兆し
「…」
「…どうかしたのか、ヴィルック?」
休憩中、コーヒーカップを片手にソファに腰掛け一息ついていたハイネスは目の前に座る青年にそう尋ねた。
彼は先程から資料と睨めっこをしていたのだが、その視線はどうにも資料を眺めているようには見えなかった。
「…いえ、少し考えごとを」
「何だ、仕事か?」
「まあ、仕事と言えば仕事ですが…どちらかと言えばプライベートですね」
「何だそりゃ…」
その曖昧極まりない答えにハイネスは眉を八の字にする。
そうして一度コーヒーに口をつける。
「…それは俺がやっとくから、終わってない分があるならそっ———」
「———それよりも、誰か来たようですよ」
ハイネスが何かを言いかけヴィルックがそれに被せるようにそう告げると同時、執務室の扉が開かれる。
「…誰だ、勝手に入———って、お前らか…」
会話をブツ切られたことに不服そうにしながらハイネスが扉の方へと視線を向ければ、ドアの端から白と桃の髪が覗く。
そうして入ってきたのは見知った二人であった。
他でもないアリアとカローナである。
「…どうにも浮かない様子だが…依頼の報告だな?」
ハイネスは入ってきた二人の様子…特に俯いたままの白髪の少女を見てそう尋ねる。
目に見えて生気が薄く、あの時のように荒れていた様子など見る影もない。
彼の問いに答えたのはカローナだった。
「うん…まず結果だけど———」
「———あーそう焦んな。まずは座れ」
何処か急いた様子で報告をしようと口を開く彼女にハイネスはまずは腰を下ろすよう促す。
捲し立てて話したところで正確に情報を伝えることができようはずもない。
カローナは口をつぐみ、アリアの手を引きいつの間にかヴィルックが空けた席へと言われた通りに座る。
そうして改めて報告する。
「まず結果は…見つからなかった」
「…そうか」
ハイネスは腕を組んだまま首を深く沈めて俯く。
そこに驚いた様子などありはしなかった。
カローナはそんな彼の様子に目を細める。
「…もしかして、ハイネスさんも何となく分かってたの?」
「…俺だって長いからな」
「それなのに
彼はこの業界へと足を振り入れてから長い。
それこそまだまだアリアやカローナなど比べ物にならない程の経験を積んでいる。
その中には成功も失敗も数え切れないほど含まれている。
それは当然、今回のような依頼も例外ではない。
そのカローナの咎めるような視線に、ハイネスは目を合わせることなく答える。
「ああ」
「…なんでか聞かせてもらえる?」
「カローナさん、ボクは…」
アリアは二人の様子に何かを発そうとするも、カローナの視線に思わず黙り込んでしまう。
ハイネスは顔を上げ、チラリとアリアの方を盗み見ると口を開いた。
「こちらの事情を押し付け押さえつけてばかりでは彼女の負担になると考えただけだ」
「ならこの娘はこの結果に何も感じないとでも思ってたの?」
「…それが俺の出来る最大限の譲歩だったんだ」
実際、あの日執務室で彼女と対面していたハイネスからすれば、仮にあのまま以前と同じように大人しくしているよう言ったところでむしろ感情的になって暴れていたことだろう。
あの日あの場で彼女のために彼ができる選択はそう多くはなかったと言える。
ハイネスがそう語れば、カローナはより深い皺を眉間に作る。
「それはただの言い訳じゃん」
「行方不明者やその生存に関してはいずれわかっていたことだ」
「実際に見るのと聞くのとじゃ違うよ」
「…」
「態々そんな現実———」
「———カローナ様」
自身も理解しているからこそ、彼女の尋問に言い返す言葉を失って行くハイネス。
そんな彼をさらに問い詰めるべく身を乗り出す彼女を、ハイネスの隣に座っていたヴィルックが制する。
カローナは鋭い視線を彼へと飛ばす。
しかし彼はそんな視線を受け、なお平然とした様子で続ける。
「私は、ハイネスさんに与えられた選択肢は限られていたのだと思っています」
「…だったら何?」
「あの日のアリア様は少々正気とは言えない状態にありました。そんな彼女の気を小手先のような方法で紛らせたところで事態は悪化していたでしょう」
「…」
「確かに今回は彼女にとって厳しい結果となったでしょう。ですが、こうして現実に向き合うことは今の彼女には重要なことなのではないでしょうか?」
現実に向き合う。
辛い今だからこそしかとそれを目に焼き付けることで心の成長を促す。
在るべき現実を知ってこそ正しい判断ができる。
もしただ彼女の気を紛らすような選択肢を与えたとしても、きっと彼女はいつかやって来る現実に打ちのめされてしまう。
だからこそ今のうちに行動する、考える時間を与えるべきなのではないか。
彼は彼女へとそう語る。
ヴィルックの説得にカローナは納得がいかない表情を見せつつも黙り込んでしまう。
「あ、あのさ…」
そこで閉口していたアリアが顔を上げる。
「ボクは…ハイネスさんに、感謝してるよ?」
「っ」
彼女の言葉にハイネスは小さく目を見開く。
「確かに辛いけど…あのままだったらきっとまた何か失敗してたし…それに、自分は一人じゃどうしようもないって…よく分かった、から」
今回の捜索依頼で、果たして自分は何度死にかけただろうか。
ローブの男の言葉に心を乱された時。
感情的になってあの存在に背後から斬りかかった時。
多分、一人だったなら自身の首を狩る瞬間などいくらでもあったのだろう。
それなのに今自分がこうして生還しているのは、単に一緒についてきてくれた彼女の存在があったからに他ならない。
「だからカローナさんもそんなにハイネスさんを責めないで」
「…そう…」
本人である彼女にそう言われたのならば引き下がらざるを得ない。
