべきではないな…生体には生体からしか得られないデータもある」

 

 

 本来であれば即死していたであろう攻撃を受けてなお、彼は一身に殺意を浴びせる少年を称賛する。

 

 その台詞は揺るがぬ生殺与奪の権利、絶対的な上位者としての余裕を思わせる。

 

 宛ら飼育している虫が噛み付いたかの様な、そんな程度の反応でしか見せない彼の脳内に戦闘の二文字などありはしなのだろう。

 

 

「《雷柱トル=ヴェイン》ッ!」

 

 

 そんな彼とは対照的に、少年———デュークは激る雷撃をその身に纏い、男を屠らんと魔を振るう。

 

 薙いだ腕からは夜を照らす雷光と共に空気も焦がす稲妻が迸る。

 

 

「それはもういい」

 

 

 視界を瞬くそれに、ギーリークは鬱陶しそうに目を細めた。

 

 ———すると、まるで吹き消されたマッチの火の如く、あるいは埃が散るように、稲妻が虚しく宙へ霧散する。

 

 駆ける稲妻は魔力へ、魔力は淡く光る粒子へと還り、溶けてしまう。

 

 

「ッ、またか…!」

 

 

 デュークはもう数度は目にした現象にそう毒吐く。

 

 

「(何なのだ、アレは…ッ!)」

 

 

 魔術の無力化。

 

 ギーリークと対向しそれが起きたのは一度や二度ではない。

 全く原理の理解できないその現象は幻覚か、あるいはまた別の魔術なのか、一切の兆しも無い挙動に彼は未だ成す術がなかった。

 

 ただ放った魔術が、雷撃が消し去られているのではない。

 自身が構築したはずの術式が根本から砕かれている、剣を防ぐのではなく、それを持つ腕から切り落とされる、そんな感覚に近い。

 

 注いだ魔力は還元されず、散る魔術と共に何処かへと消え去る。

 

 阻害というよりも消滅。

 

 その理解出来ない原理は理外の魔法を思わせる。

 

 ギーリークはデュークの奮闘をひとしきり眺めると、つまらなそうに眉を顰め口を開く。

 

 

「先程から雷魔術しか使わんが…他には無いのか?」

 

 

 ギーリークは飽きたと言わんばかりにそんな事を言う。

 

 客席に深く腰をかけ足を組み、もはや道化に芸を求める傲慢な貴族をも幻視させる発言にデュークは苛つきを露わにする。

 

 

「っ」

 

 

 だが、何より思考を埋めるは焦燥だった。 

 

 超常的なまでの再生能力に加え、正体不明の魔術殺し。

 魔術師にとってはこれ以上ない程の天敵と言えよう。

 

 このままでは劣勢になるばかりと冷静になるべく立ち止まり逡巡するデューク。

 

 

「(少なくともこのまま稲妻を浴びせ続けたところで相手は意に介さないだろう)」

 

 

 相手がこちらを観るように、デュークも相手を観察する。

 

 幸いにもこの男は己を侮り、様子見をしている。

 舐められているという事実は癪ではあるものの、実力差は明確。

 

 だがそれはこちらにとって畳み込める決定的な隙とも言えるだろう。

 

 

「(付け入るならば…そこだけだ)」

 

 

 相手は恐らく己の更なる動きを期待している。

 それを満たす限りは少なからずコチラを潰そうと躍起になることはないはずだ。

 

 それはまごう事なき道化。

 されどそれが奴の足下を掬うのであれば試さぬ道理も無し。

 

 

「そう焦らなくとも良い。時間は十分にある」

 

 

 ギーリークはデュークが突破口を切り開こうと熟考していることを察したのか、戦意さえ見せない余裕と共にそう告げる。

 

 

「っ、そうか…」

 

 

 その言葉にデュークは先程の考えに確信を持ち、遠慮無く魔力を練り始める。

 

 単発でいくら撃とうと恐らくは再生の時間を与えて振り出しに戻ってしまう。

 

 

「(だが、生物である以上いくら脅威的な再生力を誇る奴にも限界はあるはず…)」

 

 

 実際、自然界においていくら高い再生能力を誇る種や個体でも一定の間隔で絶え間なく損傷を与え続ければ次第にその再生は減衰し、遂には完全な欠損を生むことがほとんどである。

 

 

「(ならば…必要なのは手数だ…!)」

 

 

 デュークが脳内に描くは二つの術式。

 

 魔力が彼を中心に溢れ出し、全身を包み込む。

 

 その光景にギーリークは感心と期待を見せ、口角を僅かに釣り上げる。

 

 そうして術式が完成すると同時、目を見開き魔力を流し込み———展開する。

 

 

 ———《万雷ノ大鷲トル=ヴェスタ=ディラーゼ

 

