不安

 ゾワッ、と全身が総毛立つ。

 まるでこの世のモノでない何かと出会ったかのような悪寒が駆け巡る。

 

 アリアは震えに暴れそうになる体を抑え、ゆっくりと振り返る。

 

 

 そこに居たのは涅色の髪と目を持った長身の男、のように見えるナニカであった。

 

 整った容姿が纏う紳士的なオーラとは裏腹に、ドロドロとした気味の悪い雰囲気を醸し出す蟲の様に感情を灯さない瞳がこちらを捉える。

 

 

「…ッ」

 

 

 目が合った瞬間、アリアは心臓が圧迫されたような錯覚を覚える。

 

 あの黒い男に対するものが蛇に睨まれた蛙の如き圧倒的な力を前にした弱者としての畏怖であるならば、この男は理解出来ない存在への言葉にしようも無い恐怖。

 

 人が蜚蠊を意味もなく嫌悪するように、

 人が幽霊を何となく恐れるように、

 人がいつやって来るか分からない未来に不安を感じるように、

 

 アリアはこの男がどうしようもなく恐ろしかった。

 

 

「…話しかけられたのならば、初対面であろうとも何かしら返すべきだと俺は思うが…」

 

 

 声をかけても何の反応も見せないアリアを怪訝に思ったのか男は目を細める。

 

 アリアはびくりと肩を跳ねさせると躊躇いがちに答える。

 

 

「…ふ、二人、見たよ」

 

 

 妙な格好の男、と言えば先程の二人組だろう。

 全身をローブで覆い、マフラーで口元まで隠すのは妙というよりは怪しいというのが正しいが。

 

 アリアは一人目の男が消えて行った方へと指を差す。

 

 

「そうか…感謝する」

 

 

 アリアの指の先を横目で見た男は、目を伏せるようにして礼を言いそのまま彼女達の傍を通り過ぎる。

 

 真横を通り過ぎる際、肌を撫でるような、泥に包まれるような異様な感覚が全身を襲う。

 

 そうして男は本当に以外何事も無いように奥へと消えて行く。

 

 

「———ま、待ってッ!」

 

 

 男の姿を消す寸前、アリアは咄嗟にそう呼び止めた、呼び止めてしまった。

 

 

「…何だ?」

 

 

 男はその声にピタリと足を止めると睨むような視線で肩越しに彼女を見遣る。

 

 アリアは一瞬怯むも、どうしてもそのままにしておけないことがあった。

 

 

「…アイツらが、何なのか知ってるの?」

 

 

 目の前の男と、先の男達の関係。

 あの男達は恐らく森の異変に、そして黒の男に大きく関係しているはずだ。

 少なくともアリアはそう思っている。

 

 なら、その男達を探している彼は一体何なのか。

 その得体の知れなさからアリアはその疑問を放置しておくことが不安であった。

 

 アリアがそう問えば、男は何処か面倒そうに答える。

 

 

「…知っているも何も、彼等は俺の部下…の様なものだ」

 

「ッ!」

 

 

 その答えにアリアは即座に剣を構えた。

 

 彼等を部下と呼ぶ、奴等の上司であるこの男はすなわち———

 

 

「お前、あの森で何をしてるんだ…っ!」

 

 

 それはすなわち、件の森の異変の根幹に関わっている可能性が高い、ということである。

 

 アリアは抜き身になった剣の切先を男へと向ける。

 怖気よりも怒りが勝り、体の震えも収まる。

 

 見ればカローナも男へ手を翳し臨戦体勢を取っている。

 

 

「何を、とは?」

 

「惚けるな!お前があの森の異変に関わってることは分かってる!」

 

 

 様子の打って変わってそう喚く彼女に鬱陶しそうに眉を顰める男。

 

 男は彼女から視線だけを外すと考える様に黙り込む。

 

 

「………ああ、お前…アリア・アルブレイズか」

 

 

 そう、今しがた思い出したと言わんばかりに彼女の名前を口に出す。

 

 男は体ごと彼女の方へと向けるとそのままツカツカと寄って来た。

 

 アリアは突然名前を出されたことと、いきなり近づいて来る男に後ずさる。

 

 

「あまりに姿を見ていなくてな、本当に忘れていた。…成程、アイツらが呼んだのはこれだったか」

 

 

 男は相変わらず死んだ虫の様な無機質な目で彼女の顔を覗き込む。

 

 

「ぅ…ぁああッ!」

 

 

 アリアはその空っぽな、それでいて塗りつぶされた様な瞳が恐ろしく思わず剣を薙いだ。

 

 

 

 

 

「まあ落ち着け」

 

 

 

 

 

 ———その瞬間、剣を握るアリアの手が破裂した・・・・。

 

 

 

