消えた光

「………ぇ」

 

 

 アリアは一瞬、その言葉があまりに信じられない、幻聴のようにさえ聞こえた。

 

 グラムは穴の空いた肺に空気を吸い込んで言う。

 

 

「そんな、もの…目指さなくても、良いんだ…」

 

「———何を…」

 

 

 アリアは困惑を露わにする。

 

 それはグラムが先程男へと語った未来とはまるで真逆の言葉であった。

 

 グラムはすり減ってゆく命を吐き出すように、最後の力全てをその声に乗せるようにして吐露する。

 

 

「君は…とても強い子だ。明るく、元気で…それでいてとても、優しい」

 

「だから…皆の期待に、応えよう、として…どんなことにだって…立ち向かうんだ、ろう」

 

 

 彼女はいつも懸命に鍛錬に励み、滅多に弱みなど見せない。

 

 それは単に、いつか誰かを守るため。

 

 彼女ならば、たとえ心が折れようとも絶望が立ちはだかろうともきっと乗り越え、目の前の災厄さえも打ち倒さんと奮闘することだろう。

 

 だが、今こうして腕に収めてみればよく分かった。

 

 

「(まだ…こんなにも小さいじゃないか)」

 

 

 もう十五歳、されどまだ十五年しか生きていない少女。

 なんとも華奢で、なんとも幼く、そしてなんとも小さい。

 

 そんな子供に国を任せるなどとどうして言えようか。

 そんな残酷なことが、どうして言えようか。

 

 

「きっと、こう言っても…君は、聞かないん、だろうね」

 

 

 何故ならこの子は優し過ぎるから。

 

 

「だけれどね———」

 

 

 グラムは残されたほんの僅かな熱を込めて伝える。

 

 

「———君が…本当に…本当にやりたいことを、成し遂げれば、それで…良いんだ。そして…精一杯、幸せになれば良い。だって、君は…人間なんだから」

 

 

 それは彼女の今までを否定する言葉かもしれない。

 

 だがそれでも子供の未来を、無限の可能性を望める自分の子供の運命を、何故国に、世界なんか・・・に決められなければならないのか。

 

 ただ人が己の為だけに幸せになろうとすることのなんと当たり前なことか。

 

 

「それが、それだけが…私親からの、君子への…願いだよ」

 

 

 それは《勇者》としてはあるまじき思い。

 だが親としては当然の想いだった。

 

 自身の体が冷たくなって行くのを、彼女を包む感覚が薄れて行くのを感じる。

 

 

「最期にね…アリア…今まで、たった一度しか言えなかった、けどね———」

 

 

 グラムは彼女に最も伝えたかったことを口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———世界で一番、愛しているよ…アリア。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言って、彼は静かに瞼を閉じた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『———なた!———貴方!』

 

 

 …懐かしい声が聞こえる。

 

 

『貴方!アリアが言葉を喋ったの!』

 

『…何だって?』

 

『早く来て!きっと驚くわよ!』

 

『ちょっ、そんな手を引かなくても…っ』

 

 

 そういえば、君はアリアに似て元気だったなぁ…いや、アリアが君に似たのか。

 

 

『ほらアリア、言ってみて!』

 

『…』

 

『はぁ、気のせ———』 

 

 

 すまないセシリア…最期にあの子を悲しませてしまったよ。

 

 

『———ぁ…と…とー、さ、ま』

 

『っ!?』

 

『ほら!貴方を呼んだのよ!』

 

 

 ああ、アリア…

 

 

『きっと貴方のことが大好きなのね!ほら、抱っこでもしてあげたら?』

 

『あ、ああ…』

 

 

 本当に———

 

 

『とーさま!』

 

『…ハハッ———』

 

 

 

 

 心から———

 

 

 

 

 

『———私も愛しているよ、アリア』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フッ、とアリアの両腕に彼の体がもたれ掛かる。

 重い筈なのに、今だけは何故か酷く軽い。

 

 腕がダラりと落ちる。

 

 

「お父様…?」

 

 

 アリアが呼ぶも返ってくるのは沈黙だけだった。

 

 いつも鼓膜を撫でる優しき声が聞こえて来ない。

 

 

「ねぇ…返事してよ…ねぇ!お父様ッ!ねぇ———ッ」

 