 

 落雷と共に現れるは大翼を広げ猛々しく甲高い鳴き声を轟かせる雷光の大鷲。

 

 

 ———《風雲ノ化身リド=ヴァハナ=ヴァスターラ

 

 

 暴風と共に現れるは大木の幹の如き豪脚で地を踏み鳴らし荒々しく身を震わせる風の野猪。

 

 溢れ出る雷火は大気を焦がし、吹き荒れる凶風は地を捲る。

 

 彼の背後に並ぶ二つの影は気性荒く闘気を撒き散らし、目の前の敵を喰らわんと眼光を光らせた。

 

 

「器用だな」

 

 

 ギーリークは生み出された二つの存在に目を向ける。

 

 だが破壊するつもりはないのか、魔術殺しの奇術を発動する様子は無い。

 

 弾ける電火をものともせず、身を煽る風に髪をはためかせる。

 

 

「行くぞ…!」

 

 

 デュークが指揮をするかの様にギーリークへ腕を振るえば、二つの獣は彼へと一斉に掛かる。

 

 

『———』

 

 

 大鷲が大きく羽ばたいた。

 

 その瞬間、前方へと巻き起こる突風と共に渦を巻く雷閃が迸った。

 

 舞い上がる土埃は閃く雷火に撃たれ、散る火花がギーリークへ迫る。

 

 

「…独立した魔術でもこれだけの威力とは———」

 

 

 雷は辻斬りの如くギーリークを巻き込み背後の木々をも焼く。

 

 皮膚は焼かれ、衣服を切り裂き、一瞬にして血が沸騰する様はフラスコの中で起こる化学反応そのものだ。

 

 

「———中々にコスパが良いものだ」

 

 

 だが破壊された組織は骨にさえ到達することもなく焼かれた側から修復された。

 

 火傷というヴェールを剥がすように修復されるその表情は無そのものである。

 

 

『———ッ』

 

 

 しかしその再生すら許さないとばかりに風の野猪が大きくそりかえる牙を携え、一瞬にして最高速にまで到達した突進にてギーリークへ殺意をぶつける。

 

 身構える隙も与えず空気の壁との間で押し潰しその肉体を破壊する。

 

 まるで風船が弾ける様に音も無く消し飛んだ。

 

 

「攻撃を止めるなッ!———《風裂リド=テムナ》アァッ!」

 

 

 肉片や血が舞い上がり重力に従って地面へとぶち撒けられる。

 

 そこに、人であった痕跡など存在はしない。

 

 デュークは大鷲と野猪へと攻撃の継続を命じ、自身はまるで箍たがが外れたかのように刃の嵐を浴びせ続けた。

 

 

「くっ!」

 

 

 だが次第に肉片はその猛攻も追い付かぬ程の速度で一点に向かって押し固められる様に収束し始める。

 

 切り裂く刃は透過するように、荒れ狂う雷火は無きものように、浴びせる突進は微風の如く、水面に剣を振るうにも等しい光景が繰り広げられる。

 

 

「ハァ…ッ…ハァ…ッ!」

 

 

 そうして一つ一つの肉片が独立して生きているかの如く蠢き、結合し、人型を成して行き忌々しい姿を形作る。

 

 

「———野蛮だな」

 

 

 ご丁寧に服まで再生させ、ギーリークはそんな簡素な感想を溢す。

 

 全身が弾け飛んだにも関わらずそこに動揺した様子は欠片も無く、無感情に愚痴る様は小石を当てられた程度の不快感すら感じられない。

 

 

「っ…それは魔術か…?」

 

 

 デュークはその理不尽な程の生命力に、焦燥と疲労を露わにそう溢す。

 

 肉体を再生させる魔術自体は存在する。

 

 六種の戦式魔術とは別体系に位置される聖魔術の中には、部位欠損さえ再生させるどころか死者をも蘇生させる様な大魔術が存在する程だ。

 

 だが今目の前で起きている現象からは魔力は感じられず、魔術の痕跡も見当たらない。

 

 だからこそデュークは余計にそれが異様なものに映った。

 

 彼がそう尋ねれば、ギーリークはむしろ疑問を感じたかのような顔で答える。

 

 

「…お前は擦り傷にいちいち魔術やら魔力やらを使って回復させるのか…ああ、王族ならあるのかもしれんな」

 

「…つまり自然治癒だと言いたいのか…っ?」

 

 

 自然治癒。

 

 魔力による治癒能力の促進でもなければ聖魔術による超回復ですらない。

 

 ただの生物としての基本能力だけであの現象をなしているのだという。

 高い生命力を誇る魔物でさえも魔力による補助があって初めて成せる業である。

 