「…ぇ」

 

 

 

 アリアは口から呆けた声が漏れる。

 

 視界の端に赤い何かが飛び散るのが見えた。

 

 そうして、唐突に訪れた喪失感と次第に襲い来る強烈な痛みに何が起きたのかを理解する。

 

 

「ぐっ…ぁ…ッ!!」

 

「アリアッ!」

 

 

 あまりの激痛に腕を抑え膝を付く。

 その尋常で無い様子にカローナも駆け寄る。

 

 彼女の手首からはダラダラととめどなく血が溢れ出していた。

 

 カローナは懐から一つの薬を取り出す。

 そうしてそこへ多量の魔力を注ぎ込んだ。

 

 

「……それにしても、こう見ると…そこまで光るものも見えんな」

 

 

 薬を彼女の手首に掛け、徐々に再生していくのを眺めながらそう呟く男。

 

 その時には既に彼の目に浮かんでいた彼女への興味も幾分か薄れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「———これなら、あの王子の方がまだ良い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言にアリアは固まる。

 

 そうしてバッ、と顔を上げ男の方を射殺さんばかり睨み付けた。

 

 

「…デュークに、何するつもりだ…ッ!」

 

 

 寸前までの恐怖感も吹き飛ぶ様な激情が湧き上がる。

 この男が彼のことを知っている、それだけで最悪な未来が思い浮かんでしまう。

 

 男は足下に蹲ったまま、されど今にも飛び掛からんとする程の勢いで吼える少女を見下ろしながら言う。

 

 

「特に今から何かするというわけではない。だが彼は非常に優秀な肉体を持っている」

 

 

 男の説明はアリアとしても同意するところではある。

 彼は、デュークは魔術師として極めて適した体と言えるだろう。

 膨大な魔力に魔力操作の精密性、何より純粋な魔術の才能。

 アリアとて彼の凄さと言うのは身に染みて知っていることだ。

 

 だが、アリアには男の言葉は人間ではなく、それこそ斬れ味の良い剣を褒める様に、頑丈な鎧を称賛する様に、まるでモノを語るように感じられた。

 

 それが男の気持ち悪さも相まって、彼女に不穏な何かを思わせる。

 

 アリアは膝を立て起き上がりながら男へ向き合う。

 

 

「デュークに手を出したら…殺すぞ…ッ!」

 

 

 普段の彼女からは想像もできないほどに苛烈で過激な姿を見せるアリア。

 

 男はそんな彼女をまるで手を広げて懸命に威嚇する蟷螂でも見るかの様な冷めた目で見る。

 

 

「殺す…か。出来るならやってみてくれ、良いデータが取れそうだ」

 

 

 

 

 ———。 

 

 

 

 

 男がそう告げると同時、男の顔面に横一文字の銀閃が奔る。

 

 

「———フゥ…!」

 

 

 男の前には剣を真横に振り切った姿勢で男を見上げるアリアの姿。

 

 

 数瞬の後、男の顔面の中央に赤い線が刻まれ、ぶちまけた様な血飛沫が飛ぶ。

 

 叩きつけたような音と共に壁の一角が赤く染まった。

 

 

「…」

 

 

 だが男は己の頭部が両断されたにも関わらず、変わらぬ目でつまらないモノを見るように見下ろす。

 

 

「…まあ、こんなものか」

 

「ッ!!」

 

 

 本来なら即死であろう一撃を受け、男は平然と口を動かした。

 

 すると、まるで逆再生するかのように傷口が塞がって行く。

 

 

「もういいか?用がないなら俺は行くが…アイツらの目的はわかったが、あまり実りある物とは言えなかったな」

 

 

 男は最後に一度アリアを一瞥すると身を翻しふたたび奥へと姿を消そうとする。

 

 

「———ハァッ!」

 

「アリアッ!待っ———」

 

 

 背を向け遠のいていく男に、今度こそは逃さないとその背———心臓へ向けて魔力を纏わせた刺突を放つ。

 

 それと同時、彼女の横から包み込むような衝撃が加わった。

 

 その柔らかい衝突とは別に空気が呑まれるような、風が吹き抜ける音が鳴る。

 

 アリアは何かに包まれたまま地面に転がる。

 

 

「いっ…———」

 

 

 一体何が起きたのか確認しようとアリアは視界を開く。

 

 そうして、そこに写ったものにアリアは目を見開く。

 

 

「え…」

 

「———背後から斬り掛かるとは…貴族というのは存外騎士道精神が廃れているらしいな」

 

 

 男が何かを吐き捨て去っていく。

 だが今のアリアにはそんなことは頭に入ってこなかった。

 

 

「なに、これ———」

 

 

 土地が無くなっていた・・・・・・・

 

