襲来

「…逃げられた…ッ」

 

 

 アリアはたった今その逃走を許してしまった男の消えた方向を睨みつける。

 

 彼女は現在、カローナと共に件の依頼のためスラム街の方へとやって来ていた。

 

 王都の夜は歓楽街を除いて静かではあるが、それにしたって今宵のスラム街は寒気のするような静寂に包まれていた。

 本来彼女のような身なりの良い、それも少女がやって来たとなれば、脇目も振らず襲いかかるものが一定数いるものだ。

 

 しかし今はそんな様子は欠片も無く、それどころか気配や息使いの一つ聞こえてこない。

 

 異常こそ通常であるスラム街でも、これは実に奇妙であった。

 

 

「…カローナさん、無事かな…」

 

 

 今彼女の隣にカローナは不在である。

 

 それはアリアが二手に分かれることを提案したためであった。

 

 元より万が一アリアが暴走した際に制止をするためにパートナーを付けるという話であったが、今回の依頼はあくまで捜索。

 ならばそれを優先すべきだと彼女が言ったのである。

 

 また、スラム街自体はそこまで広くは無く、建物に囲まれている故に音はよく響く。

 何かあればすぐに察知し駆けつけることもできる。

 

 アリアがそう説明すれば、カローナは妙に納得のいかない様子で渋々了承した。

 

 彼女には悪いことをしたと思いつつも、行方不明者の捜索を優先したかったのだ。

 

 

「本当に、何が起きてるんだろう…」

 

 

 何よりも異様なのは先程の男。

 

 羽織るローブにフードを被り、ご丁寧に粗いマフラーまで装着していたため終ぞその顔を確認することはできなかったものの、そこそこに良質な剣に特に汚れも目立たない服装など、どう見ても自分と同じくスラムの外からやって来た人間であり明らかにスラムの者の身なりでは無かった。

 

 そして———

 

 

「…っ」

 

 

 アリアは無惨な姿で地面に転がる死体に目を遣る。

 

 それは男が彼女と接敵する寸前まで引きずっていたものであった。

 

 その顔は肉眼では元の状態も判断出来ない程にめちゃくちゃにされ、肉体も猟奇的なまでの傷が刻み込まれている。

 

 足首や手首など、関節を確実に切られていることから初手で殺されたのでは無く、最初に抵抗や逃走手段を奪われそのまま———

 

 

「許せない…っ」

 

 

 おそらく、今のスラム街の様子とも何かしら関係はあるのだろう。

 

 何故こんなことをしているのか。

 行方不明者との関係はあるのか。

 

 疑問は尽きないが、依頼のこともあるため彼女もここで止まってはいられない。

 

 アリアは心苦しくも死体をそのままにその場を後にしようと腰を上げる。

 

 

「———っ!」

 

 

 その時だった。

 

 彼女の背後で砂利を踏むような音が鳴る。

 

 アリアは剣の柄に手をかけ振り向く。

 

 

「…さっきの男の仲間?」

 

 

 彼女視線の先。

 そこには先程の男と同じ風貌をした者が立っていた。

 

 

「…」

 

 

 彼女の質問に男は答えない。

 

 それの代わりというように無言でナイフを構える。

 

 

「…それが答えだね」

 

 

 肯定と見做したアリアは握る手に力を込める。

 そうして僅かに腰を落とす。

 

 同時に男が踏み込む。

 

 

「疾シッ!」

 

 

 アリアは男が斜め上から自身の首筋を狙っていることを見切り、一歩前へと踏み出し抜剣する。

 

 

「ッ!」

 

 

 男は狙いをズラし、彼女の剣身に合わせるようにしてナイフを立て、宙で縦に回転するようにしてこれを往なす。

 

 そうしてナイフを弾かれる勢いを回転へと利用し、身を起こした瞬間に脚を振り下ろす。

 

 踵落としである。

 

 

「ハァ!」

 

 

 アリアはさらに奥へと潜り込むことで脚撃を躱し、倒れ込むような姿勢のまま反転と同時に剣を振るう。

 

 男はそれを隠し持っていたナイフによって防ぐ。

 

 しかし空中では完全に往なしきれず勢いのままに横へと弾かれる。

 

 アリアはその瞬間にさらに反転し這うようにして男へと迫る。

 

 

「フッ!」

 

 

 そうして宙を舞う男目掛けて切り上げる。

 

 男は銀の閃きを視界に入れた瞬間に空中にて姿勢を変えその一閃を翻し、剣身が鼻先を通過するのを見送った。

 