 果たしてそんなことがあり得るのだろうか。

 

 当然のように言ってのける彼にデュークは絶望感にも似た驚愕をその顔に浮かべた。

 

 

「はぁ…自身の常識に当てはめることでしか物事が考えられないというのは世界が狭いと言わざるを得ないぞ」

 

 

 心底呆れたように首を振るギーリーク。

 

 すると彼は目の前のデュークから視線を外すと、何かを思案するように黙り込んだ。

 

 

「…そうだな…少し刺激が必要かもしれん」

 

 

 そうしてそう呟くと、彼はデュークへと伽藍堂な瞳を向けた。

 

 その瞳に捉えられた瞬間、デュークは全身が強烈な悪寒に襲われたことを自覚した。

 

 まるで皮膚を剥ぎ、内臓を除き、心の臓を切り開き、更にその奥底に揺蕩う自身ですら見えない、知らない己までもを覗かれたかのような錯覚を覚える。

 

 しかしギーリークは青褪めた彼に構わず一言告げた。

 

 

「———実験を始めよう」

 

 

 

 

 

 

 ———それと同時、デュークの左足が破裂する。

 

 

「ッ!?ぁ…っ…ぁああ!?」

 

 

 突如として脚を失った激痛に膝から崩れ落ち倒れ込むデューク。

 

 無意識のうちに傷口から溢れ出る血を抑えようと両手で覆う。

 だが当然のことながら止まらない鮮血は指や手のひらの隙間から漏れ出で、乾いた地面を赤く濡らす。

 

 

「おい、早く血を止めないと死んでしまうぞ」

 

 

 如何なる原理かそれを引き起こした張本人であるギーリークは平然とした顔でそう野次を飛ばす。

 

 しかしそんなことも耳に入らないデュークは脂汗を浮かべながら必死に思考を巡らせた。

 

 

「(な、何が起きた…!?)」

 

 

 驚愕と困惑、そして苦痛が脳内を埋め尽くす。

 

 奴は魔力を介した様子さえ見受けられなかった。

 故に、恐らくは魔術ではない。

 

 可能性があるとするならば…

 

 

「(あの眼…か…ッ?)」

 

 

 観るというよりも診る。

 

 こちらを見ているようで見ていない、もっと深い何処かを覗くあの薄寒い常闇の瞳。

 

 

「(いや…それよりも…!)」

 

 

 相手の能力はわからない。

 だがそれよりもまずはこの傷を止めなければ奴の言うように本当に失血死する可能性さえある。

 

 傷口を完全に防げなくともせめて血を止めなければ。

 

 

「(思い出せ…!…聖魔術の術式体系を…!)」

 

 

 聖魔術。

 精々が基礎的な術式構造を学んだ程度の体系分野であるそれを、自身は習得していない。

 

 だが出来なければ死が待っている。

 

 

「(こんな所で…終わるわけにはいかん…!)」

 

 

 決死の思いでデュークは術式を構築し始める。

 

 絵の具はある、キャンバスもある。

 無いのは模写する景色だけだ。

 

 彼は自身の知識の中にある聖魔術の基盤、その形を元に己が求める術式陣を組み立てる。

 

 

「…!」

 

 

 そうして側から眺めていたギーリークは彼の変化に気がつき始めた。

 

 彼が見たのは眼下で転がる少年のその脚。

 たった今自身が無惨に破壊した左脚、その傷口である。

 

 

「…クッ、ハハッ、ハッハハ…良いな、良いぞデューク・クラディアス…ッ!」

 

 

 彼の目線の先、傷口があったはずのそこには血が止まり、盛り上がり始める筋組織があった。

 

 骨は本来の形へと逆再生するように形作られ、その周囲に細かな筋繊維が絡みつく。

 

 

「確かお前は聖魔術は習得していなかった筈だが…」

 

 

 そうして最後には彼のシミ一つ無い綺麗な白の肌が覆うようにして再生した。

 

 失ったはずの左足は完全に元の姿を取り戻したのだ。

 

 

「即興…フハッ、即興か…」

 

 

 彼が今し方行使した魔術。

 

 それは正しく聖魔術の一つである《聖癒サラ=レクシア》である。

 

 彼は今この瞬間、ほとんど知識の無い中でゼロから聖魔術を構築して見せたのだ。

 

 ギーリークはその事実に手で顔を覆い愉快だとばかりに肩を振るわせる。

 

 

「ああ素晴らしいな、その才、そしてそれを収めた肉体…」

 

 

 そうして手を退けると、嫌らしい、好奇心という名の狂気を孕んだ嗤いを見せる。

 

 

「実験を続けよう…お前の可能性を俺に見せてくれ」

 

 

 その言葉と同時、再び地面に赤い花が咲いた。

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