ハイネスはアリアへと目を向ける。
「…アリア」
「…」
「俺は今でも今回の判断は間違っていなかったと思っている。…だが、手荒だったことには違いないだろう。…すまなかった」
ハイネスは座ったままではあるものの、彼女へ向けて頭を下げる。
アリアも小さく頷きそれを受け入れた。
「うん、ボクも我儘だったと思うよ。だから、この話はこれまでにしよう」
「ああ…」
あれは仕方のないことだった、と彼女はそう締める。
アリアはそこまで言うと、切り替えるようにして居直した。
「実はね、今日伝えたいのはそれだけじゃないんだ」
そうして、アリアはあの場で見た謎の男達やカローナと共に最後に遭遇した存在について思い出せる限りの説明をする。
話が進むたびに顔を顰めるようにして聞くハイネス。
彼は彼女が語り終える頃にはその表情を大きく歪ませていた。
「…スラムの人間を、集めている…か」
彼女は説明する中でただ「集めている」と言ったが、殺害しているという話を聞く限り、恐らくそれは人材を募っているのではなく死体を集めているのだろう。
そこで思いつくものといえば先の動乱やあの魔物から見つかった傭兵証だ。
消えた死体、そして魔物…それらを結びつけないと言う方が無理があるだろう。
「…マズイな…」
もしそれが本当ならば、それはあの王都動乱、あるいは事変とも呼べる事態が再び訪れる可能性を意味している。
実行犯はおそらく同じ存在。
ならば起きる確率はかなり高いと見ていいだろう。
そしてその時…《勇者》は居ない。
「…了解した。相手は前と同じ手段で来る可能性が高い。何かしら対策も講じれるかもしれん」
彼は決して確実に、とは言わなかった。
「報告、感謝する。また進捗があればこちらから伝えよう」
「…うん、じゃあボク達はこれで」
「ああ」
深刻な表情でそう伝える彼を前に、二人は席を立ち部屋を後にする。
残されたハイネスは思考に耽っているのか一言も言葉を発さない。
「…」
そんな彼を横目に、話しかけるべきでないと判断したのかヴィルックは同じく席を立つ。
そうしてハイネスに背を向け執務室から出て行った。
「…少し、急いだ方がいいですかね」
「何を急ぐのかな?」
誰に聞かせるわけでも無い言葉に、しかし一つの声が返ってくる。
まだ他の傭兵達が酒盛りをする騒がしいはずの空間で、何故だかその声は真っ直ぐと耳に届いてくる。
喧騒をすり抜ける様に掻き分け鼓膜を振るわせる。
「…仕事が残っておりまして」
酷く冷静に、まるで感情が死んだかの様な光を写さない眼が背後を向く。
ほんの一瞬、彼を取り巻く空気が冷え込んだ。
「仕事…仕事か」
振り返った先。
そこにはまるでそこだけ別の空間をはめ込んだかの様な異質な雰囲気を放つ少女が居た。
彼女は法衣にも似た白のマントから覗く、それと変わらない程に白い手を顎に遣り小首を傾げる。
「…何か?」
何かを訝しむ少女にヴィルックはそう尋ねた。
「いや何、キミに聞きたいことがあってね?」
「私に答えられることであれば」
彼がそう返せば彼女は「ふむ、なら…」と前置きし口を開く。
「アリア・アルブレイズという少女をご存じないかな?」
その名を聞いたヴィルックは目を細める。
「…勿論存じていますが…一体何の用で?」
アリアは組合に所属する、と言うよりは王都に住んでいる者ならば誰もが知っている名である。
それを尋ねると言うこと自体、この少女が外からやってきた人物であると言うことを示唆している。
ヴィルックは警戒する様に要件を尋ねた。
「実はね、私は彼女の父親であるグラム・アルブレイズの友人を自負しているんだが…聞けば先日、彼は亡くなってしまったそうじゃないか…とても信じられないことにね」
そう言う彼女からは酷く悲しんでいることが伝わってくる。
声に弾みは無く、彼女の種族特有のピンと立った長い耳もまるで萎びた花のように垂れ下がっている。
「…だから、せめて彼の話を誰かから聞かせてもらえないか、と思ったんだ」
彼女は切り替えるように垂れた耳をピンと立てると沈んだ表情を元に戻し、ヴィルックへとそう訴えた。
彼女の様子からして彼の友人と言うことは兎も角、彼の死を嘆いていると言うことは嘘では無いのだろう。
だがそんな彼女に対し、ヴィルックの反応は何とも冷たいものであった。
「そうですか、それは私も共々深くご理解いたします。…ですが、今の彼女は少々不安定でして…正体もはっきりとしていない人物を彼女に会わせるのは許容できかねます」
特に父親の話など以ての外だ、とそう付け加え彼女の嘆願を突き返した。
すると彼女は再び考える仕草を見せると、彼へと向き直る。
「…そうだね。今回は少し急だったよ、もう少し準備が整ってからまた訪問するとしよう」
意外にもあっさりと頷いた彼女はそのまま颯爽とその場を後にしようと身を翻す。
しかしヴィルックは一つ気になったことを尋ねた。
「グラム様のご友人であるのならば、お住まいの家くらいはご存じなのでは?」
「彼の家は知らないんだ。彼と会ったのは
どうやらそういうことらしい。
その言葉を不審がるヴィルックではあったが、それ以上追求する気が無いのか、それっきり特に問い詰めることはなかった。
「…では、また会おう」
少女はそれを確認すると、今度こそその場を去らんと出入り口の方へと向かって行く。
ヴィルックは一礼をすると、何を発するわけでも無くただその背を眺め見送る。
「…」
その時の彼の眼はまるで吹き抜けの様に真っ暗であったと、その場に居た傭兵は語った。
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