 ローブの裾が切り裂かれる。

 

 

「…」

 

 

 羽根のような身軽さで着地した男はローブの下にナイフを忍ばせ眼前で構えるアリアを見遣る。

 

 相変わらずフードの奥は伺えず、不気味さが溢れている。

 

 

「…アリア・アルブレイズだな?」

 

「っ!」

 

 

 アリアが男を注意深く観察していると、徐に男がそう話しかけて来た。

 

 警戒するアリアが答えあぐねていると、男は彼女に構わず続ける。

 

 

「ここに何の用で来た?」

 

「…行方不明者を探しに来た」

 

 

 答えるか否か逡巡するものの今答えたとしても問題は無いと判断し、事実を述べる。

 

 

「今度はこっちから聞かせてもらうけど、お前達はここで何をしているの?」

 

 

 剣を鳴らし威嚇するように問う。

 

 

「…訳あって、スラムの人間を集めている」

 

 

 男は一瞬沈黙するも思いの外あっさりと答えた。

 しかし、その内容は聞き逃せるものではなかった。

 

 

「そのために…殺してるの?」

 

「質問には答えた」

 

 

 ピシャリとそう言い放つ。

 どうやらそれ以上のことを教えるつもりはないらしい。

 

 

「…これ以上、好き勝手させる訳には行かない」

 

 

 アリアは剣の切先を男へ向け、顔の横に構える。

 

 だがそこで男が纏う雰囲気が変わる。

 

 

「…何故、そこまでアイツらを気にかける?」

 

「…は?」

 

 

 そんなことを聞いてきた。

 仲間でも呼ぼうと時間稼ぎしているのか。

 

 

「そんなの———」

 

「———俺達が何もしなくとも勝手に死んでいったやつなどいくらでも居るぞ?」

 

 

 スラム街はある種、捨てられた街だ。

 この王都で全てを失った者達が最後に辿り着く掃き溜めとも言える場所であり、同時に表・以上に弱肉強食の世界だ。

 

 弱い者は喰われ、強い者だけが生き残って行く。

 それは武力然り、知恵然り、情報然り、何か周囲を遥かに凌ぐ物を持っていなければ安心して過ごすことも出来ない。

 

 故に、殺す殺されるなど茶飯事。

 男が何かを企んでいようとなかろうと、きっと彼等は遅かれ早かれそうなっていた。

 

 

「それにコイツらが消えて困る奴がいるのか?殺人、盗み、強姦、誘拐…数え始めればキリがない。むしろ消えた方が王都のためだろう」

 

 

 過去にそういった事件は何度かあった。

 今だって裏に隠れているだけで間違いなく起きているのだろう。

 

 

「…その人達にも家族は居る」

 

「家族…家族か…そうだな…」

 

 

 すると男は顎でアリアの背後にある死体を指す。

 

 

「そこの女はな、子供が二人居たんだが…人を三人殺している」

 

「…っ!」

 

 

 アリアは息を詰まらせる。

 

 

「俺がさっき殺した奴は捨てられた子供だった。その前には窃盗、その前の奴は一人殺している」

 

 

 立て続けに男は自身が殺めた者を述べて行く。

 聞けば聞く程に荒れたスラムの闇が膨らんで行く。

 

 それが真実か否かも判断出来ないにも関わらず、その言葉は彼女の内側を侵す。

 

 

「中には表の人間を殺してる奴だって居る」

 

 

 ———そんな奴らを、お前は助けるのか?

 

 男のフードの奥に隠れる見えないはずの眼光がアリアを捉える。

 

 アリアの向ける剣先が僅かにブレる。

 まるで心を乱されるように。

 

 形容しようのない怖気が走る。

 

 

 

「…だからって…」

 

「!」

 

 

 

 そんな男に、アリアは震えたような声で言う。

 

 

「だからって…お前等が裁いてもいい訳じゃない…ッ」

 

 

 王国には王国の法があり、正義の名の下に平等に裁く存在がある。

 

 確かにここに居る者達の中には許されざる罪を犯した者達も蔓延っている。

 

 だが、それに目の前の男が私刑を下すのは間違っている。

 

 

「お前らみたいな奴等が、王国の正義を穢すなッ!」

 

 

 怒りを滲ませるような声音でそう低く怒鳴る。

 昏い空間に彼女の声が木霊した。

 

 

「…正義、か」

 

 

 だが彼女の言葉を聞いた男はそれをまるで鼻で笑うようにして切って捨てる。

 