 

 その時、アリアは抱えている父の体が徐々に、さらに軽くなって行くことに気がつく。

 

 

「な、何———」

 

 

 彼女は体の中でただ一点、熱を持った胸に見た。

 

 

「ッ!!」

 

 

 そこには、彼の肉体を蝕まんと燃え広がる黒の焔があった。

 

 

「う、そ…ッ、そん、な…ッ!そんなのッ!」

 

 

 焔は胸から胴全体に広がり、首と腕が焼け落ち、腰から下も首も腕も、その全てが黒く灼かれてゆく。

 

 

「止めてッ!止めてよッ!お願いッ!」

 

 

 アリアは泣き叫び懇願する。

 

 しかし無慈悲にも焔は止まらない。

 

 

「行かないでッ!お父様ッ!お父様ぁッ!」

 

 

 必死にその御体を掴み取ろうと手を伸ばす。

 だがそうする度に彼の体はまるで灰のようにボロボロと崩れていってしまう。

 

 

「ぁ…」

 

 

 ———そうして遂に、その肉体は彼女の腕から消え去ってしまった。

 

 

「ぁぁ…ぁあ…ッ!あああ…ッ!」

 

 

 その瞬間、国を守りし誇り高き英雄が世界から居なくなってしまったことを悟る。

 

 二人の始終を傍で眺めていた黒の男は空っぽになった己の両手を見つめて泣き崩れる少女を横目に口を開く。

 

 

「…国の英雄としてではなく、人としての死を選んだか」

 

 

 生涯を国を守ることに捧げた剣にして盾。

 

 だが本当はそんなものさえかなぐり捨て、ただ一つの宝を護るだけの存在でありたかったのかもしれない。

 

 

「つくづく、難儀だな…宿命を背負う者というのは」

 

 

 その声は咎めるようなものでも、また称えるようなものでもなく、ただ淡々とした無機質なものだった。

 

 彼は虚空を見つめながら黙り込むと、今度は目の前の少女へと視線を遣る。

 

 

「お前がいつか俺の首を取りに来る、奴はそう言った。それが《勇者》グラム・アルブレイズの遺言だ」

 

「———っ!」

 

 

 英雄の・・・最期を見届けた者として、男はアリアへ向けてそう告げた。

 

 

「英雄としての遺言か、人間としての遺言か…どちらに応えるかはお前の自由だ…それではな、楽しみに待っている」

 

 

 男はそれだけ言うと彼女に背を向けてその場を去ろうとする。

 

 それと同時、その背後で地面を踏み抜く音がした。

 

 

「———ぁああああッ!!!」

 

 

 少女は父の居た場所に転がる《栄光の剣グラントリア》を手に男に突貫する。

 

 そうして、その切先をその背へと思い切り突き刺した。

 

 男はそれを魔力を纏うわけでもなく、往なすわけでもなく、ただ無防備に受け入れる。

 

 

「ッッ!」

 

 

 しかし、その刃は男の背にほんのかすり傷さえ残すことなく受け止められる。

 

 

 ———次の瞬間、少女の見る景色が吹き飛んだ・・・・・

 

 

 いきなりのことに何が起こったのかさえ理解することもできず、少女は重力に従って地面に叩きつけられる。

 

 

「ぐっ…ぁッ!」

 

「———それで強くなれるのならば良い。それで幸せとやらを掴めるのならばそれも良いだろう。…今のお前は一体に何に成ろうとしている?」

 

 

 男は背を向けたまま無関心にそう問う。

 

 アリアは地面に投げ出されたまま沈黙する。

 

 

「…だが、そうだな…奴の言うことも唯の戯言ではないらしい。…強くなれ、《勇者》」

 

 

 彼は一瞬だけ視線を背後に向け淡く光る・・・・剣身を視界に収めると、ゆったりと歩を進め今度こそその場を去って行った。

 

 ただ独り残されたアリアは蹲ったまま起き上がらない。

 

 あまりに情けなく、あまりに無力。

 

 

「…ぅ、ぐっ…ッ、うぁ…ぁあ…ッ!…ぁぁあああ゛ッ!」

 

 

 ———たった一日で一つの光を奪われた少女アリア・アルブレイズは、ただ泣き喚くことしか出来なかった。

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