 まるで巨人が現れその部分だけを抉り取って行ってしまったように、アリアが居た場所を含め背後の建造物までもが土地ごとくり抜かれ消え去っていた。

 

 地を捲る程の衝撃が走ったわけでもない。

 森を焼き払うような火力があったわけでもない。

 

 ただ静かに、忽然と消え去ったのだ。

 

 そしてアリアは己を包み込む存在を思い出し、滑らせるように視線を己のすぐ側へと移す。

 

 

「———ッ!!カローナさん!」

 

 

 そこには己を抱え込み、一緒になって倒れるカローナがいた。

 

 

「カローナさん!大丈———」

 

 

 そこで、アリアはとあるモノを視界に捉える。

 

 

「……そ、それ…」

 

 

 アリアの声は無意識のうちに震えていた。

 

 彼女の視線はカローナのとある一点に向く。

 

 

「…怪我して無い?」

 

 

 ———そこには両足の太ももから先を失った彼女の姿があった。

 

 彼女はそんな状態でアリアの心配をする。

 

 

「ッ、そんなこと言ってる場合じゃないよッ!」

 

 

 アリアは髪を振り乱して自身の腰に据えていた薬を手に取りありったけの魔力を込める。

 

 

「突っ込んじゃダメ、って言ったじゃん…?」

 

「ご、ごめんな、さい…そ、それよりも———っ?」

 

 

 先程言われたにも関わらずまた同じように行動してしまったことに後ろめたさを感じつつ、アリアは焦る気持ちで患部を確認する。

 

 だがそこで彼女は奇妙なモノを見た。

 

 

「カ、カローナさん…聖魔術…使えたの?」

 

 

 カローナの傷口からは血が流れていなかった。

 

 

「…あー、一応、齧ったくらいだけど…血止めるだけならね」

 

「そ、そうなんだ…よかった…」

 

 

 アリアは何か引っ掛かりを覚えるも、出血が抑えられていることに安堵し患部へと薬を垂らす。

 

 するとみるみるうちに足が再生していった。

 

 カローナは完全に治りきると起き上がり、アリアの額を指で弾いた。

 

 

「いっ———」

 

「ありがとね、でもちゃんと反省しなきゃ。どう見たって勝てっこなかったでしょ?」

 

 

 軽い口調とは裏腹に真剣な表情で彼女は言う。

 

 

「はい…」

 

「なんか得体も知れないし…相手の力量も測れてないのに切り掛かるなんてダメだよ」

 

「…ごめんなさい…」

 

 

 親に叱られる子供のように身を縮まらせるアリア。

 

 

「でも」

 

 

 そんなアリアを見たカローナはフッ、と優しい笑みを浮かべると再度彼女を抱き止める。

 

 

「無事で良かったよ」

 

 

 フワフワと飛んでいきそうなくらいに柔らかい声音でそう言う彼女。

 

 アリアはつい先程まで自身が殺し掛けてしまった相手にそのようなことを言われ、余計に居た堪れなくなってしまう。

 

 

「本当に…ごめん…」

 

「良いってば。もう治ったんだし」

 

「でも…」

 

「じゃあ今度こそ同じことしなければそれで良いから。次はちゃんと我慢してね?」

 

「…うん、わかったよ」

 

 

 消え入りそうなほどにか細い声で何度も謝るアリアをカローナは止める。

 

 実際、あの不気味極まりない存在があれ程間近にいれば半狂乱になってしまったとて誰も文句など言えないだろう。

 

 それ程までに、先の存在は理解の及ばないナニカを思わせた。

 

 畏おそれではなく怖おそれ。

 それこそ、本能に訴えかける恐怖はあの黒い男をも凌駕した。

 

 

「はい、もうこの話はおしまい!ほら、立って立って」

 

 

 カローナはアリアが落ち着いたことを確認すると、座り込んだままの彼女の両手を持ち立ち上がらせる。

 

 

「さっきは続けようって言ったけど…どうする?」

 

「……もうちょっとだけ…探したい」

 

 

 何となく、あの男が関わっているかもしれないというだけで結果は絶望的に感じた。

 

 だが、それでもせめて出来ることだけはやって帰りたい。 

 アリアはそう答える。

 

 

「了解!じゃあ、行こ!」

 

「…」

 

 

 手を引くカローナにされるがままについていくアリア。

 

 その内心には、あの男の纏う狂気が冒す未来への不安がいつまでも燻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都西部の続く道。

 その上に一つの小さな影一つ。

 

 地面に着きそうな程に伸びた緑がかった金髪にシミ一つない真っ白な肌。

 

 マントにも似た白の衣装を身に纏う少女は遥か先に見える王都を見やる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———グラム…キミの置き土産、どんなものか見させてもらうよ」

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