 

「何がおかしい…!」

 

 

 その男の態度にさらに怒りが湧き上がる。

 

 そうして彼女がそう詰めると、心なしか男の口元が歪んだような気がした。

 

 

 

 

「正義を盾に、復讐に走っているお前がそれを言うのか?」

 

「ッ!」

 

 

 

 

 心臓が跳ねる。

 

 

「な、にを…」

 

「英雄だ、正義だ何だと言いながら、結局は父親の敵討がしたいだけなんだろう?」

 

 

 まるで首に死神の鎌を掛けられたかのような感覚が彼女を襲う。

 

 己のとは関係なく加速する鼓動がいやに脳に響く。

 

 

「違う…」

 

「それさえ正当化できるんだから…正義というのは便利だよな?」

 

「違うッ!」

 

 

 アリアは己を蝕む恐怖を振り払うように剣を振り下ろす。

 

 男はそれを腕で受ける。

 

 金属同士がぶつかるような甲高い音が響めく。


 

「…ちょっと煽るだけのつもりだったんだが…」

 

 

 ローブがはだけ、鉄の籠手が顕になる。

 

 男は腕を振い迫る刃を弾く。

 

 

「思った以上に脆いな、この主人公…———っ!」

 

 

 またも鳴り響く硬質な摩擦音にボソリと呟く男の声が掻き消される。

 

 その瞬間、男の横から轟々と燃え盛る火球が飛んでくる。

 

 

「———そんな奴の言うこと間に受けなくて良いよ」

 

 

 男は背後に跳び回避すると、建物の影へと視線を移す。

 

 

「正義を語る土俵にも居ないアンタらが、うちのアリア誑かさないでくれる?」

 

「カローナ、さん…」

 

 

 アリアは現れた彼女へまるで縋るような視線を向ける。

 

 カローナはナイフを構える男を無視してアリアの側へと寄る。

 

 

「アリア、貴女は立派だよ。最近はちょっと危なっかしいのはそうだけど…それでも貴女が真剣に皆のために戦ってるのは知ってるよ」

 

 

 彼女はアリアの手を取り、翡翠の瞳で真っ直ぐと彼女を見つめる。

 

 

「だから、貴女はその信念に従えば良いの。何も間違ってなんかないよ」

 

 

 優しい声音でそう肯定する。

 

 

「ほ、んと…?」

 

 

 迷子の子供のような目が揺れる。

 黒に蝕まれていく心が少しずつ晴れて行く。

 

 

「うん、ほんとほんと」

 

 

 最後に普段のアリアが浮かべるような、周囲を照らすような笑顔を見せるカローナ。

 

 

 

「…………面倒な仕様だな」

 

 

 

 傍でそのやり取りをただ眺めていた男は静かに腰を据え、残ったナイフを逆手に持ち替える。

 

 

「まあ、いいがな———」

 

 

 そうして背後から彼女達を襲おうとした時だった。

 

 

「っ…ああ、分かった」

 

 

 唐突に男は足を止めると、小さく何かを呟く。

 

 

「…少し用事ができた。二度と会わないことを願うぞ、アリア・アルブレイズ」

 

「ま、待て———」

 

 

 アリアの制止の声を華麗に無視し、男は闇に溶けるように姿を消した。

 

 

「クソッ」

 

「こら、そんな汚い言葉使わない」

 

 

 二度も怪しい存在を逃してしまったことに毒付くアリアに、妙に雰囲気の合わない調子でそう注意するカローナ。

 

 その声を聞き、アリアはハッとするとバツの悪そうな様子で彼女に向き直った。

 

 

「…その、カローナさん…さっきはありがとう…」

 

「ううん、何となくこうなるんじゃないかなって思ってたし」

 

「…ボク、何も変わってなかったよ…」

 

「そりゃあ、一晩で変われるなら誰も苦労しないって」

 

 

 男の発言に感情を抑えることができず激唱した己を省みるアリアを、カローナは何でも無いように慰める。

 

 

「これから少しずつ大人になろーね?」

 

「…うん」

 

 

 何処か揶揄うような彼女の口調に少し恥ずかしそうに頷くアリア。

 

 

「じゃあ、このままもうちょっと捜索してみよっか」

 

「分かったよ、よろしくね」

 

「任せな〜」

 

 

 そうして二人は捜索を再開すべく気を持ち直す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———すまない…この辺りに妙な格好をした男共が来なかったか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソレが現れたのは、そんな時だった。

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